HOME>まちおこしレポート>おさかな専門シンガーソングライターが、地元で魚の魅力を伝える

まちおこしレポート
函館市

おさかな専門シンガーソングライターが、地元で魚の魅力を伝える20240822

おさかな専門シンガーソングライターが、地元で魚の魅力を伝える

魚の魅力を伝えるために、これまで約350ものオリジナル曲をつくってきた、「おさかな専門シンガーソングライター」の齊藤いゆさん。映画やドラマの楽曲、沖縄美ら海水族館の「ジンベェヤベェマジヤベェ」など数々の楽曲の制作を手掛けてきました。曲はすべて魚に関するもので「カンカイコマイ 僕をマヨネーズに浸してくれ(「カンカイコマイ」)」などコミカルな歌詞もありますが、思わず聴き入ってしまうような情緒的なメロディと歌声が特徴です。

函館の宇賀浦の浜で弾き語りしていただきました!

昨年、拠点にしていた札幌市から生まれ故郷の函館市に遡上、つまりUターンしました。函館市宇賀浦の海産物卸問屋「福田海産」にスカウトされ、現在は水産加工場の工場長を務めながら、魚介類や漁業の魅力を伝える活動を行っているのです。

いゆさんが推しているのは、未利用魚や低利用魚。例えばあまり食べられないイワシやサメなどを、調理しやすいように下処理して商品化したり、料理教室やイベントなどでPRしています。いゆさんが歌う「わっしょいわし」も、イワシ消費の応援ソングとして生まれたもの。

大好きな魚と音楽を通して水産業を盛り上げ、ひいては地域をより良くしていこうと、次々にアクションを起こすいゆさん。ご自身の意外な過去を含めたプロフィール、そしてご自身が持つ、魚にとどまらない大きなテーマにまで迫ってみました。

「いゆ」の名前に込めた、魚と漁業への思い

S__49168456.jpgいゆさんがいま推している魚はこの「サメ」!


ある時はギターを抱えておさかなソングを歌い、ある時は自社開発のサメバーガーを語り、料理イベントではエプロン姿で魚をさばくなど、多彩な姿を見せてくれるいゆさん。しかし、目的はどれも同じ、魚と漁業の情報を発信することです。いろんな魚をみんなにも好きになってほしい、もっと親しんでほしいと話します。ちなみに齊藤さんの本名は勇磨(ゆうま)さんですが、「いゆ」とつけた理由は2つあるそうです。

「沖縄の方言では、魚を『いゆ』っていうんです。昔の函館とか小樽では『いを』と呼ばれていて、発音が少しずつ変化して『うお(魚)』となったらしいんですね。だから、僕の名前を通して『いゆって何だろう?』と思ってもらえることで、このように語源を知り、魚に興味を持ってもらえたらと思いました。もう一つの理由は、海の環境変化によって南方の魚がどんどん北海道でも揚がってきていて、そのうち沖縄の魚たちも北に泳いでくるかもしれない、そういった海の変化についても知ってもらいたいと思ったからです」

魚に興味を持ち、魚のことを知ると食べたくなってくる。そうインタビューの中でいゆさんが教えてくれました。「楽しいおしゃべりの肴(さかな)になるような、生活に寄り添った魚のうんちくは、知ると誰かに伝えたくなるため、自然と泳いでいきます。サカナだけに」

会話のなかに、よく魚ネタを挟み込むいゆさん。学生時代に結成した音楽ユニット「ぱれっと」のライブでは、MCで魚のレクチャーをしていたそうで、「ほとんど魚の布教ですよね」と笑います。2020年に独立すると「おさかな専門シンガーソングライター」と名乗ります。

いゆさんがそこまで魚に注力した理由は、「近い将来に漁師がいなくなるかもしれない」という危機感からでした。

「自分で漁師になろうかと思い、漁師をしている伯父に話をきいたこともあったんです。すると『いま、漁師になるのは経済的にも大変だぞ』と言われたんですよ。そこで漁師の平均年齢等をいろいろ調べて、『10年後には漁師がいなくなってしまう!』と危機感を覚えました。なんとか漁師の格好良さや、水産業の大切さをみなさんに伝える良い方法はないか...そう考えたときに思い付いたのが自分のフィールドである音楽でした。音楽という芸術であり、エンターテインメントで、魚や漁業の素晴らしさを伝えれば、魚の奥深さや、海の環境について考えるきっかけになるのではないかと考えたのです」

音楽と魚を愛しながら、医療ソーシャルワーカーに就いた理由

魚と音楽への愛があふれる、いゆさん。どのようにその思いが形成されてきたでしょうか。

生まれ育ちは函館エリアの旧上磯町(現北斗市)。戸井地区で漁師をしていた祖父の影響を受け、なんと2歳の頃から船に乗り、カレイやホッケ、昆布漁の手伝いをしていたそう。「祖母が持たせてくれた、岩のりのおむすびの味が忘れられません」と振り返ります。

同じ頃、いゆさんが夢中になったのがヴァイオリン。テレビのクラシック音楽番組を見て「これをやりたい」と、画面のヴァイオリンを指さしたことをきっかけに習い始めたといいます。さらに中学生のときにはベースを始め、作曲もスタート。市立函館高校では軽音楽部を創設。高校卒業後には音楽の道に進むのかと思いきや、医療系の大学に進学したそう。なぜ?

「隣町に住んでいた祖母が、難病を抱えていたんです。ところが、そのまちには難病の人を支えられるようなシステムがなかったんですよね。音楽で東京へ行きたいという気持ちもあったんですが、祖母の介護の手伝いに行くことができ、かつ音楽活動も続けられる場所ということで、札幌の大学を選び、医療ソーシャルワーカー(MSW)を目指しました」

さらに医療系の大学をいゆさんが選んだ理由は、ご自身が持っていた将来のテーマとも関係していました。それは、ジャンルに関係なく、自分が携わったことを切り口にして社会のシステムや地域を変えていくということ。

iyu_interview130.jpg

「僕が医療ソーシャルワーカー(MSW)を選んだ理由は、ソーシャルアクションという、社会の仕組みを変える動きができる職業だから。地域を活性化したり、医療や介護につなげられるんです。僕の場合は、緩和ケア病棟や療養型病院でのコンサートの実施、音楽に触れる機会が少ない人生の最終段階における在宅医療介護の現場に出向いて、患者さんや家族や在宅チームと一緒に生の音楽を楽しんでもらったりと医療介護×音楽の形を模索していました。 これらは小さな活動ですけれど、地域を変える取り組みはまず小さいところから始まっていくものなんですよね。私なりのソーシャルアクションを起こしたいと思っていました」

思わぬ事故で「おさかな専門シンガーソングライター」に転身

大学卒業後、いゆさんは札幌の病院にMSWとして勤務しながら、学生時代に結成した音楽ユニット「ぱれっと」としても活動、2018年度には、札幌市主催の『虹と雪のバラードアレンジコンテスト』で最優秀賞を受賞します。ライブのほかにも、映画やドラマ、自治体や会社からの依頼を受けて、楽曲提供も行いました。

こうして医療と音楽の「二刀流」の生活を送っていたある時、なんと交通事故に巻き込まれてしまいます。幸い大きなケガはありませんでしたが、事故による首の後遺症のため、いゆさんは退職を決意しました。

「医療ソーシャルワーカーは、患者さんやご家族との『面接』を通して、ニーズを引き出し、多職種連携を通して、心理的、社会的、経済的な課題解決や緩和を行う職業です。
患者さんやご家族に安心して話してもらうことが大切で、ベッドに寝ている方であれば目線を合わせてお話ししますし、首の角度を少しずらしたりと、身体を使って話しやすい環境づくりを行います。 コミュニケーションのためには、言葉だけではなく、目線や姿勢、身体の角度など細かい動きも必要なんです。それが事故の影響でできなくなってしまったことで、自分が考えるプロフェッショナルではないと考え、引き留めてくれた方もいましたが、退職を決意しました」

熱意を傾けた仕事をやむなく退職することになったいゆさん。かなり落ち込んだのでは...と尋ねたところ

「MSWの仕事上、脳血管疾患、難病などたくさんの患者さんやご家族の人生を一緒に考えさせて頂きました。だから、自分が事故によって後遺症を抱えてもマイナスな気持ちにはならず、新たなスタートだとすぐに気持ちを切り替えることができました。今まで担当させて頂いた、たくさんの患者さんやご家族から学ばせて頂いた経験が、僕を助けてくれたんです」

座ってデスクワークができない自分に、何ができるか。いゆさんは、これからの可能性を考えました。

「僕にはやりたい夢がたくさんありました。そのなかでもやはり音楽だ、と結論が出たんです。ぱれっととしてユニットでの活動も続けつつ、ソロのアーティストとして好きな音楽と魚を掛け合わせていきたい。こうして『おさかな専門シンガーソングライター・齊藤いゆ』が生まれたんです」

コロナ禍でも音楽を応援する人が。ふるさと函館での出会い

おさかな専門シンガーソングライターとして、音楽活動を本格的にはじめたいゆさん。ライブではオリジナルの魚ソングを歌い、その合間には魚の話をするという、まさに「おさかなづくし」の内容だそうです。気になるのはお客さんの反応ですが「ぱれっと時代からMCは魚や釣りの話をしていたので大丈夫です!」と、いゆさんは笑います。ファンの間でもお魚好きは周知のこと。ライブのほかにも、魚や海に関心を持ってもらうため、札幌市内の中学校や高校での講演や、海のゴミで芸術作品をつくる「海ごみアーティスト」としての活動もスタート。

そんななか、第二の転機となる「コロナ禍」が起こります。営業制限や自粛要請によって、全国のライブハウスや音楽関係者は苦境に陥りました。

「自分は、テレビの挿入歌などの仕事でなんとか食べていけたんですけれど、札幌のライブハウスはひどい状況でした。医療機関かと思うぐらい、コロナ対策に力を入れて営業していたのに、『ライブハウスは密になる』と、ミュージシャンも偏見にさらされて...。ライブハウスが潰れたり、イベントができずに困っているミュージシャンをたくさん見ました」

当時の悔しさを語るいゆさん。このままでは札幌の音楽文化が衰退してしまうと、やりきれない気持ちでした。

そんな2021年の夏、いゆさんは函館で「五稜郭まちなかオープンテラス」という、ビアガーデンやライブなどが楽しめるイベントが行われていることを知ります。それは、五稜郭エリアにある商業施設「シエスタハコダテ」の統括責任者・岡本啓吾さんが主催したものでした。

「大都市の札幌ですらイベントができないのに、僕の出身地である函館では、ライブを含めたまちぐるみのイベントが行われている。それがとてもうれしくて、岡本さんに連絡を取りました。ただお礼を言いたかったんです。『地元の函館を盛り上げようとしてくださって、本当にありがとうございます』と」

すると、岡本さんからは「一度会いましょう」というお誘いが。函館に行き岡本さんと面会したいゆさんは、くらしごとでも紹介した元サラリーマンの漁師、熊木祥哲さんと、水産物の加工卸・販売を行う「福田海産」の社長、福田久美子さんを紹介されます。この二人は、それまでも値段がつきにくい低利用魚や規格外サイズの魚を使った加工品を開発したり、魚のイベントを開催するなど活動していたのです。すっかり意気投合したいゆさんは、イワシの消費拡大を目指し曲をつくることにしました。

「わっしょいわし」!歌とイベントと新商品開発で低利用魚を盛り上げろ

イワシは北海道で大量に獲れますが、道民の食卓に上がることは少なく、多くが家畜のエサや肥料にされてしまいます。そんなイワシに親しみを持ってほしいという、福田社長からのリクエストでした。そこで誕生したのが「わっしょいわし」という歌です。シエスタハコダテでは「いわし祭り」のイベントが開催され、いゆさんのトークライブが行われたほか、朝獲れの新鮮なイワシを使った福田海産のつみれやフライ、ベトナム風サンドを販売、多くのお客さんに喜ばれました。

さらに、イワシの付加価値を高めようと、いゆさん、岡本さん、熊木さん、福田社長、シェフや就労支援施設のメンバーでプロジェクトチームを結成し、地場産のマイワシを使った「ハコダテアンチョビ」を開発・販売します。通常のカタクチイワシではなく、脂がのったマイワシをあっさりとしたこめ油に漬けたもので、一時は製造が追いつかないほどのヒット商品に。

iyu_hakodateanchovy146.jpg

このハコダテアンチョビは福田海産が製造加工、販売を行っていますが、瓶詰めなどの作業は就労支援施設に委託しているといいます。

「ハコダテアンチョビの開発には、新しい産業が雇用を生む社会を創りたいという目的もあります。福田海産で全部の工程を行うこともできるんですけれど、社会的に持続的な仕組みではないと思ったんですよね。就労支援施設の方たちは安い工賃で作業をしているという北海道の現状があるので、それを変えたい。実際に、ハコダテアンチョビを委託している就労支援施設の工賃を上げることができました」

ふるさと函館で魚と漁業の可能性を広げる

iyu_sabaku-2-114.jpg


やがて福田社長から、自社で働かないかと誘いを受けたいゆさん。昨年に函館へUターンし、いまは福田海産の水産加工場の工場長を務めながら、音楽に限らず魚の魅力を伝える活動をしています。いゆさんにとって、魚をさばくのはお手のもの。消費者のニーズを踏まえて切り方から工夫を行い、販売時には調理法や豆知識などの説明書きを添えて、おいしく食べてもらうための工夫をしているそうです。

S__49168439_0.jpg

函館獲れるけれど消費されないサメの魅力を伝えようと、親子サメ料理教室を開催サメのクイズ、サメの解体ショーなどを行い、「サメは食べられるの?」「臭いのでは...?」という先入観を払拭、高タンパクでヘルシー、お料理に広く使えるおいしい白身魚であることを伝えました。参加した子どもたちは、サメのすり身を好きな形にこねて、揚げカマボコを楽しく味わったとか。福田水産ではサメを調理しやすいむき身やフライに加工して販売、イベント後に買いに来てくれた子どももいるそうです。

「サメは高たんぱくで低糖質・低脂質。白身魚で調理のバリエーションも豊富なので、高齢者の食事にも向いているんです。医療ソーシャルワーカーだったころの知識や経験を生かしながら、大きなソーシャルワークにつながる活動ができている。毎日が充実しています」と話すいゆさん。最近では、いゆさん、岡本さん、シェフの三人で結成した一般社団法人Local Revolutionの活動として、漁業だけではなく、同じく大量廃棄の課題となっている脱脂粉乳や、おからを使ったお菓子を開発したり、タコスを販売するお店をオープンしたりしています。また、水産業を盛り上げる一般社団法人DO FOR FISHのメンバーの一員としても活躍しています。

奥さんとお子さんの3人家族で、地元函館に「遡上」したいゆさん。オフの日には、2歳になる元気な息子さんと一緒に走り回って回遊し、夫婦で釣りをしては魚をさばいて食べているとか。海のまち・函館で暮らしながら、「次の世代に向けて、魚の魅力や水産業の素晴らしさ、先人が培ってきた魚の文化や歴史、郷土料理に至るまで、音楽も含めたいろいろな形で伝えたい、将来につないでいきたいですね。魚の伴走者であり、伴奏者として泳いでいきたいと思っています」と語ってくれました。

iyu_last2_10.jpg

福田海産株式会社
福田海産株式会社
住所

北海道函館市宇賀浦町15-6

電話

0138-30-8833

URL

https://www.fukuda-kaisan.com/

GoogleMapで開く


おさかな専門シンガーソングライターが、地元で魚の魅力を伝える

この記事は2024年6月13日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。