札幌の中心部から車で約30分。江別市の角山(かくやま)エリアにあるのが、酪農企業「Kalm(カーム)角山」です。酪農家ではなく、酪農企業と呼ぶのは、まさに「企業」だから。事務所の壁に貼られているポスターには、「家業から企業へ」という印象的なキャッチコピーがあり、強い意志が感じられます。最先端の搾乳ロボットを8台導入するなど、国内でも珍しい都市型のメガファームを率いる代表取締役兼CEOの川口谷仁さんに、ここまでの歩みとこれからのことを伺いました。そのすべては、未来の安定的な食糧供給のため。道半ばということですが、働き方も含め、これからの日本の酪農業が目指すべき新しい形がそこにあるように感じました。
5軒の酪農家でスタートした、穏やかな未来を構築するための酪農企業
「よくね、視察に来た方たちにススキノに一番近いメガファームですって説明するんですよ」と笑う川口谷代表。農水省の畜産統計によると、2025年2月で道内の酪農家戸数は4970戸とありますが、「そのうち25~30番目くらいの規模かな。道東にあるたくさんのメガファームには敵わないけれど、都市型のメガファームで考えると、この規模はほかにはないと思いますよ」と続けます。
全国的にも珍しい8台もの搾乳ロボットの導入のほか、創業時からバイオガスに関する取り組みにも着手し、環境にも配慮した循環型の都市型酪農を展開している「Kalm角山」。角山地区の酪農家5軒が集まり、2014年に法人を設立し、翌年から稼働を始めました。
こちらが、「株式会社Kalm角山」代表取締役兼CEOの川口谷仁さん。
「我々農業者が取り組むべきは食糧の安定供給であるという考えをもとに、地域のリーダー的な存在だった先代と自分が周辺の酪農家さんに声をかけて立ち上げました」
Kalm角山という社名は、みんなで考えたそう。どういった思いが込められているのでしょうか。
「なぜ我々が食糧の安定供給をしなければならないのかを考えたとき、今のままだと、子や孫の代に食が安定しない。それはすごく不安なことであり、じゃあ、食が安定する未来というのはどういう世界だろうとみんなで考え、それは『穏やかな未来』だよねとなりました。穏やかは、英語でCalm(カーム)。穏やかな未来を構築するのが我々の会社の使命であり、存在意義であるということで、カーム角山になりました」
当初は英語のCalmの予定だったそうですが、オランダ語のKalmに。それは、ドイツで生まれたホルスタインが乳牛として確立したのがオランダだったからだそう。
「社是は、オランダ語でAim to Kalm future(穏やかな未来を構築する)。食の安定に貢献することで穏やかな未来を作っていくというのがうちの会社の存在意義です」
生まれも育ちも東京。まさか自分が酪農を職業にするなんて思いもしなかった
東京出身で、農業や酪農とは無縁だったという川口谷代表。どういうきっかけで、大規模化、法人化を進めようと至ったのでしょう。
「生まれも育ちも東京で、前職は金融業界にいました。今から25年以上前です。ブラック企業なんて言葉もない時代でしたが、働き方はまさにブラックでしたね。同じ会社に勤務していた妻と結婚し、子どもができたときに、このままの働き方だと子育てに関わることすら難しいと思い、仕事や環境を変えようと考え、妻が札幌出身だったこともあり、こちらへ移ることにしたんです。そして、妻の実家がたまたま酪農業を営んでいたというのが最初のきっかけですね」
農業や酪農とは無縁だったという川口谷代表。
当初、北海道へ移住したいとも、自分が酪農を継ごうとも考えてはいなかったという川口谷代表。とにかく、育児に関われないような環境を変えたいという一心だったそう。
「もともと妻の両親は離農する予定だったのですが、僕たちが移り住むことになり、じゃあ続けようかということで、2000年から8年間、札幌で酪農を営んでいました。犬も猫も飼ったことのない自分がまさか牛を飼うとは思ってもみませんでした」
もちろん酪農に関してはまったくの素人。義父から仕事を教えてもらったり、ほかの牧場へ3か月間研修に行かせてもらったりして、仕事を覚えていきました。
とっても可愛いジャージー。シャッターチャンスを逃さないプロ意識。
「僕自身はゼロスタートですが、酪農をやるにあたっての設備や環境は整っていたので、そういう意味で酪農を始めるハードルは低かったんです。そして、あくまで職業だという割り切りが自分の中に明確にあったので、牛の糞を素手で触ることも抵抗なくできました(笑)。ただ、肉体労働なので、最初のうちは足腰が痛くて、体がきつかったですね。それまでずっと机の前で電卓を叩いていたので」
いざ酪農をはじめてみると、生き物相手なので365日休みはなく、最初の2年は実家のある東京へ帰省することもできなかったそう。また、そのころ牛は20頭しかおらず、家族を養っていくには厳しい状況でした。
「それで2008年にこの角山エリアに70頭ほどの牛が飼える牧場を作って、札幌から移転しました。家族経営でしたが、ある程度しっかり経営が確立できるようになって余裕が出てきたころ、周りで離農していく仲間が増え始めたんです。仲間が減るということは食糧自給率が下がるということなので、この問題を解決するには何が必要なのだろうという疑問を持つようになりました。これが大規模化や法人化について考え始める直接的なきっかけでした」

何のための農業か?未来の食糧安定供給のために必要なのは、継続させること
実は、札幌で20頭の牛を飼っていたときにも、酪農業の在り方について考える大きなきっかけがあったそう。
「就農して6年目くらいだったと思います。20頭の牛を飼って、年間200トンの生乳を出荷して、家族を養うためではあるけれど、これって何か意味があるのかな?と疑問を感じていました。自分のやっていることは、何の役にも立ってないんじゃないかと。そんなとき、たまたま元北海道副知事の麻田信二さんにお会いして、その疑問をぶつけたら、麻田さんに『あなたがやっている農業は何のため?自分のため?違うよね。あなたの仕事は消費者のための農業だよね。じゃあ、消費者を見て仕事をしていますか?消費者を見て仕事していたら、たとえ200トンでも2000トンでも変わらないのでは?』と言われたんです。そのとき、生産に対してもっときちんと向き合わなければと思ったんですよね。これもひとつのきっかけでした」
大きな気付きをもらった川口谷代表は、家族がきちんと食べられるようになったら、次に地域の食を守っていかなければと考えるように。そして、日本の農業や食を守っていかなければと意識と視野を広げていきます。周りの農業従事者が減っていく中、食糧の安定供給をできるようにするためには何が必要か。考えた末にたどり着いたのが、農業の大型化、法人化でした。そして、地域の酪農家に声をかけ、誕生したのがKalm角山です。
トラックで飼料を撒き、散乱した飼料は「餌押し機バトラーフィードプッシャー」で、柵を自動で往来しながら、牛側に寄せ、食べやすい状態にキープします。
「もともと僕は農家ではないので、家を守る、土地を守る、家業を守るという意識はなく、法人化に向けて動く際も抵抗はありませんでした。あくまで事業、職業として考えていたので。それよりも食糧を守るための職業の継続、事業の継続のほうが重要だと考えていました」
ポスターにあった「家業から企業へ」というコピーに込められた思いが伝わってきます。
「日本は、農家のそれぞれの家に農業を守り続けさせることで、地域コミュニティーを存続させ、里山の風景も存続させてきました。時代が変わってもこうした形で食糧を安定させようとしてきたことに、日本の農政のひとつの限界があると感じています。家というのは途絶える可能性がありますが、企業であれば経営者がしっかりしていれば事業は無限。だからこそ法人化が必要で、企業が存続し続けることで日本の食糧を守っていくことができると思うんです」
日本の農業は「家」から「企業」へ。事業を無限に続ける法人化こそが、未来の食料安全保障を守る道だと考えます。
ロボットは優れたパートナー。周囲の反対を押し切り、8台の搾乳ロボットを導入
Kalm角山がスタートした際、牛の頭数は350でした。大規模化を進めるにあたって、目標は500頭。とはいえ、立ち上げに関わっている5軒の酪農家は、全員が50頭前後のつなぎ飼い式の経験しかなかったため、たくさんの牛が自由に動き回るのを一括管理する技術は持ち合わせていませんでした。そこで、目をつけたのが搾乳ロボットでした。
「一頭一頭のデータを取ってくれるロボットはパートナーとして最高だと思ったんです。基本的なデータを正確にひろってくれるのがロボットで、その上で判断をするのは我々。自分たちの足りない部分を補ってくれるのがロボットだと考えたんです。だから、ロボットを選択することに対して抵抗感はありませんでした。ただ、10年前は8台も入れるということに関して、周りからは反対されましたけどね。前例も実績もないし、絶対失敗するって言われました」
ところが、実際に稼働をはじめてみると、たくさんの人が視察に訪れ、初年度だけで2300人もの人がやってきたと言います。
「結局、無理だろうと思いながらも皆さん関心はあるわけです。そして実際に稼働しているのを見て、そうか、やっぱりロボットもありだなって思ったようです。10年前、全道で250台だった搾乳ロボットが、昨年で1000台を超えたんですよ。1999年にロボット1号機が入って、そこから15年間で250台だったのが、この10年間で750台に増えたんです。搾乳ロボットが、酪農業のひとつの作業アイテムとして認知されたきっかけは、当社だったのかなと自負しています」
実は、導入から10年が経ち、最近8台すべてを新しいロボットに入れ替えたばかりだそう。
「7年で減価償却だったので、ようやくこれから利益が出てくる、まだまだ稼いでもらわなければというところではあったのですが...。この10年の技術の進化は目覚ましく、ロボットの性能がすごくアップしているんです。また、10年経つとメンテナンスしなければならない部分も増えていて、いろいろ足し算引き算してトータルで考えて、このタイミングで入れ替えたほうが逆に回収が早くなると考え、一気に更新をかけました」

家族経営と異なり、休みも取れる酪農企業。勤務時間は従業員が考え、生産性アップ
現在、Kalm角山の現場の従業員は日本人が8人、外国人が7人。搾乳ができる600頭の牛と、未経産牛が400頭。全部で1000頭に及ぶ牛の世話をこれだけの人数で回しているのには驚きます。
「搾乳ロボットが入っているからこそ回せていると思います。酪農業の経験がある人からすれば、搾乳はロボットがやってくれるし、働きやすい環境なんじゃないかな。今いる日本人の従業員は、もともと酪農の経験がある人ばかり。都市に近いところで酪農がやりたいという子や、酪農ヘルパーであちこち行くのではなく1カ所で酪農がやりたい子とか」
こちらが、副社長の渡邊工さん。
そう話すのは、副社長の渡邊工さん。現在は、事務方の中心として財務を担当しているほか、多忙な川口谷代表に代わって、視察の受け入れも担当しています。
「酪農というと、汚れるというイメージを持たれがち。でも、見てもらえば分かると思いますが、ここに来るとそういうイメージが変わるでしょ?そして、酪農は生き物相手だから休みが少ないと思われるけれど、うちは会社なので休みもきちんと取得できます」
異業種からの転職希望者もやってくるそうですが、「昔に比べれば随分ラクになったとは思いますけど、それでもやっぱり体を動かす仕事だし、生き物相手ですしね。職場の雰囲気も知ってもらうためにも、とにかく1週間、アルバイトで現場を体験してもらっています」と続けます。その上で、働けるかどうかを双方で判断しましょうと話すそうです。
川口谷代表いわく、「うちも休みがきちんと取れるようになったのはこの4、5年」とのこと。もともと家族経営の酪農家の集まりからのスタートだったため、「休まず働くのが当たり前」という意識がなかなか抜けなかったそうです。「このままだとダメだと、みんなで何度も話し合いながら、休みも勤務時間も少しずつ今の体制になっていったという感じ」と話します。
従業員の現在の勤務時間は7時出勤の17時退勤。この体制を決めたのは、今働いている従業員の方たちだそう。
「あるとき、従業員から不満が出てきたんです。拘束時間は長いけれど、売り上げが少ないために、ほかの職種と比較するとサラリーが低いと。でも、経営陣としては、利益が少ないのにサラリーを簡単に上げるわけにはいきません。そこで、権利と義務の話をした上で、どういうやり方がいいのか自分たちで考えなさいと言ったんです。そして、従業員と経営者がそれぞれ権利だけ主張した会社を想像してみてと言いました。そんなことをしている会社は半年も持たないよね、だったらどういう解決手段があるのか考えてみてと。その結果、最終的に彼らが持ってきた結論が今の勤務時間でした。このことがあって、従業員も労働生産性について理解ができたと思います。この形にして3年ほどになりますが、生産性は上がりましたね。自分たちで考えることってやっぱり大事だし、必要なのだと思います」
川口谷代表、実は農水省の農業の働き方改革の委員として、自社での取り組みも踏まえた上で働き方に関して政策提言もしているそう。
「今の政策はすべて『点』。それぞれの部局がそれぞれやるべきことを点の状態でやっているから繋がらない。本当は、点と点が繋がって、点から線、線から円になっていく政策をしていくべきだと思うんです。働き方改革の議論はとてもいいことだと思います。ただ、それをするのであれば、その反対側にある環境整備、設備投資の支援も同時にやって、円になるように繋いでいかないと、働き方改革はうまくいかないと思います。そういうところまでしっかり国で対応してほしいと訴え続けているところです」
循環型農業を導入。食料の安定供給と国土保全のため、推進したいフランチャイズ化
創業時からバイオガス発電を取り組むと決めていたKalm角山では、地域の産業廃棄物も再利用し、循環型農業を実践しています。
「都市型酪農は環境負荷が大きいので、極力循環させることが大事だと考え、当初からバイオガス発電はやろうと決めていました。そしてバイオガスをやっていると、環境に興味関心のある企業から声がかかるんですよね。そういう企業が近くに多いのも都市型農業のメリットのひとつかもしれません」
そのひとつがコカ・コーラでした。コーヒー飲料の製造過程で出る産業廃棄物のコーヒーかすをKalm角山で受け入れ、牛たちのベッドに使用しています。また、近隣の大豆農家の大豆のかすや小麦農家の小麦の表皮も引き取り、牛のエサとして再利用。
また、2016年には農場HACCPを、翌年にはJGAPシステムの認証を取得しました。JGAPに関しては酪農業の日本第一号で、農場HACCPとJGAPシステムを2つとも取得したのも日本の酪農業界では初だったそう。
「5つの酪農家が集まってできた会社なので、最初にルールが必要だと思ったんです。それでHACCPを取得しました。製品認証のJGAPは、我々がいくら安全安心といっても根拠がないので、その裏付けが必要だと考え、消費者に信頼と約束を示すために取得しました」
自身のライフワークでもあると川口谷代表が話すのが「食育」。消費者に食や農業について考える機会を設け、発信をしていきたいと考えています。学生の牧場見学も積極的に受け入れており、小学生から大学生まで年間1000人以上が訪れます。
「食育は未来への投資だと考えています。今すぐ儲けが出るものではないけれど、社是にある穏やかな未来を構築するためにも続けていかなければならない。うちの牧場に来てくれた子どもたちが20年後も牛乳を飲み、牧場を訪れたときのことを思い出してくれるはずだから」
たくさん話を伺ってきましたが、最後にこれからのビジョンについて尋ねると、「フランチャイズ化を進めたい」とのこと。どういうことかというと、「我々のような農業を主に生活をしていて、食糧を供給している基幹的農業従事者は全国に116万人います。農水省の調べでは、これが2040年には30万人を切るといわれているんです。こういう状況で、自分たちの孫の世代がちゃんと食べられるのか、安定した食糧の供給ができているかを考えたら到底無理です。だからこそ、我々の世代が責任を持って、この課題に取り組まなければならないのです。そのためにも大規模化、法人化は必須だと考えています。もし、そのノウハウがないのならば、環境整備ができないというなら、我々がフランチャイズで提供しますよということなんです」と説明。
「それと、農業従事者には食料の安定供給のほかに、もうひとつ、国土保全という大事な役割があります。山里の風景は自然にできあがったものではなく、地域の農業が振興、発展することによってできたもの。でも農家が減って山里が荒れていくと、水資源の保全ができなくなります。山里の風景を守り、水を守ることは農業者の責務ですが、農業者が減り、継続していけない状況が続き、地域も衰退してしまうようでは、国土保全はできませんし、水も守れない。そこで、やはりフランチャイズ化が必要だと思うのです。技術や機械などその地で農業を続けていくための環境整備の支援は我々がやるので、そこで農業を続けていってもらいたいのです。もちろん、新規就農の方でもいいと考えています」

そして、「農業従事者にもっと夢を持ってもらえるような社会にしていかなければと考えています」と続けます。
「最近、尖がった農業、たとえば高級な牛乳や、こだわりの高価な農作物などが取り沙汰されていて、それはそれで正解だと思うし、農業が注目されるのはいいけれど、それだけでは日本の農業は発展も安定もしないし、続いていきません。だから、僕は100分の1の尖がった農業だけでなく、99の顔は見えないけれど食糧の安定供給に寄与している農業者たちにスポットが当たる環境を作っていきたい。そのために、重要となるのは異業種連携だと考えています。異業種とタッグを組み、投資家にも振り向いてもらえるようもっと利益率を上げ、成長していくのが一番いいのではと考えています」
食料の安定供給や国土保全、そして農業の在り方など、農業者だけでなく、私たちも自分事として考えていかなければならない問題であると考えさせられたインタビューでした。

















