
札幌での会社員生活から一転、北海道・上川エリアの当麻町で「農」と「森」の新たな働き方を実践する福山寛人さん、萌子さん夫妻。夫は林業中心の環境保全活動に注力し、妻は森と畑で狩猟と農業を手がける――林業、農業、猟師、キャンプ場管理と、その肩書きは一つに絞れません。彼らのユニークな取り組みや暮らし方からは、一次産業が持つ無限の可能性と、地方で自分らしい生き方を見つけるヒントが見えてきます。
都会で感じた物足りなさ 「農と森」の世界へ
今回取材に伺ったのは、愛別町にあるきのこの里あいべつオートキャンプ場です。福山寛人さんが町から委託を受けて指定管理者となって3年目となるこの場所は、心地よさや目を引くアイデアが随所に光ります。きれいに整えられた芝生、福山さんたちが始めてから人気を集める、薪を1泊1,200円で自由に使える薪放題(まきほうだい)、そして伐採した木々を活用したユニークなきのこのオブジェ。どれも福山夫妻の創意工夫が詰まっています。

薪割台も貸し出ししています。安全な作りになっているのでお子さんも一緒に薪割りのお手伝いをしてもらったりすることもできますよ

きのこ型のイスやオブジェ。全てスタッフさんの手作りなんだとか!
福山寛人さんは、福山農林合同会社の代表を務めるほか、キャンプ場管理を担うNPO法人もりいく団の運営に携わり、造林・造材・製材を専門とする北の山子団協同組合の事業も担っています。さらに今年7月には、「未来に語り継がれる風景を、いま整える。」という理念のもと、森と人との調和を目指した森林業の構築に挑み、株式会社遠森(とおもり)を設立。昨年からコスメティックブランド「SHIRO」へ採集したエゾヨモギを提供するなど、北海道・上川エリアを舞台に多岐にわたる取り組みを展開しています。
札幌で生まれ育ち、大学も新卒の就職先も札幌だった寛人さん。アパレル関連企業で学生時代のアルバイトを含め10年間働きました。生まれ育った札幌での会社員生活は決して嫌ではなかったものの、20代後半になると、仕事に「どこか満たされない感覚」を抱くように。与えられた業務をただこなすだけの、ものを右から左に動かすような感覚が強くなったそうです。
こちらが、福山農林合同会社の代表を務める福山寛人さん
そんな中で、寛人さんの心には漠然とした「自然の中で過ごしたい」という思いがありました。子どもの頃、札幌に住んでいたときはあたりに自然がたくさんあって、空き地で友だちと遊んだり、森を抜けて近道したりと、外での活動が大好きだったという原体験が、次第に一次産業への強い憧れへと繋がっていきました。
寛人さんが上川エリアにやってきたのは29歳の時でした。
札幌で行われた林業フェアで出合った上川エリアの会社で、季節雇用で働いてみようと考えたのがきっかけです。出身地の札幌から上川への「移住」。住まいも仕事も変える大きな決断に見えますが、寛人さんにとってはそうではありませんでした。覚悟や決心といった言葉より、「やりたいことをやってみよう」という感覚だったといいます。
「移住に際し、明確な目的を決めていたわけではないんです。当時は独身でしたし、気楽なものでした。仕事より趣味の冬山アクティビティができる場所はどこか、というポイントで住むエリアを選びました。仕事はいわば、後付けですね。でも一次産業の仕事には憧れがあったので、携われることは楽しみでした」
最初はなんと、住む場所も決めずに車中泊で仕事をしていたというから、そのフットワークの軽さには驚かされます。「寒くなってきたら寮にでも入ればいい」という気楽さで、移住先での暮らしがスタートしました。寛人さんが優先したのは「やりたいことをやってみる」という行動でした。この地で、寛人さんはプライベートでも大きな出会い(再会)を果たします。それが、萌子さんとの出会いです。
再会、そして深まる一次産業への情熱
萌子さんは、福山寛人さんと同じ札幌の大学に通っていて、当時から寛人さんとは友人関係がありました。そして萌子さんは当麻町出身でした。卒業後は頻繁に連絡を取っていたわけではなかったふたりですが、寛人さんが上川エリアで仕事を始めるタイミングで、萌子さんが実家近くで暮らしていると耳にします。そこで連絡を取り再会した際、萌子さんの実家が農業を営んでいると知り、寛人さんの「一次産業熱」はさらに高まったといいます。
「せっかく一次産業に携われるエリアに来たのだから、いろいろなことに挑戦してみたかったんです。農業もその一つでした。そこで、会社の仕事終わりに彼女の実家で農業を手伝わせてもらうようになりました」
会社の仕事を終えた後、多い時には夕方から2時間、週に3、4日も萌子さんの実家で農業を手伝っていたそうです。ちなみに、寛人さんは札幌での会社員時代、3ヶ月の長期休暇を取得して利尻島の昆布漁を手伝いに行った経験も持ちます。林業のほか、農業、漁業も自ら体験して「一次産業コンプリート」を目指していたかのようです。
「妻の両親の仕事は本当にかっこいいと思いました。生涯現役でいられるし、農林水産業すべてを体験して、改めて一次産業の仕事は面白いと実感しましたね。漁業も面白かったのですが、船舶免許を持っているのに船酔いがひどくて。これも体験してみて分かったことです。自分には海より山だ!と思いました」
再会がつないだ家族のかたち
萌子さんは札幌の大学を卒業後、営業職として札幌で社会人生活をスタートさせました。その後、結婚・出産を経て離婚を経験し、27歳でシングルマザーとなります。
こちらが、「ハーベストガーデン福山」という当麻町の農園にて農業を営むかたわら、ハンターの顔もあわせ持つ福山萌子さん
「一人で子どもを育てることを考えると、仕事に役立つ資格を持った方が良いと考えました。そこで大学に入り直し、看護師を目指すことにしたんです。受験して合格した学校が旭川にある大学だったので、実家の近くで暮らしながら学び直していました」
看護師資格を取得したら、再び子どもと札幌に戻る予定だったという萌子さん。
そんな時、偶然にも実家のそばに来ていたことで連絡がきたのが、大学時代の友人である寛人さんでした。農業にも関心があり、萌子さんの実家の仕事を手伝うようになった寛人さんとの距離は自然と縮まります。当時3歳だった娘さんも、寛人さんによく懐くようになったといいます。
「当時、娘はきっと僕のことを『おとうさん』だと思って接してくれていたと思うんです。だから僕らは、『付き合う』という選択肢ではありませんでした。子どもがいましたので。この子に対して、僕らが作りたい環境を考えたら、『付き合う』のではなく『結婚しよう』でした。いわゆる交際ゼロ日婚ですね」
当時、寛人さんは会社の季節雇用の身で働いていたので冬場は仕事を休み、スノーアクティビティを目いっぱい楽しむ予定でした。一方、萌子さんは看護を学ぶ学生の立場。二人は「夫無職、妻学生、子どもあり。これでは暮らしは無理だね」と笑いながら話していたそうです。家族として生計を立てることを考えていた時期に、当麻町の森林組合の知り合いから寛人さんに通年雇用で働いてみないかという話が舞い込みます。寛人さんは当麻町の新たな職場で働くことになりました。
その後、2021年に自身が代表を務める福山農林合同会社を設立。キャンプ場の管理などを手がける特定非営利活動法人もりいく団では団長を務め、10人ほどの従業員とともに「森の職場」で活躍しています。
寛人さんは、一次産業の仕事が持つ、ある特別な魅力についてこう語ります。
「朝家を出て夜に帰ってくるような仕事だと、親がどんな仕事をしているのか、子どもが詳しく知る機会はなかなかありませんよね。でも、農業や林業は違います。家族の仕事ぶりが身近にあるんです」
萌子さんと彼女の両親の関係性を見るにつけ、寛人さんは感銘を受けたと言います。
「妻とご両親の関係を見ていると、まさに『親の働く背中が分かっている』という実感があります。それは本当に素晴らしいことだと、つくづく感じました」
看護師、そして猟師へ。「食材調達班」としての挑戦
お子さんと生きるために看護師の道を選んだ萌子さん。寛人さんとの間に第二子となる男の子を授かり、出産を経て5年かけて大学を卒業。国家試験に見事合格しました。看護師として忙しい日々を送る傍ら、実家の畑仕事も手伝い続けていました。
そして注目したいのはここからの展開です。看護師と畑仕事、二足のわらじを履く中で、萌子さんはなんと猟師の資格を取得することに。自然の中で暮らす夫の影響や好奇心ゆえかと思いきや、萌子さん自身は「全く狩猟に興味はなかった」のだと言います。
「ある日、夫が知人から骨付きの鹿肉をもらってきたんです。どうやって調理するのかもわからないまま、何とか料理にしてみると、これが絶品で。こんなにおいしいなら自分で獲れるように免許を取れば?と夫が提案してきたんです」
萌子さんは続けます。「私は畑で野菜を採ってきたりと、家庭の中のいわば『食材調達班』です。それなら鹿のハントも自分の役割なのかも?と思いまして、何も知らないまま狩猟の世界に飛び込みました」
鹿の角で作られたランタンハンガー
「やってみる」精神は夫婦共通だったようです。当時、萌子さんは年長の第一子と乳児の第二子を育てながら、看護師、畑仕事、さらにはハンターと、「三足のわらじ」を履くような日々。食料調達がきっかけだった狩猟は、やがて深刻化する農作物への害獣被害という地域の課題解決へと関心の矛先が変わっていきます。萌子さんは5年間看護師の仕事を全うし、今から3年前にその職を辞しました。
萌子さんの狩猟の現場は、山だけにとどまりません。時には海に駆けつけることもあります。漁船のトド被害による駆除依頼を受け、オホーツク海へ向かったことも。
そのお礼にとニシンや鮭をもらうこともあり、鹿の解体ができる萌子さんにとって、丸のままのニシンや鮭を捌いて調理するのはお手の物だといいます。田畑の害獣被害に立ち向かい、お礼にお米をもらうこともあるそうです。
農業に狩猟、そして物々交換と、福山家は栄養バランスが抜群でうらやましいほどに高自給率の生活を実現しています。
萌子さんは、幼い頃から土の上で働く両親の背中を見て育ちました。しかし、10代の進路選択の時期になると、萌子さん自身は「土日祝日は休み、長期休暇で海外旅行」といった会社員生活に憧れを抱くようになったといいます。
「札幌で営業職として働いていたときは、まさか地方に戻って畑に入り、狩猟をするなんて、微塵も考えていませんでした」
都会で学生生活を送り、働き、遊び、かつて憧れた暮らしを満喫した20代。しかし、いまは一周回って、現在の当麻町での生活に居心地の良さを感じているそうです。
「子どもの頃に日が暮れるまで夢中で遊んで泥だんごを作ったような経験って、誰もがあると思います。大人になった今、私は早朝から日が暮れるまで夢中で外で生きる暮らしがとても心地よいです。人生ひとまわりしたからこそ気づいた世界かもしれません」
都会での暮らしと仕事を知り、時には難しい局面から立ち上がり、学びを深めてきた萌子さん。その言葉からは、回り道を恐れず、これまでの経験すべてが今の「本当にやりたいこと」へと繋がった確信がにじみ出ています。
木だけじゃない。空も根も草も見て、一次産業は面白くなる
農業や漁業という別の分野から飛び込んだ寛人さんの目には、労働条件や収益構造など、林業分野が抱える課題も映っていたのです。
「一次産業を経験してきた中で、林業も機械化・自動化が進みつつある分野だと感じています。ですが、作業が効率的になっていく一方で、天気や山の様子を見て臨機応変に対応できる人が減ってきているような気がしていて。今日は天気が優れないから別の作業をやろうとか、明日やろうと思っていた作業を今日に回そうとか。そういった応用する力を育てたいんです」
福山農林合同会社では昨年、コスメティックブランド「SHIRO」へ採集したエゾヨモギを提供しました。これは、林業の世界から化粧品を生み出すという新しい挑戦です。
「私たち林業者は木だけを見るのではなく、視野を広げることで可能性も広がると思っています。自然のもとではたらく産業なのに、丸太になる木の一部分しか見ていないともったいないです。「林業」という目線で考えれば、ヨモギも雑草扱いになってしまいますが、「農業」という視点と知識の応用を取り入れて、ヨモギ採集にチャレンジしています。やったことがない取り組みはトライアンドエラーの連続ですが、試してみるべきことはまだまだたくさんあると思っています」
また3年目を迎えた愛別町のキャンプ場では、林業の第一線を離れることになった60代の方が、これまでの経験を土台に新たな役割を担ってくださった時期もありました。現在は引退されたものの、福山さんには、一次産業のキャリアの裾野を広げ、多様な活躍の場を創出したいという強い思いがあります。
キャンプ場管理でも、創意工夫が光ります。当初7、8月の限定だったキャンプ場のオープン期間を、5月から10月末までと大幅に拡張。木の管理は林業のプロとして万全を期し、管理棟でのキャンプグッズ売り場は萌子さんセレクトで「かゆいところに手が届く」「思わぬ出会いがある」アイテムが並び、利用者に好評です。

萌子さんが手にかけているキノコのオブジェは、セカンドキャリアとしてキャンプ場で働いていた60代の林業従事経験者の方が手がけたもの。寿命が近い木などを選定して、1本の木からチェンソーで削り出して作っています。

ばら売りのレトルト食品や、めんみ・ぽんずなどの調味料とバラエティ豊富!
二人に今後の目標をたずねました。
萌子さんは、ともに農業を営む両親と土の上で過ごす時間を少しでも長く共有していきたいと語ります。
「看護師も猟師も農業も、すべてが命をつなぐ仕事であるという点で繋がっていると思っています」
ここ30年で野生動物との距離感が変化しているため、猟師として仲間と共に地域課題に取り組んでいきたいとも話しました。
寛人さんは、「視野を広く持ち、先々を考えた環境保全に取り組みたい」と語ります。同業者との連携を深め、SHIROとの協業のように、試行錯誤しながらも新たな資源活用を続けていく。その意欲は尽きません。
「林業というと、ケガと隣り合わせで作業者として働く、そんな固定観念があるように感じています。でも、ヨーロッパではそうではありません。子どもたちにも人気がある職業なんですよ。この負のイメージを払拭して、『子どもが憧れる仕事』にしていきたいです」
「木だけを見るのではなく、空も、根も、草も見る。そうすれば、一次産業がどれほどクリエイティブな仕事であるかに気づくはずです。判断力や応用力が求められ、自身のキャリアが無限に広がる醍醐味があることを、ぜひ知ってほしい」
そう語るふたりの「働く背中」は、一次産業の未来を力強く照らし、きっと周囲に勇気を与えているはずです。自分たちの手で新たな価値を創造する福山夫妻の挑戦は、これからも仕事と暮らしの新たな選択肢を広げ続けていくでしょう。
- 福山農林合同会社
- 住所
北海道上川郡当麻町6条東3丁目3-21
- 電話
0166-73-4479
- URL
きのこの里あいべつオートキャンプ場/https://www.town.aibetsu.hokkaido.jp/03/01/02/721