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大切なのは農業を面白がる心。江別の大規模農業法人「輝楽里」20250418

大切なのは農業を面白がる心。江別の大規模農業法人「輝楽里」

2006年に北海道江別市の7軒の農家が集まって立ち上げた「農業生産法人 株式会社輝楽里(きらり)」。多種多品目栽培を展開し、現在、江別市内の農業法人の中ではトップクラスの規模を誇ります。常に先を見据えながら、さまざまなチャレンジを続けている同社。今回は、2022年に代表取締役社長に就任した石田雅也さんに会社の成り立ちをはじめ、これまでの歩み、仕事に対する想いなどを伺いました。また、40人近くいるスタッフのうち、農作業の現場と事務方の両方に携わっている未来開発部の中川賢三さん、期待の若手スタッフ西山美咲さん、米須方飛(こめす・まさと)さんにも仕事内容や会社のことを語ってもらいました。

2006年、江別市内の7軒の農家が集まってスタートした農業生産法人

札幌から車で約30分、新篠津村寄りのところに「輝楽里(きらり)」の圃場や作業場、事務所があります。法人が有する耕作地は約180haあり、ビニールハウスだけでも50棟近くあるそう。

「この辺りでは一番大きくて、古い農業法人になるのかな」と話す石田社長。同法人の最初の代表を務めたのは父親の清美さんで、石田社長も2006年に法人が立ち上がるときから運営に携わっていたそう。まずは石田社長のことや会社の成り立ちについて伺っていきます。

nougyokirari_12.JPGこちらが、農業生産法人株式会社 輝楽里代表取締役の石田雅也さん。石田社長の後ろには輝楽里周辺の航空写真があり、規模の大きさがうかがえます。

「もともと実家は江別で農家をやっていたのですが、僕は跡を継ぐつもりはなくて、若いころは建設会社に勤めていたんです。外で体を動かして働くのが好きで建設業に携わったんですけど、事務作業やデスクワークが増えていって...。結局仕事を辞めて、実家に戻って農家の手伝いをしたり、ほかのバイトをしたり、フラフラしていたんです(笑)。そしたら、父が法人化を考えているけど、お前どうする?もし関わるなら、本気でやれよって。それで、僕も興味があったので、よしじゃあやるよと」

農業人口が減っていく中、若い人が後を継いでもいいと思えるよう、これからは農家も会社員のように休みを取ることができ、年金や健康保険、退職金のことなどもきちんとしようと、声をあげたのが石田社長のお父さんでした。昨今、あらゆる業界で取り上げられる「働き方改革」にいち早く着手したというわけです。石田社長が「父のそこは尊敬できる」と話す抜群の「行動力」で、お父さんは30軒ほどの農家に声をかけ、賛同してくれた7軒でスタート。ちなみにこのとき、後継者がいるところは石田家を含めて3軒だけでした。

nougyokirari_48.JPG各農家ごとに働き方が異なっていたので、一社の法人として体制を整えるのにも苦労されたようです

法人化のあとは、直販や実習生受け入れなど、どこよりも早くから着手

当時、こうした形で農業法人を立ち上げるところはまだ少なく、いろいろな意味で注目され、「良くも悪くも目立っていたと思います」と石田社長。自分たちで農作物の価格を決めたいと販売先を開拓し、直販を進めたのも当時は画期的なことだったそう。「うちの父はじっくり計画を立てて動くタイプではなく、閃いたらすぐに行動を起こして走りながら考えるタイプ。そんな父をフォローしてくれたのが、ほかの6軒の皆さんでした。もちろん各家庭の奥さんたちや子どもたちもね」と振り返ります。

また、7軒それぞれの得意分野があったことから、米、小麦、大豆をはじめ、葉物や根菜とあらゆる野菜を栽培できたそうですが、家族経営と違い、効率よく作業をしていくために人をまとめ、配置していく役割も重要に。その役を担ったのが石田家でした。

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「最初のころは、父親が経営を一手に引き受け、自分が現場のまとめ役、そして母親がパートさんたちのまとめ役をやっていて、家の中にそれぞれのリーダーがいる状態でした。だから、朝も昼も夜も顔を合わせるたびに会議ですよ。家での会話の8割は仕事の話でしたね(笑)」

当時のことをそう語りながら、「でもね、それくらい密に話ができていたのはすごく良かったと思う」と言います。現場と経営で意見が合わず、お父さんと衝突することもありましたが、それをお母さんが間に入って取りなしてくれたそうです。

teruchanmiso2.jpg輝楽里自社製の手作り味噌「てるちゃん味噌」。「てるちゃん」は石田社長のお母さんの名前からとって、名付けたんだとか

「父が中国人の実習生を受け入れようと動き始め、早い時期からうちは中国人の技能実習生を入れていました。当初は外部の受け入れ団体を介していたのですが、毎年のように20人近くの実習生を受け入れていたので、自分たちでやればいいんじゃないかと考えて受け入れの団体も作ったんです。途中から父はこちらの運営を主に仕事をしていましたが、一昨年、ガンで亡くなるギリギリまで役員として輝楽里の会議にも出ていました」

この団体はISS 北海道事業協同組合という名称で、現在、自社以外の受け入れ先にも実習生を紹介し、道内で3番目の規模を誇るまで成長したそうです。

kirariinsta2.jpgタイからのインターンシップ生の受け入れも行っています。母国のタイ料理を学生がふるまってくれて一緒に食べることも!分け隔てない空気感が流れているのが表情からも感じ取れます。 

大事にしているのは「ふざけること」⁉ 仕事を面白がり、やりたいことを形に

輝楽里には、「地域で1番質の高い企業を目指す」という理念があります。地域で1番環境を考える会社(社会性)、地域で1番アイデアの宝庫な会社(独創性)、地域で1番人間味のある会社(人間性)の3つを大事にしているそう。

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「農業はその地域の土地を使って行うものだからこそ、会社が成長したら地域に還元するのは当然のこと。そのためにも質の高い会社でなければという想いはあります。この辺りでどこよりも早く法人化したという自負もありますし、自分たちが地域の農業を引っ張っていかなければという想いもあります」

石田社長は、「すぐに動く父親と自分はタイプが違う」と話しますが、アプローチの仕方は違えど、アイデアが次々と出てきてそれを形にしようというところは似ているような気も...。理念にある「独創性」の部分を社長自ら担っているように見えます。

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「僕が仕事で大事にしているのは、ふざけること」と石田社長。え?ふざけるとは??と思っていると、「真面目にコツコツも大事だけど、ずっと100%の力で仕事をしていても楽しくないと思うんです。ときどき息抜きも必要。僕は現場にいたときから、いつもいかに手を抜くかを考えていたタイプ。それを考えているときがすごく楽しかったんです」と続けます。それは単純にサボるという意味ではなく、いかに工夫をして効率よく仕事をするかを考えるということ。

また、仕事自体を面白がるという意味も含まれています。「昔ね、ミニトマトを担当していたとき、30種類くらいのミニトマトを一斉に植えて、同じ環境下で育てて、どれが一番美味しいかの実験をしたことがあるんです。その結果で、どの品種を多く育てて販売すれば人気が出るかも分かるし、こういうのって楽しいじゃないですか」と笑います。楽しく仕事に取り組んできたのが分かるエピソードです。

「父が亡くなったとき、自分が父の年齢になるまでのあと約20年で何ができるだろうって考えたんです。そうしたら、やりたいこと、やってみたいことがいっぱいあって...。でも、一人じゃできないこともあるから、会社のみんなと一緒に形にしていきたいと思っています」

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実は2022年に建設会社(コージーカンパニー)も立ち上げたそう。「僕が建設会社にいたというのもあって、うちの農場で使っている倉庫などは、測量して、基礎を作るところから全部自分たちでやっていたんです。それなら、自分たちのできる範囲でハウスとか建てる仕事もすればいいんじゃない?となって、作っちゃいました」と話します。この夏も倉庫やキノコ栽培の施設を建てる仕事が決まっているとのこと。話を聞いていると、中国人の技能実習生を受け入れるために組合を立ち上げたお父さんと重なるようにも感じます。

「ここ数年、創業メンバーが引退し始めていて、世代交代の時期に入っています。僕自身もさらに次の世代にきちんとバトンを渡せるよう、今できること、やりたいことを形にしていきたいですね。僕は、スタッフにもやりたいことやアイデアがある人はどんどん意見を出してもらいたいと思っています。農業の仕事は天気に左右されることも多いし、大変なことももちろんあるけれど、うちの会社自体は結構自由な雰囲気で、みんな仲もいいし、のびのび仕事ができると思いますよ」

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石田社長が話す通り、社員の皆さんに集まってもらって撮影をした際、実習生も含めみんなでワイワイ楽しそうでした。その様子からも、日ごろから仲が良いというのは十分伝わってきました。

人事担当も実感。社員それぞれの良さや強みを生かした働き方ができる環境

さて、石田社長の話を隣で聞きながら、「社長が、『イイこと思いついちゃった!』と笑顔で言ってくると構えちゃいますけどね」と苦笑しているのが、次に登場してもらう未来開発部の中川賢三さんです。「えー、何だよ、それ」と笑う石田社長とのやり取りを見ていると、あらためて会社の風通しが良いと分かります。

nougyokirari_28.JPG笑顔の石田社長と、未来開発部の中川賢三さん(写真右)

江別出身という中川さんは、4年前に本州から戻ってきました。現在は大豆やてん菜の担当として畑に出ているほか、販売の仕事にも携わり、この春からは人事担当として事務方の仕事も担っています。

「今はもう離農しているのですが、実家はもともと農家だったんです。当時、僕は跡を継ぐ気がなかったので、専門学校を出たあとはサラリーマンとして札幌や東京、新潟、仙台などで働いていました。でも、30代後半になって、土に触れるなど自然の中で仕事がしたいなと思ったんです。それでこっちに戻って来て、縁あって輝楽里に入社しました」

最初のうちは、配達をしたり、各農作物の畑の手伝いをしたりしていたそうですが、2年目からは作物の担当を持つようになります。さらに、前職でパソコンのインストラクターをしていた経験から、販売や収支関連はシステムをうまく使えばもっと効率がよくなるのでは?と会社にも提案をしたそう。そこから、事務方の仕事も少しずつ増えていったと笑います。

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かけもちは大変なのでは?と思いますが、「意外とできちゃうんですよね」と中川さん。適材適所で仕事は割り振りされるそうですが、中には中川さんのようにいくつもかけもちをしているスタッフもいるとのこと。

「うちのスタッフはまさに十人十色。個性の際立っている人が多いんです(笑)。みんないろいろなエピソードを持っていて、面白いんですよ。うちは、それぞれが自分の良さや強みを生かして働くことができる会社だと思いますね」

ちなみに名刺の右上に付いている顔写真で、ピーマンの被り物をしている中川さん。満面の笑みからも楽しそうな職場なのが伝わってきます。

nakagawasan.jpeg中川さんからいただいた名刺。名刺をもらう側も自然と笑みが...

パートのお母さんや実習生のまとめ役。社長からの期待も大きい20代女子

次に4年前に新卒で入社したという西山美咲さんにお話を聞きます。西山さんは栗山町出身で、江別にある酪農学園大学を卒業したあと輝楽里に入社しました。

「実家は農家で、お米やイチゴの苗などを作っていました。家の手伝いをしたとき、作物が成長する様子を見るのが楽しくて、農業に関して学びたいと大学に進学。卒業後、輝楽里に入社したのは、個人農家ではなく、大きな農業法人でいろいろな野菜を作ってみたいと思ったからです」

nougyokirari_58.JPGこちらが、4年前に新卒で輝楽里に入社した西山美咲さん。

現在、冬は加工品作り、夏はハウスでいろいろな作物を担当し、パートさんや技能実習生たちを取りまとめているそうです。石田社長いわく、「うちはハウスの規模が半端なく大きいので、パートさんや実習生の数も多く抱えているんですが、その人たちを取りまとめ、現場を仕切って回しているのが西山さん。背負っているものは大きいけれど、彼女ならできると思っています」とのこと。期待の若手というわけです。

「いろいろな仕事に携われるので覚えることもいっぱいだけど、飽きることはないし、メリハリがあります。今はとにかく毎日必死です(笑)」

職場の雰囲気などについて尋ねると、「うちは男女で作業が分かれているのですが、ハウスの女性たちはいつも和気あいあいとしていますよ」と西山さん。「年齢層が幅広いのですが、ベテランのパートの人たちは私のことを娘のようにかわいがってくれるし、質問すればすぐに教えてくれるし、失敗してもフォローをしてくれるのがありがたいです」と続けます。

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また、「両親が休みなく働いていた個人農家で、それを見て育ったので余計にそう感じるのですが、同じ農業に従事していても、会社組織なのできちんと休みがあるというのは大きいと思います」と話します。有休も取得でき、リフレッシュできる時間があるから、また頑張ろうと思えるそう。

「味噌づくりなど、大先輩たちから加工品のほうも引き継いだので、そちらのほうもしっかりやっていきたいと考えています。あとは、農業に少しでも興味がある女性スタッフが増えてくれたらもっとうれしいかな」と最後に話してくれました。

北海道に憧れてやって来た沖縄出身男子は、葉物野菜の担当として活躍

最後にお話を聞いたのは、4年前にパート社員として入社し、その後正社員になった米須方飛(こめす・まさと)さんです。米須さんはなんと沖縄県出身。地元の農業高校を出たあと、北海道の動物に関する専門学校に入り、その後沖縄に戻りますが、やはり北海道で働きたいと輝楽里へ。

nougyokirari_60.JPGこちらが、沖縄から北海道へ移住し、輝楽里に入社した米須方飛さん。

「北海道のどこまでも広がる大地に憧れていました。高校では畜産について学んでいたので、野菜作りに関してはほとんど分からなかったのですが、作物を育てたかったんですよね。田舎すぎる場所で就職するのは少し抵抗があったのですが、ここは札幌近郊だし、生活に必要なものは江別ですべて揃うし、会社自体も規模が大きく、福利厚生などが整っていてちょうどいいなと思いました」

現在はレタスと白菜の担当をしているという米須さん。初年度は、外国人実習生と一緒にいろいろな畑の手伝いをひと通り経験し、正社員になったのを機に、レタスのサブ担当になったそう。さらに翌年からはレタスのサブ担当のほか、白菜のメイン担当も任されるように。

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「どうやったらちゃんとしたものができるかを考えながら作業をしていくのですが、日々勉強です。奥が深いなと思います。だから、そんな中で白菜やレタスがうまく育ったらやっぱりうれしいですよね」

石田社長は、米須さんのことを「ストイックな男」と表現。とにかく真面目で、誰よりも早くに出社し、仕事の準備に余念がないのだそう。収穫時に使う包丁の管理なども徹底しているので、「包丁の数が足りない!」なんてことはなく、米須さんがいれば安心だと話します。

「野菜作りに関してほぼ未経験で入ったのですが、会社の皆さんが丁寧に教えてくれるので、最初から安心して仕事に取り組めました。それぞれの作物にベテランの担当者がいるので、分からないことは聞けば教えてくれるし、常に学ぶ機会はありますね」

米須さんは、「新規就農を目指したいという人や初めて農業に携わる人にとってはすごくいい環境だと思う」とも話します。

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これからのことを尋ねると、「勉強することはまだまだたくさんありますが、とにかく葉物野菜の中でも最も育てるのが難しいと言われるレタス、次に難しいとされる夏の白菜をマスターしていけたらと思います。あと、僕は農作業で使用する機械が苦手なので、メンテナンスを含めて機械系に強くなりたいですね」と話してくれました。

農家の後継者不足や若者離れが課題となっている中、輝楽里では西山さんや米須さんのような20代の若手スタッフもイキイキと活躍しています。石田社長は、「後継者不足による地域の農業衰退を食い止めるためにも、自分たちができることで地域に貢献したいと考えていますし、若い人がやってみたいと思える魅力ある農業を自分たちがやっていかなければと思います。そう、楽しみながらね」と最後に語ってくれました。

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農業生産法人 株式会社輝楽里
農業生産法人 株式会社輝楽里
住所

北海道江別市美原225

電話

011-384-7146

URL

https://www.kira-ri.jp/index.html

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大切なのは農業を面白がる心。江別の大規模農業法人「輝楽里」

この記事は2025年4月8日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。