
北海道東部、十勝の豊かな自然に囲まれた池田町。昭和30年代からワイン造りを手がけるこのまちは、工場見学に飲食、ショッピングもできる「いけだワイン城」が有名で、国内外からの観光客で賑わっています。
そんな池田町では、現在9名の地域おこし協力隊が活躍中。今回「くらしごと」では入隊1年目のおふたり、高校魅力化推進員として池田高校のPRや生徒支援に取り組む野武さん、そしてワイン用ブドウのほ場で汗を流す小澤さんを紹介します。
このところ、全国的に地域おこし協力隊の募集は増加傾向にあり、人材を巡ってまち同士が競争状態になっています。そんななかでも、池田町は多くの隊員から選ばれているのだとか。おふたりには、都市部でのキャリアを経てこのまちを選んだいきさつと、まちの魅力も含めてお聞きしました。
十勝の小さな町にある、学びの選択肢が広がる高校
池田町は北海道の十勝管内にある人口6千ほどの小さなまちで、帯広までは車で30分、とかち帯広空港までは50分。JR駅や高速のインターチェンジも整っており、交通の便にも恵まれています。フレキシブルに授業を選ぶことができるカリキュラムで知られる池田高校には、帯広市など十勝管内のまちから通う生徒に加え、「地域みらい留学」を利用して本州から寮に住みながら通う生徒もいます。
高校魅力化推進員として2024年の夏から活動する野武(のたけ)亜美さんに、北海道池田高校の特色と行っている業務について伺いました。
高校魅力化推進員として活躍する野武亜美さん
北海道立池田高校は、文理・地域福祉・スポーツ芸術の3つのコースを設け、総合学科でありながら生徒の多様な進路や興味に応じた学びができるようカリキュラムが工夫されています。現在の生徒数は66名ですが、そのぶん生徒同士も先生とも距離が近く、柔軟な時間割や個別対応がしやすい環境が整っています。
「池田高校の授業はとても面白いんですよ」と野武さんは話します。
「池田町のアイデンティティともいえる『ワイン』を学ぶ授業があります。製造過程は発酵なので化学、池田町でなぜ発展したのかという歴史的経緯、現在の観光の主軸になっているという経済的側面、実際に収穫・工場見学などの体験も含み、多角的に学ぶことができました。他にも、プロ講師を呼んでのバイオリンや三味線の授業、そして地元の素材を使ったもの...、例えば羊毛を染めて機織りをしたり、エゾシカ革で名刺ケースを作ってインターンシップにいったりと、ストーリーがある授業がたくさんあります」
「3つの系列はあるものの、系列をまたいだ科目選択が可能。週16時間分は生徒がそれぞれ自分で選択した授業です。音楽が好きで、ある曜日はほとんどの授業を音楽の時間に充てているという生徒もいます」
一般的な科目でも、工夫を取り入れています。
「例えば、英語の授業で『実用的な英語を翻訳しよう』というテーマがあり、私は池田町のごみ分別ガイドを翻訳する授業をコーディネートしました。日本語のガイドをただ英訳するだけであれば翻訳ソフトで十分ですが、私自身が東南アジアで暮らした経験から、文化的背景が異なると『ごみを分別する』という習慣自体がない方もいることを知っています。そこで、『なぜ分別が必要なのか』をスムーズに理解できるような視点も取り入れられたのではないかと思います」
「池田高校の特長は、こうした『生きた知識』を幅広く学べる点にあります。高校時代、ひたすら詰め込み型の勉強をしていた私にとっては、うらやましい限りです」
そんな野武さんは、どのようにして池田町の地域おこし協力隊に入ったのでしょう?ご自身のこれまでを伺ってみました。
夫婦で望む暮らしを求めて選んだワインのまち
野武亜美さんは同じ十勝管内でも大樹(たいき)町の出身で、帯広の高校を卒業後、北海道大学に進みます。卒業後は大手の通信会社に就職して東京へ。主に営業職として10年ほど働きました。その後、ご主人の海外赴任に伴いベトナムやタイに約3年間滞在。現地でもWebライターなどの仕事を経験したそうです。
「夫婦で『もう一生分は働いたよね 』って思うくらい仕事して。体調も崩してしまい、これからの暮らしをちゃんと考えようって話になったんです」
候補に挙がったのは、九州や沖縄、十勝管内の帯広市、中札内(なかさつない)村、そして池田町。なかでも「夫婦ともにワインなどのお酒が好きで、ワイナリーがある町で暮らしたい」という思いがありました。
「池田町の風景って、どこかフランスの田園地帯にも似ていて好きになりました。それに、移住担当の中山さんがすぐに物件情報を送ってくれたり、いろんな人とつないでくれたので、スムーズに池田町での暮らしに移ることができたんです」
移住時に、池田町地域おこし協力隊の情報をもらった野武さん。当時、募集していたのは「高校魅力化推進員」で、これまでの仕事とは畑違いの業務だったため、応募するか迷いもありました。しかし、池田高校ではカナダ留学を行っていることもあり、海外滞在の経験がある人材を募集していたことから、自分の経験が生かせるのではと思い切って飛び込んでみたといいます。
海外滞在とJターンの経験から得たものを生徒に伝えたい
現在、野武さんが担当する業務は、探究授業のサポートからホームページや広報誌の記事作成、情報発信など多岐にわたります。
「私自身、高校時代は新聞局に所属していたので、広報系の仕事は好きです。いまは学校外の大人として、生徒にとって『話しやすい人』でありたいと思っています」
生徒の進路相談に乗ることもあり、「一緒に考える」という姿勢を大切にしているという野武さん。授業のサポートなど生徒との関わり合いにおいては、国内・海外を含む広い視野で将来を考えられるように、また、進学や就職で町外に出たとしても、地元の魅力を知り、体感しておいてほしいと、自身の体験も通して伝えていきたいと話してくれました。
就任から1年近くたったいま、「どの生徒も可愛くて仕方がないんです」と顔をほころばせる野武さん。しかし、ほかの地域でも問題になっているように、少子化による生徒数減少のため、池田高校は存続の危機にあるといいます。
こんなにフレキシブルで面白い学びができるという、特色のある学校なのに、その魅力がまだまだ知られていない。そう感じている野武さんは、学校の魅力や日々のイベントなどを積極的に学校ホームページで発信するほか、まちの広報紙や新聞各紙でも積極的に情報発信を行っています。
「座学だけなら、動画でもできる時代。総合学科だからできる体験や経験・実感が池田高校の価値なのかなって私は思います。いろいろな授業に一緒に参加していますが、毎日気づきがたくさんあります。池高生にとっては当たり前かもしれないけど、都会や進学校や他の国から見たら得難い経験がたくさんある。その小さな気づきや価値を伝えていきたいなと思っています」
池田高校には、広い芝生のグラウンドや、オリンピック選手を輩出したスピードスケート部があり、校舎からは飛来するツルや牧場で草をはむヒツジも見られるといいます。「4階の窓からスッと開けたこの景色を眺めていると、季節の移り変わりが感じられますし、日々のささいなことなんて、もうどうでもよくなってしまうんですよね」と、晴れやかな表情を見せる野武さん。都会から地方へ、『仕事』だけでなく『暮らし』も重視した選択が、いまの充実につながっていると語ってくれました。
十勝ワインの町営ブドウ畑で汗を流す日々
もうひとりの地域おこし協力隊員、「ブドウ栽培推進員」として活動する小澤かおりさんにもお話を聞いてみましょう。北海道で池田町といえば、十勝ワインという言葉がすぐに思い浮かぶほど、ワイン栽培・製造がまちを代表する産業のひとつです。
ブドウ栽培推進員として活躍する小澤かおりさん
約半世紀前、道内でもいち早くワインづくりに着手した池田町では、冷涼な気候に適した赤ワイン用ブドウ「山幸(やまさち)」を独自に開発し、町営でブドウの栽培からワインの醸造までを一貫して手がけてきました。近年では、池田町出身であるDREAMS COME TRUEの吉田美和さんが名付け親となった、赤ワイン用の新品種「未来」と白ワイン用の新品種「銀河」も話題を集めています。
そんな町営のブドウのほ場で、日々作業にあたっているのが小澤さんです。東京ドーム8個分の広さを持つブドウ畑では、13名のスタッフが働いているそう。開放感にあふれた眺望ですが、傾斜地に広がる畑は、奥のほうへ移動するだけでも一苦労。「最初はかなり体力的にしんどかったですね」と振り返る小澤さん。筋肉痛との戦いだった日々を振り返りつつも、「一緒に働くスタッフさんたちがとても良い人たちで助かりました」と朗らかに話します。
着任した2024年11月からはブドウの木の休眠期に入る時期で、剪定を中心に作業を行ったそうです。「清見」というブドウの品種は、冬の低温と乾燥に弱いため、秋には土を被せて越冬させます。雪が少なく寒さの厳しい十勝では、この作業が欠かせません。そして春になると、被せた土をクワで丁寧に取り除く「排土」作業を行います。
「体力勝負ではありますけど、スタッフさんたちとおしゃべりしたり、笑ったりしながらの作業なので楽しく働いています」と小澤さん。デスクワーク中心の仕事から、体を使う仕事に代わり、それを続けるうちにひどかった肩こりもなくなり、体調も良くなったそうです。
毎日少しずつ姿を変えていくブドウの成長を間近で感じながら、「育っていく過程を見るのが楽しくてたまらないんです」と小澤さん。ウサギやネズミ、鳥などの獣害や病気から守りながら丁寧に育てたブドウは、秋に収穫の時期を迎え、約1年かけて名産の十勝ワインになります。
企業勤務からブドウ畑へ。変わったのは仕事だけじゃない
地域おこし協力隊に入る前は、札幌や関東の企業で忙しく働いていたという小澤さん。なぜブドウ栽培という農業分野で働くことを選んだのでしょうか。そのいきさつを、改めて伺ってみることにしました。
小澤かおりさんは池田町の生まれ。帯広の高校、札幌の女子短大を卒業後、札幌市内のコールセンターやフィットネス運営会社に勤め、さらに転勤で関東に移り6年間を過ごしました。キャリアを積み重ねる日々のなかで、忙しくも充実した会社員生活を送りながら、少しずつ疲れも感じていたそうです。
そんなある日、ふるさとの母校である小学校が統合によって閉校したというニュースが届き、小澤さんは強いショックを受けました。「思い出の詰まった小学校がなくなってしまった...」という思いとともに、「これからの池田町はどうなるのだろう...」と、少子化と人口減少という社会全体の課題が「自分ごと」として迫ってきたのです。
「池田町が寂しいまちになってしまうのが嫌だったんですよね。離れて暮らしていたからこそ、何か力になれないかなって思ったんです。正直、どんな仕事をするかより、まずは池田町で暮らして、自分にできることをやりたい、育ててもらったまちに何かを返したいという思いがありました」
そう語る小澤さんが、仕事を探すなかで出会ったのが地域おこし協力隊の制度でした。
そのとき、池田町で募集していたのは「ブドウ栽培推進員」。実家が農家だったこともあり、農作業に抵抗はないと話す小澤さんも、しばらく悩んだそうですが、最終的にUターンして協力隊に入ることを決意します。
現在は町営のブドウ畑での栽培管理が主な仕事ですが、それだけではありません。小澤さんはブドウの成長や日々の作業の様子を、Instagramで積極的に発信しています。「ブドウの成長や私たちの作業をリアルタイムで発信することで、十勝ワインの認知度をもっと高めていきたい。さらには、池田町の魅力もより多くの人に伝えていきたい」と語るその姿には、会社での広報経験を地元のために生かしたいという強い意欲が感じられます。
小澤さんのInstagramはこちら!「北海道池田町のブドウ栽培女子 かおり」
地域おこし協力隊のなかには、任期を終えた後にブドウ栽培の法人を立ち上げた先輩もいるそうで、小澤さんも将来的に起業の可能性を視野に入れながら、いまは目の前の任務に一歩ずつ取り組んでいると話してくれました。
心地よい自然と人のなかで自分らしい暮らし
東京での生活を経験してきたふたりに、池田町での暮らしの印象について聞いてみました。
「食べ物がおいしいし、空気や水がきれいって本当に幸せ!」と声をそろえるふたり。野武さんは「東京のような人混みがなくて、空間が広い。何といっても開放感が素晴らしい」と話します。
なかでも印象的なのは、「人との距離感の心地よさ」。池田町の人たちはあたたかいけれど、必要以上に近づきすぎず、ちょうどよい距離感を保ってくれる。そんな関係性が、ふたりにとって居心地がいいと言います。
十勝管内の別のまちで育った野武さんは、地元出身の小澤さんとは異なる視点から「なぜ自分が池田町にすぐなじめたのか」を話してくれました。大きかったのは、移住相談のときから力強く支援をしてくれた、池田町役場地域振興課で移住を担当する中山陽平さんの存在だったといいます。
池田町役場地域振興課の中山さんが登場するくらしごと記事はこちら
「中山さんは対応がとにかく早くて、とても親身なんです。東京にいるときに、ちょうどよい池田町の住宅物件を中山さんがすぐに紹介してくれました。移住前のさまざまな不安も、中山さんとのやりとりのなかでひとつずつ解消されていった感じです」
人とのつながりが、協力隊としての一歩を後押し
移住直後も、野武さんが「エレクトーンが弾ける」と話したところ、「それなら空いている部屋があるので教室を開きましょう」と町の方と話が進み、1ヶ月後には教室開催へ。小学生からシニアまでが通う教室がスタートしました。池田町の人たちと距離を縮める、良いきっかけにもなりました。
野武さんが、印象に残っているエピソードを教えてくれました。
「70代でエレクトーン初心者から始めた生徒さんがいるんですけど、いつも『楽しい、楽しい』って言って弾いてくれるんですよ。教えている私まで元気になるような感じですよね。一生懸命に練習していたその生徒さんが、ついに両手で弾けるようになったときは、私も思わず涙が出ました」
このようにして、まちの人たちのなかに溶け込んでいった野武さん。地域おこし協力隊の参加にしても、まったく経験のない高校の任務に不安はあったといいますが、中山さんが「大丈夫、大丈夫!」と背中を押してくれたことに、大きな勇気をもらったそうです。
現在は中山さんに代わって、地域振興課の柿沼峰望(たかみ)さんが協力隊の窓口を担当しています。柿沼さんは、こう話します。
池田町役場地域振興課の柿沼峰望さん
「池田町の地域おこし協力隊がこれだけスムーズに人が集まっている背景には、中山の細やかな対応に加えて、移住フェアでの丁寧な情報発信があったと思います。移住の案内だけでなく、地域おこし協力隊の募集についてもいち早くアピールしていたことが、野武さんのように関心をもつきっかけになった方も多かったようです」
「私は今年度から協力隊の担当になったばかりですが、中山のように信頼される存在を目指して、日々勉強しながら頑張っています」と、柿沼さんは意欲を語ってくれました。
都会でキャリアを積んできたふたりが、今こうして池田町の地域おこし協力隊として活動している背景には、移住や協力隊の担当者による細やかな対応と、親身な関わりがありました。協力隊の制度をきっかけにまちに関わり、暮らしのなかに役割を見つけていく。そんなふたりの姿は、これから新しい地域と関わっていきたいと考える人たちにとっての、大きなヒントになるかもしれません。