太平洋に面する自然豊かな白老町に、「飛生(とびう)」という、10世帯に満たない小さな集落があるのをご存知でしょうか。
1986年、この地区で廃校になった小学校を活用し、アーティストたちが共同アトリエ『飛生アートコミュニティー』を創立しました。現在は創立メンバーの子どもたちの世代が受け継ぎ、制作活動を行っています。
文化芸術関連の事業を企画するプロデューサー・木野哲也さんは、仲間の縁で飛生と関わりを持つようになったうちのひとり。2009年より、毎年秋に開催されている飛生芸術祭でディレクターを務めています。
飛生の魅力は、一体どんなところにあるのでしょうか。芸術祭についても、少しだけ扉を開けて覗いてみたいと思います。
ほぼ昔のままの趣で佇む、赤い屋根の校舎
白老町の国道を山側へ向かって走ると、やがて見えてくるのが「飛生」という地区。
鬱蒼と生い茂った木々の中をくぐり抜けるようにして敷地に入ると、かわいらしい赤い屋根の校舎が現れます。これが旧・飛生小学校、現・飛生アートコミュニティーです。
「彫刻家の國松明日香(くにまつあすか)さんや、その仲間の家具作家や漆作家、音楽家など、複数のアーティストが集まって、飛生アートコミュニティーを立ち上げたと聞いています。僕は國松さんの息子である国松希根太(くにまつきねた)くんと友達だったご縁で飛生に通い始めて、もう15年が経ちました」と、木野さんは飛生との出会いについて話します。
校舎がほぼ当時の趣のまま残っているところにも感動を覚えますが、輪をかけて素敵なのが、その周辺に広がる見事な学校林です。
「飛生小学校の学校林にはたくさんの鳥が住んでいて、かつて生徒たちはみんな、同時に鳴く鳥の声を聞き分けられたと言います。1983年には北海道から愛鳥モデル校に指定され、『森の授業』などの校外授業もたくさん取り入れていたそうです。でも、アートコミュニティーを立ち上げた第一世代の人たちはあまり森を利用しなかったようで、僕らが来た時は倒木があったり笹も生え放題だったりと、人間が立ち入るには困難な状態でした。この学校林を切り開いて、再び人が集い、共に学び遊べる空間を作ろう、と2011年春から地域や世代を超えて有志が集まり『飛生の森づくりプロジェクト』をスタートさせたんです」
この森には、黒くて大きな『トゥピウ』という鳥がいる
彼らのような第二世代が第一世代と異なるのは、飛生という地区について掘り下げたり、ここにアートコミュニティーがあることの意味を考えたり、地域住民との距離を縮めたりといった、土地に根付いた活動を始めたこと。森づくりもそのひとつで、根底には「ここを切り開いて、新たに人と人が出会い、集う場所にしたい」という思いがありました。
「まず始めたのは、人が立ち入れるように一本の道を作ること。僕らも森づくりは素人ですから、チェーンソーを使うにせよ、木を倒すにせよ、熟練の人を招き教えてもらったり、森の生態系のバランスを理解している人のアドバイスなどを受けながら進めていきました」
ポイントは、いかに森・人・作品が共生しあえるか。約1.5haの森の敷地は「まだ道作りも途中なのですが」とは言うものの十分歩きやすく整備されており、足を踏み入れるとまるで絵本の世界に迷い込んだような荘厳な空気に包まれます。必要な電気も地下を掘って通し、木にコンセントを付けるなどの工夫も。
「トビウという名前はアイヌ語でふたつ語源があると言われています。ひとつはこの地域に多く生えている『ネマガリダケ(トップ)の多い(ウシ)所(イ)』という意味。もうひとつの語源として[北海道蝦夷語地名解]には『Tupiu 鳥の名、黒き鳥なり此鳥多きにより名く』と記されています。そこで僕らは『この森はトゥピウという大きな黒い鳥に見守られて、そこに集う人、暮らす人がいる』という仮説を立てました。その物語をベースに、イマジネーションとクリエーションの両方を膨らませながら森づくりを行っています」
トビウキャンプ2019のフライヤーです。トゥピウが巣と森を見守っています
人と作品が共生・共存できる森づくりを
ふと木を見上げると、大きな鳥の巣が。これは彫刻家である国松希根太さんとアーティストの小助川裕泰(こすけがわひろやす)さんが、トビウの語源となった黒い大きな鳥の巣をイメージして作った森のシンボルです。近くにはトゥピウが落としたとされる大きな鳥の羽もあり、まるで本当にその鳥が存在しているかのよう。巣の中には木で作った卵が入っているらしいのですが、あまりにも高いところにありすぎて、ドローンで撮影した映像でしか見られないそうです。そんな話を聞くと、一層ワクワク感が増します。
国松希根太さんと小助川裕泰さんによる大きな鳥の巣の作品
「でもこの木、胆振東部地震の前日に、台風で倒れたんです。巣が風を受けてしまった結果ですね。制作した希根太や小助川くんはじめ、飛生メンバーたちはとても悔しがっていたけど、みんな前を向いていました。だから、芸術祭に来た子どもたちに自然の脅威を伝えるために、この倒れた象徴の木に演出を施して見せようと思っていたんです」
しかし、まさか台風の次に地震が来るなんて、誰も思いませんでした。結局、芸術祭は中止に。倒れた木だけが、寂しく残ったのです。
「それでその年の12月、木起こしの手動ウィンチのような道具を使って、丸2日かけて約20人で木を起こし元に戻しました。根っこを定着させるために、今もワイヤーで支えています。巣の上に緑が吹き返しているのを見ると、本当に嬉しいですね」
「森づくりといっても、単純にアーティストの作品を置いていくだけの森にはしたくない」と話す木野さん。木を元に戻す作業もそうですが、この森にはたくさんの「協働・共生」があります。画家・淺井裕介さんが校舎裏の壁に土で描いた絵も、そのひとつ。森づくりに関わった人の手形がたくさん押され、一つひとつがその人たちの顔になっています。
「森づくりって、一緒に汗をかいて、土地の温泉に入ってバーベキューして寝て、朝ごはんもみんなで作ってまた作業を始める...というところまで含めて協働で、むしろそれが大事なんです。最近思うのが、『人に居場所がある』ということ。このアートコミュニティーでの活動が、『ここに行けば会いたい人に会える』『語りたい人がいる』『共に笑い合える仲間がいる』という場所になってきていることに対して、感慨深さを感じます」
さらにデザイナー・石川大峰さんは、この地域で採れる根曲がり竹という土地の素材を使ってトンネルの作品を拡張し続けていますが、忘れてはならないのは「いつか朽ちていく」ということ。
「作品も一次仮設的な発想ではなく、残す前提で作りたいという思いがあるんです。残したいけれど、いつかは朽ちる。すると、メンテナンスや安全面で必ず人間が途中途中で手をかけなきゃいけませんよね。それもまた森と人と作品とが関わりあうひとつの理由になっているんです。そういうところも意識しています」
デザイナー・石川大峰さんによる根曲がり竹をつかったトンネル空間
一昼夜森の中で過ごす『TOBIU CAMP』という体感
校舎を一般開放して開催する飛生芸術祭は、飛生や白老の土地を拠点に創作活動を行う作家や、招へいアーティストたちが、校舎や学校林を会場として、多様な表現を披露する年に一度の『村開き(森開き)』、すなわちお祭りです。2009年にスタートし、その2年後、森づくりプロジェクトを開始した2011年から、芸術祭のオープニングとして「TOBIU CAMP」という新たな試みが始まりました。
撮影:Asako Yoshikawa
「TOBIU CAMPは飛生芸術祭のオープニングイベントという位置づけがあり、よりたくさんの人と交流しよう、お客さんを村に招こう、という意味も持ち合わせ、開催以来、『森と人との百物語』というテーマで開催しています」
このオープニングの2日間だけは、オールナイトで行われます。24時間、全天候型、360度の舞台。「その主役は、訪れた人自身です」と、木野さんは言います。
「一昼夜森の中で過ごす、という経験はなかなかないですよね。他のステージ系イベントでは多くの場合、お客さんは受け身で『何時にこのステージでこれが始まるから見よう』という流れにより集まります。でもTOBIU CAMPでは、時間や場所にとらわれず、そこかしこで何かが行われているわけです。小さな校舎の廊下でダンスが始まったり、森の木陰で誰かが楽器を奏でていたり。音楽、ダンス、演劇、影絵、人形劇...アーティストたちをキャストと呼んでいますが、この場では主役も脇役もありません。一人ひとりが、自分だけの物語を紡いでほしいと思っています」
撮影:AKITA HIDEKI
こんな不便な場所に人が集まるって、すごいこと
ではテントはどこに張るのかというと、学校に隣接している2つのスペースを使用します。2つとも地元業者さんからお借りする白老牛のための牧草地や農業用地です。「地域の方々の協力がなければ、絶対にTOBIU CAMPは実現しません」と木野さん。
右側のスペースはファミリー向けの敷地が広がっています。
「町内会長さんが、とても応援してくれているんです。飛生地区は今、10世帯を下回る過疎地域ですが、そこに僕たちみたいな関係人口が10年も通って活動しているということで歓迎してくれているし、困ったことがあったら相談にも乗ってくれます」
アートコミュニティーの敷地では、町内のお祭りである「飛生祭」も行われます。その際は飛生メンバーたちも、当たり前のように設営などを手伝うなどして参加するのだそうです。地域とのつながりが、お互いの存在をなくてはならないものにしています。
「芸術祭の新しい試みとして、2018年から飛生の土地を出て、白老町内でも幾つかのアートプロジェクトを始めています。芸術祭のためにこんな奥地までわざわざ人が来るって、すごいことですよ。不便、遠い、面倒くさい。でも、開催期間の1週間で約1500人の人が飛生に来るわけです。せっかく来たから周辺で温泉入ろう、新鮮卵買って帰ろう、おいしい魚でも食べよう、という気になるじゃないですか。それは旅の醍醐味だから、飛生地区だけじゃなくてもうちょっと町内を周遊してほしいって思ったんですね」
今年は演劇カンパニー『指輪ホテル』が、白老町内で空いている教員住宅に滞在し、住民と共同で作品作りを行っているそう。それ以外にも影絵アーティストやマレーシアのアーティストも滞在制作を行う予定で、さらなる面白い試みに期待が膨らみます。
「関わりしろ」を、どれだけ作れるか
木野さんたちの活動は、飛生、ひいては白老という名前を、北海道だけでなく日本中に広めています。「町おこしするぞ!」という熱い気持ちがあったというよりは、やりたいことをやっていったら今に辿り着いた、と言う方が近いかもしれません。ただ、町への特別な感情も「少しずつ生まれてきた」ことに間違いはないようです。
「僕も、他の地域で行われている芸術祭を見に行くんです。すると小さな町ほど、おじいちゃんおばあちゃん、役場の職員、子ども、みんなで一緒に運営している。そこで、文化芸術の力ってすごいな、と思うわけです。忘れられた土地の可能性を呼び覚ましたり、あるいは同じ地域に住んでいてもずいぶん顔を合わせていない人同士の結びつきを、もう一度強めたりというようなことは、文化の力はその実現へ一躍を担えるんじゃないかな。文化振興という大きな母船を町の基盤に敷くことで、その船に誰もが乗ってこれるはずだし、それが人の居場所を作ることにもつながる。『のりしろ』みたいな感じで『関わりしろ』と僕らは呼んでいるのですが、それをいかに作っていくかだと思うんです」
現在木野さんたちは、かつて白老町の産業として栄えた、木彫りの熊や民芸に関わっていた地域住民の話しを聞く活動をしています。彫っていた人、売っていた人、卸していた人などを含めてピーク時で1000人以上、民芸品屋も90軒ほどあったそうですが、今はかなり少なくなりました。
「でもまだ町内にいらっしゃってお話が聞けるので、地域住民とグループを作って一緒にヒアリングしているんです。すごく面白くて、聞き重ねていくと、当時の町の活況の風景や彫り師たちの生活背景などが立ち上がってくるんです。それらの記憶を僕ら第三者がどう再編集・再構築し、再発信させられるかと考え続けています。町教育委員会が共催し、飛生芸術祭の会期中に合わせて『白老の木彫り熊とその考察展』を開催する運びになりました。きっと大勢の人が来てくれると思います」
「要は、当事者をどれだけ増やせるか、だと思う」と話す木野さん。人と地域との「関わりしろ」が大きくなればなるほど、少しずつではあるけれども町は変わっていくでしょう。
地域活性の先にあるのは「関わった人、みんなが楽しい」という気持ちです。例えば家族でごはんを食べている時に「今日はこんなことがあってね」と話せる幸せ。「それが、すごく大事だと思う」と話す木野さんは、この場所で何ができるか今日も考え続けています。
「面白そうでしょう? 面白いんだってば! だから、関わってください。白老に」
- 飛生アートコミュニティー
- 住所
北海道白老郡白老町字竹浦520
- URL
<mail>contact@tobiu.com