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まちおこしレポート
伊達市

波乱万丈ホテルマン奮闘記~頼まれごとは試され事~【前編】20251027

波乱万丈ホテルマン奮闘記~頼まれごとは試され事~【前編】

豊かな農作物と噴火湾の海の幸を誇る、北の湘南・伊達市。ここ伊達市に興味深い経歴を持つホテルマンがいるというタレコミを信じ、まんまと会いに来たくらしごとチーム。到着するとホテルはほぼ全面に足場がかけられ改装中。それもそのはず、こちらのホテルは2024年6月に前身のホテルが経営破綻し、その約半年後の2025年2月に再スタートを切ったばかりなのです。さてさてどんなドラマに出合えるのか、早速行ってみましょう!

ビー・バップ・ハイスクールからホテルマンへ

お話を伺ったのはHOTEL DATTELで支配人を務める磯辺大輔さん。がっしりとした体躯に落ち着きのある声。「これぞ支配人!」という風格の紳士です。

dattel_6.JPGこちらが、HOTEL DATTEL 支配人の磯辺大輔さん

それがまさかこんなにもアヴァンギャルドな方だったとは、この時誰も想像していなかったのです...。
札幌生まれの磯辺さん。幼少期を栗山や芦別などで過ごし、中学時代はなかなかのヤンチャボーイだったそう。

「自分でもこのままではいけない。いつか取り返しのつかないことをやってしまいそうだと感じていました。幼いころから野球が好きだったので、野球に打ち込める高校を探しました」

こうして入学したのは砂川市のとある高校。
そこで待っていたのは校内でロケット花火や爆竹が鳴り響き、廊下を自転車で二人乗りして走る生徒も珍しくない、まるで漫画「ビー・バップ・ハイスクール」の世界を実写化したような日常でした。

「Lランクの学校ってあまり聞かないですよね」

周りを見れば今では絶滅してしまった短ラン・ボンタンだらけ。そんなヤンキー純度の高い高校生活の中、学業とは無縁の生活を送った磯辺さん。教科書は新品のまま折り目をつけず、蛍光ペンも引かないことにこだわりました。

しかし(当然ながら)、卒業直前に問題が。

0448951.jpg野球部時代の磯辺さん。プロ野球選手を目指し、甲子園にも出場!

「私を含むヤンキー30数名が卒業を懸けた追試を受けることになりました。でもこっちは中学校からまともに勉強してきていない身です。今から短期間で英語や数学を理解するなんて到底無理なんですよ」

それは...そうかも...。

「そこで私は先生に『アメリカの囚人だって、出所時には社会奉仕活動をする。俺たちも掃除で点数を稼げるようにしてくれ』と訴えたんです。教員用の下駄箱を一人分拭けば1点、トイレ掃除をすれば10点みたいな。そうして赤点を補えるルールをつくってくれないか、と」

教師陣はこの提案に驚きつつも条件を承認。こうして、30数名のヤンキーが卒業式2日前に一斉に清掃活動を実施。廊下や下駄箱、トイレもピカピカに磨き上げ、結果として必要な点数をクリア。無事に卒業証書を手にすることができました。

ホテルマンの先輩たちが見せた、言葉よりも雄弁な背中

高校を卒業し就職した磯辺さん。就職先は洞爺湖を見下ろす高級ホテル「ザ・ウィンザーホテル洞爺(現在)」。ここで出合った先輩たちが、今の磯辺さんの仕事への向き合い方を決定づけます。

配属されたのはホテル2階の洋食レストラン。そこで待っていた最初の試練は「注文票を英語で書くこと」でした。今でこそ当然のものとして受け入れていますが、当時の磯辺さんにとってはいきなりのピンチです。

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「英語なんて全くわからない上に、たとえば『ウーロン茶』の英語表記なんて目にしたこともない。正解は Oolong Tea なんですが、当時は全然わからない。その上カフェオレはフランス語、パスタはイタリア語なんてわかるわけがない」

地道に、がむしゃらに努力を続けた甲斐あって、2年後には当時のウインザーホテルで最上級のフレンチレストランに異動になりました。

ここでさらにハードルが上がります。メニューはもちろんすべてフランス語。しかも長期滞在のお客様が多いため、メニューは「本日のスープ」「本日の魚料理」とだけ書いてあり内容は毎日変動。出社したらすぐに覚えなければなりません。

「お客様に料理の内容をご説明しなくてはならないので、厨房のホワイトボードに並ぶ聞き慣れない単語を必死に書き写すんですが、書き写した単語の意味がわからないので、帰宅後に辞書を引いて暗記しました」

study.jpg実際に磯辺さんが愛用していた辞書と、勉強ノート

料理だけでなく、ソースの名前やチーズの種類と特徴、さらにワインと覚えることは広く深い料理の世界。必死についていきました。レストランの営業が終了したら今度はバーのサービスに向かいます。
これまた広く深いカクテルの世界。当時はほとんどお酒を飲まなかった磯辺さん、勉強のために70本以上のお酒を買い、カクテル作りや味・香りの違いを勉強したそうです。

技術的な学びはもちろんですが、それ以上に磯辺さんの心に残っているのは、先輩たちの「お客様への心配り」でした。例えばレストランでは、常連客の好みを覚えておき、次に宿泊したときには「前回は赤ワインでしたが、今日は白にされますか?」と自然に声をかける。また奥さんの誕生日などの記念日での利用であれば、注文が無くても事前に花束を手配し、タイミングよくそっと旦那さんに伝えテーブルに届ける。

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「何度かご利用いただいたご夫婦がいたんです。その奥様は以前ご宿泊の際、ホタテのオレンジ色(卵巣)の部分を残していたので、シェフに掛け合って代わりに魚料理を出してもらうことができ、喜んでいただくことができました。先輩たちの背中を見て、私もこんなふうになりたいと強く思いました」

「人に尽くす」というホテルマンの仕事の重み。単なる接客ではなく、お客様の人生の一場面を預かるという責任感。プロのホテルマンとしての磯辺さんが形作られていきました。

ちょっと視点を変えれば、ホテルという仕事場は人間・磯辺大輔さんにとって、先輩や先生と共に生き様を学ぶ「学校」であるのかもしれません。

ウインザーホテル経営破綻 「プロホテルマン」とは何か?

ホテルマンとして成長中の磯辺さんですが、ここで急転直下の大事件。拓銀破綻の影響を受け、1998年に当時のウインザーホテルが経営破綻に陥ります。いきなり職を失った磯辺さん。ホテルマンの先輩で「師匠」と慕っていた方に誘われ、一緒に農業を始めようかと計画していました。しかしそう簡単には収益があがらないことがわかり、ワンシーズンで農業からは撤退。1999年に、当時のホテルローヤルに入社しました。当時を振り返ると、苦悩の連続だったそうです。

「同じホテルですが、お客さんの層もホテルの役割も大きく違いました。中でも驚いたのはステーキを出すのにナイフとフォークがないこと。ワイングラスもありませんでした」

宴会の食事は冷凍食品をあたためて出すだけというものが多く、食べ終わった食器の片づけや灰皿の交換なども頻繁には行なわれていなかったそう。

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「お客様のためにできることをやろう、灰皿は2本溜まったら交換しよう、料理が8品出るなら3回はお皿を交換しようと提案するのですが、急にウインザーから入って来た若造がかっこつけて面倒な仕事を持ち込もうとしていると思われていました」

磯辺さんがお客様のために動けば動くほど当時の支配人を否定することにつながってしまい、従業員の和を乱していると受け取られることもあったのだとか...。

そもそもどうして磯辺さんはホテルローヤルに入社したのでしょうか?磯辺さんが師匠と農業をやろうと農家で実習をしていた時、ホテルローヤルでとある団体がテーブルマナー講習を開きたいと考えていて、その講師として磯辺さんに白羽の矢が立ちました。

「テーブルマナーを教えるのはいいのですが、私が話していることとホテルスタッフのテーブルマナーがちぐはぐだと格好がつきません。なのでその辺りを事前にレクチャーさせてほしいと言いました。例えば料理は左から、ドリンクは右から出し入れする。出し入れの際はお客様側も会話を少し止めてスタッフが仕事をしやすいように体を寄せてあげるなど、スタッフとお客様の対等な関係がマナーなんです」

そうして磯辺さんがホテルに来ているときに当時の社長の目に留まり、その後の入社につながっているのだそう。社長の中にはこうした文化を地域の人たちに体験してもらいたいという思いがあったそうですが、当時の現場との意識にはズレがあったのかも知れません。

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「伊達の人はそんなこと求めていないという声もありましたが、そうは思いません。伊達にだって高級レストランで食事をしたことがある人はたくさんいるし、札幌にだってテーブルマナーに触れたことのない人はいます。ステーキにナイフを付けるのはかっこつけているわけじゃありません。ナイフを付けられないならステーキを食べやすくカットして、はしでも食べやすくすればいい。できることがあるのに何もしないのは、自分たちの成長を放棄することだと私は思います」

磯辺さんは高級ホテルのサービスこそが、至上であり最善だと考えているのではありません。高級ホテルには高級ホテルだからできるサービスがあり、地域のホテルには地域のホテルだからできるお客様への向き合い方がある。その両方に通底するホテルマン一人ひとりのプロ意識こそ、最善のサービスを生み出す源泉なのです。

そして入社から25年後、磯辺さんは再び経営破綻の憂き目に遭います。

信頼を取り戻し地域のハブに!「HOTEL DATTEL」始動

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「その話を聞いたのは2024年6月1日の14時頃。今日で全員解雇だと宣告を受けました。明日からはもう建物に入れないので17時までに荷物をまとめるようにと言われたんです。宿泊はもちろん、宴会や結婚式の予約も入っていましたし、出入り業者さんへの代金も未払いでした」

磯辺さん以下スタッフ全員にとって、あまりに突然の最後通告。ホテルローヤルは翌日から本当に閉館し、さすがの磯辺さんも途方にくれます。解雇から数日後、伊達信金の幹部から今後の身の振り方をどうするのかと連絡が入りました。しかし、磯辺さんの意識はスタッフ30数名の再就職先を探すことに向いていたため、自分の今後についてはまだ考えが及んでいません。

「その幹部の方が、『ホテルは必ず買い手を見つけて再開する。その時にあなたがいてくれないと話にならないから、申し訳ないけれど就職しないで待っててほしい』と。どうなることかと思いましたが、その一言をいただいたおかげでとりあえず自分の心配はしなくてよいかと気が楽になりました」

その後もホテルや郵便局、行政など他地域・多方面から磯辺さんを案じ就職先を斡旋したいという連絡が総勢17件もあったそうで、中には職を失ったスタッフ全員分の仕事を紹介すると言ってくれるところも。

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「みなさんから温かいお言葉をいただき、本当にありがたいことでした」

すでにホテルの再開に気持ちを向けていた磯辺さんはそれらの連絡を辞退し、新会社の社長に合うため札幌へ。

「どんな人が社長になるのかわからないと、やるもやらないも決められないと思ったんです。その場で5時間お話しして、元ローヤルのスタッフのうち、またホテルで働きたいという人がいたら、年齢・キャリアを問わず全員を再雇用してほしいとお伝えし、約束してもらえました」

こうして、先に就職先が決まっていた元スタッフを除く20名と一緒に、再スタートを切ることが決定。そこからは再始動に向けて怒涛の日々です。電気が止まっていたため冷凍庫や冷蔵庫は壊れ、温水暖房の破損により2階から1階に滝のような水漏れが発生。非常口のライトも全て取り換える必要があり、その交換・修理だけでも気絶するような金額がかかったそうです。


内装もリニューアルした新しいホテルの名前は「HOTEL DATTEL」。お察しの通り「伊達」の「ホテル」でダッテルです。磯辺さんはDATTELの支配人として着任し、まずは2025年2月に宴会部門をオープン。その後3月に宿泊部門も再開しました。

DATTELには、ローヤル時代からこれまでに式典や会合で作成したたくさんの横断幕が、ジャンル分けされて大切に保管されています。横断幕の作成費を抑えることで、お客様の負担を少しでも減らし、利用し続けてもらいたいという思いで始めたのだとか。

dattel_9.JPG今までに作ってきた横断幕が一つひとつ保管されています。

「現社長がDATTELの開業を決めたきっかけは、この横断幕を見たことが決め手だったのだそうです。これだけの数のお客様に寄り添ってきたホテルなら、もう一度始める意味がある、と」

また式典やイベントは持ち回りで担当者が変わることも多いため、お客様側の新任担当者のサポートにも力を入れています。前回の開催データを元にホテル側からイベント内容を提案することで、イチから企画を考える必要が無いのです。

「学校の先生や企業の担当者の方はとても忙しいので、ホテル側で大枠を決めてくれたらとても便利でしょう?こういった提案型営業も、地域密着型のホテルだからこそ求められるサービスの在り方の一つなんです」

とはいえ突然の破産によるブランクは、こうした催事部門にも大きく響いています。周年パーティや冠婚葬祭など、止めるわけにいかない集まりは、当然ながらほかの会場に流れているため、磯辺さんも自ら過去の顧客を訪問し、DATTELとしてまた関係性を積み重ねていく最中です。

現在、DATTELでは宴会料理に「牧家」の白いプリンや「とり天」の鶏の唐揚げ、「大衆酒場 粋や」の玉子焼きなど、地元の名物を取り入れています。

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「実はローヤルの頃4人いた料理人が今は2人しかいないんです。そこで考えたのが地域のおいしいものを宴会で味わっていただくという方法。スタッフの負担も軽減できますし、何よりお客様が喜んでくれるんです。DATTELで料理を知って、お店に食べに来てくれたという声も飲食店の方々からいただいています」

まちと人をつなぐハブとしての役割をプラスし、新体制で走りだしたDATTEL。宿泊料金の見直しを行い、宿泊部門はローヤル時代よりも順調に利用を伸ばしていますが、磯辺さんは「まだまだホテルとしてマイナスの状態」だと言い切ります。磯辺さんの言うマイナスとは、収益ではなく信頼のこと。まずはホテルに関わる全ての人の信頼を回復することを目標に、試行錯誤の毎日です。

「スタッフは顔なじみですが、DATTELとしては全員が同期。給与は以前もらっていた給与水準はもちろん守りつつ、全員で職位をリセットし新たに頑張っていこうと思っています」

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ローヤル時代約30名いたスタッフは現在20名の少数精鋭で運営しているDATTEL。今は背伸びをせず、自分たちができるサービスを期待以上に提供すること、スタッフの労働環境を以前よりも改善することを重視しています。そのため宴会は月曜と火曜を完全に休みにし、イベントチケットの販売ノルマも廃止しました。

スタッフがのびのびと働ける環境を作ることで、お客様へより良いサービスを提供する余裕が生まれ、その結果としてお客様や関連業者さんの喜びに還元する。
DATTELの新たな挑戦にご注目を!

後編では北海道No.1ブロガーとしての磯辺さんに注目します。こちらもぜひご覧あれ!

HOTEL DATTEL ホテルダッテル 支配人 磯辺大輔さん
HOTEL DATTEL ホテルダッテル 支配人 磯辺大輔さん
住所

北海道伊達市末永町33−3

電話

0142-82-4550

URL

https://www.dattel.jp/

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波乱万丈ホテルマン奮闘記~頼まれごとは試され事~【前編】

この記事は2025年9月3日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。