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まちおこしレポート
千歳市

面白そうな方へ転がっていった先に。イロイロリビング。20250602

面白そうな方へ転がっていった先に。イロイロリビング。

雪解けが進み、春の気配を感じる2月下旬の平日。北海道千歳市の飲み屋街が広がる一角、ニューサンロード商店街に今回の目的地である「イロイロリビング」はあります。ドアを開けるとオーナーの坪田佳之(つぼた よしゆき)さんが、笑顔で出迎えてくれました。
坪田さんの平日の顔は「千歳市役所の職員」。と同時に、このイロイロリビングのオーナーでもあります。坪田さんは2011年に千歳市役所への就職をきっかけに、千歳で暮らし始め、2019年にイロイロリビングをオープンします。そこに至るまではどのような物語があったのでしょうか。まずは坪田さんのルーツを辿るところから話は始まりました。

iroiroliving_5.jpgイロイロリビングのあるニューサンロード商店街。

教育の原体験と教育行政への思い

坪田さんは北海道の深川市出身で、実家は祖父の代からの電気工事会社。一般的にイメージする自営業とは違い普通のサラリーマンと同じような働き方だったそうです。大学は北海道大学の文学部に進学。当初は、言語学を学ぼうと思ったものの、哲学・倫理学研究室で、もともと関心のあった教育思想・倫理を学ぶ日々を過ごします。元々、坪田さんには「教育行政」への思いがありました。

「世の中を一番良くするためには、やっぱり子どもたちに一番お金を注ぐべきだと思っていてました。教員になる選択肢もあるけれど、子どもと直接関わるのは得意ではないので、教育行政という視点で、子どもたちのためにできることはないかと考えていました」

iroiroliving_2.jpgこちらが坪田佳之さんです。

 「教育行政」に携わりたいという思い。その原点には何があるのでしょうか。

「小学5、6年の担任のときの先生が、自由奔放にいろいろとやらせてくれる先生でした。小学校のときって、生き物係や掃除係みたいな当番があるじゃないですか。その係を『お店』と呼んで、生徒が自ら仲間を集めてお店をつくり、学級を運営するスタイルだったんです。そのときの教育は、詰め込み型のものとは真逆で、自分たちがやりたいことをかたちにするもので、振り返るとすごくよい経験だったと思います」

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表現活動としての音楽

坪田さんを語る上で、もう一つ欠かせないものが「音楽」です。坪田さんは、チューバのプレイヤーとして、週末は千歳や札幌のライブハウスやジャズ喫茶等、まちなかのいろいろな場所でライブ活動を行っています。

「中学で吹奏楽部に入って、本当はホルンをやりたかったんですけど、『男だし体格もいいから、チューバやりなさい』と言われて。大学ではウッドベースかトランペットをやりたいと思って、ジャズ研究会に入ったんですけど、そのときは先輩から『チューバやればいいじゃん』と言われました。当時札幌には、ジャズでチューバを演奏する人はいなかったので、プロの方からも声をかけてもらうことがありました」

iroiroliving_50.jpg坪田さんのチューバの演奏シーン。

大学では教育について学び、国家公務員を目指しますが、在学中に受けた試験では不合格。1年の浪人期間中には、喫茶店でバイトをしながらライブ活動も続けていたそうです。

「表現したものを外に出したいという思いが根本にあると思います。ただ、外に出すだけならライブじゃなくてもいいのですが、それを人に見てもらって楽しんでもらうことが一番なんだと思います」

さらに「自分が出演するだけでなく、自分でイベントをつくるのも好き」だと語る坪田さん。その関心は、自らの表現だけでなく、その表現が生まれる場を「つくる」ことにも向かっていきました。

iroiroliving_4.jpg坪田さんがメンバーとして参加するバンドのCD。

千歳での教育現場との出会い

その後、再度、国家公務員の試験に挑戦するも残念ながら不合格。地方公務員の道に進むことに決め、千歳市の職員として社会人の第一歩を踏み出します。

そのとき最初に配属されたのが、障がいを持つ子どもの通所施設である「千歳市児童発達支援センター」でした。その過程で、当初抱いていた教育行政への思いも変わっていったと坪田さんは話します。

「障がいのある子どもたちの支援に触れて、一定の物差しで子どもたちを測るような学校教育に対する疑問も生まれました。社会にはいろいろな人がいて、それが社会の良さであり、その中で子どもたちがどう育っていくかをデザインすること。地方公務員として働く中で、やりたいことは学校教育から社会教育に変わっていきました」

iroiroliving_13.jpg坪田さんが務める千歳市役所。

坪田さんは現在5つのバンドで音楽活動をしながら、ステージごとにバンドを組むこともあるそうです。「ジャズは即興の要素が多いので、ぱっと集まってもできる」んだそう。そのような流動的な要素もあるジャズと、いろいろな人が関わる社会教育に携わりたいという思い。そこには共通する部分があるのでしょうか。

「大学生のころは、学校がもっと開かれた存在になってほしいという思いがあり、今もその思いに変わりはありません。ただ、これまで蓄積されてきた学校教育の枠組みをいきなり解体するのは難しいと思うので、社会教育の方から学校にアプローチする方がよいのかなと思っています。ジャズもそうですけど、自由度が高くいろんなことができる方が、自分としてはやりやすいのかなって」

iroiroliving_19.jpg坪田さんのバンドメンバー。

緩やかな公民館をつくりたい

千歳市の教育現場で自らが「やりたいこと」と「できること」を模索する日々。その中で「イロイロリビング」はどのようにして生まれていったのでしょうか。

「社会教育の現場に触れる中で、子どもたちと地域の人が関わりあう場所を生み出したいという思いが芽生えました。すでに公民館という場所はありましたが、もっと"緩やかな公民館"のような場所が欲しいと思ったんです。音楽についても、これまでは基本的に札幌で活動していましたが、千歳でも同じような場所があればと思っていました。千歳に住んでいる若い人たちが『何かやりたい』と思ったとき、それをすぐかたちにできる場所がないのは、大きな損失になると思ったんです。私自身、学生時代の音楽活動で得られた経験や人との繋がりはすごく大きなものでした」

iroiroliving_12.jpgイロイロリビングのスペースの様子。

そんな中、2019年には自身の結婚、そして子どもが生まれるタイミングも重なり、仕事にも追われる中で、なかなか思いを実現できずにいた坪田さん。そんなとき、運命的とも言える出会いがありました。

「6月に長野県塩尻市の職員だった山田崇さんの講演会が札幌であったんです。そのときに、山田さんが職員をやりながら、商店街の空き店舗を自分で借りて場づくりをしていると聞いて、自分もやってみようと思いました。そこから場所探しを始めて、8月にはこの場所を借りていました」

iroiroliving_11.jpg坪田さんの中で大きな出会いとなった山田崇さんの著書。

その過程で、坪田さんのまわりには自ずと7人の仲間が集まってきました。公務員や会社員、アーティスト、主婦など、普段の所属はバラバラです。当時、千歳の中心部には、「まちライブラリー@ちとせ」(現在は駅前に移転)や「jhon.cafe」というアイリッシュパブのような、まちのいろいろな人たちが集う場がありました。カフェの地下には音楽スタジオがあり、そこで出会ったアーティストのNOJIさんは、現在イロイロリビングの2階をアトリエとして使用しているそうです。

iroiroliving_3.jpg販売しているNOJIさんのオリジナルハンカチ。

イロイロリビングの誕生と広がり

オープンに向けては、クラウドファンディングを実施。その過程では、シャッターの塗り絵や、椅子づくりをDIYで行うワークショップを開催。大学生や30〜40代、子連れの方などたくさんの方が参加しました。

「イロイロリビング」と名付けられたその場所は、いよいよ11月23日にオープンすることが決まります。

iroiroliving_16.jpgDIYワークショップの様子。

「千歳は空港や自衛隊があって、財政的には潤っている街なんだけど、外の人に『千歳ってどんな街?』と伝えるのにすごく困る街だったんです。でも、それは『千歳はこういう色です』というものではない。人それぞれいろいろなカラーがあって、この場所も使う人によって、いろいろなカラーに変わっていってほしい。そんな思いで『イロイロリビング』と名付けました。リビングには、緩やかな公民館のような場所にしたいという思いと、自分の居間の延長のような場所にしたいという思いを込めました」

11月23日のオープニングイベントは、アーティストのライブや千歳の未来について語るトークセッション、ライブペイントやマルシェなど、盛りだくさんの内容。多くの人で賑わいました。

iroiroliving_18.jpg多くの人で賑わうオープニングパーティーの様子。

オープン直後には、新型コロナで活動制限を余儀なくされますが、これまでに親子で楽しめるジャズの企画や、中学生から24歳までの若者を対象とした「イロリトライ!スクール」など、坪田さんが思い描いていた、子どもたちと地域の関わりが生まれる場が着実に実現していきました。

iroiroliving_17.jpgイロリトライ!スクールの様子。

一方、坪田さん自身に二人目のお子さんが生まれて、運営に時間を割くことが難しい中で、一時はやめることも考えたという坪田さん。そんな中、千歳市民ミュージカルという団体からこの場所を事務局として借りたいという話が来て、結果的に坪田さんとNOJIさんとの三者で借りて、継続することにしたそうです。

「以前は自分がやりたいことをやっていきたいと思っていました。ただ、子どもが生まれて、どちらかといえば、家庭の方を大事にしたいと思うようになりました。でもこの場所が必要だという思いは変わらずあるので、できる範囲でやりたいと思っています」

坪田さんがそう思うのは「イロイロリビング」のコンセプトである「自分の居間の延長」が実現したからなのかもしれません。

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「長男が生まれたとき、よくここに連れて来てたんです。ここには、外国人やアーティスト、まちのいろいろな人たちが来るので、かれらに長男が育てられた感じがしています。自分がやりたかった子どもたちと地域の人を関わらせること。長男がそれを体現してくれているような気がします」

イロイロリビングの運営は、坪田さんの千歳市役所の職員としての仕事にもいい影響を与えているそう。

「イロイロリビングがあることで、市役所に私が『居る』ことも街の人に知ってもらえて、補助金のことや『市役所の中でこういう人いない?』という相談が自分のところに来るようになりました。それはすごく嬉しいことでした」

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千歳のアートの拠点として

今後のイロイロリビングはどうなっていくのでしょうか。

「始めたときは、やりたいことがある人は好きに使ってくださいという感じでした。でも、ここを続けていく上では、自分が好きなことじゃないと続けるモチベーションにはならないと感じています。自分は音楽も含めた表現活動、アート全般が好きなので、ここが千歳のアートの拠点になってほしいと思っています」

坪田さんは現在千歳市役所の生涯学習課社会教育係で、市民の文化芸術活動の支援に携わっています。その中で、坪田さんがイロイロリビングで実現したい「アートの拠点」とはどのようなものなのでしょうか。 

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「アートって結構無償で求められがちで『表現できればそれでいいんでしょ』と思われている側面があって。そこに対して、アーティストがしっかりと対価を得られるような仕組みや場を千歳の街の中でも作りたいと思っています」

今回の取材の過程で感じたのは、坪田さん自体が常に「いろいろ」な関係や場に開かれた存在だということです。だからこそ、坪田さんのいる場所が、チューバの演奏がその空間を震わせるように、社会のいろいろな人が「居る」場所になっているのだと思いました。

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イロイロリビング
イロイロリビング
住所

北海道千歳市幸町1丁目15

URL

https://iroiroliving.com/

現在は通常営業を行っておらず、1階イベントスペースの貸出を行っています。
詳細はイロイロリビングのSNSをご確認ください。
Instagram

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面白そうな方へ転がっていった先に。イロイロリビング。

この記事は2025年2月25日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。