「環境を変えなきゃ無理」。札幌の親元を離れて幌加内へ
北海道の冬といえば、一面の雪景色が頭に浮かびます。雪深い地域は道内に多くありますが、冬だけではなく「二度雪が降る」と言われる町があるのをご存じでしょうか?
旭川市の北西50kmに位置する幌加内町です。夏でも、雪に彩られたような絶景が広がります。まるで、広大な大地に敷き詰められた白い絨毯。その正体は、この町が作付面積と生産量で日本一を誇るそばの花です。
こちらがその白い絨毯、幌加内町自慢のそば畑。
8月上旬、畑がちょうど白く染まった幌加内町にお邪魔しました。お話をうかがったのは、幌加内町に通って農産物の加工品開発を手がけるトヅキ合同会社の石川朋佳さんと、そば農家であり、そば製粉会社を経営するそば職人でもある坂本勝之さん。取材当時、それぞれ26歳と83歳。孫と祖父ほど世代の違う2人ですが、お互いの存在が自らの原動力になっているそうです。今回は、地域の思いや財産を次世代に引き継ごうと活動する2人の物語です。
属性が全く異なるような2人は、どう出会ったのでしょうか。最初のターニングポイントは、中学3年生だった石川さんの原体験にありました。
修学旅行で訪ねた岩手県で、ある農家さんと出会った石川さん。里山で自給自足的な暮らしが営まれ、生活と自然、仕事が近くにありました。「こういう暮らしがしたい!」と石川さんは衝撃を受け、農業という仕事や食への関心が芽生えたそうです。進路は、札幌近郊の高校の普通科フードクリエイトコースを選びました。
しかし、高校に行くと熱が出るなど体調が必ず悪くなってしまい、やがて通えなくなってしまいました。原因ははっきりしなかったものの「親元を離れて、環境を変えなきゃ無理かも...」と考えるように。農業への思いは変わらず、じっくり現場で学べる環境を探していたところ、寮生活を送る幌加内高校の存在を知ることになりました。高校選びを通して幌加内という町と出合い、その後の人生が大きく変わってくことになります。
師弟が語る、幌加内とそばへの熱い思いを伺っていきます。
そば打ちに明け暮れて日本一に。外から若者を受け入れる町
札幌で生まれ育った石川さん。人口は約1,200人、買い物も便利とは言えない幌加内町で暮らすことに不安はなかったのでしょうか。
「生徒数の多い農業高校だと、また体調不良になるかもしれないし、1年浪人しているような形でも受け入れてくれそうな学校を探していました。私はコンビニがなくても気にならないし、布団があって寝られるだけで幸せだなと当時は思っていたんです」と、柔和な笑顔とはギャップのある答えでした。
この学校で出合ったのが、特産の「幌加内そば」。幌加内高校は全国で唯一、必修科目としてそば打ちがあるのです。今ではこの独自のコンテンツに惹かれて、道外からも門をたたく人も増えているとか。もともとそば好きというわけではなかった石川さんですが、みるみるのめり込んでいきます。
「スポーツみたいな感覚でしたね。ひたすら打ち込んで、うまくなるのを楽しむという感じです。坂本さんのような地域の方と一緒に学べて、その学びが体の一部になっていくのも楽しかったです」と振り返ります。
こちらが合同会社トヅキの石川朋佳さん。
そんな石川さんの姿は、外部講師の坂本さんの目にはどう映っていたのでしょうか。
「講師の話をしっかり、謙虚に素直に聞いてくれる。集中力があって聞く耳を持っていたので、ぐんぐん上達していきましたよ」と目を細めます。坂本さんは、そば道段位の最高位である七段位を持つ大ベテラン。そんな大御所が言うのだから、間違いありません。石川さんはそば打ちの全国大会で個人でも団体戦でも優勝するほどの実力を身につけました。
幌加内高校では、加工から販売までつなげた「六次化」を実践的に学ぶカリキュラムもあり、石川さんは高校の3年間で、現在の仕事につながる基盤を築けたといいます。ただ、学びの場は学校内だけではありませんでした。坂本さんのように地域の方々と一緒に活動した経験は、何よりの財産になったようです。
こちらが株式会社そばの坂本の坂本勝之さん。
「幌加内町の農業に携わる方々とは、今でも交流を続けており、そんな地域らしさが好きです」
自然と地域に溶け込み、愛され、農業に親しみながら成長していった高校生時代の石川さんが浮かびます。20年ほど、そば打ちの外部講師として幌加内高校に関わっている坂本さんも「地域の人たちは『よく幌加内に来てくれた。一人ひとりの生徒を大切に接していこう』という思いを持っていますよ」と言います。高校を卒業した後、坂本さんが経営する製粉会社「そばの坂本」への就職を希望する生徒もいるとのこと。
高校の教員とも地域の皆さんとも距離が近く、親身になって見守る。そんな環境があるからこそ、多様なバックグラウンドを持つ若者を受け入れられるのでしょう。
可憐な白い花が、日本一のそばの実を結びます。
農業を考え続けて社会人に。就職後も続いた師匠との交流
これでもかと実践経験を積み、充実した高校生活を送った石川さん、その後の進路を考えていた頃、当時の教頭先生にポロっと、あることを投げかけたそうです。
「今思えば失礼なんですが...。『国立大学に進学したいんですけど、この高校からじゃ無理ですよね?』と言ってしまったみたいで。私は記憶がないんですけどね」と苦笑いします。石川さんによると、この言葉をきっかけに教頭先生は普通コースに加えて進学コースを新しく作ってくれ、カリキュラムも一新。ビックリするようなエピソードですが、生徒に正面から向き合う、勢いと熱量のある先生ばかりだったそうです。
石川さんは違った角度から農業を考えてみようと、小樽商科大学に進学。タイにあるマンゴー農園で調査したり、島根県の隠岐諸島でインターンをしたりと、アクティブに動き続けました。流通システム論や経営学などを商科大学らしい科目も学びましたが、幌加内高校で実践したことを学術的に裏付けするようで楽しかったといいます。
こちらが、全国で唯一、そば打ちが必修科目の幌加内高校。
就職先を選ぶ際の軸も、農業や食でした。自分の力で農業や食にまつわる顧客を開拓できることに魅力を感じ、農業支援も手がける機械メーカーに入社。新規営業の担当として社会人のスタートを切りました。1年目で回った先は250件です。
「新卒の社員が数千万円の商品を売るわけですけど、坂本さんと商談会に出た経験から、売りつけるのではなく悩みを解決する仕事なんだと考えていました。新卒の営業として量をこなすしかなかったんですが、先方の社長に『そばを打てます!』と言うと、興味を持っていただける方が多く、幌加内の話になることもありました」と話します。ここでも、そばが人と人をつないでいました。
就職してからも、坂本さんとの交流は変わりませんでした。「今もそうですが、『坂本さん、来ました~!』という感じで普通に遊びに来ていました」と石川さんは言います。分け隔てなく人に接する人柄も大きいでしょうが、幌加内の人たちはいつでも、温かく迎え入れてくれました。
ただある時、坂本さんが石川さんにポツリと漏らしたひと言が、2人のその後を大きく変えることになります。

「廃棄するのは痛ましい」。坂本さんの思いに突き動かされて
「一番栄養価のある部分を廃棄してしまっているのは痛ましいんだよね。何かできないかなあ」
頼み事をしたわけではありません。製粉時に出るそば殻や甘皮といった、捨てられてしまう資源を有効活用できないか、幌加内の新しい商品にできないかという、長年の思いを打ち明けたのでした。石川さんはこの言葉に「あ、これは私がやりたいことだな」と直感したといいます。
中学時代、生活と農業が密接につながった農家さんの生き様にカルチャーショックを受けた石川さん。この原体験は大人になっても色あせることはなく、「農業や食に携わりたい」という強い思いを持ち続けていました。そして社会人になっても幌加内に通う中で、「地域にいる人のそばにいたい」「食べ物を生み出す人の役に立ちたい」という願いも膨らんでいきました。
栄養豊富な幌加内産のそばの実。
自分を大きく成長させてくれた幌加内への恩返し、慕っている坂本さんの力になりたいという気持ちも相まって、驚くほど自然に「これがやりたい」とスイッチが入ったようです。
親交を深めてきた坂本さんは80歳を過ぎています。
いつまでも待っていてはチャンスを逃します。「今しかできないことをしよう」と、会社をやめることにした石川さん。幌加内産そばを生かした商品づくりを進めようと決心し、2024年にトヅキ合同会社を立ち上げました。
一方の坂本さんは実の孫を思うように、「幌加内のことを思ってくれるのはありがたいけれど、生きる基盤をしっかりさせるのが第一優先だよ」と心配をしていたそうです。それでも、石川さんがさまざまな人脈を生かして幌加内に人を呼び、地域の人とのつながりを大事にする姿勢を見るにつけ、二人三脚で歩んでいこうと思えました。
「お世話になった幌加内を少しでもPRしたい、幌加内の商品開発の役に立ちたいという気持ちが、自然と湧いてきました」
そば殻を草木染めの原料としてつかうブランド「kirinomi-キリノミ-」など、オリジナル商品の数々。
石川さんが「坂本さんのためなら」と思えば、坂本さんは「自分たちもできる限り力になって真剣な思いに応えたいし」と力をみなぎらせる。そば打ちで言えば師弟関係ですが、その言葉だけでは表せない、家族のような温かさも感じさせる関係です。
農家でありそば職人であり経営者でもある坂本さんは、幌加内町の独自品種を雪中で熟成させた「ねむり雪そば」や、そば蜂蜜入りの生キャラメルなど、多くの商品を開発して販売してきました。それは、商品づくりを通して町や産業を守っていきたいという思いからです。そばだけに限りません。「町への愛着を次の世代へつなぐ」という使命感に燃え、1995年に廃止された旧沼牛駅の復元や活性化でも先頭に立ってきました。
「幌加内で生まれて、一番恵まれた地域で仕事をさせてもらっていると思っています。幌加内にいるから、信頼をいただき、商品に声をかけてもらえるんです」
石川さんが中学時代に出会った農家さんと近い生き方をされています。坂本さんも、自然と仕事、そして暮らしが密接になった人生を歩んできました。

坂本さんと、新しい景色を見たい。思いのバトンを引き継ぐ
その一方で、「現状維持では生き残っていけない」と坂本さんは考えています。そこで希望となったのが、石川さんの存在でした。
「普通のものではなく、進化したものを開発しないといけない。石川さんのセンスやアドバイス、発想を生かさないと、幌加内はこのままの状態から進化することはできません。少しずつ、しかししっかりと変えていく流れをつくらないと。地元の人だけでいると、どうしても『自分は安泰でおればいい』と考えてしまいますから」
この町を未来にも残すことを、常に考えています。

この思いを、石川さんはもう当然かのように引き継いでいます。坂本さんから見ると孫のような関係だからこそ一層、思いは強いのでしょう。農業だけでなく、地域への眼差しも確かなものになってきました。
「100年後も見据えて『地域がなくなってほしくない』という坂本さんの思いがあるから、少しでも受け継ぎ、形にしていく役目を担えることが目標です。地域の魅力というのは、人の魅力でもあります。坂本さんが元気なうちに起業しようと思ったのも、坂本さんの幌加内への強い思いがあったからです」
オリジナル商品を通して幌加内を知ってもらおうと、クッキーやスコーンなどのシリーズは「幌菓-HOROKA-」と名付けました。旧沼牛駅で坂本さんらが開くイベントに出店し、盛り上げに一役買っています。2023年には活動が認められ、町から「幌加内町ソバ循環プロジェクトプロデューサー 」という肩書が授けられました。幌加内をめぐる「そばストーリーツーリズム」という観光コンテンツの開発を進めているそうです。
そばの恵みを余さず活かす「幌菓-HOROKA-」シリーズ。
まだまだ事業としては途上だと石川さんは言いますが、メディアを含めて注目は高まる一方で、各方面から引っ張りだこです。「休みすぎると不安になる」と言っているあたり、頑張りすぎて体を壊したりしないだろうか...と心配したくもなります。
その辺をご本人に聞いてみると、「これからは、以前より暮らすことにも時間を意識的に使っていきたい」という答えが返ってきました。そして、こう続けました。「私の中では結婚は大きな選択でした。これからどんな形であれ家族の在り方が変化すると、今の働き方は自然と変わっていきます。会社を続けるために、仕事と暮らしのバランスを考えていきたいです」
石川さんの明るい笑顔が、幌加内の未来を照らしてくれているようでした。
環境が変化しても、坂本さんへの思いは尽きないようです。「坂本さんに、私自身や家族のことも共有し、共に新しい景色が見れたら嬉しいです」と迷いなく言いました。
脂ぎった起業家のような雰囲気は微塵も感じさせない石川さん。可憐で優しく、周囲を包み込むような存在感があります。会社名の「トヅキ」は、赤ちゃんがお腹の中にいるとされる「十月十日(とつきとおか)」にも由来するのだとか。世代を超えて、地域の人たちの思いをつないでいく。そんな大きな使命を帯びているように見えました。

- 石川朋佳さん(トヅキ合同会社 代表社員)・坂本勝之さん(株式会社そばの坂本 代表取締役)
 - 住所
取材場所/株式会社そばの坂本(北海道雨竜郡幌加内町字下幌加内)
 【トヅキ合同会社】
HP:https://www.toduki.store/
Instagram:@toduki_10
【株式会社そばの坂本】
HP:https://soba-sakamoto.com/
			














