「New build」プロジェクトとは
タイトルにも掲げました「オヨヨ通り」。なんとも可愛らしい響きの通り名称です。
このオヨヨ通りは札幌の大通とすすきのの間にあり、現在の4プラとpivotの間の東西に走っている西4丁目から西に向かう中小路のこと。
時は1970年〜1980年代。ジャズ喫茶やロック喫茶、飲み屋やライブハウスなどが軒を連ね、知る人ぞ知るアングラの匂いのする中小路だったのだとか。
今はまったく違う雰囲気のオヨヨ通りですが、来年の春に一つのビルが取り壊しになることが決まりました。
時代の流れとは逆らえないもの。
それでもそこにかつてのオヨヨ通りを支えたビルがあったことを記録しておこう、記憶に残そう。というプロジェクトが立ち上がりました。
その名も「New build」プロジェクト。
このプロジェクトの概要を説明する前にみなさんに見ていただきたいVR動画を撮影しました。
360°みたい方向をみれる動画となっておりますので、じっくりご堪能ください。
(※PCからは最新Chromeブラウザなどの対応ブラウザから、スマートフォンからはYOUTUBEアプリからご覧ください)
<YOUTUBEリンク/オヨヨ通りの取り壊しビルを、アートで飾るプロジェクト>
取り壊しになるビルへの壁画アート
オヨヨ通り沿いにあるこのビルは興和産業ビル。
ビルの階段と廊下一面をアートで飾り、最上階である5階にオヨヨ通りの記憶を詰め込んだ壁画アートを描くというプロジェクトの舞台となりました。
動画を見てもらうとわかるとおり、入り口から5階までびっちりと描かれた作品は、是非その足で歩いて、生で感じて頂きたい素敵なアートです。
今では3階の「fudge(ファッジ)」と4階の「ハリネズミ珈琲店」が営業しており、2019年3月までにはこの2店舗も別の場所にうつるのだとか。
「オヨヨ通りをモチーフに壁画を描くという依頼を受けてから、当時のオヨヨ通りのことを調べようとしたら、全く情報が無い。なので当時の様子を知っている人たちにお話しを聞きに行くところからスタートでした」と話してくれたのは、札幌で絵描きとして活躍する相川みつぐさん。
いつでも笑顔で優しく語る相川さん
当時のまま残っているお店は少なく、当時この通りで遊んでいた人たちももう70〜80代。
「fudge(ファッジ)のオーナーや亜璃西社の社長さんなど、札幌の著名な方たちから貴重なお話しを聞く機会も設けてもらい、当時の写真をみせてもらったり、お話しを聞いたりして情報を集めました。今ではOYOYOとローマ字表記で見ることが多いですが、当時はオヨヨ通りとカタカナで表していたなんてことも教えてもらいましたよ」。
この情報収集の準備期間を経て、入り口から描き始めたという相川さん。
10日間で階段の壁画を製作、描きながら5階の壁画の構想を膨らませていったのだとか。
取り壊しになるというビルに描くことに抵抗はなかったのでしょうか。
「もちろん、(作品が)残ることにこしたことはないけど、無くなるというのも儚くていい」と笑います。
今回のVR動画で残せることは嬉しいと話します。そして言葉を繋げます。
「今回のこの企画は、自分の知らない時代の事を聞いて描くというのは初めてでした。だけど世代を変えてもマチは残っていて、形を変えてムーブメントやカルチャーが受け継がれていくというのは面白いと思いますね」。
存在感のある銃のイラスト
ここで気になる質問をなげかけてみました。
オヨヨ通りをモチーフにした壁画の真ん中には銃口に花が刺さったイラストが。
これはいったい?
「オヨヨ通りを表現するのに、当時の時代背景も少し入れたいと思いました。オヨヨ通りが流行った当時はベトナム戦争が起きていた時代で、戦争に反対した人たちが銃口に花を差すという行動が話題となっていたそうで、それをモチーフに描いてみました」。
もともと絵描きになるつもりはなかった
かつて若者が憧れたストリートは姿かたちを変え、マチが変わっていく寂しさもありつつも、また新しいマチの一部となっていく。
このビルに作品を残すということは、前々から描いている作品や思想がリンクすることがあると相川さんは言います。
「もともと自然と動物をモチーフに作品を描くことが多いですね。人々で溢れるこの場所も、ほんの少し前は今ほど開発がされてなかった時代があって。そんなちょっと昔の、自然が主役だった時代の姿をイメージして描いています。階段部分の作品は開拓するために伐採された木々がモチーフになっていたり。そんな開拓されたビルも再開発のために壊されるんだなぁとちょっと思ってみたりします」と優しい笑顔で作品への想いを話してくれました。
相川さんはそもそも絵描きになんてなるつもりは無かったそうで。
「高校に進学して、美術の先生と仲良くなって、絵を描くことは大好きだったけど、絵を描くことが出来なくなったら・・・と考えるとそれを仕事にすることは抵抗があったんです」。
美大に行くことも考えたと話しますが、当時の自分にとっては卒業後のイメージがなんだかピンとこなかったので、選択しなかったのだそう。
プロダクトデザインに興味があり、インテリアも元々好きだったそうで、それらを学ぶことができるインテリアデザイン課のあるデザイン専門学校への進学を選びました。
専門学校卒業後は、自分が求める職場との出会いがなかったため就職の道を選ばず、学生時代から働いていた飲食店などを中心としたバイト生活を送っていたと話します。
「飲食店で働きながら、趣味で絵を描いていました。30歳の時にデザイン事務所をやっている友人からイラストレーターの仕事をお願いされたんです。「コレを描いて」って言われたものを描く、しかも観察して描く事の楽しさをそこで身をもって実感したんです。それをやりはじめてから色々な人と繋がりだして、、、今に至ります」と少し恥ずかしそうに話してくれた相川さん。
作品を見た方から、相川さんに描いて欲しいとオファーが来ることも。
「(自分の作品を)誰かみていてくれているんだなぁと嬉しくなったのを覚えてますね」。
相川さんが毎年手がけているTOBIU CAMP2018のビジュアル
イラストレーターとしてのお仕事を続け、色々な人たちとの繋がりから白老にある飛生アートコミュニィティーに2009年から参加。
相川さんは『TOBIU CAMP』のビジュアルを担当しています。
北海道の白老町の小さな集落『飛生』。
その地区の廃校になった小学校を活動拠点に共同アトリエとして多くの芸術家・表現家の方たちが作品を創出しています。
なんと飛生アートコミュニィティーの興りは1986年。
若手アーティストたちによる『飛生芸術祭』が2009年から開催され、校舎の裏の森づくりが2011年からスタート。子どもたちが自然と触れあい、遊び、学び、集える森をつくることを始めています。
『飛生芸術祭』のオープニングイベントとして2011年から始まったTOBIU CAMPも年を追うごとに想いに賛同した人たちが増えてたくさんの人たちが集まるように。
こういった活動に携わる中で、色々な先輩作家さんたちや仲間との繋がりをまた強めたと話します。
しっかり観察をして描く楽しさを知っている相川さんだからこそ、今回の「New build」プロジェクトのオヨヨ通りの作品を描く方にはぴったりだと人選されたに違いありません。事実、しっかりオヨヨ通りのことをきっちりと調べ上げて素敵な壁画を作り上げています。
「(自分に声がかかったのは)たんに札幌に壁画を描けるアーティストがいなかったんだよ」と笑う相川さんの人柄の良さに惹かれた人たちが、周りには大勢溢れていることでしょう。
オヨヨ通りの取り壊しビルを、アートで飾るプロジェクト
- 相川みつぐ 「New build」プロジェクト
- 住所
北海道札幌市中央区南2条西5丁目(中通)興和産業ビル
※興和産業ビルは2019年春に取り壊しになります
相川みつぐさんのHPはコチラ
「New build」プロジェクトのHPはコチラ