
「空の仕事」と聞いて、どんな風景を思い浮かべますか?
旅客機や空港のグランドスタッフを思い浮かべる方が多いかもしれません。けれど今回ご紹介するのは、ちょっとレアで、なんだかビンテージ。そんな空の乗りもの、グライダーです。
グライダーとは、エンジンを持たず、上昇気流を利用して滑空する航空機のこと。そんなグライダーを扱う珍しい仕事があるのは、北海道・空知エリアの滝川市にある「たきかわスカイパーク」。滝川市のカントリーサインにもグライダーが描かれているように、このまちはグライダーが飛ぶ風景が日常にある、全国でも珍しい地域です。
札幌と旭川のちょうど中間に位置し、アクセスも良好なこのまち。ふと空を見上げると、エンジン音のしない静かな機体が、悠々と大空を飛んでいます。今回はそんな空のまち・滝川で、空と人とをつなぐ仕事に携わるお二人、日口裕二さんと五十嵐仁樹さんにお話をうかがいました。
大学時代に見つけた「飛ぶ」道
たきかわスカイパークは、国内でも最大級のグライダー訓練施設です。広大な敷地と整備された滑走路を求めて多くのグライダー愛好者が訪れています。
なかでも特徴的なのが同施設独自の1週間トレーニングコースです。短期間で集中的に技術を磨けるこのプログラムには、全国各地から参加者が訪れます。また、体験飛行など観光向けのプログラムのほか、市内の学校と連携した教育活動にも力を入れており、空を通じて子どもたちの夢や学びを育む役割も担っています。
このたきかわスカイパークで事務局長を務める日口裕二さんは関西出身。子どもの頃から飛行機が好きで、いつかはパイロットになろうという夢を描いていました。しかし視力の基準を満たすことができず、その夢は叶わなかったといいます。
そんな日口さんが北海道にやってきたのは19歳のとき。北海道大学に進学したことがきっかけでした。大学で入部したのは「航空部」。ここでの出会いが、のちの人生を大きく動かすことになります。
公益社団法人滝川スカイスポーツ振興協会事務局長の日口裕二さん
「航空部でグライダーの世界を知った瞬間、これだ、と思いました。とにかく一緒に夢中になれる仲間が最高だったんです。グライダーの飛行距離を少しでも伸ばそうと、みんなで試行錯誤を重ねる毎日がとても楽しくて。北海道に一人で来た自分に、夢を与えてくれた場所でした」
空を飛ぶことへの情熱は、大学で出会ったグライダーという新しい扉を通じて、日口さんの心の中に深く根を下ろしていきました。
教壇から滑走路へ 導かれた天職
大学院を修了した日口さんが選んだのは、高校の教員としての道でした。赴任先は北海道・滝川市。ちょうどその頃、地域では「北海道スカイスポーツネットワーク構想」が動き出しており、空を活かした地域づくりが始まりつつある時期でした。
平日は教室で数学を教え、週末にはスカイパークでグライダーの指導を行っていた日口さん。教えるという行為そのものは共通していても、その先にいる相手の反応には、大きな違いがありました。
「私の数学の授業に夢中になってくれる生徒は、正直あまり多くなかったと感じていました。でも、週末にグライダーを教えていると、練習生たちは本当に楽しそうで。こちらが伝えたことに対して、積極的に応えてくれるんです。自分の言葉や関わりが、相手の意欲を引き出すきっかけになっていると感じました」
「教える」という行為を通じて、自身の想いを発揮できるのはどちらか。そう考えたとき、日口さんのなかでは自然と答えが出てきました。自分がありったけの情熱を注ぐことができて、なおかつ相手も喜びや成長で応えてくれる。そんな実感を持てるのが、グライダーの仕事でした。
1993年、日口さんは5年間勤めた高校教員を辞め、滝川市役所へ。市職員という立場で、愛好者だけでなく多くの人に空を知ってもらえるような企画を立案・実行するという新たな道へ進みます。その市役所も2021年に定年退職し、たきかわスカイパークを運営している公益社団法人滝川スカイスポーツ振興協会の職員に。「自分の役割を発揮できる場所で働く」という手応えが、確かな理由になりました。
その間30年以上、日口さんは北海道の空と向き合い続けています。
飛行機好きがたどり着いたグライダーの世界
もう一人、たきかわスカイパークで空を支える整備主任の五十嵐仁樹さんにもお話を聞きました。1等航空整備士の資格を持ち、施設で扱う機体の整備を一手に担っています。
五十嵐さんは滝川市に隣接する雨竜(うりゅう)町の出身。子どもの頃から飛行機に魅せられ、「いつか空に関わる仕事を」と夢見て、航空整備の専門学校に進学しました。専門学校卒業後は札幌の丘珠空港で整備士として働いていましたが、20代半ばの頃、思いもよらない話が舞い込みます。
たきかわスカイパークで航空整備士を務める五十嵐仁樹さん
「滝川のグライダー施設で整備士をやらないか、という話だったんです。まさか故郷の近くで、空の仕事ができるとは思ってもいませんでした。地元で飛行機と関わるチャンスなんて二度とないかもしれない。やってみたいと思いました」
それまで、グライダーの整備は未経験だったという五十嵐さん。特別にグライダーにこだわりがあったわけではないと話しますが、飛行機に対する関心は子どもの頃から筋金入り。新しい分野を学ぶこともまったく苦にならず、むしろ夢中になっていったといいます。
空の安全を守る整備士の誇り
現在たきかわスカイパークで、整備を担っているのは五十嵐さんただ一人です。
「裁量が大きいことは楽しいし、全部自分でやるという進め方は面白い」と語る五十嵐さん。その一方で、すべての判断が自分に委ねられるという重みも感じているといいます。「自分の判断ひとつで事故が起こる可能性もある」と、強い責任感のもと日々の業務に向き合っています。
それでも、細心の注意を払って整備を終えたあとに、空を優雅に飛ぶグライダーの姿を見上げると、大きな達成感を覚えるそうです。
「空を優雅に飛んでいる。それを自分の目で見て感じられるのが、この仕事のやりがいです」
この景色にたどり着くまでには、地道な作業の積み重ねがあります。年に一度、検査官の立ち合いのもとで行われる法定検査では、厳格な基準を一つひとつクリアしなければなりません。法令に則った整備記録の作成や申請など、事務業務も膨大です。
新しい制度や技術に対応するための勉強も欠かせませんし、ときには気が遠くなるような作業もあります。それでも五十嵐さんが30年以上この場所で仕事を続けてきたのは、「飛行機が好き」という、揺るがない原点があるからだといいます。
好きなことを、ずっと仕事に。この場所でしか味わえないこと
「この場所だからできる整備士の面白さがあるんです」
そう語る五十嵐さんが、その一例として挙げてくれたのが、羽布張りのグライダーの張り替え作業。布が劣化した機体は、古い羽布を剥がし、羽布を一枚一枚新しいものに張り直し、塗装を施して仕上げていきます。オーバーホールには3〜4か月かかることもある、大がかりな作業です。
「羽布がきれいに張り直されて、空を優雅に飛んでいく姿を見ると、本当に気持ちがいいんです。仕上がりの優雅さと比べたら、整備の地道さなんて数倍、数百倍大変かもしれません。でも、自分の裁量で段取りを組み立てて進めていける。だからやっぱり、楽しいんです」
好きなものに向き合い続ける毎日のなかで感じることができる「やりがい」という確かな核。
「好きなことを、ずっと仕事にできるって、実はなかなかできることじゃないですよね。自分は飛行機という好きなものに触れ続けていられる。それはもう、この上なく幸せなことだと思っています」
五十嵐さんの表情は空の下で働くことの充実を物語っていました。
「好き」を軸にしてほしい 空を支える仕事に必要なこと
現在60歳、航空整備士として40年のキャリアを持つ五十嵐さん。長年この仕事に向き合ってきたからこそ、伝えたい想いがあります。
「飛行機が好き、という原点がある人がやっぱりこの仕事に向いていると思いますね。もし今、航空整備士になりたいという人がいたら、やりたいことという軸で仕事を選んでほしいと思います」
空の安全を守るという重大な役割を担う航空整備士の仕事は、決まった時間を費やすような「労働」として続けるには不向きかもしれません。新しい知識を常に吸収し、技術を更新し続けていく必要がある仕事だからこそ、そこに好奇心や探求心がなければ、向き合い続けることは難しいのだといいます。
「好きだからこそ自然に覚えたいと思えるし、じゃあやってみようか、と思えるようになります」
長く続けられる理由を五十嵐さんは穏やかに語ります。
グライダー整備の面白さについて問うと、五十嵐さんは目の奥を輝かせて、少しうれしそうにこう話してくれました。
「この仕事では、飛行機の原点のような姿が見られますよ。翼で飛ぶ機体の構造そのものに触れられるというか。最先端のテクノロジーとは真逆で、どちらかといえばビンテージの世界。構造がシンプルだからこそ、人の手で介入できる余地が多いのです。そこが本当に面白いんです」
パーツを一点一点確かめながら、丁寧に整えていく作業。華やかさなことばかりではないけれど、「空を飛ぶ」ということの本質と真正面から向き合う日々。それを長年続けてきた五十嵐さんの言葉には、重みとともに、どこか温かさが滲んでいました。
自分の「好き」を貫いてきた人だけが語れる言葉がある。それは、空を目指す「次の誰か」へ勇気を届けるようなメッセージでもありました。
空のまちを、誇れるふるさとに
たきかわスカイパークは、グライダーのトレーニング事業だけでなく、体験飛行を通じた観光事業、そして教育事業としての役割も担っています。その一つが、市内の小学4年生から6年生を対象に実施している「グライダー授業」。実際にグライダーや飛行機に搭乗し、上空から自分の暮らすまちを見渡すという、全国的にも珍しいプログラムです。子どもたちは、滝川の空の広さや、自分の家や学校の場所を空から探す体験を通じて、ふるさとへの理解を深めていきます。
「子ども達には、滝川で生まれ育ったことを誇りに思ってほしいんです。このまちの出身だと話したら『あのグライダーのまちだね』って、知られていたらうれしいことです。これは、スカイパーク創設当初からの仲間たちの想いでもあります。私たちはその想いを受け継いで、新しい仲間とともに頑張っていきたいんです」
そう語る日口さんに、新しい仲間に求めることをたずねると、返ってきたのは極めてシンプルなひと言。
「飛行機やグライダーが、ぞっこんに好きな人ですね」
たきかわスカイパークのスタッフは限られた人数で運営されており、現場はアットホームな空間。そのぶん、お互いの役割を理解し、信頼し合える関係が自然と築かれているといいます。実際に日口さんや整備士の五十嵐さんのように、何十年とこの場所で働き続けるスタッフが多いのも、この職場の特徴です。
「一言で言えば、空のプロフェッショナルになれる仕事です。互いに信頼を持ち合って、切磋琢磨できる関係でいたいですね」
そう話す日口さんは、取材の最中にも「ちょっと失礼します」と会話を止め、管制塔から的確な指示を飛ばす姿を見せてくれました。まるで空と地上を自在に行き来するような、凛としたプロフェッショナルの姿が垣間見えました。
ただ、空が好きだから。
日口さんと五十嵐さん。ふたりの姿を見ていると、とても定年を迎える年齢には思えません。年齢に関係なく現場に立ち続け、日々の仕事に邁進するその姿勢には、自然と背筋が伸びるような説得力があります。子どものころから憧れた空と生きる人生。ふたりのまなざしには、単なるベテランという言葉では言い表せない明るさがあります。
空の仕事に就くと、目が空の色を映すのかもしれません。 ふたりの瞳は、まるでビー玉のように澄んでいて、どこかまぶしささえ感じられました。
「空が好き」「飛行機が好き」「グライダーが好き」
そんな気持ちを、趣味や余暇ではなく仕事にできている人が、この場所にはいます。それは決して特別な人にしかできないことではなく、自分の好奇心に素直になり、地道に取り組んできたゆえなのだといえます。たきかわスカイパークには、そうした働き方が日常として根づいています。

- 公益社団法人 滝川スカイスポーツ振興協会
- 住所
北海道滝川市中島町139‐4
- 電話
0125-24-3255
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