暑寒別天売焼尻国定公園に属する「雨竜沼湿原」の玄関口・北海道雨竜郡雨竜町。雨竜沼湿原はラムサール条約に登録され、その素晴らしい眺めから「天空の湿原」とも呼ばれています。
また、雨竜町は石狩川や雨竜川に囲まれた肥沃な地で、道内屈指の米どころ。田園風景が広がる町の丘の上にあるのが、知的障がい者のための支援施設「雨竜町 暑寒の里」です。
今回は、ここに勤務する生活支援員の2人の職員の方に、仕事のやりがいや大切にしていること、また雨竜町の暮らしなどを伺いました。
開所と同時に入職。迷いや葛藤を経て、結婚を機に仕事に対して覚悟を決める
社会福祉法人雨竜園が運営する「雨竜町 暑寒の里」は、町で唯一の障がい者支援施設。
「心のこもった支援を元に利用者満足を追求し、笑顔と心豊かな暮らしに貢献します」という法人の基本理念のもと、利用者さんたちに寄り添った支援を行っています。
現在、入所している人は20代から80代の知的障がいがある40名。当法人は、生活介護事業所や就労支援事業所など、多岐にわたる福祉サービスを展開しています。また、町内や滝川市内においてもグループホームを運営しており、地域に根ざした総合的なサポート体制を整えています。
暑寒の里のベテラン職員・就労支援事業所管理者の礒野剛さん。
まずは、暑寒の里のベテラン職員・就労支援事業所管理者の礒野剛さんからお話を伺います。
雨竜町出身の礒野さんは、深川市の高校を出たあと、平成元年(1989年)、暑寒の里の施設開所に合わせて新卒で入職したそう。
「正直なことを言うとね、最初からそんなに福祉に対する強い志があったわけじゃないんですよ。福祉の勉強をしたとか、福祉に興味があるとか、そういうわけでもなく、高校を卒業するときにたまたま地元にこういう施設ができるよって聞いて、応募したんです。だから、知的障がいのある人のことはもちろん、利用者支援についても何も知らないで入ったんですよね」
新しくできたばかりの施設に右も左も分からずに入った礒野さん。手探りの毎日の中、20代半ばまでは自分にこの仕事が向いているのか分からず葛藤し、辞めようと考えたことも一度や二度ではありませんでした。
暑寒の里は障がいをもつ方々の自立と社会参加を支援している施設です。地域の人々との交流や土とのふれあいを通じ、ご利用者お一人おひとりの思いに寄り添いながら、支援しています。
「それでも辞めなかったのは、ここの職場の環境が良かったからかもしれませんね。雨竜の町のことをイヤだと思ったこともなかったので、そもそも雨竜を出ようとも思っていなかったし」
そんな礒野さんが腰を据えてしっかり働こうと覚悟を決めたのは、29歳のとき。数年前から付き合っていた雨竜町出身の奥さまとの結婚がきっかけでした。
「守るべき家族ができて、自分がしっかりしなければとそのときに思ったんですよね」と振り返ります。
結婚してからは仕事に対する取り組み方にも変化があったそう。特に、自身に子供が生まれてからは、「それまでなかなか理解できなかった利用者さんの親御さんの気持ちが、自分が親になってみて少しずつ分かるようになりました」と話します。
「いい支援は、まず自分の足元を整えることから」と語る、礒野さん。
気が付けば37年。常に利用者さんたちが快適に過ごせることを考えてきた
開所時から勤務している礒野さんは、「働きはじめて、もう37年になるんだね」と笑います。
「自分以外にも開所時から働いている人は結構いますよ。自分と同じでみんな居心地がいいのかな(笑)。確かに職員同士の風通しはいいと思います。昔はサービス残業なんかもあったけれど、今は働き方改革もあって、いい意味でどんどん労働環境が改善されているし、働きやすい環境は整っていると思いますね」
今の暑寒の里は、職員が自分の家族を優先することを大事にしているそう。
家族との時間や、自分自身の生活を大切にすること。それは決して「仕事の手を抜く」ことではなく、利用者さんに最高の笑顔を届けるための、一番大切な準備だと思っています。「土台がしっかりしているからこそ、優しい支援ができる」それが暑寒の里のモットーです。
「家庭がしっかりしていないといい仕事ができないという考え方なんです。家族や家庭をないがしろにして仕事に打ち込んでも、結果として利用者さんたちに対していい支援ができないということですね」
その利用者さんたちの支援に関して、利用者さんと接する際に普段から気を付けていること、心がけていることを尋ねると、「丁寧な言葉遣いと敬意かな」と礒野さん。
利用者さんは職員にとって「お客さま」であり、中には自分よりも年上の「人生の先輩」もいます。決してキツイ口調で話したり、逆に馴れ馴れしくしすぎたりしないよう気を付けていると言います。名前を呼ぶときも「さん付け」を徹底しています。
利用者さんの日常生活のサポートや介助、また利用者さんが行う就労のサポート、通院や買い物時などの外出同行など様々なサポートを行います。
「やっていることは他の施設と変わらないと思うよ」と控えめな礒野さんですが、「利用者さんが楽しく、快適に過ごせたらとはいつも思っている」と話し、コロナ禍に減ってしまった行事なども今年から戻そうと話し合っているとか。
「以前は、『暑寒祭』という一大イベントがあったんです。キッチンカーを呼んで、大道芸などステージイベントも用意し、町の人たちもたくさん足を運んでくれる賑やかなお祭りで、それを今年から復活できたらと話しています。普段もできるだけ外出する機会を設けるなど、利用者さんが楽しめるように工夫はしていますが、やっぱりお祭りは違った楽しさがありますからね」
淡々と穏やかに話す礒野さん、これからの目標を尋ねると、「現状維持で頑張っていけたらと思います。これまでと変わらず利用者さんが快適に過ごせるように職員みんなで取り組んでいければ」と話してくれました。
特別なことよりも、まずは今ある心地よさを守り抜くこと。職員みんなで手を取り合い、利用者さんが明日も、明後日も笑顔で過ごせる環境を整えていきたい。そんな飾らない、でも真っ直ぐな想いを共有してくれました。
コロナで移住・転職を検討。施設長の温かな言葉がきっかけで、1年経って入職
次にお話を伺うのは、暑寒の里に入職して4年目の生活支援員・大井宏紀さんです。北海道雨竜郡妹背牛町出身の大井さんは、福祉の専門学校を卒業したあと、南富良野町の障がい者支援施設で働いていました。
「そこは専門学校時代に実習で行った施設で、自分が知的障がい者の利用者さんたちと初めて接したところでした。実習中、言葉をあまり発しない利用者さんから感謝の言葉をもらえた時に、この仕事の面白さというか、やりがいを知ることができ、そこにそのまま就職したという形ですね」
南富良野町にずっと住むつもりだったそうですが、コロナをきっかけに実家の近くへ移ることを考えるようになります。
暑寒の里に入職して4年目の生活支援員・大井宏紀さん。
「緊急事態宣言が発令された際、施設の職員は外部との接触に制限が課せられました。ちょうどそのころ身内が亡くなったのですが、まだまだコロナがひどかったこともあり、身内と会うことができなかったんです。南富良野と妹背牛だと距離も結構ありましたし...。それで、家族といろいろ話し合って、距離的にももう少し近くにいたほうがいいのではとなり、妹背牛の近くで転職先を探し始めました」
場所優先で転職先を探していた大井さんは、まったくの異業種でも仕方ないと考えていたそう。そんな中、これまでの経験を生かすことができそうな暑寒の里の求人を見つけます。
「ちょうど実家へ行くときに施設の見学に寄って、簡単な面談もしたのですが、求人にあった入職のタイミングが合わなかったんです」
事務長の村本さん(写真左)と施設長の金見さん(写真右)
小学生のお子さんがいた大井さんは、奥さまの強い希望もあり、年度途中でお子さんを転校させたくなかったため、3月末か4月から働きたいと考えていました。しかし、暑寒の里を訪れたときはすでに5月でした。
「それで、施設長にそのことを話し、単身赴任しようと思っていると伝えたら、単身赴任はダメだと言われたんです。それで、ああ、こことは縁がなかったのかなと思ったら、施設長が『うちで働きたいという気持ちを持ってくれているなら、1年でも待つから、必ず家族を連れてきてほしい』と言ってくれたんです」
職員は家庭を大切にしてほしいという施設の方針と、1年先でも歓迎すると言ってくれた言葉に、「ここで働きたい」とあらためて思った大井さんは、翌年の春、15年間務めた南富良野町の施設から雨竜町の暑寒の里へ。もちろん、家族も一緒に雨竜町へ引っ越しました。
北海道雨竜町は、暑寒別連峰の清らかな雪解け水に育まれた「うりゅう米」の聖地として知られる純農村です。町最大の自慢は、標高850mに広がる日本最大級の高層湿原「雨竜沼湿原」。ラムサール条約にも登録されたこの地は、夏には150種もの高山植物が咲き誇る"天空の楽園"です。道の駅では名物の釜揚げかまぼこやメロンも楽しめ、豊かな自然と美味しい食が調和した、心癒やされる穏やかな時間が流れる町です。
風通しが良く、正直な職場。経験値の高い先輩からは学ぶことも多い
大井さんが暑寒の里で働きたいと思った理由がもう一つあります。それは、「すごく正直な職場だと思ったから」でした。面接のとき、施設長が今の施設の改善しなければならないところも正直に打ち明けてくれたそう。
「そういうことってオブラートに包んで、いいところだけを見せたいと思うんですが、ダメな部分も隠さず伝えてくれて、それをチームで改善していきたいと話をしてくれたんです。きっと風通しの良い施設なのだろうし、そういう環境は利用者さんにとってもいいだろうなと思いました」
実際に転職してみてどうだったかを尋ねると、「ベテランの先輩たちが多く、自然とまとまりができていて、利用者さんの支援をみんなでやっているという感じがあります。風通しも良いですし、利用者さんに対する思いの強さで動いている人が多いので、日常の会話ひとつ取っても、いろいろ気付かされることがありますね。先輩職員の皆さんは、これまでの知識や経験を無理なく上手に活用していて、僕自身もすごく勉強になります」と話します。
「ベテランの先輩方が築いてきた、自然なチームワークと風通しの良さ。ここには「利用者さんのために」という強い想いが共通言語として流れています。何気ない日常の会話に散りばめられた知識や経験。その一つひとつが、僕にとって最高の教科書です」と語る、大井さん。
また、管理職を務める上司は現場経験のある人ばかりなので、「現場目線に立って指示をしたり、支援のサポートに入ってくれるので、こちらも素直に助けを求めることができます」と続けます。
「決して職場の人材が豊富というわけではないのですが、家族優先の職場なので、子どもの行事があってお休みをもらうときも、管理職の人たちが現場に入るなどしてサポートしてくれます」
さらに転職してから、「生活にゆとりができた」と話す大井さん。完全週休2日制で、特別休暇などもあり、「こんなにしっかり休みが取れるのは、この業界では珍しいほうじゃないかな。残業もないですし。最初のうちは逆に戸惑いました」と笑います。

残業がほとんどないのは、必要な仕事、不要な仕事がきちんと仕分けされ、偏りのない仕事配分を所長が割り振ってくれているからだそう。事務作業も現場にいながらスマホやタブレットで記録できる仕組みができていると話します。
大井さんが仕事をする上で心がけているのは、「最初の挨拶と帰るときの挨拶」なのだそう。利用者さんは決して友達ではなく、生活支援員として利用者さんをサポートするのが仕事。
だから、始めと終わりにきちんと挨拶をして、オンとオフのメリハリをつけるようにしているそうです。また、「現場にいるので、とにかくまず自分が率先して動くことにしています」と続けます。
記録のためにデスクに戻る必要はありません。気づいたその場で入力できるから、情報の共有もスピーディー。ベテランの経験と最新のICTが融合して、より質の高いケアを実現しています。
利用者さんにたくさんの思い出を。職場への感謝の気持ちを仕事で返していく
大井さんは、北海道の知的障がい福祉協会の活動にも空知エリアのまとめ役として携わっています。
「これまでそういう場へ参加したことがなかったのですが、施設のほうから『行っておいで』と背中を押してもらい、関わらせてもらっています。決して潤沢な人材がそろっているわけでもない中でも、『せっかくの機会だから頑張っておいで』と快く会議などに出させてもらっているので、本当にありがたいと思います。全道各地で同じ仕事に就いている人たちと話をすることが増え、得られるものもたくさんあるので、それを施設に還元できるようにと思っています」
今後、仕事で取り組んでいきたいことや目標はあるかと尋ねると、「ここで働かせてもらって、あらためて仕事の楽しさや面白さを実感しています。これからも利用者さんの思い出をたくさん作っていきたいですね。コロナがきっかけで中止になったものもいろいろあるようですが、復活できるものは復活させるなど、今いる人たちで今できることをやりながら思い出を作っていければと思います」とニッコリ。
南富良野町から移住してきた大井さん。最後に雨竜町での暮らしについて尋ねると、「気に入っています」と答えてくれました。
2人の職員が語ってくれたのは、施設の「居心地の良さ」と「支援への誇り」。飾らないけれど、まっすぐ。暑寒の里には、志をともにする仲間たちの笑顔が溢れています。
「移住者だからと言って、町の人から警戒されることもなく、むしろ皆さん親切にしてくれて、いい人ばかり。それに、雨竜町は子育ての助成が手厚くて助かっています。あと、移住者の引っ越しの助成もありましたね。それもありがたかったです」
大井さんは当初、転職すること、移住することに葛藤がなかったわけではなかったそう。
「でも、結果として妻も子どもも雨竜町を気に入ってくれているし、良かったと思っています。1年待ってくれた職場への感謝の気持ちも仕事できちんと返していけたらと思います」
穏やかな時間が流れる雨竜の町で、利用者さん一人ひとりに寄り添った支援を行う暑寒の里。2人の職員の方のお話から、自然体でありながら同じ志を持った職員がそろっている施設の雰囲気の良さがよく伝わってきました。


- 社会福祉法人雨竜園
しょうがい者支援施設 雨竜町 暑寒の里 - 住所
北海道雨竜郡雨竜町字尾白利加94番地193
- 電話
0125-77-2231
- URL















