札幌の街中に、こんなに木材があるなんて!!ここを訪れたら、きっと皆さんもこう驚かれるはず。
多く車が行き交う国道36号線。ススキノから豊平方面へと進み、途中で一本横道に入ると、一見しただけでは何のお店かわからないけれど気になる『木心庵(きしんあん)』という看板が。それが「河野銘木店」です。
看板に導かれて一歩足を踏み入れると......そこはまさに木材のデパート!
木の香りが立ち込める建物の中には、様々な形・サイズの個性豊かな木材たちが所狭しと並べられ、私たちを出迎えてくれました。
更には、木材への愛が溢れるスタッフが丁寧に木の説明をしてくれる、というお出迎えっぷり。
きっとここには、深い歴史と想いが詰まっているに違いない。
そんなワクワクした気持ちを胸に、取材に訪れました。
木材加工の川上から川下までを幅広く担う、木材の専門店。
お話を伺ったのは、河野銘木店で木材の加工部門を担う宮島弘之さんです。
お店の看板には、「北海道札幌市にて1952年に創業した北海道唯一の銘木を揃えた木材の専門店です」とあります。
なんと創業70年!河野銘木店とは、どのようなお店なのでしょうか?
お話を伺った宮島弘之さん。木にも人にも愛情溢れる素敵な職人さんです。
「河野銘木店の仕事は昔から幅広いのですが、まず一番の業務としては、原材料として引き取ってきた丸太を、活用しやすい板状に製材することです。札幌市手稲区にある製材所に持って行って、この木はこう伐ってほしい!と製材の仕方も僕らが指示して挽いてもらっています。ただ、木というのは切ったばかりだと水分を含みべちゃべちゃな状態。このままでは使いづらいので、さらに乾燥させる必要があります。私たちの会社では、製材して、乾燥させて、という工程を経た木材たちが、ここに並んでいるというわけです」
木材のデパートはなんと三階まで!
私たちがイメージする木材はカラリと乾燥していますが、実は切ったばかりの木はかなり濡れています。水分を吸い上げているのだとまさに実感します。そして乾燥させないと木材としては利用することが出来ないのです。
さらに最近は、宮島さんご自身が山に入ることもあるそうです。
「林業の専門家と一緒に山に入って、木を探しに行くこともあります。何でもかんでもとにかく木を伐ってしまうのは自分達も違うなと思っていて、ちゃんと必要な分だけを調達するようにしています。たとえば、木を伐るだけではなくて、自然に倒れた木があれば、その倒れた木そのものの利用価値を僕たちが見出してあげることも大事にしているんです」
確かに河野銘木店の倉庫には、きれいに製材された板だけではなく、普通なら捨て置かれそうな木の根元部分など「こんなものも使えるの?」と思えるものも沢山置かれています。それら一つ一つについて、「これはどこどこの山で見つけて...」とエピソードを語ってくれる宮島さん。
「山で放っておかれてるのを見ると、これも使えそうじゃん!って、つい連れてきちゃうんですよね。」と笑います。
倉庫には、「こんなものも?!」と驚くような個性豊かな木材が溢れています。
さらに宮島さんは「株式会社THREEK」という会社も立ち上げ、オーダー家具の製作も行っています。
山から木を出し、木材に加工し販売するだけでなく、製品も作成し販売しているという、まさに「木材の専門店」なのです。
職人気質の社長から学んだ、木の面白さに惹かれて。
宮島さんの言葉にはいつも、木材の大きな可能性を信じる気持ちと、その価値を広めたい!という情熱が溢れています。
今や家具制作を行う「株式会社THREEK」の代表も務めている宮島さんですが、学生時代は全く関係のない学部で「木材」のことすら考えたこともなかったそう。
ではどうしてこの業界に入ったのでしょうか。そして河野銘木店との出会いとは。
「大学は、林業や木材加工業とは全く関係ない、東海大学の国際文化コミュニケーション学科を卒業しました。就職活動をして内定ももらって、本州に行く予定でした。ただ、一人暮らしをしていた部屋の模様替えが好きで、ちょっと何か作ってみたいなということは考えていて。そんな時にたまたま、見習い募集と一言だけ書いてある河野銘木店の求人を見つけました。ただ、メールをしても返信がない。『なんだこの会社は?』なんて思いつつ電話してみたら、当時の3代目社長から『じゃあ来い』と。そうして河野銘木店を訪れた当日、『お前(木材の)勉強したのか?』『いえ、特にしてないです』『じゃあ明日から来い』と。これだけのやり取りから始まり、気づいたらもう18年ですよ(笑)」
河野銘木店の歴史を感じられる展示も数多く。
なんと、それまで木材に一切関わってこなかった宮島さんが、ここまで木材の世界にどっぷり浸かるようになったきっかけが一つの求人だったとは。この電話のやりとりから宮島さんの木材職人としての人生がスタートしたのです。
さて当時はまだまだ、昔気質のまさに【職人社会】だったと宮島さんは振り返ります。厳しい徒弟制度が残っていて、宮島さんは作り手見習いとして、掃除や配達などの下っ端業務を3年間くらい続けていたそう。当時のことを、「とにかく怖くて絶対に逆らえなかった!」と少し苦笑いをしながら答えます。
それでも続けてこられたのは、やはり木材の面白さに惹かれたからでしょうか?
「惹かれたんでしょうね。3代目は、平成の世でも雪駄を履いて半纏着てるような方で、ものすごく口も悪くて(笑)。
ただ、知識の量と深さだけはものすごい人だったんです。学術的なことも膨大な本や資料を読んで研究している人で。木材加工のノウハウから、流通、大工さんへの納め方まで、木材に関することは全て知っている人だった。本当に怖かったけど(笑)。でもこうして3代目のおかげで厳しい中にも面白さを見出すことが出来て、現社長の5代目が今の形の『河野銘木店』を作ってきました。世代に渡って木材への思いを抱えている社長の下で、どっぷりこの世界に浸かってしまったんですね」
さらに、ここまで木材の世界に浸かり続けている理由を聞くと宮島さんから不可解な言葉が。
「僕、まだ木材とちゃんと話できてないんですよ」
木材とお話しする......とは?
「うちは木材屋なので、銘木市で丸太を入札して買う時があるんですけど。その時に3代目は『木に呼ばれる』と言っていたんです。『買ってくれ、と呼ばれる』と。そうして呼ばれた木を買っていたんですね。僕にはさっぱり意味が分からなかったんですけど、その言葉がすごく心に残っているんです。つまりは、木も生き物ということなんですよね。人間同士に相性があるように、木と人にも相性があって、真っ直ぐに伐っても後からぐにゃって曲がったりもする。加工しても僕らのいうことを聞いてくれない時があるわけです。そう考えると、いまだに僕は『木に呼ばれて』ないなと思っていて。いつ呼ばれるかは全然分からないんですけど、いつかそんな時がくるまで続けて行けたらいいなと思っています」
河野銘木店のギャラリーである「木心庵」には、先代・先々代・そのまた前の代から受け継がれ残っている木材も沢山あります。
既に亡くなれていますが、自分をこの世界に入れてくれた3代目に何かを返したいという想いを、宮島さんは持ち「これらの木材も、日の目を見せてあげたい」と、宮島さんは語ります。
木材の大きな可能性を、もっと広めていきたい。
山からの材料調達から加工まで幅広く携わりながら、18年間作り手を続けてきた宮島さん。宮島さんの考える、このお仕事の面白さとは何でしょうか?
「木材にも【癖】があるんです。みんな表情が違って、同じ木はひとつとして無い。18年間物作りをしてきた作り手として、その木をかっこよくしてあげたい、可愛くしてあげたい、と思うんです。木材の【癖】を無理のない形でデザインとしてはめこんでいく、それが作り手としての面白さだと思います。また、家具などの製品は生活があってこそなので、木の癖やデザインについてお客様とお話ししながら一緒に作り上げることは大事にしていますし、これからも続けていきたいと思っています」
宮島さんはまずお客様に、とにかく建物内を一周まわって木材を見てきてください、と声をかけるのだそうです。知識は無くてもいいから、ただなんとなく「この色がいいな」「なんかこれいいな」という理屈抜きの感覚で見てもらう。そこから、何を作りたいか?をお客様とお話しして練り上げていくのだとか。
河野銘木店でデザイン・制作した家具も見ることができます。
また、河野銘木店は、あえて顧客のターゲットを絞っていません。実際、ここに木材を買いに来る人は、個人の方もいれば、設計士、大手ゼネコンなどもいて、実に多様。そこには、木材を好きな人なら誰でも受け入れたい、木材に繋がる間口を狭くしたくない、という河野銘木店としての想いがあるのだと語ります。
「木材の可能性を、もっとみんなが見出せるような環境を作れたらなって、今すごく思っているんです。SDGsとか温暖化対策とか、言葉で言われてもよく分からないじゃないですか。地材地消(地域の木材を地域で使うこと)だってそうですよね。もっと分かりやすく、もっと入りやすく、『木材っていいな』ということが一般消費者にちゃんと伝わる仕組みを作って行きたいんで。」
確かに、SDGsや温暖化対策などの言葉こそ一般的にはなってきたものの、さらに「木材を使うこと」がどうして良いことなのか。それを一気にみんなに理解してもらうことは、なかなか難しいように思います。
地元の木材を地元で使うことは、地元の林業・木材産業を元気にし、経済をまわし、巡り巡って森林も豊かにする。このことを一般消費者が理解し、地元の木材を【選び】、【使う】という循環が理想ではありますが、そのためにはまず、一般消費者に【知ってもらう】情報発信が必要になります。
「河野銘木店は木材屋なので、木材屋としてやるべきことはやる。札幌市内の山でとれた木材を、札幌市内で製材するという取り組みにもトライしています。この木材屋としての役割にプラスして、僕らは職人として、一般消費者に知ってもらうために『形をつくる』役割があると思うんです。一般消費者の方の想いを、僕ら職人のノウハウを使いながら一緒に形にしていく。その過程やできあがった家具を通して、『木材っていいな』と感じてもらうことが、僕たちのできる情報発信であり表現なのかなと思っています」
難しい理屈は抜きに、「木材っていいな」と知ってもらう。
実際に訪れた我々取材陣も、個性豊かな木材たちを眺めていると「この色が好き!」「あの形いいな!」と、自分だけの木材を見つけたくなったうえに、この木材でどんな家具や雑貨を作ろうかな...?と、自然に想像が膨らんでしまいました。
このワクワクする感覚を生み出す力こそが、個性豊かな木材たちと、木材に精通した職人がいる河野銘木店ならではの強みであり、情報発信なのかもしれません。
若い人に伝え、繋いでいく。
一般消費者への情報発信のほかにもう一つ、宮島さんがやっていきたい大事なことは、「若い人に伝え育てていく」ことなのだそうです。
今、河野銘木店では6名のスタッフが働いていて、そのうち2名は20代の若者です。
河野銘木店で作り手として働いて物作りをしてきた18年間で、3代目社長をはじめとした職人たちから学び、身につけてきた木材の知識やノウハウを、ちゃんと伝えていきたいと宮島さんは言います。
右は宮島さんに負けないほどの木材への愛が詰まった後藤はづきさん。別の記事で詳しくご紹介します。
「いつもスタッフには、いい意味で『フラットにやりましょう』と言っているんです。今は立場上、僕が一番上ですが、タメ口だって構いません。もちろん基本的な礼儀は踏まえた上でですけど。うちには20代が二人いて、一人は女性、もう一人はスウェーデン人の男性なのですが、彼女たち20代の考え方だとかも、フラットに取り入れていきたい。文化とか年齢とか性別とかは関係なしに、思ったことを話し合いながら形にしていこうと、普段から取り組んでいます」
スウェーデン人の男性スタッフ。河野銘木店でのお仕事は「楽しいです」と笑顔で。
宮島さんは、河野銘木店の職人の部分を受け継ぎつつ、さらに令和という時代に合わせたやり方をまた次の世代へと継承しているよう。取材中に垣間見られる宮島さんとスタッフとのやり取りからも、フラットにお互いの意見を言い合える風通しの良さを感じるとともに、宮島さんの木材の可能性を信じる心や、価値を広めたいという情熱までもが、これからもしっかり受け継がれていくんだろうなと、そんな風に感じられたのでした。
札幌市にひっそりと、しかし脈々と力強く受け継がれている木材のデパートへ、ぜひ足を運んでみてください。
- 株式会社河野銘木店
- 住所
北海道札幌市豊平区豊平5条6丁目1番10号
- 電話
011-821-4343
- URL