北海道の大切な産業のひとつ、林業。北海道の森林面積は全国の22%を占めており、住民ひとり当たりの森林面積も全国平均の5倍近くあるそうです。輸入木材が増え、一時期は需要が減った道産材ですが、近年はその魅力や良さが見直され、供給率が上がっていると言われます。
道内の市町村の中には、林業やそれに関連する木工を町の活性化に繋げようと積極的に活動しているところがあります。町の面積の86%を森林が占めている中川町もその一つ。日本五大家具産地のひとつ、旭川家具へ木材供給を行ってきた同町は、持続可能な地域社会を築いていくために新たな森づくりに取り組んでいるほか、林産品などの販売や町の森を身近に感じてもらえるイベントなどを行っています。
その中川町で、「オクラホマ河野真也『なかがわスタイル』の小屋プロジェクト」がスタート。道民にはおなじみのタレント、オクラホマの河野真也さんが、自ら企画書を書くところから始めたという渾身のプロジェクトです。今回は、河野さんにこのプロジェクトを立ち上げる経緯やきっかけ、想いなどを取材してきました。
一枚板のテーブル作りで木の温もりに触れる
夕方のテレビ情報番組のレポーターとしても活躍している河野さん。もともと「木」のモノが好きで、木製の家具や生活雑貨を少しずつ買いそろえていたそうですが、「好き」が高じて中川町で小屋を作るプロジェクトを立ち上げることに。プロジェクトに至るまでの話をまずは伺いました。
「僕は情報番組の中で、グルメリポートのロケに出たり、お役立ちグッズの紹介をしたりするのが仕事なのですが、コロナ禍になってから、番組はコロナの話題一色。自然と僕も番組内でコメンテーター的な役割を担わなければならなくなりました。でも、僕はコロナの専門家でもないし、何ができるかを考えたとき、視聴者の方たちの気持ちに寄り添うことだと思いました。とはいえ、いろいろな立場の方たちがいるわけで、それぞれの気持ちに本気でなるのは、なかなか大変。四六時中コロナのことばかり考えているうちに、僕自身が疲弊してしまって...。このままだと良くないと思い、バランスを取るためにプライベートではまったく別のことをしようと思ったんです」
河野さんの奥さまは札幌軟石を使ったアクセサリー作りをされている作家さん。作品に木材を用いることもあり、ある日そのご縁で「河野(こうの)銘木店」を訪れます。「いつか一枚板のテーブルが欲しいと思っていたのですが、河野銘木店では自分で一枚板のテーブルを仕上げるプランがあると教えてもらって、コレだ!と。今の自分には何かに没頭する時間が必要だと思っていたので、削って磨いて仕上げていく作業はぴったりだと思いました」
木の手触りや触れた際に感じられる温もり、ひとつとして同じものがない木目や節がたまらなく好きだという河野さん。コロナによってイベントなどのイレギュラーの仕事がなかったこともあり、空いている時間に木に触れたいと自身でテーブルを仕上げることにします。
「黙々と集中して目の前のレッドオークの板と向き合っていました。裏も表もどちらの木目もよくて、結局どちらも研磨して(笑)。オイル塗装も自分で行って、最後はアイアンの脚をつけて終了。作業に費やしたのは約70時間。平均に比べるとかなり時間をかけていたそうですが、僕にとってはとても心地よい時間でした」
木の産業で北海道を元気にしたい
テーブル作りに没頭していた際、河野銘木店の方から、「こんな椅子の展示があるのでよかったら」と紹介されたのが、「札幌の木、北海道の椅子展」(2020年6~7月開催)。会場に足を運ぶと、そこに展示されていたのは札幌市の清田にある札幌南高校が所有する森の木を使った作家たちによる椅子でした。そして、河野さんはそこにあった「道」の写真に釘付けになります。
「道」とは、「森林作業道」のこと。木を伐り出し、それを運び出し、森や山を管理するために必要な道です。むやみやたらに伐り出し、山を傷つけるような大きな道ではなく、写真にあった「道」には山への想いがあふれていました。その写真の「道」を作ったのが、森林環境と共存する林業を営むフリーの木こりの足立成亮さんでした。「そのときは、『こんなすごい人がいるんだ』と思うくらいだったのですが、そのあと寿都の核受け入れ問題などのニュースを見ていて、ふと、道内の各市町村の自然や良さを生かした産業がもっと活発になれば良いなあ、と考えました」
駆け出しだった頃、河野さんは深夜番組のヒッチハイクで道内を回るコーナーに出演し、179市町村を回りました。その際に、それぞれの町に素晴らしいものがあると感じていたそう。そして、番組ロケの際にはたくさんの人たちにお世話になったという感謝の気持ちも心の中にありました。
「僕は北海道や北海道の方たちに生かされてきた人間です。だから、大好きな北海道に元気でいてほしいと思っています。そのために何ができるのだろうか考えていた際、どの市町村にも豊かな森林があると頭に浮かびました。木を使った産業で町は元気にならないのだろうかと思ったとき、足立さんのことを思い出して、伝手を頼って会いに行くことにしました」
番組も仕事も関係なく、ただ足立さんに話を聞いてみたい。それだけで足立さんのいる森へ向かった河野さん。森や林業の歴史、木のこと、林業で得られる収入のこと、あらゆることを足立さんから教えてもらいました。そして、足立さんのところへ通うほか、木にまつわる仕事をしている人たちにも次々と会いに行きます。
中川町の木との出合いから、自ら書き上げたプロジェクトの企画書
「僕は建物も大好きで、いろいろなところへよく建物を見に行くのですが、まちおこしで作ったというものを見て、違和感を覚えることがたまにありました。まちのために建てたものなのに、町の素材が使われていないとか、まちの歴史を感じられるものがどこにもないとか...。もし、地元の素材を用いた家や建物が並んでいたら、それはそれは美しい街並みだろうなって思っていました。地産地消ならぬ、地材地消で作られた街並みを未来へ残すことができれば、まちはもっと魅力的になり、そこで暮らす人も幸せなのではないかなと。そして、全国各地にある伝統工芸と呼ばれるものは何かのきっかけで誕生し、その土地ならではの技法で人から人へ受け継がれています。その誕生をこの北海道からも生み出すことができないかなと考えていました」
これまでも道内各地のまちを訪れてきた河野さん、木のことを知りたいとたくさんの人に会い、話を聞くうちに、いろいろな想いが重なり、バラバラだった点と点がつながり始めます。
「たまたま手にした木工作家のクドウテツトさんの作品が、中川町のシラカバを使っていると知り、ピンときました。中川町は町有林を皆伐しないと決めているなど、共感できるところがたくさんあった町。役場の方が書いた『森林文化の再生』という循環のイラストを見て、スゴイ!と思っていました」
皆伐とは、字の通り、区画にある木を全て伐採すること。中川町では生物多様性に配慮した森づくりを行っており、町有林では原則皆伐をしないことに決めています。ほかにも、場所や状況によって、無理にコストをかけて人工林化しないよう自然の力で次世代の更新を行うなど、持続可能な森づくりを実践しています。
「ちょうど同じ事務所のシンガーソングライターのChimaが、中川町のイメージソングを担当し、さらに中川町の木でギターを作ったと知って、僕も中川町の木で小屋を作りたい!と思ったんです。中川町なら地材地消の家づくりが可能。森林に囲まれた中川町だからこそできる『木』という資源を通じて、まちの魅力を発信したいと思いました」
地材地消のまちづくりなど、それまで河野さんの中にあったものがつながりはじめ、生まれて初めてプロジェクト系の企画書を自分で書き上げます。そこには、コロナ禍に木に触れることで救われた河野さんが、木を使って大好きな北海道を元気にしたいという思いもたくさん込められていました。小屋が完成したあかつきには、自身の想いや発信したまちの魅力がひとりでも多くの人に届き、そこに惹かれた人たちの移住のきっかけになってほしいという願いも記されていました。そして、河野さんのその熱意は関係者にしっかり届き、すぐにプロジェクトが立ち上がり、実現に向けて動き出しました。
屋根が特徴的な、小屋の模型
木だけでなく、土も使用。地元の材料で建てる小屋
その頃、道内各地の木を使ってリノベーションしたという林業関係者の方の部屋を見せてもらう機会があった河野さん。木のほか、道内の土を使った壁もあり、「これだ!」とヒントを得ます。
「小屋という名前ですが、よくある山小屋やログハウスではなく、ちょっとモダンな居心地の良い宿のような雰囲気に仕上がったらいいなと思って、地元の土も使うことにしました。そして、地元の方がこの小屋を参考に、地元の木と土を使って家を建てたり、リノベしてくれたりしたら嬉しいなとも考えました」
河野さんが個人的にファンだったという大工の中村直弘さん(yomogiya)、左官職人の野田肇介さん(野田左官店)に会いに行き、プロジェクトへの参加を依頼。このほか、河野さんのイメージや想いをデザインしてくれる設計の佐藤圭さん(三木佐藤アーキ)らをはじめ、中川町の職員、地元の木材加工業者や、木材流通コーディネーター、建築業者、建具屋、そして中川町の方たちが参加し、プロジェクトはスタート。
プロジェクトメンバーの皆さんと
小屋を建てる場所は、中川町の温泉ホテル、ポンピラアクアリズイングの敷地内。どこに建てるかを決める際も、河野さんは直接中川町へ何度も足を運び、町中をくまなく見て回ったそう。行けないときは、Googleマップで町を隅々まで見ながらイメージを膨らませていました。
「山から木を伐り出すところから参加させてもらったのですが、本当にすごい体験をさせてもらいました。木を倒す際、最後にくさびを入れてカーン、カーンと打つ音が森の中に響き渡るのがとても神聖に感じられて、『ここからスタートするんや』と気が引き締まりました」
作業が始まると、行ける週末は中川町へ足を運びました。レギュラーの仕事が金曜の夕方に終わると、すぐに札幌から車で4時間近くかけて中川町へ向かい、作業に参加し、日曜には再び札幌へ戻ってくるという生活。「この1年は恐ろしいくらい中川町のことばかり考えていました」と笑います。
プロジェクトはそれぞれのプロが集まって作業するため、意見ややり方の相違もしばしばあったそう。それをまとめながら、プロジェクトを前進させるのが河野さんの役割。「小屋づくりと舞台をつくり上げるときの感覚は似ていました」と話し、「各方面に気を配って調整するプロデューサーの苦労がよく分かりました。でもね、めちゃくちゃ楽しかったんです。ワクワクした気持ちでみんなと一緒に小屋をつくっていくのは」と振り返ります。
これからがさらに楽しみ。完成した小屋の活用法
12月18日には、完成した小屋がお披露目となりました。「完成して終わりではなく、これからが始まり。来年は発信もどんどんしていきたいですし、この小屋が価値のあるものになっていけばと思います」と河野さん。小屋の使い方に関してもいろいろな案があるそう。まだ確定はしていませんが、ギャラリーとして利用するほか、週末だけのカフェを営業したり、マルシェを開催したり、あるいは移住体験ツアーの宿泊先として利用するのも楽しそうだという意見もあり、夢は広がります。
中川町の土を使った壁塗りは、町の人たちと一緒に行いました
「今回の中川町の小屋プロジェクトをきっかけに、全道各地でこのようなことができたら面白いですね。新たに何かを作るだけでなく、もともとその場所にあるものを生かして何か生み出していくのもいいなと思っています。僕は、本当は人見知り。これまで自分の意見を言って、行動を起こすなんてことはほぼありませんでした。でも、コロナ禍に人生折り返しの40歳を迎えたとき、自分を生かし、育ててくれた北海道に何か恩返しをしたいと思ったんです。北海道のためだと思ったら、動くことができると今回のプロジェクトでよく分かりました」
人見知りというのが信じられないくらい、「会いたい」と思った人のところへどんどん出向き、森林のことや林業のことを学んできた河野さん。プロジェクトが進んできた様子は、まるで何かに導かれているかのようにも見えます。中川町の完成した小屋の活用も楽しみですし、木のことや小屋の話を前のめりになって話す河野さんが来年はどのような活躍を見せてくれるのかも楽しみです。
- オクラホマ 河野真也さん(株式会社クリエイティブオフィスキュー)
- 住所
北海道札幌市中央区北2条東3丁目
- URL