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北海道で暮らす人・暮らし方
伊達市

波乱万丈ホテルマン奮闘記~頼まれごとは試され事~【後編】20251030

波乱万丈ホテルマン奮闘記~頼まれごとは試され事~【後編】

さて、ビー・バップな学生生活を経て、2度の経営破綻を経験したプロホテルマン磯辺大輔さん。今度は別の角度から見てみましょう。
「ホテルマンの幸せ」という、なんともハートウォーミングなタイトルのブログをご存じでしょうか?なんとこのブログ、ここ数年の北海道ブログランキング1位(ときどき2位)に君臨し続けています。この「ホテルマンの幸せ」こそ、磯辺さんが16年前から365日欠かさず更新しているというモンスターブログです。ホテルマンとしての活動だけでなく、日々の徒然や出合った人々との思い出など、人生の悲喜コモゴモを綴っているこのブログがきっかけで、多くのつながりやストーリーが紡がれてきたそう。後編ではそんなストーリーをいくつか伺っていきましょう!

香川の讃岐うどんにまつわる「粋」の応酬

あるとき磯辺さんの元に一通の手紙と3箱のダンボールが届きました。差出人を見ると、会ったことのない香川県に住む82歳の男性からです。


「中を見ると、便箋6枚にわたって心のこもった文章がしたためられていました。『ブログを毎日見ています。私の気持ちですので食べてください。』と。段ボールを開けてみると本場の讃岐うどんがみっちりと入っていたんです」

udon.jpg実際に香川県の方から応援メッセージとともに届いた讃岐うどん

手紙には「くれぐれもお礼の品など送らないように。送ってきたら着払いで送り返す」とも書いてあったそう。
この男性に「粋」を感じた磯辺さん。
粋には粋で返さないとカッコワリィぜ、となにかお返しをしたいと頭をひねりました。

「この方が『北の国から』が好きだと仰っていたんです。北の国からで誠意のある贈り物と言えばカボチャですよね。なのでカボチャ3個とジャガイモ10㎏に豆と鮭とばと北海道の缶詰と、あと『北の国から』の黒板五郎の帽子を買い込み、香川へ向かったんです」

・・・ん?
行った?

「手紙の住所を頼りに、飛行機・新幹線を乗り継いで、瀬戸大橋をこえてからは車で向かい、その男性の家を見つけてお渡ししました」

なんと、直接持っていけばさすがに送り返したりはしないだろうと、自ら香川の自宅に訪問したのです。男性は「ぐぐ、あんたの行動パターンを考えれば、こうなるか...。そこまでは考えが及ばなかった」と言いつつも、涙ながらに喜んでくれたそうです。

hamauzusan.jpg磯辺さんからのプレゼント、「北の国から」の黒板五郎の帽子をつけて、一緒にぱしゃり

静岡や大阪にもこうしたファンのが確認されており、その多くは「なぜかかわいこちゃんではなくゴツめのおじさん」で、DATTELに泊まりに来て「おう、生ホテルマン、来たぞう」と初対面・即・飲み会というパターンもあるのだとか(笑)。

受けた恩は全力で返す

「自宅に帰ったら車のボンネットからプシューっと白い煙が出ていたんです」

やだ、いきなり危ない。

「そのまま車は壊れてしまいました。その写真を撮ってブログに上げ、『こんな状態になっちゃいました、どなたか僕に車をください』と書いたんです。すると3~4日後にメールが来て、1年半車検が残っている車をいただけることになったんです」

そんなことってあるんですか。
いやいや、それがあるのが「ホテルマンの幸せ」なのです。いざ車を受け取る日、磯辺さんは10名ほどの仲間に「大事な用があるから来てくれ」と、内容を伝えずに頼み込みます。全員スーツ姿でビシッと決め、何も知らされず現地に到着した磯辺さんと仲間たち。集められた仲間たちの中にはプロの司会者とカメラマンも。

そう、磯辺さんが企画したのは本格的な車の贈呈式でした。司会者の進行の元、盛大に贈呈式を開催し、テープカットも行ないました。TV番組の賞レースで優勝者が受け取るような、大きな車のキーのパネルも用意。キーと車を受け取った磯辺さんが、ゆっくり運転しながら参加者に手を振ります。

「仲間からは『磯辺さん、まさか俺たちはこのために集められたんですか』と言われましたよ(笑)。そのあとみんなで車のオーナー様が石窯で焼いてくれたピザをいただきました」

実はこの「車をください」というブログには余談があり、ただ車が欲しいから誰かくださいという内容だけではなかったのです。

「もちろん車が欲しくて書いたのですが、まだ使っている車をくださいということではなくて、例えば免許返納でもう乗らなくなった車や、東京に住んでいるけれど実家の親御さんが亡くなって使わない車があるとか、そういうケースってあるんじゃないかとおもったんです。もしそういう車を譲っていただけたら、その車で行った場所に私が行って、思い出の写真を同じアングルで撮ってきます、だから譲ってくださいとお願いしてみたんです」

前オーナーさんもびっくりな感謝のサプライズ恩返し企画。読者のおじさんたちの心意気とブログの底力を感じます。

胆振東部地震。ブログがつないだ支援の輪

最後に、2018年に発生した胆振東部地震の被災地支援のお話を。

当時は地震の影響でホテルも停電していました。電気が復旧しパッと灯りがついたとき、「ああ、なにかやりたい」と思った磯辺さんは、チャリティーTシャツの製造に取り組みます。ブログでこの取り組みを告知したところ、1枚2000円のTシャツになんと全国各地から700枚以上の注文が殺到し、約70万円を現地に寄付することができたのです。

「私のブログは普段しょうもないこと(本人談)を書いているんですが、月に1、2回本気の記事があるんです。熱心な読者には『ああ、こいつ今回はまじめに書いてるな』というのが伝わるようで...。元C-C-Bのベースの関口さんも注文してくれて、もうRomanticが止まりません※2でした」

Tシャツを買ってくれた人の背景は本当に様々。
長渕剛を心の師匠と呼び、富士山麓ALL NIGHT LIVEにも参戦した生粋のファンでもある磯辺さん。札幌のFMアップルで長渕ファンによる長渕ファンのためのラジオ番組を放送する同志が、番組内でこの活動を紹介してくれたことがきっかけで、全国の長渕ファンに拡散。
「やるなら今しかねえ※1」と、200枚以上の注文が殺到したそうです...熱すぎる...!長渕ファンの"絆-KIZUNA-"の強さをビンビン感じます。

Twitter(現X)で情報を拡散してくれる方も多く、またどういうわけか北海道に知人がいるというメキシコの親子からも注文が入り、「送らない理由がない」ということでもちろん対応。後日2人で着用した写真も送られたきたそうです。「送料含めて2000円としていたので、完全に赤字でした(笑)」と磯辺さんは嬉しそうに話してくれました。

ブログ読者達の想いを現地に届けに行く段になり、ただ現金だけを届けるのでは物足りないと感じた磯辺さん。
コンビニに物が無くなり子どもたちが退屈しているだろうと、ゼリーやポテトチップスなど被災した子どもたちが笑顔になってくれそうなお菓子も購入。あれこれ買い足しているうちに荷物が増えたためハイエースを借りに行きました。するとレンタカー会社の方も磯辺さんの想いに賛同し、無料で車を貸してくれたそうです。こうした一連の動きは支援してくれた方への報告も兼ねて、領収書も含め全てブログで公開しています。

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「買ったものやどこにいくらずつ届けますということも全部ブログに書きました。すると『ガソリン代に使ってくれ』とか『昼食代にしてくれ』、『活動資金に使ってくれ』など、直接お金を支援いただける方も声を上げてくださったんです」

さて、支援から戻った磯辺さんですが、目の前には大量のTシャツの発送業務が横たわっています。700枚以上の注文がメールで届くため、メールボックスは業務メールとTシャツメールが混在し、てんやわんやな状態。持ち前のサービス精神で、色とサイズの選択肢を豊富にラインナップしたため、その作業量は相当なものでした。そこに声をかけてくれたのが頼りになる仲間たちです。事務処理が得意な方や郵便局に勤める方など、得意分野を生かし少しずつ作業を手分けして、注文の確認からTシャツの発注・送付まで、力を合わせて全国の支援者にTシャツを届けました。

「登場人物全員が素敵な人で、本当に感謝しています」

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このチャリティーTシャツ、北海道が傷つき泣いているイラストに磯辺さん直筆の筆文字で「次は俺達ががんばる番だ!!」と書かれています。イラストを描いたのは当時小学3年生だった男の子だそう!

「母からは、初めてあんたのことを誇りに思えたと言ってもらいました(笑)。私自身もブログをやっていて本当に良かったと思える出来事でした」

頼まれごとは試されごと

磯辺さんがブログを始めたきっかけは、尊敬する人生の先輩からのひとことだったそう。

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「『磯辺さんはやるべきだ』と言われ、この人が言うなら絶対自分のために言ってくれているんだろうと思ったんです。基本的にアナログ人間なのでブログのことは全くの素人。手探りで始めました」

始めるのは簡単ですが、続けるのは難しいもの。ましてや開設以来毎日書き続けるというのは並大抵のことではありません。「私、小学校5年生の時に学校を休んで以来、今までずっと無欠勤なんです」と話す磯辺さん。タフな肉体と精神の持ち主です。

さて、前編でご紹介したプロホテルマンとしての知見はもちろん、こうしたブログ読者との交流が生んだストーリーは多岐にわたり、近年は講演会に呼ばれることも増えてきたそう。

「教育委員会からご依頼を受け、伊達の市民カレッジで講演をやることになったのですが、申し込み第一号が日高町の方でした。この方もおそらくブログを見てくださっているのではないかと。札幌学院大学さんにも2年前に引き続きまたお声がけをいただいています」

seminor.jpegだて市民カレッジにて登壇する磯辺さん。満席御礼!

大学まで!
そのきっかけもやはりブログ。
北海道新聞社が磯辺さんを扱った記事を、同大学の教授が目にしたことで話が舞い込んだのだとか。2年前の講演の際は、終了後学生が「名刺をください」と磯辺さんの周りに集まり、それを見た教授は「外部講師で学生に囲まれた人は初めて見た」と驚いていたそう。

「高卒の私が大学生に向かって講演をする日が来るなんて思いませんでした。おそらく私がいわゆる『成功者』のような人生を歩んでいないことで興味を持ってもらえるのではないでしょうか。大学生からすれば、成功者が語る成功体験はあまり参考にならないように思います。いま不安を抱えていたり、絶不調で行く当てもない人には、私の経験をお話することで希望を持ってもらえるかもしれません」

ビー・バップ・ハイスクールでの日々。
2度に及ぶの勤め先の破産。
プロホテルマンとしての開眼。
そしてブログが紡いだストーリー。

学生のみならず聞いてみたいと思う方は多いのではないでしょうか。磯辺さんのスーツの裏には、その時期ごとの心情を綴った刺繍がされています。取材時に刻まれていた言葉は「頼まれごとは試されごと」。

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「ブログを全く知らなかった私ですが、何事もチャレンジだと思って始めました。誰かに物事を頼まれるということは、自分が試されているのだと考え、できる限り全力で応えるようにしています」

ちなみにローヤルが破産した時に入っていた刺繍は「人生ドラマチック」。これからもホテルの現場で、ブログの海で、これからも多くの人生ドラマの輪が広がっていく。輪に入りたいというそこのアナタ、「ホテルマンの幸せ」をのぞいてみては?(のぞいた際には人気ブログランキングへのクリックもお忘れなく!)

■本文注記
※1「やるなら今しかねえ」...長渕剛の楽曲「西新宿の親父の唄」の歌詞の一部。"66の親父の口癖は『やるなら今しかねえ』"
※2「Romanticが止まらない」...C-C-Bの3枚目のシングルタイトル。
※3「絆-KIZUNA-」長渕剛43枚目のシングルタイトル


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HOTEL DATTEL ホテルダッテル支配人 磯辺大輔さん
URL

https://blog.mushanavi.com/author/hotelman/page/2/

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波乱万丈ホテルマン奮闘記~頼まれごとは試され事~【後編】

この記事は2025年8月27日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。