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独マイスターが選んだ新天地。美瑛町の自然と歩むパティシエの道20260420

独マイスターが選んだ新天地。美瑛町の自然と歩むパティシエの道

美しい丘陵地帯に建つサイロのような円柱が印象的な「フェルム ラ・テール美瑛」。建物の手前には美瑛らしい畑の景色が広がり、その向こうには山々が連なっています。フェルム ラ・テール美瑛では、美瑛産の小麦など地元の食材を積極的に用いた洋菓子、パン、食事を提供しています。

今回は、2022年からフェルム ラ・テール美瑛でシェフパティシエを務めているバクサ裕子さんにインタビュー。美瑛に移住するまでの歩みや家族のこと、今の暮らしやこれからやってみたいことなどをたっぷり伺いました。

大阪の有名ホテルでパティシエとして経験を積んだあと、ドイツへ

「おはようございます!」と現れたバクサ裕子さんは、小柄ですがキビキビとした動きやハキハキと話す様子から、パワフルな感じが伝わってきます。現在は、シェフパティシエとして、商品開発や製造管理を行うほか、店舗全体の統括も行っています。

「出身は青森の五所川原市です。雪が多いところで生まれ育ったので、美瑛の雪も平気」と笑います。

高校まで青森で過ごしたバクサさんは、卒業後に大阪あべの辻製菓専門学校に進学し、製菓を学びます。

「甘いものはすごく好きだったけれど、自分でお菓子を作るのはせいぜいプリンくらい。お菓子を作るのが好きというより、作ったものを食べられるなら、そんな幸せなことはないと思って製菓に進むことに(笑)。あとは、体を動かすのが好きで、ジッと座って事務仕事をするのは無理だと思っていたので、それなら製菓の世界に進もうと思いました」

laterre_02.jpgフェルム ラ・テール美瑛でシェフパティシエを務めているバクサ裕子さん。

卒業した後はそのまま大阪に残り、ヒルトン大阪に就職します。

「仕事も楽しかったし、職場もとてもいい環境でした。同期や同僚たちはみんな仲が良くて、バブルで時代が良かったというのもあるかもしれないけれど、会社側も試作などいろいろチャレンジさせてくれたんです。季節のイベントに合わせてパスティヤージュ(砂糖とゼラチンを使ったシュガーアートやシュガークラフト)の装飾や細工ものを作るんですけど、みんなで残ってワイワイ作るのも楽しかったです。パスティヤージュのコンクールにみんなで出品したこともありましたね。当時の仲間とは今も仲がいいんですよ」

休みや賞与なども十分もらえていたと話し、「外資だったからか、当時の日本では珍しく労働環境はきちんとしていましたね。有休もきちんと取ってくださいって言われるから、旅行にも行きました。海外、国内の系列ホテルは従業員価格で泊まれたので、イタリアとドイツに行ったときに利用しましたね」と振り返ります。

仲間にも恵まれ、楽しく働いていましたが、ちょうど就職から10年経ったころ、「そろそろ違うところに行ってみるのもいいかな」と転職を考えるようになります。

laterre_03.jpg美瑛産小麦など、地元の食材を活かしたパンや洋菓子がずらりと並ぶ店内。ぬくもりを感じる石造りのオブジェがあたたかい空間を演出しています。

「20代だったんですけど、面接に行くと、結婚の予定は?とか、腰かけ?とか、どれくらい勤めるつもり?ということをガンガン聞かれるんですよ。それで、腰かけのつもりはありませんって話すんだけど、当時の世の中は女性をこういう風に見ているのだというのがよく分かって、だったら海外に行ってしまおうと思ったんです」

洋菓子と言えばフランスというイメージがありますが、当時のヒルトン大阪のシェフがドイツ人だったこともあり、ドイツに行くことにします。

「フランスへ渡る人が多かったので、私はドイツに。専門学校を決めるときも、青森からだと東京へ行く人が多かったのですが、あえて大阪を選びました。当時、人気番組だった『料理天国』を監修されていた辻静雄校長に憧れ、辻調グループの門を叩いたんです。番組では辻調が料理を、辻製菓の教授陣がお菓子を担当されていて、その華やかな世界観に心惹かれました。昔からちょっと、あまのじゃくな性格なんです」と、懐かしそうに笑います。

ドイツ人シェフに「ドイツへ行きたい」と伝えると、働き先やビザのことも力を貸してくれ、「奇跡的に最初から労働ビザで行けることになったんですよ。ありがたかったですね」と話します。

laterre_04.jpg店内からはガラス越しに工房の様子を見ることができます。清潔感あふれる空間で、スタッフの皆さんがひとつひとつ真心を込めてお菓子を手作りしています。

ドイツのホテルでキャリアを重ね、ドイツ製菓マイスターを取得

ドイツに渡ったバクサさん、その頃分かるドイツ語は挨拶と数を数えるくらいだったそう。

「ドイツ語を教えてもらえる市民講座にも通ったんですけれど、結局仕事が忙しくてなかなか通えず...。でも、仕事をしているうちに少しずつ日常会話は分かるようになってきましたね」

ところが、当時のヒルトンベルリンの洋菓子部門の仕事内容は、バクサさんが想像していたものとは大きく違い、チョコムースの粉をボウルにあけて水を入れて混ぜるだけなど、とても些末なものでした。

laterre_05.jpgバクサさんは、ドイツの国家資格『製菓マイスター』を持つ確かな腕で、商品開発や製造管理を統括しています。

「2年で日本に帰るつもりだったんですが、これを2年やって帰国したとき、一体何を学んできたって言える?と思ったんです。それで、このままだとダメだと思い、ベルリンの別のホテルのレストランに移ることにしました」

その後、そこで知り合った洋菓子のシェフに誘われ、マールブルクという街に新しくできたホテルへ移ります。

職場で日本人だからと差別を受けることはなかったのか尋ねると、「やっぱりアジア人だからと最初のうちは差別されたこともありますよ。でも、言葉があまり分からなかったので、何か悪口を言われても分からない(笑)。たぶん、何か悪く言っているんだろうなぁくらいだから、むしろ良かったのかも」と笑います。

「プライベートではドイツ在住の日本人の友達がたくさんいて、いつも一緒に遊んでいたので寂しいと思ったことはなかったですね。美術の勉強で来ている子や政治の勉強で来ている子、ドイツ人と結婚して暮らしている子など、いろいろな日本人と仲良くしていました。だから、ドイツ語が上達しないタイプ(笑)。あとは、ドイツ人で日本語を勉強している学生らとタンデムパートナーになって、私が日本語を教える代わりに向こうからドイツ語を教えてもらうようなこともしていました」

マールブルクのホテルで5年程働いたバクサさんは、製菓マイスターを取得することにします。マイスターとはドイツの国家資格。職人の最高峰を認定するものであり、専門技術のスペシャリストの証です。

「ドイツに来て5年以上になるし、ちょっと挑戦してみようかなと思って、仕事を一度辞めて、ケルンのマイスターの学校へ行きました」

ケルンで学んだバクサさんは、見事ドイツ製菓マイスターを取得します。

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ドイツ人のシェフである夫と結婚。数年後、ドイツを離れて日本へ帰国

その後、ちょうどベルリンにリッツカールトンがオープンすると聞き、応募。採用が決まり、2004年に再びベルリンへ移ります。ここでバクサさんは、夫となるドイツ人のデニスさんと知り合います。8つ年下のデニスさんはシェフとして勤務していました。

2006年に結婚した後、デニスさんがインゴルシュタットという街にあるアウディの本社のコンファレンスセンターでシェフとして働くことになり、バクサさんも共に移り住みます。バクサさんは派遣社員でシェフやサービスの仕事を行っていました。

「ドイツはとても暮らしやすい国でした。女性が30歳過ぎて独身でも何も言う人はいないなど、気持ち的には随分楽でした。でも、ドイツ人と一緒に働くことにちょっと疲れはじめていたこともあり、気分を変えて違う国で働こうかと、2人で仕事を探すことにしました。最初はスイスもいいかもと話していたんです」

結局、バクサさんの故郷である日本で就職。デニスさんは六本木のハイアットで採用が決まり、バクサさんは百貨店でアルバイトとして勤務します。少しして、バクサさんがそろそろ正社員として働こうかなと考えていたときに、妊娠していることが分かります。

laterre_10.jpgご主人のデニスさんもレストランのシェフとしてともに美瑛の地へ。ドイツ料理人マイスターを取得し、国内外の1つ星から3つ星レストランでの経験があります。

「じゃあ、今は仕事を探さず、出産後にまた仕事を探そうと思い、息子が生まれたあと、ネットで仕事探しをしていたら、たまたまラ・テールにたどり着いたんです」

バクサさんはパティシエとして世田谷にある洋菓子店「ラ・テール」で働き始めますが、そんな矢先、デニスさんがマニラのハイアットへ転勤することが決まります。

「とりあえず夫が先にマニラへ行き、私と息子は少ししてからマニラに移ったのですが、その年は10年に一度の大台風に見舞われ、住んでいるところのエレベーターのモーターが水没したり、港に置いてあった引っ越し荷物のコンテナが水に浸かって電化製品がダメになったり、まともに暮らせる状況ではなかったんです。それで、また日本へ戻ることにして、ラ・テールに連絡してみたら、戻っておいでと言ってもらえて...」

当時のラ・テールの会長は、デニスさんの就職先も紹介してくれ、青山にあるロイヤルガーデンカフェに勤務。バクサさんはラ・テールで再び働き始めます。

laterre_13.jpgレストランでシェフを務める、デニスさんが腕を振るった美しい一皿。美瑛や北海道の旬の食材がふんだんに使われています。

自然豊かなところで暮らしたいという夢を叶えるため美瑛へ

「自然に生きる」のコンセプトに沿って、生産地で製造を行い、販売などもできる場所を探していたラ・テールは、美瑛産の小麦を使用していたのが縁で、2017年に「フェルム ラ・テール美瑛」をオープンします。

「私の中で美瑛というのは、子どものころに食べたポテトチップスの袋の裏に書いてあった地名というイメージがずっとあって、ラ・テールに入ってから、美瑛ではジャガイモだけじゃなくて小麦も作っているんだ!スゴイ!と思っていました(笑)」

いつか家族で自然の豊かなところに住みたいと考えていたバクサさんは、フェルム ラ・テール美瑛がオープンする際、美瑛で働きたいと手を挙げます。

しかし、「まだ東京の仕事をしてほしい」という会社の判断で、オープニングスタッフとして関わることはできませんでした。しかし、2022年に美瑛の責任者のポジションが空いた際、バクサさんは再び手を挙げます。

「もしどこかに移住するなら、息子が中3になる前にと思っていたので、ちょうど中2のこのときしかないと思って、会社には『今行くか、もうずっと行かないかのどちらかしかない』と話したら、OKをもらうことができました」

デニスさんは「北海道、いいね!」と大賛成。移住を機に、デニスさんもフェルム ラ・テール美瑛のレストランでシェフとして腕を振るうことに。今はキッチンで地元の食材を使った料理を作っています。

一方で息子さんは、移住当時は思春期真っ只中。人見知りだったこともあり、抵抗があったそうですが、移住から4年経ち、高校生になった今は毎日楽しく過ごしているそう。

laterre_06.jpgフェルム ラ・テール美瑛で働くメンバーの多くは、道外から志を持って集まった移住者です。北海道らしいダイナミックな自然環境に身を置き、オンとオフの両方を充実させる「職住接近」のライフスタイルを実現しています。

マイホームは旭岳が見える眺めの良い場所。地域の人たちとの関係も良好

美瑛での暮らしについて尋ねると、「自然が豊かで、景色も良くて、とても気に入っています」とバクサさん。定住すると決め、昨年美瑛町内に家も建てました。

「家を建てるなら、丘から山が見えるロケーションの良いところがいいと思っていたので、探して、探してやっと見つけました。旭岳がちょうど見えるんですよ。薪ストーブも取り付けました」

地域の人たちとの関係もとてもいいと話すバクサさん。

「同じ集落の人たちとの関わりやご近所付き合いも私は好きで、程よい田舎加減が気に入っています」と話します。

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また、取引先の農家さんらとも親しくしているそうで、シイタケ栽培の農家さんのところのキノコ祭りに家族やスタッフと一緒に参加したり、逆に農家さんがフェルム ラ・テール美瑛に従業員と食事に来てくれたりするそう。

「美瑛の人たちは、移住者に対して排他的な感じはない町だと思います。そもそも移住者が多いというのもあるからかもしれませんが、皆さん、親切ですしね。あと、ファーマーズマーケットなど、みんなが参加できるイベントも結構多くて楽しいなと思います」

ドライブが好きというバクサさんは、休みの日になるといろいろなところへ車を走らせるそう。お気に入りは、1年のうち1カ月ほどしか通ることができないという東川町の「チョボチナイゲート」(道道1116号)。「幻の道道」とも呼ばれ、ダイナミックな景色が見渡せるそう。

「天気のいい日は本当に気持ちがいいんですよ」とバクサさん。また、道の駅巡りも楽しんでいるそうで、「ピンバッチを集めているので、ぜひ制覇したい」と話します。

来年は10周年。いつかこの場所でクリスマスマーケットを開催したい

フェルム ラ・テール美瑛の責任者として、スタッフの管理や育成なども行っているバクサさん。現在働いているスタッフの大半は、道外や町外出身者が多いそう。

「私は、最初に就職したホテル(ヒルトン大阪)での仕事がとても楽しかったし、自分がパティシエとして仕事を続けてこられたのも、あのときの楽しい経験があるから。だから、ここに就職した若い子たちにもこの店がそういう存在になれたらと思っています。のびのび仕事できたほうがいいと思うので、私が何でも細かく決めたり、口を出しすぎたりしないように気を付けています」

260324_131.jpg「ここで働く若いスタッフたちにとっても、この場所が、自分らしくいられる居場所であってほしい。のびのびと、自分の感性を大切に仕事をしてほしいから」とバクサさん。あえて細かく決めすぎず、一歩引いて見守ることを心がけています。

来年(2027年)でオープン10周年を迎えるフェルム ラ・テール美瑛。バクサさんは、町の人にもたくさん参加してもらえるような周年記念のイベントを華々しくやりたいと構想中なのだそう。

「あと、個人的には、丘の上のクリスマスマーケットをどうしてもやりたいんですよね。ドイツではどんな小さな町でも各地でクリスマスシーズンになるとマーケットが登場して、とても賑やか。札幌でも大通公園でやっていますよね?そういうクリスマスマーケットをぜひともここでできたらと思っています。町のいろいろなお店にも参加してもらって、それをここの名物にしたいとも考えています」

最後に楽しそうにクリスマスマーケットの話を語ってくれたバクサさん。商品開発など忙しいとは思いますが、雪景色も相まって素敵なイベントになりそう。ぜひ実現させてほしいものです。

laterre_18.jpg美瑛の広大な自然と共に歩んできた10年間。その集大成となる美味しさと癒やしの空間をご用意しています。美瑛巡りのルートには、ぜひ「丘の上のテラス」を加えてみてください。皆さまにお会いできるのを、スタッフ一同楽しみにしています。

フェルム ラ・テール美瑛
住所

北海道上川郡美瑛町字大村村山

電話

0166-74-4417

URL

https://www.laterre.com/fermebiei/

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独マイスターが選んだ新天地。美瑛町の自然と歩むパティシエの道

この記事は2026年3月24日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。