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このまちのあの企業、あの製品
稚内市

宗谷の砂で北海道を支える、抜海運送の歩み20251214

宗谷の砂で北海道を支える、抜海運送の歩み

北海道・稚内市。宗谷の風が抜けるこのまちに、北海道の足元を静かに支える会社がありました。

抜海運送は、土木用資材の運搬、土木工事、地域の除雪などを担う会社。平成15年ごろから、天塩町・幌延町・豊富町などの沿岸域で採取した砂をプラントで製造し、天塩港から船で石狩湾新港へ届けています。

この砂は、現在進行中である札幌中心部の開発にも多く使われている貴重なコンクリート原料。稚内地域の暮らしに寄り添いながらも、北海道の中心を支えている抜海運送のこれまでの歩みを、社長である山本博文さんのお話と、現場の声からたどりました。

bakkai_26.jpgこちらが代表取締役の山本博文さんです。

稚内・抜海から始まった運送会社

抜海運送の設立は、昭和41年です。〈抜海〉とは、稚内の地名。かつて存在した抜海漁業協同組合の、運送部門として立ち上げられました。

「魚の輸送から、ダンプカーによる運搬が主力となった会社です。私の父はダンプカーの運転手をしており、運送業に事業を広げようとしたのですが、当時は運送業の許可を取得するのがとても難しかったんですね。そのタイミングで抜海運送の経営を譲渡したいという方と出会い、譲り受けたのが昭和53年のことです」

そう話すのは、現社長の山本博文さん。現在の業務は運搬だけでなく、重機のオペレーション、プラントの運転、土木作業と多岐にわたり、宗谷エリアのさらなる発展のために尽力しています。

お父さまが抜海運送の社長に就任した当初は、土木用資材の運搬や土木工事を主な事業としていましたが、平成10年ごろから、コンクリート用の洗い砂を採取・製造販売するようになったそうです。

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天塩の砂を「資材」へ。砂づくりと輸送の現場

「砂は、天塩、幌延、豊富の海岸に近い農地などの採取場から掘ります。掘った砂は、そのままコンクリートの原料にはならないんです。天塩と幌延にあるプラントで大きな石やゴミを取り除き、コンクリートの原料になるように砂を製造します。製品となったものは稚内圏に運んだり、天塩港から船で石狩湾新港に運んで、生コン工場やアスファルト舗装の工場のスタッフに受け渡したりします」

札幌圏へ砂を運ぶときは、ダンプカーではなく船を使います。ダンプカーでは1日1回、12時間以上かけて約6立方メートルしか運べませんが、船であれば、1日1便で約1,200立方メートルもの砂を運ぶことができるからです。

「だからこそ、安く、砂を切らすことなく供給するためには船が必要です。弊社は年間契約の専属の傭船(ようせん)で運んでもらっています」

bakkai_27.png実際の輸送の様子です。

石狩湾新港への砂の輸送は、平成15年ごろから始まりました。石狩には、スタッフが5名常駐。船から降ろした砂をお客さんに引き渡したり、事務作業をおこなったりしています。

同じ砂でも、その質によってコンクリートの仕上がりが変わるそう。砂が柔らかいとセメントの割合を多くしなければならず、強度も出づらくなります。石が削れたような硬さがある方が、より質のいいコンクリートができるのです。

「札幌圏内でいま、駅ビルやトンネルなど、いろいろな再開発がされていると思います。そこに使っているコンクリートの原材料の多くに、弊社で運んだ天塩エリアの砂が入っているはずです。毎日運ぶ1,200立方メートルの砂というのは、それに値するボリュームなんですね」

町づくりの一環を担う、責任重大な仕事。供給を止めないよう、より一層、責任感を持って砂の採取に取り組みます。

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「天塩の砂は誇り」。次世代へ繋ぐスタッフの想い

道内でも大きな評価を得ている良質な砂。それを扱う仕事にプライドを持って、職務を全うし続けるスタッフがいます。

「天塩の砂は、ただの砂じゃない。俺たちの誇りです」

そう話してくれたのは、天塩生まれ・天塩育ちの重機オペレーター、久末明寛さん。同級生の多くが高校を卒業して札幌などへ進路を進めても「うらやましい」と思ったことは一度もなかったという、生粋の〈天塩人〉です。お父さまは抜海運送の天塩プラントに勤務しており、幼いころから、重機に乗って働く父に「かっこいいな」という憧れを抱きながら育ちました。

bakkai_1.jpgこちらが久末明寛さんです。

しかし、久末さんが就職をするとき、最初に選んだのは郵便局。仕事には誠実に向き合い、職場での評価も高く、役職にも就くなど順調にキャリアを重ねていきました。それでも、心の奥には「やっぱりお父さんと同じ重機の仕事がしたい」という思いが残り、思い切って転職を決断します。小さなお子さんを育てるなかでの決断でしたが、奥さまは反対せず、久末さんの挑戦を快く受け入れてくれたそうです。

「きっと、自分の気持ちの強さを、ずっと感じ取ってくれていたんだと思います」

そしてついに、憧れの抜海運送・天塩プラントへ入社。意外なことに、応募の際はお父さまに一言も相談せず、自ら直接応募したのだそうです。

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「普通は親を通して頼むのでしょうけど、自分の覚悟を形にしたかったんです」

その行動からも、久末さんの強い意志が伝わってきます。

そして大人になってから知ったのは、小さい頃から遊んでいた天塩の砂が、全道でも屈指の高品質な砂として評価されている事実でした。

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「最終製品として形は残らないけれど、いろんな建物や構造物を支えている実感があります。端から見ればただの砂でも、僕らにとっては宝物です」と笑顔で話してくれました。

そして現在、小学2年生になる息子さんも、好きなミニカーはやはり重機ばかり。

「父さんが一番うれしかったんじゃないかな(笑)」

重機オペレーターの高齢化が進むなかでも、ここ天塩では〈誇りある仕事〉が確実に次の世代へと受け継がれています。

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社長就任後も、父の背中を追った博文社長

もちろん、お父さまの仕事を受け継いだという意味では、博文さんも同じです。稚内市で育ち、大学の4年間を京都で過ごした博文さんは、卒業後、家業を継ぐつもりで稚内にUターンしました。

「強い気持ちがあったかと言われるとちょっと自信はありませんが、姉3人、末っ子長男だったので、家業を継ぐことはずっと意識していました。帰ってこようと思っていたが故に、あまり行く機会がない遠いところの大学を選んだといっても過言ではありません」

博文さんのお父さまは、かつて抜海運送の社長として働く傍ら、同じく地元企業である豊成建設の経営を立て直す形で、平成4年、社長に就任しました。博文さんが大学を卒業して帰郷したのは、平成8年。つまり、お父さまが2社の社長になって間もない頃のことでした。

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豊成建設の創業は大正元年と古く、道路や橋梁工事、河川整備、冬場の除雪などのほか、現在は豊富町や幌延町などの酪農の盛んな地域で、牛が食べる牧草を育てるための草地整備などを行っています。

「ダンプカーの運転手から社長になった父は、息子に土木の仕事をやらせたいけど自分には教えられないから仕事を教えてくれないか、と、地元企業の藤建設に頼んでくれたようです。私は藤建設に2年間お世話になり、その間、さまざまな現場で多くのことを教えていただきました」

仕事の少ない冬は本州に3か月程度滞在して働くなど、徹底的に現場経験を積んだ博文さん。「ズブの素人だったので本当に勉強して、早くいろんなことを覚えなきゃ、という気持ちが強かった」と話します。

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「地元企業なので、同級生も同じ会社で働いていたのですが、みんなと同じスピードで仕事をしていたら、いざ家業を継いでから何の役にも立たないと思った。仕事が多いときは休みもありませんでしたが、大変というよりは、がんばらなければという気持ちの方が強かったですね」

そのがんばりが認められ、1年目とは思えないような内容の仕事も、博文さんは第一線の現場で任されるようになりました。

「いま思えば、あの時どれほどのことができたんだろう、と思いますけどね。ただ、文字通り寝ないで書類を作ったことなどを思い返すと、それだけやれたんだという、当時の自分の自信にはなったかもしれません」

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地域を支え続ける地元企業の使命と、これから

博文さんは藤建設での修行を終えた後、豊成建設に入社しました。バックオフィスをメインにおこなっていましたが、バブル崩壊の煽りを受け、建設業も仕事が少なくなっていた時期で、大変な苦労をしたそうです。

「周囲の会社が倒産していくなかで仕事を受注し、スタッフの人数を確保して、利益を上げていくことは容易ではありませんでした。しかし大変だった修行時代を思い出し、社長である父のがんばる背中を見ながら、なんとしても乗り越えるぞ、という気持ちでここまでやってきました」

やがて博文さんは、平成15年から、抜海運送についても経営全般に関わる仕事を開始。そして平成24年にお父さまから受け継ぎ、豊成建設と抜海運送の社長に就任したのです。

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地元企業ということもあり、両社とも、宗谷地方出身のスタッフが多いのが特徴。「昔から知っている子が入社してくることもありますか?」と聞くと、社長は「もちろん」と答えます。

「長男の中学校の野球部の先輩が入社した、とかね。田舎では、あるあるです(笑)。友達のお父さんの会社だから信頼できる、というような理由で選んでもらえる会社であり続けたいなと思います」

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札幌の再開発に関わるコンクリート用の洗い砂を運ぶ抜海運送と、稚内エリアの除雪や酪農業の基盤作りなどをおこなう豊成建設。北海道の中心を支えているという誇りを持ちつつ、地元企業として地域に求められる存在でもありたいという強い気持ちを持っています。

「質のいい砂を切らすことなく供給できる体制づくりに努めるほか、がんばってくれる社員の生活が良くなるよう、最大限の努力をしていきたいと思っています」

稚内や宗谷・豊富で、地に足のついた仕事を一緒に----そんな呼びかけが、穏やかに、しかし力強く聞こえてきました。

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有限会社抜海運送
住所

北海道稚内市朝日1丁目4-5

電話

0162-34-4783

(関連)
豊成建設株式会社
所在地:北海道天塩郡豊富町字豊富表通164
電話:0162-82-2014
URL:https://housei-kk.co.jp/

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宗谷の砂で北海道を支える、抜海運送の歩み

この記事は2025年10月28日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。