北海道最大の港湾都市・苫小牧(とまこまい)を毎日当たり前のように走っているトレーラー。その多くが、港の物流を支えています。その流れがひとときでも滞れば、紙も、モノも、街の動きも影響を受けてしまうでしょう。
その一端を担っているのが、数年後に創業50年を迎えようとしている高潮産業です。いま、この会社では大きな挑戦が進んでいます。三代目として舵を取るのは、42歳の女性社長、鈴木ありささん。苫小牧出身で、いったんは別の業界へ進んだものの、家族とともにまちへ戻り、「自分が働きたいと思える会社」に近づけようと、働き方を少しずつ見直してきました。
100万円の出産祝い金や引っ越し費用の補助、選べる休日制度。それは、自分だけでなく、ここで働く人たちにとっても「働きたい」と思える環境を整える取り組みでした。苫小牧に移住して入社したドライバーの野堀さんは「制度が整っているだけでなく、きちんと使える空気がある」と話します。安心して働ける土壌があるからこそ、周囲にも勧められる会社。そんな実感がにじみます。
物流の仕事と、苫小牧での暮らし。その両方を見つめ直そうとする会社のいまを、のぞいてみました。
止まらない物流を、18人でつなぐ

苫小牧は、港と工業地帯を抱えるまちです。王子製紙をはじめとする大規模な工場が立ち並び、製品は港から国内外へと送り出されていきます。同時に、原材料の受け入れも行われ、港と工場のあいだでは絶えず荷の動きが続いています。そうした物流の集積が、このまちの産業を支えています。
その流れを、トレーラーでつないでいるのが高潮産業です。
主な仕事は、王子製紙の苫小牧工場と苫小牧港を結ぶピストン輸送です。工場でつくられた大きな紙ロールを港へ運ぶ往復を1日に6度繰り返します。単純に見える作業ですが、時間と安全を守りながら確実に積み重ねていく仕事です。一方で、札幌近郊への一般雑貨の配送や、道内各地への運行も担っています。飲料や日用品など、暮らしに身近な荷物を運ぶ便もあり、営業エリアは広がっています。
それでも、運行は基本的に日帰りです。長距離輸送や夜勤は設けず、毎日自宅に戻れる体制を整えています。仕事の広がりと、生活リズムの安定。その両立を意識した運行体制が、同社の働き方を支えています。

現在の社員数は18人。そのうち12人がドライバーです。少人数だからこそ現場の状況や一人ひとりの事情が見えやすい。また、取引先は着実に広がりを見せており、ドライバーが増えればトレーラーを増やし、さらに仕事を広げていく計画もあります。
人手不足が続く運送業界のなかで、働く人をどう守り、どう増やしていくか。その問いは、高潮産業が物流を続けていくための、現実的な課題でもあります。北海道の物流拠点・苫小牧で、着実に社会的役割を果たし続けてきた会社。高潮産業は、このまちの経済の一端を担いながら、新たな展開へと歩みを進めています。
まちを離れ、そして戻ってきた
「はじめは、この会社に入るつもりや、ましてや社長を継ぐつもりなど、まったくなかったんです」
そう笑って振り返るのは、高潮産業の三代目として舵を取る鈴木ありさ社長。出産や結婚祝い金の創設や引っ越し支援、休日制度の見直しなど、いまの時代に合ったかたちへと会社の仕組みを少しずつ変えてきました。
それでは、なぜ会社を継ぐことになったのでしょうか。ご自身の歩みをお聞きしてみました。
鈴木さんはロシアでうまれ、9歳から苫小牧で育ちました。小中高を市内で過ごし、札幌大学ではロシア語を専攻、その後北海道大学の院生としてロシア文学を学びました。卒業後は新千歳空港のお土産店に勤務し、観光客と接する日々を過ごしました。
こちらが有限会社高潮産業の三代目社長、鈴木ありささん
「旅行と接客に関わる仕事が好きなんです」と語る鈴木社長は、やがて大手リゾート企業に転職。長野や栃木の宿泊施設で10年近く勤務します。入社後はフロントから調理や清掃まで幅広い業務を経験し、やがて料飲部門のマネジメントも任されるようになりました。
結婚を機に北海道へ戻り、リゾートホテル内レストランの立ち上げを担うマネージャーとして勤務します。現場を任される日々のなかで第一子を妊娠し、いったん仕事を休むことになりました。その後、2020年に新型コロナウイルスの影響が広がり、札幌の飲食店で働いていた夫が解雇に。家族のこれからを見つめ直すなかで、ふるさと・苫小牧へ戻る決断をしました。祖父の会社である高潮産業に、夫がドライバー見習いとして入社します。
新しい生活が動き出した矢先のことでした。1カ月後、創業者である初代社長が亡くなり、会社は大きな節目を迎えることになりました。

創業50年を前に、会社は揺れていた
面倒見のよさで慕われてきた初代の時代が終わると、それを追うように長年在籍していた社員の退職が相次ぎました。配車を担っていた専務、経理を担っていた部長も会社を離れ、業務の引き継ぎが十分とは言えない状況でした。
2人目の子どもを出産したのち、2022年に経理担当として入社しました。数字の管理、支払い、請求。専務から配車業務を引き継いだ事務スタッフの力を借りながら、経理の他に労務管理、採用活動等も行っていました。
現場の実情を知るなかで、会社の経営状況にも向き合うことになります。数字を追ううちに、ある確かな実感が生まれていきました。

「このままでは会社が続かないかもしれない、と感じました」
当時の高潮産業は、就業規則や給与体系などが十分に明文化されておらず、日々の運営を人の経験や判断に委ねている部分も少なくありませんでした。鈴木さんは、この会社の基本となる部分を整理していくことから着手していきました。
「もうすぐ50年を迎える会社を、ここで終わらせるわけにはいかない。働いてくれている社員を守りたい」
その思いから、鈴木社長は経営の中枢へと踏み込んでいきました。
「働き続けられるか」から始めた土台づくり
経営に踏み込むと決めたとき、鈴木社長がまず取りかかったのは、会社の体制を整え直すことでした。
以前勤めていたリゾート企業では、制度はすでに整い、経営判断も分業された仕組みの中で行われていました。現場にいても、経営そのものを一から組み立てる立場ではなかったといいます。
一方、高潮産業では、長年の信頼関係や現場の経験に支えられてきた反面、仕組みとして整理されていない部分が残っていました。それは強みでもありましたが、会社を持続させていくためには、あらためて形にする必要があると感じたのです。

「まずは、会社としてきちんと成り立つ土台をつくることが必要だと思ったんです」
とはいえ、大企業のやり方をそのまま当てはめることはできません。人数も規模も業種も違う。そこで鈴木社長は、2人の子どもを育てる当事者として、「自分がここで働くとしたらどうだろう」と考えるところから始めました。子育て中の人にとって無理のない働き方だろうか。これから家庭を持つ人にとって、将来を描ける環境だろうか。そんな問いを重ねながら、一つずつ形にしていきました。出産祝い金の創設、休日を週1日か2日か選べる仕組み、そして泊まりのない日帰り運行。物流業界では当たり前とされがちな夜勤や長距離宿泊を設けず、「毎日家に帰れる」働き方を基本としました。
視点はさらに広がります。ドライバー未経験の人や大型免許をまだ持たない18歳の若者だったらどうか。苫小牧に移住して新しい暮らしを始めたい人だったらどうか。免許取得費用の全額補助や借り上げ住宅の支援、引っ越し費用の負担といった制度は、そうしたイメージをもとにできました。

「特別なことをしているつもりはありません。制度は、安心して働くための土台だと思っています」
制度は社員を縛るためのものではありません。安心して挑戦できるようにするための仕組みです。働き方を一定に固定するのではなく、それぞれの事情に合わせて選べるようにする。その柔軟さが、現場に確かな安心感を生んでいます。
仕事と収入、休日のバランスを見極めて
その「働き続けられる会社」という視点を、実際の暮らしの中で体現しているのが、ドライバーの野堀智文さんです。
山口県出身。電機業界や個人事業などさまざまな仕事を経験してきました。大型トラックの運転にも携わり、全国を渡り歩くなかで、収入、労働時間、休日の現実を身をもって知ってきたといいます。
苫小牧に生活の拠点を定めたのは、再婚を機にこれからの暮らしを具体的に考えたことがきっかけでした。北海道で知り合った女性と家庭を築くなかで、「何を優先するか」を改めて整理します。
こちらが、昨年高潮産業に入社した野堀智文さん。高校生のときに、ボウリングの国体選手で全国大会へ行った実力の持ち主。息子さんとも一緒にボウリングに遊びにいくんだとか
「まずは仕事とプライベート、子どもを育てていくうえでの収入とのバランスですよね。そこはちゃんと考えました。自分が持っている大型免許も生かせると思って、求人サイトから応募しました」
面接で心に残ったのは、鈴木社長の言葉でした。
「『一緒に会社を盛り上げていこう』と言われて。話を聞いていると、本気で良くしていこうとしているのが伝わってきたんです。いろいろ経験してきましたけど、ここなら自分も力を出せると思いました」
入社後は、会社の費用負担でけん引免許を取得。王子製紙の苫小牧工場と港を結ぶピストン輸送を担当し、札幌方面への雑貨輸送や地方便も任されるようになりました。それでも基本は日帰り。毎日家に帰れる働き方が続いています。


「苫小牧は雪が少ないから走りやすいですし、出発時間もある程度自分で決められる。裁量があるぶん、段取りもつけやすいので、気持ちにも余裕が持てます」
その語り口からは、自分で選び取った働き方への確かな納得が伝わってきました。
選んだ条件が、いまの暮らしに続いている
仕事を終えれば、家族が待つ家へ帰る。休日には、みんなで札幌や函館へ買い物がてらドライブに出かけることもあるそうです。
「仕事では走行ルートを自分で組み立てられるんです。だからプライベートで出かけるときも、自然と道を覚えられる。ドライブがそのまま仕事にも生きるんですよ」
そう笑う表情には、いまの働き方への自信がにじみます。職場について尋ねると、「和気あいあいとしていますね」と即答。

「まだ1年足らずですが、ちょっとしたことでも話しやすいです。社長とも普通に話しますし、相談もしやすいです」
現場と経営の距離が近いことは、日々の安心感につながっています。だからこそ、全国にいる知人にも声をかけているといいます。
「うち、けっこういいよって言ってます。引っ越し代も出ますし、出産祝い金もある。資格取得も支えてくれる。条件が整っているから、自信を持って勧められるんです」
さまざまな土地で働いてきた末に、仕事と収入、休日のバランスを見極めて選んだ会社。その選択は、いまの働き方と暮らしの両立につながっています。
人を迎え、会社を強くする

苫小牧は港と多くの工場を抱えるまちです。物流は、この土地の経済を支える重要な役割を担っています。だから仕事はなくならない。けれど、人がいなければ回らない。その現実を、鈴木社長はきちんと見据えています。
「『トレーラー乗りはもう稼げない』と言われている時代ですが、『稼げる』と『働きやすい』、この両方を叶えるために挑戦を続けてきました。昔は仕事が少ないと車をもてあます日もありましたが、会社さんとの付き合いも少しずつ増えていき、仕事の幅も広がっています。人が増えればトレーラーも増やせます。できる仕事の幅も広がりますし、その分を社員の待遇面で還元できると思っています」
人を増やし、トレーラーを増やし、できる仕事の幅を広げる。その先にあるのは、会社としての体力をつけること。そして、その成果を待遇としてきちんと社員に返していくことです。どんな人を迎えたいですか、と尋ねると、

「特別な人を求めているわけではありません。やる気があれば、年齢や経験は問いません。ただ、荷物を時間通りに届ける責任は大きいです。そこを大事にできる人と、一緒にやっていきたいですね」
大手のように細かな就業規則とは違い、ドライバーはルートや出発時間に一定の裁量があり、車両は一人一台の固定制。自分の仕事に責任を持つぶん、自由度もあります。
「裁量があるのと同時に、責任もある。でも、その責任を前向きに受け止められる人なら、きっとやりがいを感じられると思います」
移住を考えている人、未経験から挑戦したい人、人生の節目によりよい働き方を探している人。それぞれ事情は違っても、「ここなら続けられるかもしれない」と思える場所をつくること。それが、いま鈴木社長が目指している会社の姿です。
逃げずに向き合うという覚悟
前に勤めていたリゾート会社での仕事は楽しく、やりがいもあったと鈴木社長は振り返ります。けれど、コロナ禍という予期せぬ出来事が重なり、家族の生活と向き合うなかで、ふるさとへ戻る決断をしました。祖父が興し、父が守ってきた会社。その現場に身を置いたとき、逃げずに向き合うしかないと腹をくくったといいます。
就業規則や給与体系の整備に着手した際には、二代目の父親と意見がぶつかることも少なくありませんでした。「ここは変えたほうがいい」と伝えても、簡単には受け入れられない。運送業の経験がない自分が口を出すことへの葛藤もあったそうです。それでも、現場で数字を見続けるうちに、会社を続けるためには『いま変える』しかないと確信しました。

「祖父の代から続いてきた会社を、私の代で終わらせるわけにはいかない。いま働いてくれている人たちの生活も守りたい」
しかし、守りから攻めの体制へと、今までの経営体制や規則を変えたことで、従業員からの要望や不満が聞こえてきたと鈴木さんは話します。従業員の声を聞き、会社の現状を理解してもらうために経営データも開示。
「苦しいときを一緒に乗り越え、日々頑張ってくれている運転手と、運営を支えてくれている全従業員に『ここで働いていてよかった』と思ってもらえる会社にしたいと考えています。そして、一緒に働ける『仲間』を増やしたい」
そう語る鈴木社長自身も、5歳と4歳の男の子を育てる母親です。休日には夫とともに家族で出かけることが多く、「温泉にも行きますし、この前は富良野で犬ぞりに乗ってきました」と、プライベートも大切にしています。仕事に向き合う厳しさと、家庭で過ごす時間。その両方があるからこそ、会社の制度も机上の空論ではなく、自分ごととして考えられるのかもしれません。
港町・苫小牧で、今日もトレーラーは走り続けます。そのハンドルを握る人の暮らしを守りながら、会社もまた一歩ずつ前に進む。創業50年のその先を見据え、三代目の挑戦は続いています。

















