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新天地で拓く第二の人生!炭鉱の町で出会った、心温まる日々。20250817

新天地で拓く第二の人生!炭鉱の町で出会った、心温まる日々。

移住とひとことで言っても、さまざまなスタイルがあります。移住を考えるきっかけや移住のタイミング、移住してきてからの暮らし方や周りとの関わり方も千差万別です。これまでくらしごとで取材させていただいた移住者の方たちも、それぞれに物語がありました。

今回、取材させていただいたのは、千葉県から北海道美唄市へ移住してきた66歳の武田浩子さん。お話を伺っていて、「いくつになっても行動を起こすことはできるし、こんな移住の形もいいかも」という新しい発見がありました。美唄へ移住を決めたきっかけや、武田さんの日々の暮らしを楽しんでいる様子を紹介します。

北海道が好きになったきっかけは、北海道大学出身の高校の恩師の影響

「私でいいのかしら。お役に立てるのかしら」と言いながら、美唄市のご自宅となるアパートの一室に取材チームを迎え入れてくれた武田浩子さん。御年66歳、丁寧な言葉使いや立ち居振る舞いから知的な印象を受けます。

生まれ育ちは東京都内という武田さん。結婚してからはずっと千葉県の柏市に暮らしていました。4人の子育てを終えたあと、東京の実家で実母の介護、看取りを経験。2024年の秋に北海道へやってきました。

takedasan_01.jpg千葉県から北海道美唄市へ移住してきた武田浩子さん。

「北海道へ移住するきっかけは、夫のひと言でした。コロナ禍に東京の実家の母の介護が必要になり、2年10カ月ほど、私だけ実家に暮らし、母の介護にあたっていました。2023年の秋に母が他界し、千葉へ戻って、年が明けたころに、夫が突然『北海道に暮らすなら今だよ』と言い出したんです。北海道にはよく来ていましたが、特に移住したいと夫に言った記憶はなく...(笑)」

ご主人のひと言がなければ、移住なんて考えてもいなかったという武田さん。

まずは、北海道によく来ていたということで、北海道との関わりについて尋ねると、「高校時代にまで遡るのですが...」と、北海道を意識するようになった理由を教えてくれました。

takedasan_04.jpg高校の恩師の影響で北海道を好きになり、卒論のテーマも札幌農学校を選んだ武田さん。

「高校の恩師がきっかけなんです。世界史の先生だったんですが、とてもいい先生で、話も面白くて。その先生が北海道の方だったんです。北海道大学(以下北大)出身で、授業中によく北大の話をしてくれて、それを聞いているうちに北大に興味を持つようになったんです」

その先生は現在信州にお住まいで、なんと今でも交流があり、家族ぐるみのお付き合いをしているとのこと。しかも、偶然ということですが、その先生は美唄の出身だったそう。

卒論は札幌農学校について。子育てに追われながらも北大への興味は尽きず...

武田さんは、高校を卒業後、都内の大学へ進学。北大への興味関心はその後も続いており、卒論のテーマに札幌農学校を選びました。

「北大の歴史が好きだったんですよね。なんだかすごく惹かれるものがあって。それで、大学3年と4年の夏休み、卒論を書くために許可をもらって北大の図書館に通いました。親戚が札幌の新琴似に当時住んでいたので、そこに泊めてもらって、毎日のように通いましたね。司書の方とも顔なじみになって...。北大近辺にある古本屋巡りも楽しみでした」

大学を卒業後、小学校の特別支援級の教師として働いたのち、結婚。4人の子育てに追われ、学生時代のように気軽に北海道を訪れることはできなくなりますが、「子どもたちが小学6年生になると、卒業旅行と称して6年生になった子と一緒に北海道へ旅をすることにしたんです」と話します。

takedasan_05.jpg美唄市に移住後、図書館や郷土資料館へ足を運び、炭鉱の歴史について調べているそうです。

当時運行していた寝台特別急行・北斗星に乗り、函館、小樽、札幌と回り、もちろん北大にも寄って、武田さんが通った北大の図書館にも立ち寄ったそう。

「子育て中は、その卒業旅行で北海道を訪れる程度でしたが、子育てがひと段落ついたころ、ちょうど15年くらい前でしょうか、北大の一般市民向けの講座があるのを知って、東京からの参加も構わないということだったので、何度かその講座に参加するために北海道というか、北大を訪れてはいました」

その後、コロナの感染が広がり、旅行できる状況ではなく、実母の介護もはじまったため、しばらく北海道を訪れる機会はありませんでした。

takedasan_06.jpg美唄市の街並み。

夫からの北海道単身移住の提案。驚きつつも、有楽町の移住相談窓口へ

ところが、実家のことも片付いた途端、ご主人から提案された北海道への移住話。

「移住するなんて考えたこともなかったけれど、でも、住んでみたいかと改めて尋ねられたら、まぁ、住んでみたいかな...となって、とりあえず有楽町にある北海道の移住相談の窓口を訪ねてみたんです。担当の方に、年寄り一人なんですけど大丈夫でしょうか...って相談させてもらいました」

と、ここで疑問が。てっきり移住するのはご主人も一緒かと思いきや、「いいえ、私一人です」と武田さん。

takedasan_07.jpgご主人の「北海道に暮らすなら今だよ」という言葉が移住のきっかけになったと話す武田さん。

「私が東京の実家に2年10カ月いる間に、夫も家事や自分の身の回りのことがひと通りできると分かって自信がついたのか、一人で北海道へ移住してもいいよということだったんです」と話します。

移住=家族でするものという勝手な刷り込みがありましたが、夫は残り、元の家はそのままという、このような移住の形もあるのか!と思わず膝を打ちたくなりました。

それでも一人で移住することに抵抗はなかったのでしょうか。その問いに対して、「あまり気にしていませんでしたが、実は一人暮らしをした経験は、結婚前に1年くらいだけ。まさかこの年齢で一人暮らしするとは思いもしませんでした。でも、こういうことができるのもまだ体が元気だからできること。夫もそう思って、行ってきたら?と言ってくれたのかもしれませんね。私ももうちょっといろいろ炭鉱のことなどを勉強したいと思っていたのでこの機会に行ってみようと思いました」と武田さん。

心配に感じていたことは、「パソコンやスマホの調子が悪くなったらどうしようかしらくらい」と笑います。

takedasan_08.jpg「体が元気だからできること」と、単身での移住を楽しんでいます。

炭鉱の歴史に興味があり、空知をチェック。車がなくても暮らせそうな美唄を選択

「一度、移住先の見学に北海道へ行こうかと思ったのですが、ちょうど夏に北海道の移住フェアのイベントが東京で開催されるということだったので、先にそこに参加させてもらいました。そこで美唄のブースで話を伺って、お試しの『ちょっと暮らし』を申し込むことにしました」

北海道にはいろいろな市町村があるわけですが、なぜ親しみのある北大近郊ではなく、美唄を選んだのでしょうか。

「北大は好きなんですけど、北海道の炭鉱町にも興味があって、母の介護をしていたときにホームページで空知管内の歴史や暮らしの情報などを見ていたんです。それもあって、もし移住するなら空知管内がいいなと考えていました。車を持っていないので、車がなくても生活できるところという条件もあり、JRの特急が停まることなども踏まえ、美唄がちょうどいいかなと」

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すぐに美唄のお試し移住「ちょっと暮らし」に申し込みましたが、夏の時点では空きがなく、10月に空きが出るとすぐに美唄へ。そして、お試しのあと、すぐにアパートを決め、11月には引っ越しすることに。トントントンと話が進んだ印象です。

「アパートの大家さんが移住促進協議会の役員もされている方だったこともあり、部屋を借りる話もスムーズに進みました。この場所は、JRの駅、スーパー、図書館と、暮らしに必要なものがすべて徒歩圏内にそろっているので、暮らすには申し分ないと思ってすぐに決めました。引っ越してくる前に、大家さんがエアコンもつけてくださり、リフォームもしてくださったのでとても快適です」

移住してからは、毎日のように図書館や郷土資料館へ足を運び、美唄や空知館内の炭鉱の歴史について調べたり、柏にいたころから続けている趣味の川柳の句作を行ったりしているそう。炭鉱の歴史に関するイベントやバスツアーがあれば参加することも。そうしたイベントを通じて知り合いもできたと話します。

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冬も春も自然の力に驚くことが多数。農家のアルバイトにも挑戦!

「秋に来たので、すぐに雪のシーズンに入りましたが、雪道もゆっくり歩けば問題ないので、気にはなりませんでした。そうそう、北海道に来て最初に購入したのが、雪用の靴。ホームセンターで滑らない靴を買いました。北海道の雪は湿っていなくてサラッとしているので、コートに雪がついても手で払うだけで大丈夫なのもいいですよね」

美唄は雪が多いエリア。道路の除雪あとにできる高い雪の壁にはとても驚いたそう。さらに、雪が積もって歩道が高くなり、雪が降り積もる前と目線が違うのにも驚いたと言います。

そして、雪が解け始め、春が来てからも驚いたことがあったそう。雪が残る田畑の脇からふきのとうが顔を出す様子や、雪で覆われていたはずの駅前の花壇にチューリップやスイセンが咲く様子を目の当たりにし、「植物の持っている力強さに感激しました」と話します。

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ここで気になるのが、生活費のこと。「贅沢をしなければ、年金と貯蓄でやっていけています」と武田さん。とはいえ、人脈を広げることも考え、少しアルバイトでもしてみようかと、この春、北海道ならではの農業のアルバイトに登録しました。

「せっかくなら北海道や美唄ならではの仕事がいいなと思って農業のアルバイトを選びました。ただ、車がないので、移動のこともあって、なかなか連絡はこないのですが、先日、田んぼのもみまきに2日間行ってきました。東京育ちで、田んぼのことなど全然分からなくて、初めて知ることだらけでとても勉強になりました」

このアルバイトに行く前、自転車に乗って、現地まで試しに行ってみたという武田さん。「関東圏で見る田畑と違って、北海道の田畑の広さに驚きました。自転車で行けども行けども畑が広がっていて、目印も特にないし、人もいないし、家もまばらにしかないし、どきどきしました」と笑います。

「この田んぼの持ち主のお姉さんが、市街地でお店をやっていらして、良かったら今度いらっしゃいと言ってくださったので、この間おじゃましたんです。少しずつですけど、こうやって町の人ともつながりができてきて楽しいです」

美唄の人たちの温かさに触れながら、のんびり暮らす毎日を満喫

普段は、画家である大家さんともよく話をするほか、同じアパートの住民の方とも交流があるそう。

「その方が、美唄の町のことをいろいろ教えてくださったり、ランチに連れて行ってくださったりするので、助かっています。フキの煮物や北海道ならではのニシン漬けなどもごちそうしてくださることも...。そして、偶然なんですけど、その方の娘さんが柏にお住まいで、しかも知り合いが繋がっていることも判明して、巡り合わせというのはおもしろいなと感じています」

移住する際、周囲からは「この年齢になって大胆だね」と言われたそうですが、「動くなら今しかないと思って来たし、特に後悔もしていません。家族とはスマホがあれば簡単に連絡も取れるから、寂しいとかもないですし」と武田さん。

takedasan_14.jpg美唄の人々の温かさに触れながら、のんびりとした日々を満喫しています。

「そして、実際に美唄に住んでみたら、時間の流れもゆったりしていて快適なんです。大家さんや同じアパートの方はもちろん、役場の人も、銀行の人も、スーパーの人も、出会う町の方たちはみんな親切で、こうやって人の温かさに触れながら、マイペースに暮らすのもいいなと感じています」と続けます。

娘さんの出産のお手伝いで2カ月ほど柏へ戻る予定ということですが、「こうやって気軽に行き来できるのも元気だからこそ。健康で一人暮らしを楽しめる間は、美唄での生活を満喫したいですね」と最後に語ってくれました。

美唄市 武田浩子さん


新天地で拓く第二の人生!炭鉱の町で出会った、心温まる日々。

この記事は2025年6月10日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。