日本の風景写真の第一人者である前田真三さん。写真集や企業広告などを通じて「丘のまち美瑛」を全国に紹介した写真家です。真三さんが1987年、旧千代田小学校跡に開設したのが、フォトギャラリー「拓真館」。1998年に亡くなったあともギャラリーとして無料開放されています。今回は、2025年10月から改修工事に入る拓真館におじゃまし、現在館長を務める孫の前田景さんにインタビュー。アートディレクターであり、フォトグラファーでもある景さんが、東京から家族と移り住むまでのこと、美瑛に来てからのこと、これからの拓真館のことなどを語ってもらいました。
多くの人が訪れる観光スポット。木々に囲まれたギャラリー「拓真館」
取材に伺ったのは、夏の暑さがおさまりつつある9月半ば。紅葉にはまだ早いものの、空は秋の色に変わり始めています。美瑛らしい丘の風景を眺めながら車を走らせ、木々に囲まれた「拓真館」に到着。観光バスやレンタカーで訪れた観光客が次から次へと拓真館の中へ入っていくのが見えます。敷地内にある「白樺回廊」では、白樺林の中にまっすぐ伸びた小径に立って記念撮影をしている人の姿も。明け方まで降っていた雨をたっぷり吸い込んだ苔が、木漏れ日にきらめいています。



「どこでお話をしましょうか」と迎えてくれた前田景さん。「せっかくなので外にしましょうか」ということで、白樺回廊のすぐそばに立つ「SSAW」のテラス席でインタビューさせていただくことに。SSAWとは、前田さんの妻で料理家のたかはしよしこさんが腕を振るう小さなレストラン。地元や北海道産の食材を用いたランチコースが味わえる完全予約制の人気店です(予約不要のカフェ営業日もあり)。
「あ、話をする前にちょっとだけすみません!」と、白樺回廊にやってきた甥っ子にカメラを向ける前田さん。昨日までここで開催していたイベントに参加していたそう。フォトグラファーとしての顔を早速見せてもらいました。

さて、生まれも育ちも東京・世田谷という前田さん。美瑛に住まいを移すまでについて次の章から伺っていこうと思います。
写真の道には進まず、美大に進学してデザインの世界へ
「祖父も父も写真家でしたが、写真の道に進もうとは思っていませんでした」と話す前田さん。大学進学を考える際、母親から「絵を描くのが好きなのだから、美大でも目指したら?」と言われ、そこから美大進学を意識するようになります。
美大への進学で一浪や二浪は当たり前といわれる中、前田さんは現役で多摩美術大学に合格。グラフィックデザインを学びはじめます。

「でもね、入ってからが大変でした。周りは浪人して、絵の基礎をしっかりやってきている人が多くて、みんなとにかく上手なんですよ。それに比べたら自分は絵に関して劣等生。正直辛かったですね」
とはいえ、授業内容も絵を描くことばかりではなく、抽象的な創作など多岐に渡るようになり、前田さんが得意とするジャンルの授業も増えていきました。中でもイラストの授業が楽しく、イラストレーションを専攻します。
「卒業後のことを考え、イラストレーターになるにはどうしたらいいか先生に聞くと、だいたいがフリーランスで活動していると言われたんです。制作会社などのアートディレクターから仕事を発注してもらうというのが一般的なルートだから、一度現役のアートディレクターに作品を見てもらったら?と紹介してもらったんです」
当時、デザインやイラストだけでなく、写真も授業で習っており、それらの作品をファイルにまとめて見てもらったところ、「いろいろやれるなら、いろいろできるアートディレクターのほうが向いているんじゃない?」と言われます。

拓真館の館内。

美瑛の様々な表情が見えます。
「その少し前までアートディレクターなんていう仕事があることも正直知らなかったんですけど、ちょうど佐藤可士和さんなどのアートディレクターが世間一般で注目されるようになっていた頃だったこともあり、いろいろなことができるならアートディレクターがいいなと思って方向転換することにしました」
広告制作会社に就職した前田さんは、アートディレクターとしての仕事をスタートさせます。
アートディレクターとして活躍。ひょんなことから写真撮影のオファーも
「大学では課題のテーマはあっても、基本的に自分の好きなものを作ることができました。でも、広告会社に入るとそうはいかず、もちろんクライアントがいて、その要望を聞かなければならなくなるわけで...。人に言われて作品を直すなんて、最初は衝撃でしたよ(笑)」
担当したクライアントの業種はさまざま。ファッションから自動車、化粧品と多岐に渡り、「広告のこともほとんど知らないで入ったので、あらゆることが新鮮でした」と振り返ります。中でも「ブランドを作っていくこと」に強い興味を持つようになったと言います。
写真に関しては、それまで特に祖父の真三さんや父の晃さんから教えてもらったことはなく、大学の授業で学んだ経験をベースに、仕事でロケに立ち合ううちに自然と撮り方を覚えていったそう。

「当時はまだフィルムを使っていて、少しずつデジタルカメラに移行しつつあるころでした。デザインのラフ用に自分で撮影することもあり、撮影しているうちに、友人や知り合いから『予算がないからちょっと撮って』と言われることが増えていくようになりました」
また、同じころに会社で福岡の太宰府天満宮の仕事に携わっていた際、カメラマンと一緒に撮影していた前田さんを見ていた太宰府天満宮の人からホームページに使う写真を撮ってほしいと依頼されます。
「年中行事があるたびに撮影に行き、1年に何度も足を運びました。そのとき、太宰府天満宮の中にある宝物殿の学芸員さんから声がかかり、当時一緒に撮影していたカメラマンと2人で写真展をさせてもらうことになったんです。2人展でしたが、これが初めての写真展かな」
少しずつ写真の依頼が増えつつある中、父の晃さんがどのように撮影しているかを知りたくなった前田さんは真冬の美瑛の撮影に同行します。子どものころは毎年夏休みに家族で訪れていた美瑛でしたが、高校生になってからは訪れることもなく、約10年ぶりの美瑛だったそう。

「そのときに自分が撮った雪の写真を8枚セットのポストカードにして、封筒のデザインも自分で手掛けて、会社の人や友人知人に配ったんです。そうしたら、思いのほか反響がよくて、うちの店で販売したいと申し出てくれる人もいて...」
そんな中、吉祥寺にあるギャラリーのオーナーから「あのポストカードの感じが好きだから、個展をやってほしい」とオファーが舞い込みます。
「ちょうど、会社を辞めて独立してすぐの頃だったかな。その個展用に再び冬の美瑛を訪れ、撮影をしました。この個展を機に、アートディレクターと一緒にフォトグラファーという肩書きを付けるようになりました」
思い出の場所の老朽化。より良い形で継続させたいと移住を決意
こうして美瑛にもたびたび足を運ぶようになった前田さん。2010年、料理家のたかはしよしこさんとの結婚式を拓真館と白樺回廊を使って行うことにします。

「森の中で結婚式を挙げたいというよしこの希望があったんです。あと、彼女のお母さんが祖父のファンだったという偶然も重なって、それなら美瑛で式を挙げようとなりました」
すべての準備は自分たちで行ったそう。100人分の料理は花嫁のよしこさんが自ら準備にあたり、会場の設営などは前田さんが担当。自身が撮影した写真も拓真館に飾りました。「とんでもなく大変でしたね」と振り返りながら笑いますが、この頃から老朽化が進んでいる拓真館のことが気になり始めます。
「そのころ、ちょうど父の会社(真三さんが立ち上げた東京の株式会社丹渓)にアートディレクターとして入社。いずれ拓真館の運営をなんとかしなければならないよねと思うものの、普段東京で仕事をしているので、なかなか取り掛かれない状態でした」
祖父が大切にしていた場所であり、自身も幼いころに何度も訪れた思い出の場所。今でもたくさんの人たちが足を運ぶ観光スポットでもあるここを、より良い形で継続させていきたいという思いが強くなっていきます。

「もし着手するなら、美瑛に住まいを移して取り組まなければと思いました。家族で移住するとなると、タイミングが大事だと考え、娘が小学校へ入るときにこちらへ引っ越しました」
東京で店も運営していたよしこさんは、当初、知り合いもいない美瑛へ移住することに若干の抵抗はあったとか。
「でも、自然のある田舎で暮らしてみたいという思いを妻も持っていたし、東京でやれることは結構やったような感覚が僕たちの中にあったので、新しい場所で新しいことにチャレンジしてみようという感じで移住することにしました」
コロナ禍を乗り越え、レストランをオープン。祖父の生誕100年展も開催
敷地内にある家のリフォームも終わり、2020年の春の入学式に合わせて移住をするプランを進めていましたが、世の中がコロナに見舞われます。
当時は町外、しかも東京から人がやってくることに敏感な時期だったため、「静かにコソコソと引っ越してきた感じでした」と振り返ります。

「移住1年目は、コロナ禍で表立って何もできず、僕はリモートでデザインの仕事をしていました。空いている時間には、美瑛のことを知りたいと地元の農家さんを訪ねるなどしていましたね」
東京にいたときから「SSAW」という店を開いていた前田さん夫妻。SSAWとは、SPRING、SUMMER、AUTUMN、WINTERの頭文字を取ったもので、春夏秋冬を料理と写真で表現したいという思いが込められています。移住したら、美瑛の春夏秋冬を料理と写真で表現したいというイメージを2人で描いており、1年目は結果としてそのための準備期間になったと前田さん。
「こうしたい、ああしたいというフワッとしたイメージはあったのですが、いざ実際に拓真館の建物を改修したりするとなると、建物が町の小学校だったことやこの場所が都市公園であることもあり、そう簡単にいろいろなことができる状況ではありませんでした。コロナも続いていて、観光客も来ないし、拓真館を続けるかどうかという話まで浮上しました」
そのような中、もともと教員住宅だったという建物を使ってもいいということで、白樺回廊のそばにある小さな建物をカウンター8席のレストランに改装。移住2年目の夏にSSAW BIEIとしてオープンします。

「まだコロナが続いていましたし、正直、お客さんが来るかも分かりませんでした。ところがいざオープンしてみると、お客さんがたくさんいらして、僕も皿洗いとか手伝っていたのですが、すごく忙しくなってしまって...」
拓真館のことは着手できずにいましたが、翌年の2022年が真三さんの生誕100年ということもあり、何かできないだろうかと思案していると、写真の町で知られる東川町の学芸員から「東川のギャラリーで生誕100年展をやりませんか」と声がかかります。
「コロナもおさまりつつあったので、東川だけでなく美瑛でもやりたいと思い、町や当時の館長に提案し、実施に漕ぎつけました。この生誕100年展が、僕が拓真館のイベントに関わった最初になります」
これを機に、前田さんが新たに拓真館の館長に就任することになり、展示の仕方を変え、説明のパネルも多言語にし、ポストカード以外のグッズ制作にも着手します。
「また来たいと思ってもらうこと、来るたびに新しさを感じてもらうことが必要だと感じていました。それで、妻とも音楽ライブなどをやってみたいねと話していて、SSAW主催で拓真館を使ってライブを開催しました」

その後も拓真館で音楽ライブやマルシェを開催。ライブホールとはまた違ったアットホームなライブができるのも、拓真館でライブを行う魅力だとし、「地元の子どもたちにも生の楽器の音に触れてもらえるいい機会になればと考えています」と話します。
また、敷地内の自宅を会場として開放し、知人の器作家や洋服作家の展示会を行うなど、実験的なイベントも実施。これらには地元や近隣からたくさんの人が足を運んでくれたそう。
地域の人たちと共にこの景色と場所を守りながら、新しいことにも挑戦したい
この場所を使ってSSAW主催でいろいろなイベントやライブを行ってきた前田さん夫妻。こうした活動が町をはじめ、周囲にも認知されるようになり、拓真館改修に向け、町と信金と共に総務省の補助金プロジェクトに申請します。
「今後、拓真館主催でもイベントを行うなど、ここを写真、食のほか、音楽や工芸、アートなどに触れられる美瑛の文化施設として発展させていけたらと考えています」
10月から改修がスタート。訪れた人にゆっくりしていってもらいたいという思いから、プロジェクトの一環として、ドリンクスタンドも作る予定だそう。(2026年1月にオープンしました!)
拓真館の入館料はこれまでと変わらず無料で行う予定。それには訳があります。

「風景写真家として名をあげることができたのは、美瑛のおかげだという祖父の思いが、入館無料につながっていると思うんです。その思いは僕も大事にしたいし、そして、僕としては風景写真の魅力をこの場所を通じて、たくさんの人に知ってもらえたらと考えています」
前田さんは、「拓真館は神社のような場所」と表現。豊かな自然に囲まれた中にある拓真館は、誰に対しても開かれている場所だと言い、「祖父のファンという方で毎年訪ねてくれる方もいれば、中には30年ぶりに訪れたという方もいらっしゃいます。いつ来ても、ここに『在る』ということが大事だと思うんです」と話します。維持管理は大変ではありますが、「続けていくことに価値があるし、この丘の風景も含めてどう残していくかが自分たちに与えられた課題だと思っています」と続けます。

さらに、「この辺り一帯の景色を残していくには、近隣の農家さんや町の人も一緒に協力し合いながら取り組んでいく必要があると考えています。共に取り組むことで、美瑛の町全体にプラスになったらと思います」と話します。
「ここでやりたいことはいっぱいあります。この辺りを開拓した人たちがいて、小学校ができて、そして祖父がギャラリーに...。これまでの歴史も含めて、ここを大事にしたいし、地域の人たちにも気軽に訪れてもらえる場所にしていきたいと思います。すばらしいロケーションがそろっているので、初心者向けの写真のワークショップなどもできたらいいですね」
次から次へとやってみたいことが湧き出てくるという前田さん。新しいフェーズに入った拓真館のこれからが楽しみです。




- 拓真館 前田景 さん
- 住所
北海道上川郡美瑛町字拓進
- 電話
0166-92-3355
- URL
※白樺回廊およびレストランSSAW BIEIは通常通り利用可能















