
北海道は、「2030年度までに温室効果ガス排出量を2013年度比48%削減する」という目標を掲げています。この目標達成に向けて大きな期待を寄せられているのが、自然の力を活用した再生可能エネルギー(以下、再エネ)です。
再エネには、太陽光、風力、水力、バイオマスなどがありますが、広大な大地と海を持つ北海道は、再エネのポテンシャルが全国でもトップクラス。なかでも日本の再生可能エネルギーの主力電源化に向けた『切り札』と言われる洋上風力発電においても、今後のモデルケースとなりうるさまざまな取り組みが進んでいます。
※トップ写真(提供:グリーンパワーインベストメント)
今回お話を伺ったのは、「石狩湾新港洋上風力発電所」の開発を担当した、株式会社グリーンパワーインベストメントの坂井田久未さんです。 洋上風力に関する法律も制定されていない2007年から事業検討を開始し、商業運転開始後も事業に携わる坂井田さんに、風力発電について教えていただきました。
注目される「洋上風力発電」
風力発電には陸上風力発電と洋上風力発電の2種類があります。欧州やアジアを中心に、世界中で洋上風力発電の導入拡大が進むなか、四方を海に囲まれた日本でも、そのポテンシャルの高さに注目が集まっていますが、まだ洋上風力発電の導入数は多くはありません。
2020年に商業運転を開始した青森県つがる市の「ウィンドファームつがる」(写真提供:グリーンパワーインベストメント)
しかし、近年は技術の応用や各種の法整備が進み、洋上での風力発電設備導入が推進されるようになってきています。特に日本においては、政府の主導により洋上風力発電の拡大が進み、大規模なプロジェクトが計画・実行に移されています。海に囲まれた日本にとって、相性の良い発電方法として洋上風力発電が注目されるのも自然なことだと言えるでしょう。
その最前線として今回取材に訪れたのは、石狩市の湾岸線です。石狩市は陸上風力発電所も多く設置されているのですが、石狩湾新港の北防波堤の外側の海上に、風車が並ぶ風景をご覧になったことがありますか?この風車は、2024年1月1日から商用運転が開始された石狩湾新港洋上風力発電所です。発電規模は11万2,000kW。エネルギー供給拠点としてさらなる発展が期待される石狩湾新港で、日本初となる洋上向け大型風車14基が稼働しています。
石狩湾沖に立ち並ぶ日本初の8,000kW大型風車たち
『時間をかけて丁寧に』進めた地域との交流
洋上風力発電所の開発という大きなプロジェクトを担当し、完成までの膨大なプロセスを担ってきた坂井田さんにインタビューをする中で感じたのは、相手の考えを理解しようとする強い想いでした。心血を注ぎ、丁寧に進めてきたであろう、石狩で暮らす人や働く人たちとの日々の交流の中で「自分には何ができるのか」という想いが生まれ、モチベーションとなり、この事業を成功へと導いたのだと感じました。
坂井田さんは、「突然、東京から来た人に『この海に風車を建てたい』と言われても、すぐに理解や賛同を得られるはずがない」と考えていたといいます。自治体、漁業関係者、地域関係者など、再エネの意義や事業に対する会社の考えを伝えるべき相手は数え切れないほどでした。一般的な事業開発においてはスピード感を求められることも多いなか、上司からは「時間をかけて丁寧に説明していこう」という励ましの言葉があったといいます。
そして坂井田さんは『時間をかけて丁寧に』という言葉を具現化していったのです。
「あなた、誰?何をしに来たの?」そんな問いかけからはじまった石狩での取り組みは、坂井田さんだけでなく、上司も、相談先、取引先の関係者含め、誰もが未経験であり、手探りの日々が続きました。
一般的に、風車を建てる側と、海を生活の糧とする漁業関係者の利害は相反するように思われることが多いのですが、坂井田さんは単に「風車を建てたい」という事業者の立場から話をするのではなく、漁業が抱える課題に、可能な限り自分事として向き合うことを意識していたといいます。「石狩は再エネ事業の適地であり、我々の考える風力発電事業は石狩のこの地でしか実現できないという強い想いがありました。将来を考えても事業を行う価値があることを伝えていきたい。その一心でした」
そんな想いを持ちながら、時間をかけて交流を重ねるうちに、『あれ?私の言葉に耳を傾けてもらえているのかな』と感じる瞬間があったといいます。「少しでも受け入れていただけたと感じたときは、本当に嬉しかったことを覚えています」控えめな表現ではあるものの、地域の方の何気ない言葉が坂井田さんの大きな自信につながっていくことになったのではないかな?と想像することができました。
こちらが坂井田久未さん。一言一言、力強く答えて頂く姿が印象的でした。
自然を相手にする漁業関係者にとって大切なことは、日々の生活を支えるに十分な漁獲量の確保、そして将来にわたって漁獲量を安定的に維持することです。「みなさんが日々直面している課題や将来への不安を理解することから始め、まずは共存の道を見つけたい、そして可能な限り共栄の道を一緒に作っていきたいとより強く考えるようになりました」一方的に事業計画を説明するのではなく、相手を理解することを大切にしてきた坂井田さんは、その先の未来についてお互いの意見を交わすことの重要性を感じながら活動を続けていました。
そんな想いをもって地道な活動をつづけるなか、2011年3月11日に東日本大震災が発生し、電気が当たり前ではないという認識が社会全体に広がりました。その後、2018年9月6日に発生した北海道胆振東部地震により、北海道電力管内では、約295万戸が停電し、国内初のブラックアウトが発生しました。 これらの出来事は、社会のエネルギー供給の脆弱性を浮き彫りにし、結果としてエネルギーインフラの重要性とリスクを社会全体が考えるきっかけとなったと言われています。
「建設がスタートしてからになりますが、あの経験が漁師さんたちの考え方を変えるきっかけになったというお話しを伺ったことがあります」と坂井田さんは語ります。
風車が漁場を奪うのではないか?漁業に悪影響が出るのではないか?といった懸念を持たれるのは当然のことととらえ、日々の活動をつづける中で起きたエネルギーをめぐる社会情勢の変化。これにより、漁業関係者の考えも「日本の社会全体を考えると、再生可能エネルギー事業は必要なのかもしれない」というように少しずつ変わっていったのかもしれません。
工事の様子もすぐ近くで見守ります
地域への感謝の想い
その後、漁業関係者と風力発電所の共存の可能性について、前向きな検討が始まりました。
背景には、「自分たちの代は、次世代のために行動しなければならない」「この代で課題解決の糸口を見つけなければ、将来の子どもたちに同じ課題を残してしまう」というこの地の漁業を継続させていくための強い想いがありました。坂井田さんは、その想いを受け止め、事業者として誠実に向き合い続けてきました。
「この事業を前に進めることができたのは、洋上風力発電所を受け入れるという大きな決断をしてくださった漁業関係者のみなさん、そして自治体や地域のみなさんの、地域の将来、次世代に責任を持つという強い想いだと思います。深い理解と覚悟をもって協力してくださったみなさまに、心から感謝しています」
さらに坂井田さんは続けます。 「自然を相手に、海の変化を日々感じて漁業を続けていくには、短期的な状況にとらわれず、長期的な視点が重要だという経験値をベースにしながらも、常に挑戦する気持ちを持った方々だったからこそ、この決断ができたのだと思います」 時間をかけて関係を築き、互いの課題や考えを率直に共有し信頼関係を育むことは、言葉で言うほど容易なものではなかったことでしょう。お話を伺う中でも、このプロジェクトが、優れた技術や十分な資金があれば実現できるというものではないことが想像できました。
「この取り組みを進めることができた最大の力は地域のみなさまです」
坂井田さんの言葉からも、地域への深い感謝と、信頼関係こそがこの事業を支える原動力であることを強く実感しました。
『自然の力を生かした自給できるエネルギー』への情熱
長年にわたる壮大なプロジェクトをゼロから支えてきた坂井田さん。その実績の裏にある苦労や努力は並大抵のものではないでしょう。しかし、その挑戦の原動力には、揺るぎない再エネへの想いがありました。
入社したばかりの頃、上司からかけられた「坂井田さん、僕らがつくるのは純国産のエネルギーなんだよ」という一言が、今も心に深く刻まれていると言います。
日本のエネルギー自給率はわずか12.6%(2022年度)に過ぎず、その大部分を輸入に頼っています。産業も暮らしも、もはや電力なしでは成り立たない現代において、世界のエネルギー消費量は右肩上がりに増え続け、エネルギーの安定供給は日本が抱える大きな課題となっています。輸入に頼る限り、国際情勢の変化や為替の変動にも大きく左右されてしまいます。
(写真提供:グリーンパワーインベストメント)
「再エネは、自然の力を生かして作るエネルギーであり、その源となる風や太陽の光は、漁業や農業といった第一次産業にも大きな影響を与えることから、再エネと第一次産業は似ているところがあるようにも思います。食料自給率が私たちにとって大切なように、自国でエネルギーを生み出すことは、日本の未来を考える上で重要な問題です」坂井田さんの情熱は、このような確信から生まれているように感じます。
地域との共栄をめざして
石狩湾新港洋上風力発電所は、2024年1月に稼働を開始したばかり。大きな一歩を踏み出したところですが、坂井田さんの視線は、すでにその先の未来を見据えています。
「これから20年、そしてその先も風車が安全に運転を続けていくこと、むしろここからが私たちの重要な責務です」と語る坂井田さん。しかし、このプロジェクトは、単に風車を建てて終わりではありません。地域との共栄をめざし、地域振興につながる具体的な取り組みも同時に進められています。
「その一つが、発電所の売電収益の一部を地域振興のために活用する仕組みです。この仕組みにより、地域振興策を一緒に実現するための体制が整います」と坂井田さんはその意義を強調します。地元関係者との長年の関係を基盤に、互いの課題を共有し、共に解決していく。このプロジェクトは、地域に根差した「共生型」の再エネ事業として、新たなモデルを示していると言えるでしょう。
見学者の対応も坂井田さんが行います
北海道は風力発電のポテンシャルが非常に高いと言われています。しかし、その開発には、地域住民の生活や既存産業との住み分け方法を慎重に探っていく必要があります。多くの事例からも、風力発電の建設には、技術力や資金面だけでなく、地域との丁寧な対話が不可欠であることを理解していても、その実践は並大抵のことではありません。石狩での経験は、今後のさらなる風力発電開発に取り組む上での大きな学びになっていくはずです。
一方で、坂井田さんは、再エネに関する教育の重要性も指摘します。 「ヨーロッパでは、再エネの意義や仕組みを幼い頃から学ぶ教育が盛んですが、日本ではまだ十分ではありません。この事業を通じて再エネに興味を持ってもらえるよう、再エネポテンシャルの高い石狩市や北海道の可能性を伝え、誇りに感じていただけるような環境教育、地域教育の実施にも力を入れていきたいと思っています」
建設当初から、小学校から高校までを対象にした出前授業や見学会の開催に加え、地域のイベントやお祭りにも積極的に参加しているとのこと。こうした取り組みを通じて、再エネや地域について学ぶきっかけを提供することも「純国産のエネルギーづくり同様に大切にしていきたいことの一つです」と坂井田さんは言います。
北海道で紡ぐ、新しい暮らし
石狩でしか実現できない再生可能エネルギー事業に取り組むようになって10年以上、北海道で暮らすようになり3年という坂井田さんですが、仕事の場所であった北海道はすでに彼女の人生の一部になっているように感じます。
「冬の雪にはまだまだ苦労しますが、住環境は抜群。暑くなったとはいえ、東京で夏を過ごすことはもう考えられません。私の仕事、は北海道の自然環境があるからこそできていると思っています。こんなにわくわくする、チャレンジングな仕事の場を提供してくれる北海道には感謝の気持ちでいっぱいです」
休日は仕事を離れ道内の雄大な自然を楽しむこともあるようです。特に知床はお気に入りということで、毎年サケの遡上や流氷を見に行くことを楽しみにしていると伺いました。「今後は釣りにも挑戦してみたい」と笑顔で語る坂井田さん。その言葉からは、北海道ならではの自然と向き合い、仕事だけでなく余暇も存分に楽しみながら、自分らしい時間を重ねていこうとする前向きな想いが伝わってきます。
今回、取材に応じてくださったのも「風車を受け入れてくださった地域の皆様に感謝を伝えたい。再生可能エネルギーに取り組むことの意義をより多くの人に知ってもらいたい」という想いがあったからだと伺いました。 『時間をかけて丁寧に』坂井田さんから地域に伝えられた再エネへの想いと、積み重ねてきた北海道、石狩での歩みは、エネルギー事業の枠を超え、新しい時代における「持続可能な暮らし」のヒントを私たちに与えてくれているのかもしれません。