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トナカイが暮らす静かな町で、相手に向き合う仕事。幌延福祉会20250807

トナカイが暮らす静かな町で、相手に向き合う仕事。幌延福祉会

日本のてっぺん・稚内市から南へ、車で1時間弱の幌延町。水平線も地平線も見渡せる大湿原やトナカイの観光牧場があることで知られています。また、全国から湯治客が訪れる豊富温泉までは15分ほどと、毎日でも通える距離にあります。今回は、そんなスケールの大きな北北海道の町で、障がいのある地元の人たちを寄り添い、暮らしを豊かにするお手伝いをする社会福祉法人のお話です。

知的障がいを抱える人の日常生活を支援する町立の入所施設「北星園」や複数のグループホーム(GH)などを運営しているのが幌延福祉会です。これらの施設に加えて、ユニークな事業所と店舗もあるのが大きな特色です。就労継続支援B型事業所「安心生産農園」が合鴨の肉を販売し、町内にあるトナカイ観光牧場では安心生産農園が「ポロ」というレストランを運営。グループホーム利用者の休日の余暇活動として、ポロでお茶会の「トナカイ喫茶」が開催されることもあります。

安心生産農園では、化学物質に頼らず飼育した、鴨肉独特の臭みがない「サロベツ合鴨」を生産し、加工まで手掛けています。グループホームで暮らす利用者の皆さんにとって、ここが職場の1つになっています。この自然豊かな地で働く魅力を聞きました。

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地元を離れ、再び福祉の世界へ。「相手のことが分かると楽しい」

まずは、北星園の総務課長を務めている工藤彰宏さんです。知人の紹介で2011年に今の職場に来ましたが、当時は「どこにある町なのか分からなくて...」という状態でした。地元は日本海に面した増毛町。海岸線づたいに150キロほど離れています。広い広い北海道。道民でもまだまだ知らない場所はたくさんあるものです。

horonobe_f_11.jpgこちらが工藤彰宏さんです。

これまでいろいろな職種を経験してきた工藤さん。増毛町の隣の留萌市では、介護老人保健施設の事務職として働きました。福祉の世界に入ったのはこの時が初めてでした。いずれは自分の親の介護を担う可能性があるということが頭をよぎったそうです。また、安定した仕事に就く上では「手に職をつけるか、介護か」という漠然としたイメージもあったと振り返ります。この時にヘルパーの資格も取得しています。

その後転職し、青果の卸売に従事しましたが、なかなかのハードワークだったといいます。朝が早く、休暇も安定して取れません。プライベートの時間はほぼ確保できない状況が続きました。3年ほど経ち、35歳になった工藤さんに転機が訪れます。「地元でできないような業種も勉強してみたい」「年齢的に、もう次はないかもしれない」と考えた末、一大決心をして地元を離れることにしました。知人から紹介を受ける形で、幌延町という新天地へ。ここで再び、福祉の世界に携わることになりました。

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幌延福祉会には事務職として入り、2024年9月に総務課に戻るまで8年ほど、グループホームで支援の現場に入りました。そんな工藤さんが「持論」として大切にしているのは、ずばりコミュニケーションです。この時の経験も踏まえ、丁寧に利用者さんと関係を築く大切さを職員の皆さんに伝えるようにしています。

「いいところはいい、ダメなところはダメと、言葉を選びながらでも言わないといけない場面があります。当たり前のことですが、障がいのあるなしにかかわらず、お互いの信頼関係が前提になります。受け取り方は人によって違うので、同じことを言っているつもりでも、関係ができているかで変わってきますから」

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支援する側も、利用者の側も一人ひとり違います。だからこそ、支援する職員も先輩の言う通りにすることが必ずしも正解ではないと工藤さんは考えています。「新しく入った職員は経験者の真似をしがちですが、参考にはなっても、それはその人らしい支援ではありません。関係構築が先にあり、まずは目の前の利用者さんと話をすることがスタートです。相手のことが分かると楽しくなり、日々新しい発見があります」と力を込めます。立場は違っても人と人。身近な人とどうコミュニケーションを取るべきか、普段から丁寧にできているのか...。話をうかがっていて、改めて考えさせられました。

入所施設の北星園やグループホーム、就労支援B型の安心生産農園など法人には多くの施設があります。法人全体を見渡す総務課長の立場としても、円滑な業務のカギはコミュニケーションです。職場では休憩時間は和気あいあいとした雰囲気ながら、「こんな支援ができたら」「自分はこうしているよ」などと、会議の場だけでなく自然と利用者さんの話題になることもあるそうです。

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町外から仲間入りする人には住まい確保のサポートも

幌延福祉会では「福祉の仕事はしたことはないけれど、興味があって一度やってみたい」と考えている人の転職が多いといいます。誰もが無関係ではいられない福祉の世界ですが、専門職というイメージがあるからか、ハードルが高いと感じる人もいるかもしれません。しかし福祉会では、国家資格などがない未経験者をバックアップする仕組みも充実しています。支援の現場では先輩職員が寄り添い、定期的なミーティングなどを通して分からないことや不安を解消できるといいます。

町外から幌延町に移って勤務する場合は、法人が所有している住宅を紹介するか、町役場と連携して物件を探すなど、住まいの確保もサポートします。社宅や寮のような施設を拡充させることも検討中とのこと。「住んでもらうところがないのは最大のネックになりかねないので、常にアンテナを張っています」と工藤さんは教えてくれました。

horonobe_f_9.jpg取材に伺った障がい者支援施設「北星園」。

幌延やその周辺に住むと、どんなプライベートを過ごすことになるのでしょうか?

工藤さんはまとまった買い物をする時は車で1時間弱の稚内に向かいます。月に1回前後は旭川市まで足を延ばし、ショッピングモールや大型書店を楽しみます。初めのころは稚内に向かうのも遠く感じられましたが、今ではすっかり慣れて気にならなくなりました。ちなみに、グループホームの利用者の皆さんが楽しみにしている買い物も行先は稚内。幌延から稚内までは一部がバイパスで、スムーズな移動ができます。工藤さんのプライベートは、青果の卸売だった前職時代とは打って変わって充実しています。休日は自宅で音楽を聴いたり、ゆっくり休養したりするといいます。

同僚の中には、アトピーに悩む人が全国から足を運ぶことで知られる豊富温泉や、見渡す限り広がるサロベツ原野、トナカイの観光牧場を休日に楽しむ人も少なくないといいます。「幌延の魅力はやっぱり大自然。自然が好きな人だったら、生活する上での大きな潤いになると思います。町なかも静かで、落ち着くと思いますよ」と工藤さんは太鼓判を押します。

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ミャンマーから来日。うれしかったのは「めんこい」の言葉

幌延福祉会では全体で100人を超える、多様なキャリアやバックグラウンドを持つ方が活躍しています。そのほとんどが町内在住ですが、特定技能制度を使ってミャンマーから来日した人も3人います。その1人で最年少のニン・ミャッミャッ・ウィーさんに話を聞きました。

日本に興味を持ったきっかけは、日本語を紹介しているYouTubeでした。「ゆくゆくは日本に行ってみたい」と希望を抱く中で、人が多すぎる東京など大都会は敬遠していたといいます。肝心の仕事に関しては、母国で祖父母に接しているうちに「誰かのできないことを支え、できることはできるようにお世話する」という福祉の仕事に惹かれました。初めての日本で北海道、しかも道都の札幌から遠く離れた幌延町の福祉会を紹介され、2024年の3月にやってきました。

horonobe_f_6.jpgこちらがニンさんです。

言葉の壁に当初は苦労しながらも、日本語に慣れると同時に「これをやってほしい」と利用者や周囲の同僚に頼られるうちに、着実にスキルアップしてきました。今では利用者の皆さんに「ご飯食べましたか?」「夜はよく眠れましたか?」「薬をきちんと飲めましたか?」と、丁寧な声かけをしています。ちなみに言われてうれしかったのは、「めんこいね(かわいいね)」という言葉だったとか。

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休みの日は、同郷の2人と集まって母国料理を食べるのが楽しみなんだそう。ミャンマーで使われる調味料はインターネットで入手できるため大きな不便はなく、幌延は静かで、安心して暮らせているといいます。母国にいる家族には、「いつもよくしてもらっている」と近況報告をしているそうです。

来日して1年半弱。できることが少しずつ増えてきて、長く北海道で仕事をしたいと考えているニンさん。これからも日本語と福祉の勉強を重ね、介護福祉士の資格を取ることを目標にしています。ますます欠かせない存在になっていきそうです。

horonobe_f_7.jpg北海道、そして幌延町での自然に囲まれた落ち着いた暮らしも気に入っているそうです。

「別の業界で気分を変えるのも面白い」。50歳手前で転職

総務課長の工藤さんによると、未経験からこの世界に入った職員も、プライベートで大自然を満喫している職員も少なくないとのことでした。ここからは、その両方を地で行くような方のお話です。北星園で利用者さんの生活支援を担当する、稚内出身の白幡宣之さん。幌延福祉会に勤めて10年ですが、以前は東京でバリバリの営業マンをしていたそうです。

horonobe_f_16.jpgこちらが白幡宣之さんです。

高校生まで稚内市で過ごし、東京の大学を卒業して住宅設備機器メーカーで30歳まで働きました。25歳の頃にお母さまが倒れ、地元との距離を意識するように。全国転勤の可能性がある中、「なるべく地元で働きたい」という思いが芽生え、30歳という節目で帰郷しました。稚内ではプロパンガスなどを扱う地元のエネルギー会社に入ると、リフォーム部門に配属されました。折しも住宅改修に使える国の助成制度で、手すり設置や浴槽改修などのバリアフリー化工事の需要が伸び、幌延町を含む宗谷地方を忙しく回っていました。改修工事で出向いたことをきっかけに、幌延福祉会そして北星園とも縁ができました。

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転機は、リフォーム部門の売り上げが曲がり角に差し掛かったことでした。業務縮小が避けられず、配置換えの打診があったことで転職を決意しました。「飽きてしまったというのもあるんですけど、気分を変えたい、別の業界に行くのも面白そうだなと」。別のエネルギー会社からも内定をもらっていましたが、幌延福祉会を選びました。

住宅改修工事を通じて福祉会だけでなく、ケアマネジャーや地域包括支援センター、自治体の福祉担当部署ともつながっていたため、スムーズに飛び込むことができました。一方で、高齢者介護と違って障がい分野は経験がなかった白幡さん。戸惑いはなかったのでしょうか?

「障がいの特性によっては、最初の頃は理解が及ばず難しい部分もありました。それでも営業職の経験からコミュニケーション力はそれなりにあったので、しっかり話をしました。感謝されたり、冗談を言い合ったりして楽しくなったんです」

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アウトドアの趣味も生かしたコミュニケーションを職場で実践

充実した仕事ぶりがうかがえますが、大自然をどのように堪能しているのか聞きました。白幡さんは根っからのアウトドア志向で、趣味はキャンプ・釣り・マウンテンバイク・山菜取り・スキー・ウォーキングととても多彩。職場のある幌延町から少し足を延ばせば、海や川も、山もあります。平日に空いているキャンプ場で楽しむことができます。そして、夜勤明けは車で15分ほどという豊富温泉に行くとう、贅沢なルーティンも。北星園で勤務する同僚にも、豊富温泉に通っている人がいるそうです。

horonobe_f_24.jpg白幡さんの車のリアゲートには、たくさんの釣り竿がずらり!

アウトドアの趣味は、職場でも生かしているそうです。コロナ前までは、北星園の中庭にテントを設置し、キャンプ気分を味わってもらうというイベントも実施。炭をおこし、マシュマロを焼くなどしたそうです。利用者さんと釣りに行ったこともあります。恒例行事の「社会見学旅行」では今後キャンプ場のコテージに泊まることを検討しているなど、自然豊かな幌延町とその周辺だからこそできる企画を模索しています。

horonobe_f_26.jpgコロナ前に実施した中庭でのイベントの様子です。(写真提供:白幡さん)

勤続10年を超えた白幡さん。取材した時は57歳で、「ちょっとでも若い人たちの助けになればいいなあと思っています。そのためにも、なるべく健康で長く働けるようにしたいですね」と話していました。この仕事を続けることで何が大切かを聞くと、工藤さんと示し合わせたかのように「一番はコミュニケーション」と迷いなく答えてくれました。

ご自身の趣味を生かした素敵な工夫も、利用者さんや同僚とのコミュニケーションにつながっているのでしょう。ここですごく日々を豊かに彩っているのは間違いなさそうです。白幡さんの生き生きした話しぶりから、長く安心して働ける理由が分かった気がしました。

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社会福祉法人幌延福祉会 幌延町立北星園
住所

北海道天塩郡幌延町字幌延15番地4

電話

01632-5-1950

URL

https://kozakura-horonobe.jp/

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トナカイが暮らす静かな町で、相手に向き合う仕事。幌延福祉会

この記事は2025年7月1日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。