くらしごと 海スタイルが、学生さんとコラボする、『レディ魚ー×くらしごと 漁村体験記』。
※この新しい企画については、お知らせページをどうぞ
※レディ魚ーについて、代表の北浦さんにうかがった詳しい記事はこちら
北海道大学水産学部に籍を置くメンバーを中心に、水産物の販売事業を行う『レディ魚ー』のメンバーが、各地の漁村を訪れ、生活や漁業を体験する様子を、これから不定期で、お届けしていきます。
記念すべき第一弾の記事は、石狩市浜益区が舞台。水産業に並々ならぬ関心を抱く、彼ら彼女らの目を通した、漁村訪問記、是非ご覧ください!!
石狩市浜益区とのご縁
皆さんおはようございます!!移動式鮮魚店レディ魚ー(レデイゴー)の漁村訪問担当の、船橋こうき改めふなっしーです。レディ魚ーの活動は販売活動と漁村訪問の2つを大きな軸として活動しております。今回はそのうちの1つ、漁村訪問での学びを報告していきます!
今回の記事担当、船橋こうき改めふなっしー。
今回は2/11〜2/14までの4日間、石狩市浜益区にお邪魔しました!簡単に浜益について紹介します。
今回の漁村訪問は、浜ワークの組合員である徳地さんとのご縁から実現しました。浜ワークとは、特定地域づくり事業協同組合を利用した、1次産業向け(を中心とした)の派遣事業を行う団体(詳しくはくらしごと様の記事をご覧ください)で、昨年の9月末にレディ魚ーメンバーが、鮭漁と加工を体験させて頂いたことをきっかけに、今回ニシン漁体験のため受け入れて頂きました。
浜益の基本情報
所在:石狩市浜益区(2005年に浜益村が石狩市と合併)
人口:1454人(平成27年)
面積:311.2㎢
主要産業:水産業、農業
グエン(メンバー/写真一番右側の黄色い服)が、ベトナム人の技能実習生と会話している様子
今回訪問させていただいた石狩市浜益区は、ニシン漁が盛んな地域であり、その歴史は江戸時代にも遡ります。浜益は暑寒別連山が海に落ち込んでいる険しい地帯に位置し、山を貫き断崖にへばりつくように進む国道が開通するまでは、陸の孤島と呼ばれていたほど隔絶された地でした。草創期はアイヌ民族を動員し行なっていましたが、明治頃から本州からの出稼ぎ労働者が押し寄せ、一大産業へと成長しました。最盛期には浜益村の人口は8〜9,000人にまで上り、浜益は賑わいを見せていたと言います。しかし昭和に入りしばらくすると、乱獲の影響により漁獲量が安定しなくなり、1955年には突然ニシンが獲れなくなったことで、ますますニシン漁は衰退の一途を辿っていきました。それに伴う人口減少も顕著で、現在は最盛期の2割程度にまで減少してしまっています。主要産業は水産業、農業であり一次産業が中心です。水産物ではニシンの他にも、ホタテやサケなども特産品と知られ、農業ではお米や浜益牛が高い評価を得ています。
メンバー一同で選別したホタテ。手でちぎって食べると美味しい。
漁村訪問の目的
今回の漁村訪問の目的はズバリ、『ニシン』です。メンバーそれぞれが、ニシンについて文化的、生物学的観点からアプローチし理解を深め、浜益の水産現場の現状や課題を把握し、その解決には何が必要か考えることを目的としました。
浜益のみならず、かつて北海道中の漁村を賑わせ、地域文化の形成に大きく影響を及ぼしたニシンの面影を探るとともに、訪問直前の7日には小樽で群来(くき)が確認されたほど最盛期であるニシン漁の様子や街の活気を体感することに、メンバー全員関心がありました。
しかしオスのニシンや数の子を取り出したメスの身は、卵に栄養がいってしまっていることもあって価値が低いため、飼料や肥料の原料とされているらしく、その利活用の可能性についても興味がありました。
生物学的な観点ではニシンの資源保護や系群についての関心が高いです。北海道のニシンは明治〜昭和初期にかけては大量に漁獲されていたものの資源が枯渇し、産業自体が衰退してしまった歴史があります。一度は資源量が激減したニシンですが、1996年から北海道主導で行われた日本海ニシン資源増大プロジェクトによる産卵環境の整備や稚魚放流が功を奏し、資源量が着実に回復しており、漁獲量も増加しています。浜益のニシン漁における資源保護の現状やその弊害についても注目することにしました。
地元の漁師さん(徳地さん)、水産加工会社の社長さん、ベトナム人技能実習生の皆さんとお食事
また石狩湾で漁獲されるニシンには、石狩湾系群とテルペニア系群の2つの系群(人間で言うと日本人とアメリカ人のようなもの)があるとされています。
かつて北海道沿岸で大量に漁獲されていたのは、ロシア周辺で繁殖するサハリン系群のニシンでしたが、現在では、日本海ニシン資源増大プロジェクトの対象とされた石狩系群のニシンが漁獲されています。各系群には、脊椎骨数や産卵時期などの違いがあり、実際に同定することを通して確かめることにワクワクしています。
実際に、4日間で体験したことと学べたこと
それでは、4日間がどのようなスケジュールだったか見ていきましょう。
2/11 夕方浜益到着。吹雪の中憩いの場「浜益温泉」で旅の疲れを癒しました。バスの車窓から北海道の日本海側の冬の厳しさを目の当たりにしました。
2/12 朝5:00〜浜でホタテの選別作業。ベルトコンベアで流れてくるホタテ貝を、割れた貝と割れてない貝に選別しました。
選別したホタテが水産加工会社に運ばれます
ベルトコンベアで揺らしながらホタテが流れてくるのでほとんど声が通らず、見て作業を学ぶことが多かったです。賄いとしてホタテ・ホッケ・サバを頂いて、自分たちで捌き調理しました。青年部会の方と交流させて頂き、ニシンの刺身を食べました。
2/13 時化でニシン漁に出られませんでした。夕方から、ホタテ漁師さんと交流させていただき。地域おこし協力隊の方とも交友関係が築けました。
2/14 朝浜益を出発。帰札。
次に、今回の漁村訪問での学びを紹介します。
日本海側でのニシンの資源量が増加したことと、ニシンの需要が増えないことにより、ニシンの価格が下落しています。
1996年から12年間にわたり、ニシン資源を増やすために北海道が主導で「日本海ニシン資源増大プロジェクト」を実施し、それ以降も漁網の目を大きくして資源管理に努めています。しかし、漁や加工に多くの人手が必要とされるニシン漁の経費を賄うためには、大量に漁獲する必要がある状態です。「荒れた海に出て獲った魚が食べられないで、キロ15円か....」と嘆く漁師さんの言葉が印象に残っています。
酢漬けのニシン刺しやニシンの塩焼きをいただきました。
漁師さん手作りの酢漬けのニシン刺し
酢漬けによって骨が柔らかくなり、食べやすくなっていました。全体として、パサパサするといった予想とは反対に、脂の乗りが良く、とてもおいしかったです。ただ、骨が多いことが需要増大への障壁になっていると感じました。
同行したメンバーの中にはベトナム出身の者もおり、ベトナムからの技能実習生の方とも交流することができました。日本海側では技能実習生を積極的に労働力として受け入れており、漁業における人手の現状について理解することができました。言語の壁があるとはいえ、漁師さんは積極的に、旧正月など海外の文化や価値観を認め、尊重しようと努力されていました。
総括とこれからの展望
ふなっしーから総括とこれからの展望を語らせていただきます!!
今回は悪天候もあり、惜しくもニシン漁には出ることができませんでしたが、浜益の方々の温かみに触れ、そして何よりニシンの美味しさに衝撃を受けました。浜益の方々と技能実習生、地域おこし協力隊の方々はとてもアットホームな関係で僕らを受け入れていただき、水産の現状や課題について様々なことを教えて頂きました。ニシンには想像以上に脂がのっていたのにも関わらず、食用とされておらず安い値段で取引されていること、漁師さんももどかしさを抱いていることにショックを受けたため、現在未利用魚プロジェクトが進行中のレディ魚ーとしても、解決策を探っていきたいと考えています。
受け入れてくださった徳地さん、そして浜益の皆さんにはとてもお世話になりました。感謝しかありません。
今回はニシン漁に出られず悔しかったので、また3月下旬にリベンジさせていただきます!
「参考資料」
※石狩市HP 地区別人口・世帯数(平成27年度12月)
※石狩市HP とことん考えよう!市町村合併(第6回)
※石狩ファイル0054-01(2006年9月30日)浜益の歴史
※地方独立行政法人 北海道立総合研究機構 水産研究本部
稚内水産試験場 各種調査・さかなの基礎知識 ニシン
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