
緩やかな弧を描くように畑が重なり合い、まるでおとぎ話の絵本に出てきそうな風景が広がる美瑛。国内外から多くの観光客が足を運ぶこの町に、2022年夏にオープンしたのが、「藍染結の杜」です。明治時代に旭川で創業した染色の会社「水野染工場」が、日本で古くからある藍染め文化を自然豊かな美瑛の地から発信しようと立ち上げました。今回は、「藍染結の杜」へおじゃまし、ここが誕生するまでの話や施設のこと、これからの展望などを館長の水野里紗さんに伺いました。また、オープニングスタッフとしてこの場所の運営に携わってきたスタッフの松田創介さんにも、仕事のことや美瑛の暮らしについて伺いました。
藍を育て、染料を作り、染める。日本の染色文化を伝え、広めていく場所
美瑛の市街地から車で15分ほど、風景写真家・前田真三氏のフォトギャラリー「拓真館」のすぐそばに立つのが今回の目的地・「藍染結の杜」です。この建物、もともとは「四季の交流館」という名前で地元の農産物の直売所としてオープンした建物でしたが、2016年から閉鎖していたそう。
「地域活性を図るために利用者の募集があり、2022年から当社が藍染めに関するさまざまな活動をここで行うことになりました。この建物では、藍染め体験のほか、ここで私たちが染めた藍染め商品の販売などを行っています」
そう語るのは、館長を務める水野里紗さん。この施設の運営会社・旭川の「水野染工場」の常務取締役でもあります。水野染工場は、明治40年に創業した老舗の染め物屋。東京の浅草や日比谷にも直営店を設け、日本の染色文化を発信しています。
こちらが、藍染結の社 館長の水野里紗さん
「当社は、職人たちが引染(ひきぞめ)、捺染(なせん)という伝統的な染色技術を用いて、大漁旗や暖簾、神社で使う幟(のぼり)などを染めています。本物をきちんと伝えていくためにこの伝統技術を継承し、それを国内外に広めていこうと事業を展開しています。その中で、日本で古くからある藍染めの伝統も継承していきたいという社長の思いもあり、ここに藍染めの拠点を設けました」
社長というのは、水野さんの父親であり、水野染工場の4代目である弘敏さんのこと。
「社長は以前から、藍を自分たちで育て、育てたもので染料を作り、それを当社の染色技術を用いた持続可能な地域づくりができないかと考え、ずっと場所探しをしていました。ご縁があって、ここでその思いを形にすることができるようになりました。さらに染めの体験をしてもらうことでたくさんの方に日本の染色文化に触れてもらいたいと思っています」
体験だけでなく、ショップやカフェ、絶景スポットもある藍の文化複合施設
建物の正面には、藍染めに使用するための藍を栽培している小さな畑があり、タネを植えて発芽するまでを地元の農家さんに協力してもらっています。
「ここは地域の方たちの文化交流施設でもあります。地域の方たちにご理解していただいた上で活動を続けることが大事だと考えているので、地域との関わりも大切にしています。私も町内会の活動に参加させてもらうなど、日々交流を深めています」
また、美瑛町で生まれた赤ちゃんに地元の白樺を使った木のおもちゃを贈る「森の輪プロジェクト」で、そのおもちゃを入れる巾着もここで藍染めしているそう。
建物の1階には体験工房とショップがそれぞれあり、ショップでは、ここで染められた藍染めのTシャツやストール、手ぬぐいなどが並びます。職人たちが手作業で染めているので、一点ものばかり。中には、水野さんが「奇跡の色」と呼ぶ、淡くて美しいブルーのストールなど、水野さん自らが染めたものもあります。
「藍染めは、染め具合で色の濃淡が異なってくるのも魅力です。黒に近いような藍色は『褐色(かちいろ)』と呼ばれ、『勝ち』とかけて縁起がいいと武士たちが戦のときに藍染めしたものを身にまとっていたと言われています。また、剣道着なども昔から藍染めが用いられていますね。ほかにも鮮やかでありながら深みのある藍色は、明治時代に日本を訪れた外国人から『ジャパンブルー』と呼ばれ、日本を象徴する色とされています」


この話だけでも日本における藍染めの歴史の長さを感じます。かつては国内でもたくさんの藍が栽培され、各地で染めが行われていましたが、安価なインド藍や合成染料が入ってきたことにより、現在、藍の栽培自体は徳島県や北海道の伊達などでわずかに栽培されているだけだそう。
「稀少になりつつある藍染めの文化を、染め物を生業としてきた当社が、きちんと伝統を継承し、伝えていかなければと思います。そして、藍染め体験はその一つと考えています」
体験では、巾着や手ぬぐいなどを20分ほどで染めていくそう。大きなものならば、ストールやTシャツなども。これらは1時間ほどかかるそうです。体験は基本的に要予約だそうですが、空きがあれば飛び込みでの参加もOK。
「自由な発想で模様をつけることもできますし、藍染めは染色しながら色の変化が楽しめるのも面白いと思います。世界で1つだけのオリジナルが作れるので、美瑛の旅の思い出にもおすすめです。小さなお子さんから大人の方まで気軽に楽しめますよ」
さらに、2階にはカフェがあり、藍を使ったお茶やスイーツを提供しています。藍って食べられるの?と驚いていると、「抗酸化作用のあるポリフェノールや食物繊維が豊富といわれているんですよ」と水野さん。実際に美瑛産の藍の葉から抽出したお茶を飲ませていただくと、思った以上にすっきりしていて飲みやすく、藍という植物がいかに万能かを実感します。また、カフェの入り口や店内には、藍染めを使ったアート作品も展示。アーティストと藍染めのコラボなども行っているそうです。


「せっかくなので裏の『青の丘』も登ってみませんか」と水野さんに案内され、建物のすぐ裏にある「青の丘」へ。頂上まで数分歩いて登るので、少し息は切れますが、登る価値のある絶景スポットが目の前に広がります。丘の上に設置されている丸い木製のベンチ「青の環(わ)」に腰かけながら、しばしその景色を堪能。ちなみにベンチの木も藍で染めたそう。
藍染めの伝統と文化を伝える「藍染結の杜」。藍染めの奥深さを知るとともに、今の時代にマッチした新しい藍染めの魅力にも出合える場所のように感じました。
伝統的な染色技術や先人たちの思いを継承し、日本の染色文化を世界に発信
さて、結の杜や本社の運営だけでなく、実際に染め師としても活躍している水野さん。5代目という認識でいいですか?と尋ねると、「跡継ぎ(仮)で」と笑います。
子どものころから本社の染色工場に出入りし、職人さんたちにもかわいがられてきた水野さん。幼いころからパティシエになるのが夢で、東京にある製菓系の大学に進み、卒業後は製パンメーカーで商品開発に取り組んでいました。
「それまで好きなことをずっとやっていましたが、ふと家業である染色の伝統をなくしてはいけないのでは?と思ったんです。ただ、そのときは跡を継ぐとか、自分が背負っていくというような大それたことは考えていなくて、単純にずっと身近にあった染め物がなくなるのが嫌だなぁくらいの感覚で、それなら会社に入って仕事を覚えようかなという感じでした」
旭川へ戻る際、社長の娘だからと特別扱いはされたくないと、きちんと履歴書を採用担当の部長へ送り、きちんと面接もしてもらった上で「正面から入社しました」と笑います。「父からは特に何も言われませんでしたが、周りの人には娘が入社したと嬉しそうに話していたよと聞いています」と続けます。
入社後は、染め手として工場で染色技術を習得。ベテラン職人の方たちは、「小さいころ、工場の中をチョロチョロしていたのがこんな風になるとは」と目を細め、その成長を喜んでくれているそう。
水野さんは染め手として仕事をする傍ら、経理など会社経営にも携わり、全国の染色業者の会議や研修会にも参加するようになります。
「後継者不足といった問題もあり、全国的にも染色の会社の数はどんどん減っています。かつては全国に1万4000社あった会社が今は250社ほど。だからこそ、染めの技術や文化、歴史を絶やしてはいけないと強く感じています」
その後、2022年に「藍染結の杜」がオープンするにあたり、「せっかくなら新しいことにもチャレンジしてみたい」と、旭川の本社の仕事と掛け持ちで「藍染結の杜」の館長に就任します。
「もともと東京の店で藍染めをやっていたので、結の杜のオープン前にそこで少し勉強させてもらいました。それまでやっていた染色とも異なり、藍染めは同じ色を出せないのが魅力でもあり、面白さです。藍染めには、藍の葉を発酵させて作った『すくも』を染料にして染める本藍染めと、生の葉から抽出した染料を使って染める生葉染めがあり、うちでは生葉染めを行っています」
もともとモノづくりが好きなのだと思うと話す水野さん。日々、藍と向き合い、対話しながら染めの作業に没頭するそう。
「旭川に縫製部門があるのですが、そこの女性スタッフからのアイデアで藍染めの布小物などを商品化しています。これからもみんなのアイデアを活かした製品作りもしていきたいと思います。それから、アイヌの人々が衣装を染める際に古くから使っていたとされる『蝦夷大青(えぞたいせい)』という藍があるのですが、それの栽培にも挑戦中なので、それを使った商品も作っていきたいですね」
藍染めをはじめ、日本の染色文化を世界に発信していきたいという水野さん。今後は海外の国とコラボした商品作りなども視野に入れたいと話します。
「先人たちから受け継いできた日本の染色文化を、時代の流れやニーズとうまく融合させながら絶やすことなく次へ繋いでいくことが大事だと思っています。諸先輩たちから教えてもらったことを次世代へ恩送りするような感覚ですね。結の杜でも、藍染め体験を通じて染めの文化を少しでも多くの人に知ってもらえたらと思います」
終始にこやかに取材に応じてくれた水野さんですが、言葉の端々から染めに対する熱い思いがしっかりと伝わってきました。
ポテンシャルの高い場所だからこそ、もっと盛り上げていきたい
旭川の本社と行き来し、東京への出張も頻繁にある多忙な水野さんが「藍染結の杜」を留守のときも、ここを切り盛りするスタッフが4人います。次はそのうちの1人で、オープン時から勤務している松田創介さんに話を伺います。
こちらが、藍染結の社ではたらき、美瑛でくらす松田創介さん
松田さんは札幌出身で、高校を卒業後、京都の大学へ進学。卒業後は一度札幌へ戻りますが、再び京都へ。観光客向けの施設で接客などサービス業に従事します。数年後、コロナの感染拡大が広がり、観光客は激減。仕事が減ってしまったこともあり、しばらくして松田さんは実家のある札幌へ帰ることにします。
「何かほかの業種の仕事も考えたのですが、これまでの経験を活かした仕事がしたいと思っていました。就職活動をしているとき、ちょうどここの施設でオープニングスタッフを募集していると知り、応募しました」
当初は、藍染めの施設ということは知らず、観光に関する接客業であるという情報だけで応募したそう。
「でも、知らないことにゼロからチャレンジできるいい機会だなとも思いました。実際、藍染めをはじめてみたら、模様や色の出し方など、奥が深くておもしろくて...」
今は、体験で来たお客さまへのレクチャーのほか、ショップにも立ちます。さらに、染め師として東京の直営店から送られてくる藍染めのリメイクや染め直しなどの作業も行っているそう。
「藍染めというと、自分の中ではすごく古くて堅いイメージがあったのですが、実際に携わるようになってからは、生地だけでなくいろいろなもの、例えば木や鹿の角も染めることができると知って、いろいろな可能性があると分かり、最初に抱いていたイメージはまったくなくなりました」
SNSも担当している松田さんは、「きっと以前の自分のように硬い印象を持っている人が多いと思うので、若い人にももっと身近に感じてもらえたらと思いながら発信しています」と話します。
「もともと接客が好きだったので、今も体験に来てくれた人たちが喜んでいる顔を見るのがすごく好きなんです。うちは染める際の模様作りもコレという決まりはなく、お客さまに自由にやってもらえるようにしているのですが、いつもどんな模様に仕上がるのか自分も楽しみなんですよ」
また、建物の前にある藍の葉の栽培管理も行っている松田さんは、「葉の状態を見て、これは染めるのに向いているとか、これはお茶にするといいといった判断もできるようになりました」と話します。
現在、美瑛の市街地に暮らしているという松田さん。「これまで札幌、京都と割と人の多い都心で暮らしていましたが、今は静かな美瑛の暮らしも気に入っています」と話し、「とにかく景色の良さが一番かな」と続けます。自転車であちこちを巡りながら、美瑛の景色を堪能しているそう。また、美瑛のよさこいチームにも参加し、町の人たちとも交流を深めており、「小さな町ですが、皆さんやさしいし、ウェルカムな感じなのがありがたい」と言います。
最後にこれからの「藍染結の杜」について尋ねると、「この場所はポテンシャルが高く、できることはまだまだあると考えています。今はここを訪れた方たちにヒヤリングをしながら、何があればいいか、ここに何を求めているかという情報収集を行っているところです。その声を生かし、この場所をもっと盛り上げ、美瑛の町の活性化にも貢献できたらと思います」と語ってくれました。