今回訪れたのは、新千歳空港から車で35分。胆振管内に位置する厚真町。厚真川の清流と肥沃な大地が育む農業が基幹産業で、名産のハスカップはなんと作付面積日本一!地元で愛されるブランド米「さくら米」も評判です。また、広々とした田んぼが続くのどかな農村風景があるかと思えば、太平洋に面した浜厚真海岸では、波待ちをするサーファーたちで賑わっており、山と海両方の景色が一枚の地図の中に収まっているのが、厚真町のおもしろいところ。
そんな厚真町に、ちょっと変わった経歴を持つお花屋さんがいると聞いたくらしごとチーム。田園風景に癒やされながら取材場所の選花場(圃場から花を集荷して規格ごとに選別する場所)に向かいました。
なんで!?農業高校からドイツの飲食店へ
現地についた我々を迎えてくれたのは、今回の主役でつなぎがよく似合う優しそうな紳士、折坂泰宏さん。
そう、お花屋さんといっても今回はお花を「売る人」ではなく「作る人」。お花のほか稲作も手掛けながら、2026年2月までは北海道花き生産連合会の会長を務め、現在は町議会議員としても活動しています。まずは折坂さんご自身について聞いていきましょう!
こちらが、笑顔でくらしごと取材班を迎えてくださった、折坂泰宏さん
厚真町の農家の家に生まれ育った折坂さん。小学生の頃はバレーボール、中学校では陸上部で三種競技に汗を流すスポーツマン。中学卒業と同時に厚真を離れ、高校は岩見沢農業高校へ進学しました。農業高校では、和牛の世話から乳牛の管理、花の手入れまで、まさに「農の現場」がそのまま授業になったような日々。文字通り全身で学んだその経験は、後の農家人生の土台になっていきます。ちなみに高校でも陸上は続けており、本業(?)のかたわら友人が所属する弓道部にも顔を出していたのだとか。
高校卒業後は、厚真に戻っていよいよ農業の道に・・・は入らず、なんとドイツへ向かいます。なんでも、ドイツで日本食レストランを経営していた農業高校のOBが、せっかくなら母校の卒業生と仕事がしたいとスタッフを募集していたのだそう。これを見つけた19歳の折坂さん、ストレートに農業へ向かう前に飲食業の世界へ飛び込むことを決めました。
「実家からは反対されませんでした。行ってみろ、という感じで。ただドイツ語はもちろん分からないし、飲食業の経験もなかったので、行ってからはなかなか大変でした(笑)」
折坂さんの手元にひかれたテーブルクロスにはお寿司の絵柄が。
折坂さんがドイツに降り立ったのは1991年。当時は1989年のベルリンの壁崩壊後すぐという、ドイツにおける歴史的な転換期でした。就職先はドイツ西部デュッセルドルフの日本食レストラン「マルヤス」。寿司やお弁当、仕出しサービスを提供するそのお店で、朝から晩までまさに馬車馬のように働く日々がはじまりました。
はじめは英語でなんとかやり取りしていたものの、生活するうちにドイツ語の必要性を痛感。仕事の傍らドイツ語学校に通い、約1年で日常会話には困らないレベルまで習得したそうです。折坂さん曰く「必要に迫られたら覚えるもの」、説得力があります。会社がまだ軌道に乗り切っていない時期だったこともあり、朝から晩まで14〜15時間の労働が続く日も。
当時折坂さんが働いていたドイツ西部デュッセルドルフの日本食レストラン「マルヤス」。(写真:折坂さん提供)
「肉体的にも精神的にも厳しい日々でしたが、今振り返るとあそこで育ててもらったという気持ちはありますね。ドイツでの3年間で叩き込まれた仕事への向き合い方や『なんとかなる』という感覚は、今につながっている気がします」
厚真への帰郷!奥深い花農家の世界
ビザが有効な3年間を経て帰国した折坂さん。帰国後は厚真町で就農を決意。最初は水田や野菜からスタートし、やがてハウスでのトマト生産へと移っていきます。しかしドイツの日本食レストラン同様、トマトの生産も一筋縄ではいきません。
「トマトの選果施設があったんですが、自分たちで自信をもって出荷したトマトがそこでのチェックで廃棄されてしまうことが何度もあったんですね。なんだか作り手として面白くないな、と思ってしまいました」
やがて転機が訪れます。折坂さんが30歳になった頃、農協の花担当職員から「お花をやってみませんか?」という熱烈なお誘いがありました。聞けばその職員は花については全然詳しくなかったそうなのですが、「厚真の花業界を盛り上げたい!」という猛烈な熱意のこもった声かけに、やってみるかと立ち上がった折坂さん。折坂さんに声をかけた農協職員の熱量はものすごいものがあったそうで、それまで2、3件しかなかった花農家が20件にまで増えたのだとか...!
トマト栽培のために設けたハウスがそのまま花でも使えたため、施設はそのままでまずは試しにインディアンコーン(観賞用トウモロコシ)からスタートし、それからカスミソウ、次はカーネーションと徐々に花を主軸にシフトしていきました。
花農家として折坂さんが注力しているのは、カーネーションとデルフィニウム。カーネーションは一株から五本、六本と収穫できるうえ、開花期間が1ヶ月以上あるため出荷のタイミングを調整できます。一方、デルフィニウムは一本から一本の作り方が基本で、出荷ピークが10日ほどと短いのだとか。
「カーネーションは開花期間が長いので、相場が安い時期をずらして出荷できます。しかしデルフィニウムは一本100円、200円と高いけれど、ピークが短いから相場が安い時と重なると利益を出しにくいんです」
1株あたりの単価は高いが博打性のあるデルフィニウムと、単価は低いものの安定して供給できるカーネーション。お花の個性に合わせた生産と出荷の技術が光ります。
見学させてもらったハウスには、ベッドと呼ばれる盛り土にカーネーションの株がズラリ。その数なんとこのハウスだけで4000株!先ほどのお話だと1株から5本程度とれるそうなので、約20000本のカーネーションがここから巣立っていくことになります。
花の種類ごとの特性に合わせた生産だけでなく、鮮度を保ったまま出荷できるかどうかも大きなポイントです。
例えばマム(菊)は日の当たる時間が長くなると花を咲かせる「長日植物」。この習性を利用して、遮光ネットを張り人為的に「夜が長くなった」と菊に認識させることで開花タイミングをコントロールするのです。お盆の時期に出荷したい場合も、逆算することで定植のタイミングを決められます。
また、花を冷蔵庫に保管して出荷を調整する技術は、お花の生産・出荷において非常に有利なのだそう。冷蔵庫のメリットは「日持ちそのものを延ばす」ことより、「市場の相場に合わせて出荷タイミングを調整する」ことにあります。切った花を常温に置いておくとどんどん劣化が進みます。しかし低温に置くことで、花の代謝を遅くし、一時的に「眠った」状態にすることができるのだとか。なので「明日の競りは多分相場的に弱いから、次の出荷に回そう」という判断が可能になるのです。
お花農家さんは植物の内部時計を理解し、人為的に開花シグナルを与えることで花を咲かせることで、消費者の需要に応えているのです。
こうした花を保管するプレハブ冷蔵庫は、出荷調整機能を最大限に活かすための重要な施設。胆振東部地震で選果場が全壊した折坂宅では復興時に冷蔵庫をさらに増設し、この技術の活用を強化しました。
現場の想いよ道政&国政に届け!
北海道花き生産連合会は、全道各地の花農家さんが任意で加盟する団体です。その役割は、各産地の課題や魅力などの声を集約して北海道庁へ届け、また逆に行政からの情報を現場に降ろすこと。また研修を通じて生産者の意欲を高める活動など、産地と行政をつなぐ、地道で大事な取り組みを行なっています。
具体的な活動の一つとして、令和元年に北海道花きの振興に関する条例の策定が行われました。北海道庁と北海道花き生産連合会が協議し、花きの品質向上や、日常生活における花きの活用促進のための施策を始めるほか、毎年8月7日を「北海道花の日」と定め、北海道花きのPRに努めています。
「条例制定に向けて動いていたときは、副会長という立場で携わっていました。花の日条例が制定されたことで、北海道に住んでいる方にインパクトや道産花きの周知に繋がっていることは間違いなくあると考えています」
花の日の特別行事として、北海道知事への表敬訪問を8月7日前後で行っているとのこと。北海道の花きを支える組織として行政とタッグを組みながら、北海道全体の花きの課題を見据えています。
2026年2月まで、北海道花き生産連合会の会長を務めていた折坂さん。幹事2年、副会長6年を経ての会長就任でした。連合会の役員として運営していくなかで、組織の中から見えてきた課題があると話します。連合会加盟団体は現在12団体400戸。残念ながら年々加盟数は減少傾向だそうです。
「会費をかけて加盟するメリットを感じられないという声があります。個人的には加盟するだけで全国各地の専門的な情報や、全道の仲間から直接技術やノウハウを教えてもらえる機会が得られるので、十分メリットがあると思います。組織で動くからこそ届けられる情報がある。そのメリットを理解してもらう必要があると感じています」
折坂さんは会長職を退いた現在も、顧問として連合会を見守っています。さらに折坂さんを驚かせたのが、連合会の会長現職中に起きた、厚真町議会議員への出馬要請です。前任議員の引退に伴い、地元から候補者を出す必要が生じたそうで、声がかかったのはちょうど連合会会長に就任した直後。一度は断ったそうですが、3日おきに自宅に陳情にきたそうで、折坂さんもついに折れます。
「当初から政治家を目指していたわけではありませんでしたが、いざ動き出してみると思わぬ力に気づきました。地域の切実な声を拾い上げるうちに、その重要性を痛感したんです」
折坂さんは議員という立場で生産現場の課題を道議会議員や国会議員にあげることで、政治が動くという手応えを感じていました。連合会の一産地としてでは届かなかった声が、議員という立場なら北海道全体の政策提言へとつなげることができたのです。もちろん議員活動では農業だけやっているわけにはいきません。教育も福祉も分け隔てなく質問してきました。
「厚真町はまちの規模の割にはすでに多くの施策に取り組んでいて、私の提案がすでにある施策をさらにブラッシュアップする形になることもよくあることです。常に町の一歩先を見据えた議論ができるように心がけています」
厚真町議会議員選挙にて当選された当時の折坂さん
北海道の花き業界のこれから
折坂さんが最も深刻に感じているのが、花き生産者の減少です。
「厚真町でも10年前は20軒ちょっとはいたんですが、今は12軒。花以外を含めた農家全体でも10年で100軒以上減っています。後継者になる人がいきなり増えることは考えにくいので、大きな課題を感じています」
北海道花き生産連合会もかつては全道から多数の産地が加盟していましたが、今は12まで縮小。役員を出せる産地が減り、会費の負担が増え、それを嫌って脱退する産地が出るという悪循環が続いています。また花き市場を取り巻く環境も変化しています。
「近年では市場を通さずに生産者と花屋さんが直接取引したり、仲卸さんが直接生産者から買い付けてお花屋さんに卸すなど、これまでとは違ったやり方も増えてきています」
その背景にはお花屋さんの世代による適正価格の認識の違いがありそうです。折坂さんの話では、若い世代の経営者は適正価格への理解がありますが、古くからの商慣習として安値交渉を好む世代もいるのだそう。また近年は葬儀の簡略化が進み、大きな祭壇を花いっぱいにして故人を送るという盛大なお葬式よりも、近親者だけでおごそかに見送る家族葬、さらには直葬も増えている現状があります。葬儀を収入の主軸にしていたお花屋さんの中には、廃業を余儀なくされているケースも出ているそうです。生活の中でお花に触れる機会が減ってきている今、花の価値や生産者の想いを広めるための活動や、消費者に北海道花きに触れてもらうための取り組みに注力しています。
花き生産業界の厳しい状況の中で、折坂さんの目標は「現状維持」。そのくらい厳しい状況だと言います。周りの農家さんから畑を譲りたいという話もきているそうで、高齢化と後継者不在による農家数の減少には歯止めがかかりません。それでも折坂さんには希望があります。現在25歳のご子息が家業を継いでくれたことです。実はご子息も農業高校を卒業後、折坂さん同様にドイツへ渡りマルヤスで3年間の人生修行へ。そして、帰国後に花農家として働きはじめて約3年。一緒に働く中で折坂さんが意識したのは、「やれ」と言わないことでした。
「子ども達が小さいころから普段の家族の会話をしながら仕事をしていました。常に家族の時間みたいな、そういう雰囲気の中で仕事をしてきたので、自然と家の仕事を継いでいくもんなんだっていう認識になったのかなと思います。親が楽しそうに仕事をしている姿を日常的に子どもに見せられるのは、農家やフリーランスならではの特権ですね」
農家の仕事は大変ですが、折坂さんはつらそうに仕事をすることはほとんどないと言います。親の背中を見て育った子が、自分の意志で跡を継ぐことを選ぶ。周辺地域では後継者がいる農家があまり多くない中、明確な後継者がいる農家は極めて稀な存在です。折坂さんの仕事人としての背中の見せ方に、事業を未来へつないでいくヒントがあるのかもしれません。
南北に長い島国・日本。北海道と本州では農作物の収穫期にもずれがあり、これはお花業界も同じ。折坂さんが育てるカーネーションは香川県の苗専門業者さんから仕入れているそうですが、この花が収穫できるのは本州の収穫期から数カ月ずれた夏。このずれがあるおかげで、長い期間お花屋さんにカーネーションを供給できるのです。つまり、本州でのお花の収穫量が減る夏の季節に日本のお花の流通を守っているのが、北海道の花き農家さんなのです。
「日本の花き流通において、夏は北海道が責任産地」と話す折坂さん。その言葉の奥に、仕事との真摯な向き合い方がうかがえます。
ハレの日の花束や弔いの献花、母の日に感謝をこめてカーネーションを送る文化。お花づくりは、私たちの暮らしに彩りと瑞々しさを与えるお仕事です。まちでお花屋さんを見かけたら、その花を作っている折坂さん達のようなお花農家さんがいることを思い出してください。
- 北海道花き生産連合会 折坂泰宏さん
- 住所
折坂農園:北海道勇払郡厚真町軽舞 568-1
- URL















