
「学ぶ」という言葉の語源は、「真似ぶ(まねぶ)」。真似をするところから学びが始まったのですが、赤ちゃんがお母さんの話すのを真似て、少しずつ言葉を取得するのも学ぶこと。私たちは赤ちゃんのときから常に学んでいるのです。また、生涯学習という言葉があるように、私たちは「学ぼう」という姿勢さえあえれば、生涯にわたって学ぶことができます。
北海道の真ん中・旭川市から東へ車で約1時間のところにある上川町。このまちで今回お会いした大城美空さんは、「学ぶこと」について興味深い取り組みを行っている女性です。上川町の地域おこし協力隊を経て、現在は地域プロジェクトマネージャーとして町の教育ビジョン作りなどに携わる傍ら、「よりみち舎」という屋号を掲げ、デンマークの「フォルケホイスコーレ」を取り入れた滞在型プログラムの事業などを行っています。
フォルケホイスコーレって?と疑問を抱く方もいると思いますが、それは大城さんが上川へたどり着くまでの歩みの中で解説したいと思います。
人生の分岐点となった、とある教授のとの出会い
現在31歳の大城さんは沖縄県石垣島出身。高校まで沖縄に暮らし、卒業後は法政大学へ進学します。
「小さい頃から好奇心旺盛で、知りたい、知りたいっていう気持ちが強かったんです。分かっていくことが面白くて、勉強するのが好きで...これを高校生に話すと引かれるんですけどね(笑)。それで、大学に行けばもっといろいろなことを知れるんじゃないかと思って、とりあえずMARCH(東京にキャンパスを構える難関私大の頭文字)の中から自分が入れる大学を選んでしまったんですよね」
「こんにちは!」と明るい声で現れた大城さんはニッコニコの笑顔。それだけで、オープンマインドな雰囲気が伝わってきます。
「選んでしまった」と言うのは、そこに後悔があったように聞こえます。
「石垣島には大学がなく、周りに大学生もいなかったので、首都圏に比べると大学に関する情報が圧倒的に少なく、大学選びも学びたいことで選ぶより、偏差値で選ぶしかなかったんです。そういう環境は今の上川にもちょっと似ているかもしれません。そして、大学では探求型の学びができるかと思っていたのですが、大学の講義も高校までの授業とあまり変わらない詰め込み式で...」
大学受験のため必死にやってきた詰め込み暗記式の勉強。せっかく入った大学でもその延長のような、300人近い学生を前に先生が一方的に講義をするものが多く、アクティブラーニングが導入されているものの、それはまだ一部でした。勉強して頭に詰め込んだ知識は、社会に出たとき、一体何の役に立つのだろう?そんなモヤモヤとした気持ちを抱えていたとき、大城さんのターニングポイントとなる長岡健教授との出会いがありました。
「長岡先生は、経営学部で組織社会学や経営学習論を専攻しており、創造的なコラボレーションをテーマに越境学習などを研究してる方で、君たちが大学でやるのは勉強(スタディ)ではなく、学び(ラーニング)だよと教えてくれたんです」
そして、2年生のときにその長岡教授から、アメリカのシアトルで行われるプログラムへ参加するように勧められます。それは、アメリカのシアトルにて世界中の社会起業家に向けリーダーシップ教育をおこなっているNPOが、特に日本の30歳以下の若者を対象に実施した1ヶ月間の社会起業家精神(ソーシャルアントレプレナーシップ)について学ぶプログラムでした。
「私が大学に入ったのは東日本大震災の翌年。このプログラムも震災がきっかけで日本人のユース向けに作られたものでした。そういう経緯もあったので、参加者の中には被災地出身の同世代もたくさんいました。故郷のため、地域のために活動したいという子らが多く、私自身も随分触発されました」
その後、大城さんは大学4年のときに半年間休学し、再びアメリカのシアトルへ向かいます。
「自分が社会起業家になろうというより、社会起業家を支えることがしたいと思ったんです。自分が参加させてもらったようなプログラムを作る運営側の仕事がしたいと思って、2年生のときに参加したプログラムを実施していたシアトルのNPO法人にインターンシップに行くことにしました」
そのNPO法人は、個人の内面の変化が社会の変化に繋がるという理念を掲げていました。一人ひとりがどう社会を見るか、どう自分と対峙するかというスキルを身に着いていくことが、まわりまわって社会の変化になっていくという考えでした。
「外側の物的支援だけではなく、内側のサポートも重要だという話にすごく納得して、ここで学びたいと思いました」
アメリカへ行くため、文科省が主となり官民協働で行っている留学促進キャンペーン「トビタテ!留学JAPAN」の留学奨学金に応募。プレゼンや面接を経て、無事採用となったあと、事前合宿が行われました。
「そのころ、大学の周りの友人たちは就職活動真っ最中。正直、最初は皆と違う行動を取ることに葛藤もあったのですが、この事前合宿で、いろいろな考えや思いで行動を起こしている多ジャンルの同世代とたくさん出会い、大きな流れや決められたレールから外れることへの不安はなくなりました。自分がいかに大学の狭い中で生きていたかが分かり、一歩外に出るとこんなにいろいろな人がいるんだと実感。自分の中にあった『こうあるべき』が外れ、自分の行き先を自分で決められたときでもありましたね。相互で学び合おうというこの事前合宿のコミュニティーで、背中を押しあえる仲間ができたのも大きかったです」
個人の内面の変化が社会を変える。福祉の世界へ
インターンを終えて帰国した大城さんは、就職活動的なことを始めます。
「数か月のインターンだけでは、やりたいことに見合うスキルが自分にはまだないと感じていて、とにかく1回きちんと企業に入って力をつけたいと思っていました。でも、そもそも教育プログラムなどを行っている会社や団体のほとんどが経験者しか募集していない状況で、新卒採用の枠はなく...」
そんな中、キャリアについて話そうというイベントに参加した際、「障害のない社会をつくる」という大きなビジョンを掲げているLITALICOという会社に出合います。
「LITALICOの方がイベントで話しているのを聞いて、ここだ!と思ったんです。福祉や発達障害の分野は、自分の就活のジャンルにはなかったのですが、個人の内面の変化が社会を変えるという大事にしていることは一緒だと思いました。障害のある人が社会生活を送る上で直面する困難は、個人の問題だけではなく、社会の側のバリア(障壁)によって生じていると考える社会モデルを大切にしている会社でした」
「例えば、長時間椅子に座るのが苦手な子がいたとします。その生徒個人に問題があると見立てるのではなく、座りたくなる環境をどうしたらつくっていけるかを考えます。そしてそもそもなぜ座らないといけないのか?から社会の当たり前から問い直していきます。私たち一人ひとりの当たり前を解きほぐしていくことで、観方がかわり、困りごとが困りごとにならない=障害がなくなる、と考えてそれを愚直に実践している会社でした。分野は違うけれど、やりたいことの根っこは一緒だと思って入社を決めました」
大城さんは入社すると、発達障害の子どもたちの塾を運営する部署に配属されます。
「福祉の勉強をしてきたわけではないので、最初の1年は知らないことだらけ。研修を受けて、専門家の方のもとで指導員からスタート。仕事をはじめてから、福祉は意外と自分の好きな分野だったのかもと思いました。働きながら勉強をする中で、大学時代に経営ではなく福祉や教育分野に進めばよかったなぁと思いましたね(笑)」
障害名が付いていて学校で問題児とされる子でも、障害名だけで判断するのではなく、その子の背景には何があるのかを知るため、その子や保護者と対峙して、丁寧に傾聴、対話を重ねる。その中から、その子にとって必要なものは何かを引き出していく。それがいかに大切かを現場で学んだそう。
「塾という名前でしたが、一般的な学習塾とは違って正解もないし、それぞれ必要なものは異なるので、生徒一人ひとりの50分間のカリキュラムを作成。会社がある程度任せてくれていたので、子どもが楽しく遊んでいる中で、気付いたらできるようになっているというワークショップ的手法で作っていました」
毎日頭の中はカリキュラムのことでいっぱいでしたが、「楽しかったですね」と振り返ります。4年目には教室長に抜擢され、チームのマネジメントも任されるようになります。
多様な学びに触れるためデンマークへ
そんな中、北欧の教育の本を読んだり、実際に北欧に行った人の話を聞いたりする機会が増えます。
「日本では、不登校という言葉がネガティブに使われていますが、北欧では学ぶことに関して選択肢がたくさんあり、ホームスクーリングでも、地域のフリースクールでもOKなので、不登校という概念がないんです。あくまで選択肢の一つに学校があるというだけ。日本では障害と言われているものも、社会の前提が違うと障害ではなくなるんですよね」
北欧の学びに興味を持ちはじめた大城さんは、会社を退職。多様な学び方を体験するために福祉の先進国・デンマークへ留学します。
「デンマークには、フォルケホイスコーレという18歳以上の人なら誰でも入ることができる学校があり、そこに約10カ月通いました。フォルケホイスコーレは大学でも専門学校でもなく、直訳すると国民高等学校というものになるのですが、日本には当てはまる機関がないんですよね...。簡単に言うと、人間力を育む大人のための全寮制の学校という感じでしょうか」
フォルケホイスコーレでは、農業、社会福祉、アウトドア、サステナブル、アート、スポーツなどいろいろなジャンルの中から自分で選択するそうですが、「フォルケホイスコーレの大きな目的は人間力を育むことなので、特定の科目だけに特化して専門学校のように教えてはいけないという考えがあるので、日本人からすればそれって趣味や遊びなのでは?一見思われることも、学びとしてみなされます」と大城さん。
基本的にどの授業も座学だけではなく、何かを作っていたり、外に出て作業をしたり、体を動かしたり、対話したりというもの。カリキュラムはありますが教科書はないので、どんな授業を実施するかは各先生に任されているそう。
「1コマ約2時間なのですが、あるとき、朝のホームルームの延長で授業が雑談で終わってしまったことがありました。みんな、話し出したら止まらなくなってしまって。それで、終わってから先生に『雑談ではなく、本当は何をやる予定だったの?』と聞いたら、逆に『雑談だと思ったの?あなたにとって授業って?』と聞かれたんです」
クラスに集まっている生徒が持ち寄ったもの、背負っているもの、すべてが教材なのだと気付かされ、大城さんはカルチャーショックを受けます。
「雑談と思っていた対話の中からも学ぶことがあるという考えに、自分の教育観が揺さぶられましたね。対話することで気付きが生まれるし、素の自分と向き合うこともできます。また、自分の話が他人に気付きを与えることがあるという面白さも経験しました」
そして、「ここではすべてが自己決定なんです」と続けます。授業の中では何度も「みくはどうしたいの?どう思うの?」と聞かれました。大事なのは、自分の意志でその場にいるかどうか。判断を他者にゆだねるのではなく、良くも悪くも自己決定を求められます。
「日本にいると、決まった時間に会社や学校へ行くのが当たり前、なんとなく空気を読んで発言をしたりルールや暗黙知を重んじすぎるがあまり、会社のやりたいことと自分のやりたいことが曖昧になっていくような感覚があると思うんです。でもここでは自分で物事を決めていく機会が多く、自己原因性感覚を取り戻すような時間でもありました」
自己原因性感覚とは、自分の行動が「自分自身が選択した結果」であることを感じる感覚と言われており、主体性や自己肯定感を育む上で重要視されているそう。
「日本の学校教育のようにすべてがルールで決められている中で能動的に学んでいると、この感覚が失われていってしまいます。デンマークで、参加者主体の学びが大事だとあらためて実感。帰国したら、フォルケホイスコーレのようなワークショップや場づくりをしたいと思いました」
ウェルビーイングを軸に豊かさを増やす
デンマークから帰国した大城さんは、自分のやりたいことができる場所を探し始めます。
「北欧のウェルビーイングな暮らし方にも強く共感していたので、やるなら都市部は難しいと考え、地方都市で探していました。もちろん、地元の沖縄も視野に入れていたのですが、たまたま東川町でフォルケホイスコーレを取り入れた活動をしていると聞き、北海道もいいかもとチェックしていたら、友人が同じ北海道の上川町で教育系のポジションの協力隊を募集しているよと教えてくれたんです。このPORTOがオープンしたときで、SNSなどで同年代のプレーヤーが活躍しているのを見て、上川に興味を持ちました。気候も北欧に似ていますし」
さらに町長と面談した際、「人口を増やすより、まずは町民一人ひとりのウェルビーイング、豊かさを増やしたい。町民の豊かさがアップしたら、自然と人口も増えると考えている」と言う町長の話に、 「まさにウェルビーイング!と思いましたね。町長がそういう考えなら、ここでやっていけそうと思いました」と大城さん。
地域おこし協力隊として着任した大城さんは、ウェルビーイングを軸にした教育分野のプロジェクトを実施。地元の高校の探究授業をはじめ、大人向けの社会教育授業などを幅広く手掛けてきました。
3年の任期を終える頃、次をどうしようか考えていたところ、地域プロジェクトマネージャーで上川に残らないかと声をかけられます。そして、この4月からPMとして活動。協力隊時代から行ってきた地元の高校の探究授業なども継続し、上川町学園構想の教育ビジョン作りにも携わっています。町内外から教育事業のコーディネーターの依頼も多く寄せられているそう。
よりみち時間が標準で作れる社会を上川町から
現在は、地域PMとして週5で業務に取り組み、週末や空いている時間には「よりみち舎」として活動しています。「よりみち舎」の一番の活動は、フォルケホイスコーレを取り入れた滞在型プログラムの実施です。
「よりみち舎を作って4年目。座学だけの教育プログラムではなく、経験ができるプログラムや北欧のエッセンスを入れるなど、自分のやりたいことを全部表現できるものをやりたいと思ったのが立ち上げのきっかけ」
初年度はトライアルで3泊4日と1週間のプログラムを実施。手ごたえを感じた大城さんは、翌年から有料で年に4回ほど開催してきました。本当は1カ月のプランを設けたいそうですが、日本人でそこまで休みを取れるのは現役の大学生くらいであるため、3泊4日と1週間の2パターン。参加者は主に道外からなのだそう。
「プログラムでは、上川町だからこそできる手触り感のあるワークショップを大切にしています。デンマークのフォルケホイスコーレでは、パンを焼いたり、蟹を釣ってそれでスープ作ったり、小屋を作ったりしました。それを通じて暮らしは消費するだけでなく、作るものであると気付かされました。都会にいると、なんでも買えばいいと思うけれど、そうではないんだなと。自然豊かな上川町はデンマークと同じように、豊かさとは何かという気付きを想起させてくれる気がします。それって、ウェルビーイングに繋がるんですよね」
大城さんが考えるプログラムで講師を務めるのは、上川町の人たち。農家でカフェをやっている方には「食」について、「PORTO」を運営する株式会社EFCの代表・志水さんには「町づくり」についてなど、町に暮らす人たちだから話せることを伝えてもらっています。林道を木こりさんと一緒に歩きながら、森づくりの話を聞くことも。自然環境に恵まれているので、五感や身体性を開放できるプログラムも組めるのが利点です。参加者には必ず感想を書いてもらうようにし、それを講師になってくれた町民の方にフィードバック。客観的な意見や外からの視点が、町民のウェルビーイングにも繋がると考えています。
取材でお邪魔した「PORTO」を運営する株式会社EFCの志水陽平さん
さて、話を伺っているだけで、大忙しなのが伝わってきます。「そうなんですよぉ」と大城さんは苦笑しますが、「でも...」と続けます。
「よりみち舎のよりみちは、自分を振り返る時間でもあり、社会を違う視点で見る時間。みんなが自分の中に標準でよりみちの時間を作っておけるような社会になってほしいし、それを上川から発信していけたらと思います。私も忙しくしていますが、よりみち時間を作るようにしていて、昨年デンマークへ3週間ほど行ってきました」
現在、共に内容を考え、プログラムを作り上げていく仲間が欲しいという大城さん。インターンシップで力を貸してくれる学生を募集しているそう。受け身ではなく、自ら考え、行動し、学びの場を作り上げていくことに興味がある学生の方はぜひ。プログラムを形にしていくのは大変なこともあるでしょうけれど、大城さんと対話を重ねながらだと何だか楽しそうにも思えます。
大学時代からフィールドは変わっても、大城さんの中にある学びの軸はブレることなく同じ。そして、「人と学び」に対する探求心の深さが、大城さんの周囲への優しさや人に対する温かなまなざしに繋がっているようにも感じられました。