北海道の基幹産業である第一次産業。くらしごとでは農業・林業・漁業について、それぞれ「農スタイル」「森スタイル」「海スタイル」というカテゴリで記事を公開しています。「海スタイル」の記事は、主に編集部の海担当が取材をしているんですが、水産関係・漁業関係の方と関わっていると、会話の中に頻繁に現れる一人の大学生がいます。
彼の名前は北浦優翔(きたうらゆうと)さん。北海道大学 水産学部 海洋生物科学科に籍を置く若者です。実は、彼は魚屋さんなんです。
大学生で魚屋さん?
私たちも最初そう思いました。
なんで大学生が魚屋を?そもそも大学生で魚屋ってできるの?
疑問しか出てきません。とりあえず話を聞きに行こうと思い、事前に彼のSNS等を覗いてみたらこれまた面白い内容が。
特徴:とにかく何でも全力でやることがかっこいいと思っている
人生の目的:今、この瞬間を幸せに生きる
彼の中に湧き上がる真っ直ぐで熱いエネルギー。私たちくらしごと取材班は、終始押されっぱなしでした。ぜひこの記事を読んでいただいて、彼の熱さを感じていただければと思います。
生粋のサッカー少年。有り余るエネルギーの向かう先は北海道
緑溢れる北海道大学のキャンパス。取材当日は生憎の雨でしたが、自転車で颯爽と現れた北浦さん。あどけなさが残る無邪気な笑顔が印象的。お話を伺う場所として、北大構内で100年以上の歴史を持つ学生寮、「恵迪寮(けいてきりょう)」に案内していただきました。この恵迪寮が、現在の活動拠点の一つとなっているようです。
北浦さんは大阪府堺市の出身。幼い頃は生粋のサッカー少年で、高校3年まではまさにサッカーにすべてを捧げる生活をしていたとのこと。家の近くに海があったり、魚市場も近所にありましたが、その時にはほとんど行くこともなかったそうです。
「高3までは本当にサッカーばっかりの生活でした。でも高校最後の大会には、コロナ影響で出ることができなくって。エネルギーのぶつけ先探してたら、目の前に受験勉強がありました」
「勉強することは面白かったんですけど、特にこれを学びたいというのは決まってなかったんです。でも自然に関する学問には興味があって、それは実際に見たり、聞いたり、触れたりしないと学べないと思いました。だったら自然を学べるところに行こうと。で、自然といえばやっぱり北海道だろうという浅はかなイメージで。わざわざ北海道まで行くなら、本を読むだけでは学べない学問を学びたいと考えました」
最初から熱い思いを持って北海道に来たわけではなく、あり余ったエネルギーの向かう先がたまたま北大水産学部だったようです。
悶々とした大学生活。そして休学へ
大学生生活が始まった当初はまだコロナが蔓延。なかなか思うような学びが得られず、悶々とした生活を送っていたそうです。そんな中、学生団体と地元の飲食店と大学1年生が一緒に食卓を囲むイベントに参加します。その内容は、参加している飲食店の新メニューを一緒に考えようというもの。そこで、コロナ禍にも関わらず、自分で会社を立ち上げたり、イベントを企画したりと、様々な活動をしている同級生と出会います。これが北浦さんにとって、大きな刺激となったようでした。
「そこには夢中になって活動している同世代が沢山いたんです。逆に自分は、夢中になれるものが見つかってないな〜って思いました。それで、そのイベントの3日後に、そのイベントに参加していた飲食店に『働かせて下さい』って直談判しに行ったんです。バイト募集はしてなかったんですけど」
北浦さんがアルバイトとして働いたのが「夢を語れ札幌」というラーメン店。
(※2023年現在は「夢みてなんぼ札幌本店」として営業しています)
「このお店でしばらくアルバイトしてたんですが、お店の定休日に僕が1日店長になって、お店を任せてもらうことになりました。仕入れから仕込みから調理から接客まで、全部自分でやらせてもらいました」
そこでは自分のオリジナルメニューを考えて提供したり、売上の数%が収入になって、そこから人件費を支払ったり、まさに経営の全てを体験したそうです。寝る間も惜しんでメニュー開発をしたり仕込みをしたりと、肉体的にはかなりきつかったそうですが、いろんな人と、それこそ夢を語り合ったり、充実した時間を過ごしたとのこと。
「店長としては、約4カ月間活動させていただきました。体はしんどかったですが、それよりも大変だったのは人と一緒に働くことですね。自分としては学びたいという気持ちを一番に持って活動していたんですが、全員がそういう思いじゃなかったんですよね。4カ月の活動で、みんなそれぞれ考えていること思っていることがあって、みんな違うんだっていうこと学びました」
新たなエネルギーの向け先を見つけた北浦さんは、毎日を全力で駆け抜けます。その中で、働くことの楽しさや難しさを知ります。他者と足並みを揃える難しさも同時に。
1年生も終わる頃には、自らが在籍する水産の分野でも、現場のリアルな様子やそこで働く人の気持ちをもっと知りたいという思いが沸いてきます。そこで北浦さんは、1年間休学することを決意。大学から離れ、水産業界の現場を見に行く武者修行が始まりました。
水産業界を知る武者修行の旅へ
大学を休学した北浦さんは、水産の現場を学ぼうと各地でインターンシップに参加します。最初のインターン先は、むかわ町にある「鵡川漁業協同組合」。こちらへは、大学の先輩を介して繋がります。
「とにかく現場を見て回りたいと思ってたときに、たまたま大学の先輩が僕が行く1年前に鵡川漁協でインターンしてて、その繋がりで鵡川漁協を紹介してもらいました。漁協でインターンさせてもらえば、魚を獲る漁師さんの仕事も、それを受け取り仲買に卸す漁協の仕事も、水産流通に関わるすべての場面を見ることができると思ったんです。それぞれの立場の人の考えとか思いとかを見ることができると思って」
インターンでの一枚。水産業の様々な仕事を経験します
鵡川漁協では、魚の仕分けや選別などの仕事を経験。働く中で、様々な職種の方の考えや思いを目にしていく北浦さん。様々な立場や思いがあれば、当然一致しない場面も出てきます。ここでもまた、足並みを揃えていくことの難しさを知ります。
「今となっては分かりますけど、その時の僕は単純に、もっとみんな仲良くすればいいじゃんって思いました。みんな協力したら、もっともっといいものになるのに。でも、みんなが同じ考えを持つのはなかなか難しいですよね」
未利用魚についても、そのインターンの中で学んだとのこと。未利用魚とは、漁獲されても十分な利益が得られないことを理由に、活用されていない魚のこと。味は良いのに、知名度が低くて市場に出回らないものも沢山あります。こういった魚にちゃんと価値が付けば、漁師さんの生活も、もっと安定するのに。北浦さんは、様々な水産現場の実情を学んでいきました。
鵡川漁業でのインターンを終えた後は、広尾町に向かいます。広尾では、酪農家や漁師・農家などの一次産業を繋ぎ、体験型観光や商品開発など新たな魅力づくりに取り組む、ピロロツーリズム推進協議会にお世話になります。ここでの目的は漁師さんと、もっと密接に繋がって話を聞くこと。北浦さんはこちらの団体の副代表である、昆布漁師の保志弘一さんと一緒に昆布の漁に出かけたり、漁に出ないときはピロロツーリズムの地域おこし活動にも参加します。保志さん以外の漁師さんとも、多くの交流が生まれました。
船の上での仕事も経験。水産業の面白さと難しさを知ります
「最近の水産業界では、漁獲から加工・販売まで一貫して行う6次化が話題にあがりますけど、全ての漁師さんができるわけでないということも知りました。6次化することが、全ての問題解決にはならないのかなって。漁師さんは魚を獲るだけで事業が成立する、そういう世界が理想なんじゃないかなって思いました」
大学生ならではの真っ直ぐで純粋な視線。大学生だからこそ聞くことができる様々な立場の話。北浦さん自身も、「大学生じゃなかったら、そこまで本音の話をきけなかったのかも」と感じているとのこと。弱冠二十歳にして、水産業界の本当に深いところまで目にしてきたようです。
その後も北浦さんは、インドネシアのバリ島にインターンに行ったり、福岡県の水産卸業者でインターンをしながら、未利用魚のヒラアジ(標準和名は「カイワリ」)を利用したアジフライのお店を出してみたりと、休学期間の1年間を、止まることなく全力で走り抜けます。
彼が見つけた新たな道。移動式鮮魚店「レディ魚ー」
2023年春、休学期間を終え、大学2年生となった北浦さん。このあたりから、私たちくらしごと編集部が耳にしていた、魚屋の事業のお話が出てきます。
「福岡でインターンをさせてもらっていた会社の社長さんから、北海道で支店を出さないかという話をいただいて、その準備で動いていました。でも準備をすすめる中で、自分のやりたいことと支店を出すことが少しずつずれてきて。それで一旦そのお話はお断りしました。でも、水産に関わる何かをやりたいっていう思いは変わりませんでした。来年僕は3年生になって札幌から函館に拠点を移すので、店舗は構えず移動販売で、できることから小さくやってみようと思いました。で、考えはあんまりまとまってなかったんですけど、とりあえず軽トラック買いました笑」
ご両親からお金を借りて手に入れた40万円の軽トラック。こうして始まったのが、移動式鮮魚店「レディ魚ー(レディゴー)」です。当初は生の魚を仕入れて、切り身に捌いて販売することを画策していましたが、諸々の許可の問題で断念。現在は包装された商品を仕入れて販売する、物販事業をメインで行っています。6次化して頑張っている漁師さんへの、販売する場所の提供も目的の一つです。販売する場所は、各地で開催されるイベントやお祭りなど。
ちなみにこのときの北浦さんは、魚についての目利きの知識も捌く技術も全く無し。それではまずいと魚屋さんで修行することを考えます。そうして修行先として選んだのが札幌市内にある一和鮮魚店さん。こちらで週1回、朝から晩まで魚を捌き続けるアルバイトを経験します。こちらのお店についてはくらしごとで取材しておりますので、こちらもご覧いただければと思います。
レディ魚ーイベント出店の様子
「休学中にいろんなところにインターンさせてもらって、本当に沢山の魅力的な方に会いました。その、水産業に関わる人の魅力を、移動販売の事業を通じて多くの方に伝えていきたいと思ってます。それが今の僕にできることだと思ってます」
現在この移動販売の事業は、北浦さんの他30名が所属し、15名位のメンバーが中心となって活動しています。こちらは、これまでのイベントやサークルの繋がりで繋がった仲間たち。しかし、メンバーの中には現場を経験出来ていない仲間も多いとのこと。目下の予定は、メンバーみんなで水産の現場に行くこと。みんなで水産の現場に触れ、多くの方とふれ合い、獲れた魚を食べて、その魅力を伝える力を身に付けようとしています。また。水産業界の課題に目を向けられるようになることも、目標の一つにしているそうです。
新しい水産業界の形を考えたい
北浦さんはこれまで、道内各地で5人の漁師さんのところでインターンを経験してきました。そこでは、これまで全く知らなかった水産業界の現実を目にします。
「広尾の保志さんの昆布漁は、まだしっかりと漁獲量を確保出来ていたんですけど、その他の漁師さんのところでは、思うように魚が獲れない現実を見ました。海老を獲りに船を出しても、10匹しか籠に入らなかったり。狙った魚が思うように獲れなくて、それも漁師さんのリアルなんだなと思いました。だから本当に漁師さんの力にならないと、漁師さんがいなくなっちゃうんじゃないかって思いました」
北浦さんは以前、SNSで「水産業界に革命を起こしたい」と綴っていました。しかし、様々な現実を目にした今は、以前とはちょっと違った思いを抱いているようです。
「いろいろな水産の現場を見させてもらって、変わらなきゃいけないと感じる部分も沢山あったんですけど、残していかなきゃいけないものや、ひっくり返しちゃいけないものも沢山あるなって思いました。残すものは残す、守るものは守る、その上で新しい水産業界の形を考えていきたいなって思います」
「僕たちはもっともっと水産の現場を知らなきゃいけないし、勉強しなくちゃいけないと思います。今やっている移動式鮮魚店は、水産の現場と大学での座学を繋げる場所だと思っているんです。このお店をしっかり形にして、後輩たちが学べる場所を残していきたいです。北大の水産学部生には、頭のいい人がいっぱいいますから」
札幌から函館へ。この先の彼の進む道
北浦さんは大学3年生になる2024年より、札幌キャンパスから函館キャンパスに拠点を移します。活動する場所が変わっても、おそらく、ブレーキを踏むことなく全力で走り続けるんだと思います。そして、何年か先にはまた新たな進路に向けて走り出します。
「将来何をするか、どんな仕事に就くのか、まだ全然イメージは無いですけど、どんな形であっても、水産業には関わってきたいと思ってます」
その言葉を聞けて、私たちくらしごと取材班はとても嬉しい気持ちになりました。私たちがこの先も、水産関係や漁業関係の取材を続けていけば、必ずまたどこかで、北浦さんと会う日が来ると思います。北浦さんが、どんな形で北海道の水産・漁業に関わっていくのか。引き続き彼の姿を、追いかけていきたいと思います。
- 北海道大学 水産学部 北浦優翔さん
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