
私たちが暮らすまちの地下には、水道管や下水管、ガス管など、さまざまな配管が張り巡らされています。住宅でも、屋根裏や床下など、目に見えない場所にパイプが走っています。
千歳市の東に位置する安平(あびら)町で、こうした水に関する配管工事を主に手がけているのが、今回ご紹介する廣和工業です。個人の住宅から、地域のランドマークとなる施設や農業施設の水まわり整備、ワイナリーの新設工事などにも関わっており、地元の未来を支える仕事としての役割も広がっています。
安平町の『水』を守るために奮闘する父の姿を見て育った鍋谷潤一専務は、大学で就職活動をした際に、「いちばん魅力的だったのは家業だった」と再認識して廣和工業に入社。現在は会社の要として活躍しています。
現在は、専務の姉である江戸加奈子さんもUターンして事務を担当。くらしごと取材班は現場に伺って、姉弟のお二人に仕事内容とやりがい、父親である社長の公私にわたるエピソード、ご自身のこと、そしてこれからの会社の目標についてもお聞きしました。
暮らしの土台をつくる、見えないしごと
廣和工業は、地元に根差した配管工事の会社です。施設などの公共工事、住宅の水まわり、給湯や冷暖房といった設備の新設・メンテナンスのほか、配水管・下水管の老朽化による漏水や破損などのトラブル、さらには個人宅の水が出ないといった不具合への迅速な対応も、重要な業務のひとつです。
実際に工事現場を見せてもらいました。伺ったのは、細い林道をたどった先にある現場。ショベルカーなどの重機が並び、深さ約3メートルの溝穴と、その脇に長く並んだパイプが目に入ります。これは、どのような工事なのでしょうか。
「安平町からの依頼で、川から取水して浄水場に送るための水道管を、耐震性のあるものに取り替えているところです」
そう説明してくれたのは、専務の鍋谷潤一さん。長期にわたる大規模工事で、すでに水が流れている管もあるため、切り替えながらの作業には細心の注意が必要です。現場は高低差や水圧にも左右され、一瞬の油断が大きなトラブルにつながることも。日々の暮らしに欠かせない『水』を止めないよう、緊張感を持って現場に立ち続ける姿勢に、プロとしての気概を感じました。
この仕事についてのやりがいは、人が生活していくうえで欠かせない水を、滞りなく必要な場所へ届けられるようにすることだと潤一専務は話します。水はあまりに身近な存在ですが、一度使えなくなると、暮らしはもちろん、命にも関わってくる―。そうしたライフラインを支える仕事に、日々誇りを持って取り組んでいます。
配管の仕事は、うまくいっているときには誰にも気づかれず、不具合が起きたときにだけ注目される、いわば「縁の下の力持ち」。しかも、その多くは人目につかない場所で行われ、作業の大変さが知られることはほとんどありません。それでも廣和工業のスタッフたちは、自分たちの仕事が人の暮らしを支えているという確かな実感を持ち、淡々と、しかし丁寧に現場に向き合い続けています。直接「ありがとう」と言われる機会が少なくても、地域の中で水が途切れずに流れていることこそが、自分たちの仕事の証なのだと感じているのかもしれません。
専務はまた、従業員の安全や衛生面にも細やかな配慮をしています。深い穴を掘り、その中に入って水道管の作業をするには危険が伴います。過去には、水の噴出を止めようとした際、水圧でヘルメットが吹き飛ばされたこともあったそうです。
だからこそ、専務は常に現場に目を配り、スタッフとの密なコミュニケーションを通じて、安全の確保を心がけていると話します。そうした姿勢は、父親である二代目社長から教えられてきたもの。また、子どものころから父の働く姿を見てきたことも原点にあるようです。
早くに先代を亡くし、一家の大黒柱として会社を支えてきた二代目社長の存在は、廣和工業の歩みそのもの。その物語にも、耳を傾けてみました。
苦労人で人情家、まちと家族を想う社長
はじまりは1950年。先代の鍋谷廣(ひろし)さんが「鍋谷鉄工所」を創業し、井戸を掘る仕事もしていたことから、現在の配水管業務へとつながっていきました。二代目の現社長・鍋谷敏幸さんは、体調を崩した父を手伝うため15歳の頃から仕事を始めたそう。その後、室蘭に進学するも、先代の体調は快方に向かわなかったため3カ月ほどで早来に戻り、会社を支えました。現社長が21歳の時に先代が亡くなり、二代目として鍋谷鉄工所を継承。平成6年、先代の父・廣さんの名前を社名に入れて「有限会社廣和工業」を設立しました。
さらに敏幸社長は弟や妹の親代わりという役割も果たし、進学まで面倒を見たのだそう。そうして落ち着いた頃に結婚し、加奈子さん、潤一さん、次女ら3人のお子さんに恵まれました。
娘の加奈子さんは、子どものころの記憶として「夜も寝るまで父が家にいないのが当たり前だった」と話します。一方で、家庭では優しいパパ。休みの日には家族で道内をドライブするなど、楽しい時間も多くあったそうです。
「父のゴツゴツとした大きな手や背中を見ていて、いつも頼もしさを感じていました。それに、苦労をしたせいか、とても人情が深いんです。道端で困っている人を見かけると、絶対に放っておけないタイプで。だから、私達子どもになにかあっても、父は自分の命を投げ出してでも助けてくれると信じていました」と加奈子さんは当時を思い出します。
潤一さんは、子どものころから現場に出向き、父親のそばで「お手伝い」をしていたといいます。「後ろからくっついて歩いて、父に言われた工具を取ってきて渡して......。お手伝いといえるかどうか分かりませんけれど」と、柔らかく笑います。
選んだのは、いちばん身近で誇れるしごと
仕事での厳しい表情と、家庭での優しい父の姿。その両方を見ながら育った潤一さんは、江別市内の大学に進学しました。当時、家業を継ぐように言われたこともなく、自分でもそのつもりはなかったといいます。しかし、就職活動の際、「行きたい会社が見つからない」と悩むなかで自然と気づいたのが...「入りたい会社を考えたら、結局うちの廣和工業だったんです」
入社当初は、重い資材の扱いや覚えることの多さに苦労したと語る潤一さん。それでも社長や先輩について学びながら、ひとつずつ経験を積み重ねていきました。
いまは専務になった潤一さんが大切にしているのが、「地元の安平町を大切にしなくてはならない」という父からの教え。震度6強を記録した北海道胆振東部地震の際には、水道管の復旧作業に奔走しました。約1週間で100件程の問い合わせや修理依頼が来たのだとか。当時は、ただただ「水を出るようにする」という一心で、詳しいことは覚えていないと振り返ります。
加奈子さんによれば、潤一専務や社長は、余震が続くなかでも道路の穴に入って、水道管の修復作業にあたっていたとか。暮らしと命を守るという使命感が、2人を突き動かしていたのでしょう。
実家の会社に入り、子育てと仕事の両立を

社長である父親を尊敬し、廣和工業での仕事に励んできた潤一専務と加奈子さん。潤一専務は、会社を引き継ぐ三代目として中心的な役割を担い、加奈子さんは事務担当だった母親の業務を受け継いでいます。
加奈子さんにも、安平町にUターンし家業に入った理由を伺いました。
加奈子さんは、苫小牧市の大学に安平町の自宅から通学。卒業後は、大手ホテルのフロント担当など、観光・飲食業など様々な職種を経験してきました。快活でフレンドリーな人柄は、そのキャリアからもうなずけます。
そんな加奈子さんに訪れたのが離婚という転機。地元・安平町へ戻り、働きながら子育てに励みます。当時の職場でも加奈子さんの事情をくんで融通を利かせてくれたそうですが、状況を鑑みるともっと子どもに関わる必要があったのだそう。
「そこで、実家に甘えさせてもらうことにしたんです」と加奈子さん。廣和工業に入り、母親から事務の仕事を引き継ぐことにしました。
「子どもが小さいうちは、仕事に融通をきかせてもらいました」と感謝の気持ちを素直に話してくれました。3人の子育ては決して楽ではありませんが、ご両親や、双子の子どもを持つ専務も温かく見守ってくれたといいます。
加奈子さんは感謝の気持ちを込めて、両親の70歳の節目に家族旅行を企画。観光業で働いていた時の友人にお世話になり、ホテルを探し、三世代の大所帯で宿泊した思い出を、うれしそうに語ってくれました。きっと一生の記憶に残る、心あたたまるイベントになったことでしょう。
仲間達にも支えられた、親子の安平暮らし
子育てにおいて、安平町に戻ったことは加奈子さんにとっても大きなメリットになりました。地元とはいえほとんどの同級生は町を離れており、戻ってきた当初は親しい知り合いもいない状況。そんななかで出会いのきっかけとなったのがスポーツチーム。加奈子さんの子どもたちも入会しました。
「息子はサッカー、娘はチアダンスのチームに入りました。活動の中では保護者も積極的にお手伝いするんですけど、そこでいろんなお母さんたちと友だちになれたんです。私に何かあったときは子どもたちをみてくれるなど、いろいろと助けてもらって、生活面でも本当に救われました」
安平の人たちは気さくで、横のつながりがとても強いのだとか。父親からの「地元を大切にするんだよ」という言葉も、きっといまの加奈子さんの生き方の根っこにあるのでしょう。
家族も会社も、そうした地域との関係のなかで育まれてきた―。それが、廣和工業の仕事の土台になっているように感じられました。
だからこそ、現場の仕事にも、地域へのまなざしが自然と生きています。たとえば水道管の工事では、近隣の住民への声かけや生活導線への配慮といった気遣いが欠かせません。廣和工業では、そうした丁寧な対応をすることで信頼を積み上げてきました。水を通して暮らしを守ることは、単に設備を直すだけでなく、人と人との関係を大切にする姿勢にも通じているようです。
水を守る想いを、未来へつなぐ

廣和工業に入ってからは、仕事の効率化などに取り組んできた潤一専務に、これからの目標や将来像を伺うと、
「これまでも、これからも、安全に水を供給することに専心していく会社でありたいと思っています」
短い言葉の中に、潤一専務の誠実な思いがにじみます。そのために、インタビュー中は何度も「スタッフの安全」の大切さを強調していました。
「工事現場では、深い溝の中での作業や大型機械の使用など、ケガのリスクはどうしても生じてきます。だからこそ、無理をせず、休めるときはきちんと休む。そういったことを日々声をかけ合いながら、安全確保に努めています。社員たちにも家族がいますから、安心して働ける会社であることが何より大切だと思っています」
これからは、若いスタッフの採用にも力を入れていきたいと語ります。
「うちの平均年齢は高めなので、次の世代を育てていきたいですね。そのためにも、学生さんや若い方に、私たちの仕事を知ってもらいたい。私たちは地元を支える会社として誇りを持って取り組んでいますし、その思いが少しでも伝わればうれしいです。インフラをつくり、守る仕事に関心を持ってくれる人がもっと増えてくれたらと思います」
水は人の暮らしに欠かせない、まさに命を支える存在です。そして、きれいな水を安全に流す仕組みがあるからこそ、私たちは清潔で安心な暮らしを送ることができます。
しかし、配管のしごとは、完成してしまえばほとんど人目にふれることがありません。道路の下や壁の内側、床下や屋根裏など、見えない場所に張り巡らされた配管に携わる廣和工業の仕事は、たとえるなら「暮らしの裏方」。派手さはないけれど、誰かの安心や便利を陰で支えることで成り立っています。
「困っていた水のトラブルが解消したときのお客さんの顔を見ると、この仕事をやっていてよかったなと思いますね」と話す専務の言葉には、この仕事ならではの誇りが伺えます。もっともっと、その価値を多くの人に知られるべき職業なのではないでしょうか。
配管工事を通して安平町の土台を支える廣和工業。その現場で働くみなさんの姿にも、確かな誇りと充実感がにじんでいました。