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地元の魚を食べて欲しい!三代目漁師の熱い思い20220415

この記事は2022年4月15日に公開した情報です。

地元の魚を食べて欲しい!三代目漁師の熱い思い

北海道を代表する港町・函館。函館駅から車で20分ほどの入舟漁港で、熊木祥哲さんは漁業を営んでいます。一度は東京へ出て、サラリーマンとして働いていた熊木さんが、函館に戻り漁師を継いだきっかけから、函館での漁業の現状、熊木さんが精力的に取り組んでいる地産地消の活動までいろいろ伺いました。

バリバリの営業から、漁師に転身

「幼い頃は祖父や父の姿を見てカッコイイな、自分も漁師になるだろうなと思っていました。でも成長するにつれ地元が嫌だと感じるようになり、高校卒業後は東京のデザインの専門学校に進学。卒業後にアルバイト先のマンション販売の会社に誘われて入社したんです」


金額も大きなマンション販売の営業。3カ月で1戸契約を取れたらそのまま続ければいい、と言われて始めたところ、たった2週間で契約が取れてしまったというから驚きです。1日2000本の電話営業や、1件ずつお宅を訪問するなど地道に努力し続けた結果、営業の技術を磨き、どんどん売上を伸ばして活躍しました。ですが、精神的・肉体的に過酷な業界で10年間がんばり続けた結果、29歳でついに体調を崩してしまったのです。

「仕事を辞め、1カ月くらいはなにもせずに過ごしていましたが、父に『帰ってこい』と言われて函館に戻りました。函館で不動産会社に勤めてもいいかなと考えていましたが、実家に住んでいるとどうしても漁を手伝うことになりますよね。父には『金は出してやるから、とりあえず船舶免許を取れ。なにかと役に立つから』と言われて...結局そのままなりゆきで漁師になっちゃいました。いま考えると親父の策略だったのかもしれませんね(笑)」

kumaki_talk.JPG表情豊かに語るお話に、つい引き込まれます

漁師が減る地元で、後継ぎとして

こうして地元の函館で、三代続く漁師の後継ぎとなった熊木さん。現在お父さんと共に漁をしています。小さな磯舟でうにやあわびをとったり、刺し網・定置網でやりいか、ちか、小女子、かれい、ひらめなど、基本的にはどんな魚もとるので、天気と海が荒れていなければお正月以外は休みなく漁に出ているのだそう。


「特に4月末〜9月中旬まで、うにの時期がいちばんしんどいですね。夏は毎日働きづめなんですよ。朝3時台にやりいか漁に出て5時までに出荷、6時からはうにをとる。それを午前中のうちに殻を向いて丁寧に取り出し、午後、塩水パックに漬ける作業。家族総出で一日中、働いています。
冬はというと、海が荒れれば休める日もありますが、寒さが厳しくつらいですね。真冬のあわび漁は寒さで手がかじかんで麻痺するくらい...あわびがいなかったら価格は落ちるけど青つぶ、赤皿貝をとります。
昔は磯舟漁師もたくさんいましたが、いまは8人だけ。僕のように親子で漁をする人も出てきたので、現在は70代が4人、若手が4人ですね。でも自分の親や長老がやめたら若手4人だけになってしまいます」

kumaki_isobune.JPG磯舟に乗り、うにやあわびをとる漁師も減っています

なんとかしなきゃ!と「ハコダテフィッシャーマンズ」結成

函館は海の街であり、また観光地でもあります。魚の流通も独特の事情があり、小売価格が高くなった魚が地元の家庭の食卓に上らない、ということも起きています。


「自分の子どもに『パパがとった魚はどこで売ってるの?』と聞かれても答えられない。このままではいけないと、数年前から色々な人に会いに行くなど営業活動をしています。一番最初にやったのが投書。函館市内の複合施設・シエスタハコダテの投書箱に匿名で『農家さんのマルシェはあるけど、漁師が売れるマルシェがない。漁師が困っているのでなんとか力を貸して欲しい』と書いて入れました。
するとその投書を読んだ責任者の岡本さんが2カ月かけて僕を探し出してくれたんです。
初めて会った岡本さんに、漁業の現状やうまくいかないけどどうしたらよいかわからない、というあふれる思いを伝えると『私が窓口になって苦情などは引き受けますから、一緒にやりましょう!熊木さん独りじゃ寂しいから、ほかにも漁師さんの仲間を集めてください』と言ってくれたんです」

早速、熊木さんが声を掛けて漁師仲間を5人集めますが、皆、当初は懐疑的だったといいます。

「売れなかったらどうするの...軋轢が生まれるのでは...メンドクサイ...という雰囲気。一旦持ち帰って考えてもらうことにしました。
一週間後に再び集まると、なんと全員が『やろう!』と言ってくれたんです。皆それぞれに危機感があったから、まず試しにやってみるべ、となったんですね。
この機を逃すまいと、その場ですぐさま漁師全員にSNSのアカウントを取得してもらい使い方をレクチャー。新聞取材も依頼して、写真付きで紹介してもらいました。もうこれで顔も出たし逃げられないぞと(笑)」

kumaki_fishermanskore.JPGそれぞれの思いを乗せて「ハコダテフィッシャーマンズ」始動!

漁師が魚を売る「マルシェ」は大盛況

そうして発足したハコダテフィッシャーマンズ。逆風もありましたが熊木さんはくじけません。


「コロナ禍だけど、地元を盛り上げて漁師の現状を知ってもらうためにマルシェをやっちゃおう!とメンバーを説得。2021年2月21日、4人の漁師がそれぞれ自分がとった魚を持ち寄って販売するフィッシャーマンズマルシェを開催しました。会場のシエスタには行列ができ、整理券があっという間になくなってしまうほどの反響。皆、地元の漁師を応援しようと来てくれたんですね。僕ら漁師としても、自分がとった魚に初めて自分で値段を付けて、直接売ることができたんです」


フィッシャーマンズの活動を見て、強力な助っ人も現れます。販売のプロである福田海産の社長さんが、お互いに協力しあいたいと連絡をくれたのです。福田社長のアイデアでサクラマスのフライを販売したり、シエスタでもほっけ・いわしをすりみやフライにして販売。新鮮で値段が安く、漁師を応援できるとあって地元の方々が大勢買いに来てくれました。福田海産のお店の前でも「福マルシェ」と銘打って魚の販売をスタートし、いまや福田社長は熊木さんが「福田ママ」と呼んで頼りにする存在です。

kumaki_mamakanbai.jpg福田社長と。「若い人がこんなに頑張ってるのだから自分も協力したい!」と申し出てくれた心強い味方

地元でとれる魚を食べて欲しい

近年、海水温の上昇が影響し、地域でとれる魚も変わってきています。函館近辺では定置網にいわしやほっけがかなり入るようになったといいます。


「時には1トンもいわしがかかることがあるんですよ。でも市場に持っていってもいわしは安値しかつかないし、ひどいときには競りで売れないからと漁師に戻されてしまうこともあるんです。数百kgのイワシが戻ってきてしまったら、仕方がないので知り合いに配るしかない。皆さん欲しいと言ってくれるのですが、毎回同じ人に配るわけにも行かないので、学童保育や子ども食堂、フードバンクに持っていったり...という活動を続けています」

朝早く起きて、燃料を使い船を出してとった魚を無料で配っても漁師にメリットはありません。なんとか買って食べてもらいたい、と知恵を絞ります。

kumaki_namaiwashi.jpgたくさんとれるようになったいわしをどう活かすか
「いわしは美味しくて栄養があるということを知ってもらうには食育がいいのではないかと考えました。そんな時に函館出身のおさかな専門シンガーソングライターの齋藤いゆさんに出会い、『わっしょいわし』という曲を作ってもらうことに。10月末には曲が完成し、シエスタハコダテで「いわし祭り」を開催、いわしのつみれ、フライなどを販売しました。その日の朝に水揚げしたいわしをすぐに加工しているので鮮度バツグン!会場でもたくさん売れ、いわしのおいしさを知った方がリピーターになってくれました」

kumaki_iwashi.jpg新鮮ないわしをフライにして販売したところ大人気!買いやすい価格も魅力
函館で昔からとれる赤皿貝(あかざらがい)も熊木さんイチオシの魚介です。ほたてに似た貝で、ほたてと同じ食べ方で頂くととても美味しいのですが、残念ながら地元でもなかなか売られていないのです。もっと地元の方々に気軽に食べてもらえるようにと熊木さんが情報を発信し、フィッシャーマンズマルシェや福田海産で販売する機会を作っています。

kumaki_akazara.jpg赤皿貝はその名の通り赤い二枚貝。ホタテよりも旨味が濃厚
地産地消のためにいろいろなイベントを仕掛ける熊木さんに外部から声が掛かることも多く、新幹線で大宮まで魚を運び販売するイベントにも参加し、ZOOMで売り子をしたところ函館出身の方やSNSのフォロワーさんが集まり大盛況。その後、福田海産にお取り寄せの注文も入ってきたそうです。

kumaki_oomiya.jpg大宮とZOOMで繋ぎ、函館から売り子として熊木さんと福田社長が魚を販売

漁師として、SNSやマスコミで発信しつづける

熊木さんはSNSで日々発信するほか、新聞やラジオなどマスコミとも上手に付き合い、幅広い層へ届くように情報を発信し続けています。マスコミには自ら連絡して「イベントをやるので力を貸して下さい!」とお願いするのだそう。新聞に記事が出ると問い合わせの電話が殺到して、会場に行列ができてしまうほどの反響があるといいます。さらに、ラジオとの付き合い方は熊木さんならではの独特な方法。


「実は僕、ラジオのヘビーリスナーなんですよ。『生もの苦手な漁師』というラジオネームで漁師の日常や海のゴミ問題などから、ふざけた話まで投稿し続けて、道南ではそこそこ知名度があるんです。ラジオで『生苦兄やんに会いたかったらこのイベントに行くといいよ!』と告知をしてもらったり、ラジオ局に海産物を送ったら『生苦さんから鮑が届いたよ』って紹介してもらえたり。投稿を続けるのは、漁師の日常を知ってもらい、近くの漁師のとったものを食べて応援して欲しいからですね。そしてたまにラジオでいじって欲しいなと(笑)」

体力が要る漁の合間に、それだけ発信し続けるバイタリティに驚くばかりです。

人に会い、繋がって、皆がWin-Winになるように

また、熊木さんは情報収集と人脈づくりにもパワフルに取り組んでいます。手元には分厚いスクラップブックが3冊。「自分の活動の記事」「水産関係」「まちづくり」の3つの分野で気になった記事を集め、「この人に会いたい!」と思う人のところへ直接出向くのだそうです。


「函館教育大の学生さんのシェアハウスプロジェクトの記事を見た時も、すぐにほっけを持って会いに行きました。まちづくりを一緒にやりたい、マルシェをやるから力を貸してくれ!って。そこから学生さんがお店に来てくれたりするようになりました」

熊木さんの「会いたい人リスト」の中には、自分と同じく一次産業を盛り上げたい農家さんや漁師さん、行政の方、函館市内の町会長さんなどもズラリ。日々情報を集め、どんどん会いに行きます。

「みんな僕の熱量に引きますね(笑)でも繋がれば、僕らも相手も、街も潤う。皆がWin-Winになれると思うんです。イベントもやってみたら成功するかも知れないし、失敗するかも知れない。でも皆で意見をぶつけ合いながらやっていくしかないんです」

熊木さんがハブとなってキーパーソンを次々に繋ぎ、地元を活性化させていく。そこには東京で得た営業テクニックも活きているのかもしれません。

一人では限界がある。皆でやっていかないと

数々のメディア出演もこなすだけあって、トークがとても上手な熊木さん。漁協の青年部の部長も務めており、会議でフィッシャーマンズの活動を話す機会があったそうです。そこで興味があると手を挙げた漁協と関係先を熊木さんが繋いで、八雲など函館以外の地域でも、函館と同様の取り組みが進みそうなんだとか。


「僕をきっかけに、いろんな地域が活動してくれたらいいですね。それぞれの地域でとれる魚も時期も違うので、もし僕の地域の海が時化てイベント用の魚が捕れなくても、じゃあ八雲さん代わりに出て!とか、知内頼む!とクラブ活動のような形にしていけたら、というのが目標です」

また、熊木さんは子どもを持つパパでもあります。自分の子どもに魚を食べさせたるうちに食育の大切さを実感したと話してくれました。お子さんの小学校からも「うちの学校は海も近いから、授業でぜひ熊木さんの話をきかせてほしい」と声が掛かったそうです。メディア露出の影響もあって、熊木さんの体ひとつでは足りないほどです。

「僕一人ではできることに限界がある。皆でやっていかないと」と、熊木さん。
熊木さんが前面に立って活動するのは、他の人が動くきっかけになれば、という思いから。漁師さんたち、企業、役所、街の人たちに、熊木さんの熱い思いが伝われば、目指す「魚の地産地消」にどんどん近づいていけるでしょう。

kumaki_3nin.jpg思いを共有できる仲間と一緒に

ハコダテフィッシャーマンズ/漁師 熊木祥哲さん
住所

北海道函館市

URL

https://www.instagram.com/yoshinori_kumaki/


地元の魚を食べて欲しい!三代目漁師の熱い思い

この記事は2022年3月17日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。