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下川町

豊かな自然からインプットしたものを音楽で表現し、循環させたい20250325

豊かな自然からインプットしたものを音楽で表現し、循環させたい

これまでも下川町の方を紹介してきましたが、あらためて思うのは下川町には「おもしろくて、地元愛の強い人」が多いということ。それはふざけているとか不真面目ということではなく、大好きな下川町という場所で、それぞれが興味あることに対して楽しく真面目に取り組むという意味です。今回取材させていただいた半田智さんもそんなひとり。ジャズピアニストであり、作曲活動も行う傍ら、「とんちんかん楽団」というネーミングからして楽しそうな音楽サークルの活動を町の人たちと行っています。本州から下川町へ移住してきた半田さんに、下川へ来るまでのことや下川に暮らしてからのことなどをたっぷり伺いました。

国際色豊かな環境の中、即興で音を奏でる楽しさを知った10代

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「僕は音楽好き主夫です」と、自身のことをそう話す半田さん。夏は自家菜園で野菜を育て、小屋作りなどDIYにも取り組み、音楽をひとりで楽しむこともあれば、バンドやみんなと一緒に演奏するという生活を送っています。「下川に来てから、本当に豊かな生活をさせてもらっているなと感じます」と言います。


半田さんは東京で生まれ、研究者だった父親の仕事の関係で生まれてすぐにイギリスへ。帰国後は東京の町田で家族と暮らしていました。幼すぎて本人はイギリスで暮らした記憶はないそうですが、半田さんの母親が外国人に日本語を教えるボランティアや通訳ボランティアを行っていたため、家にはいつも外国の人がたくさん出入りしていました。「家の中で国際交流をしているような環境でした」と振り返ります。

いろいろな人が出入りする自由かつ国際色豊かな半田さんの家は、子どもたちの自主性を重んじる子育てを行っていたそうで、「割と自由奔放に育ったと思います」と話します。母方の親戚は芸術肌の人が多く、半田さん自身は3歳のころからクラシックピアノを習っていたそう。とはいえ、聴いていた音楽の幅は広く、クラシックや洋楽からアイドルの曲まであらゆるジャンルに触れていたと言います。中学のときには、スパニッシュギターをやっていた従兄の影響で、ギターを使ってアドリブや即興の音楽で遊ぶ楽しさを知ります。ジャズと出合ったのはそのあとで、家に来ていたジャズトランぺッターから渡されたCDがジャズを聴き始めるきっかけだったそう。

「小学生のときはスポーツに打ち込んでいたんだけど、膝のけがをして以来スポーツからは少し離れて音楽に夢中になっていきました。スパニッシュギターもジャズも、自由に音を奏でられるのが楽しくてね」

高校に進学してからは、マンドリンクラブに入り、コントラバスを担当。ピアノからは少し離れていましたが、高校3年生のときにクラシックピアノを再開します。

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「愛情物語という映画を授業で見たときに、ショパンのノクターンをジャズのようにアレンジして弾くシーンがあって、それを見て自分も弾きたい!って思ったんですよね」

ピアノを再始動させ、大学入学後はモダンジャズ研究会に入って、ピアノとコントラバスを担当します。

「中学のときに従兄とギターセッションして、自由に奏でる楽しさを分かっていたから、クラシックもやっていたけれどジャズも入りやすかったんですよね」

社会人バンドでも活躍。充実した日々を送る中、過労で倒れ...

大好きな音楽漬けの日々は、大学を卒業後、就職してからも続きます。東京にある小売りチェーンの企業に就職しますが、電子ピアノを購入して家で演奏するほか、休み時間になると近くの楽器店へ行ってグランドピアノを弾かせてもらっていたそう。「常に音楽がそばにありましたね。すぐに演奏できるように、コントラバスとピアノの間で寝ていました」と笑います。


Shimokawa_Handa_gakki8462.jpg現在、下川町にある「自宅スタジオ」にも多種多彩な楽器がズラリと並びます

「そんな中で、またクラシックピアノがやりたいと思って、教室に通い始めて、ショパンやラベル、バッハなどを弾くように。そのうち、クラシックをジャズ風にアレンジして弾いてみたりするようにもなりました」

しばらくひとりで演奏を楽しんでいましたが、バンドメンバーを見つけ、4人編成の社会人ジャズバンドを組み、毎月ライブハウスで演奏するようになります。

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「とはいっても、実はライブってあんまり好きじゃないんですよ(笑)」と意外な発言。「即興が好きなだけで、リラックスしてノリや気分で仲間と演奏できるのが好きなんです。だから、練習している時間が一番好きでしたね」と笑います。でも、周りからはライブをやってほしいという要望が多く、「確かにライブだからこそ、会場やお客さんとの一体感を味わえるという楽しさもあるんですけどね」と話します。

仕事をしながらジャズの演奏を続けていた半田さん。もともとあった腰痛が悪化し、人事など管理系の部署へ異動し、人事開発や制度作りに携わるようになります。その後、人事経験を生かし、飲食、服飾とさまざまな業界の人事関連の部署で活躍します。その間も大好きなジャズは続けていました。

小売業界にいたときに7つ下の奥さんと結婚。「当時は都心に暮らしていたのですが、僕自身もともと自然のある場所が好きだったのと、妻も田んぼが周りにある環境で育った人だったので、都会だけど少し自然が感じられる場所に家を建てようと、海も山もある鎌倉に家を建てました」。ちなみにその家を設計してくれたのは、ジャズドラマーをやっている方だったそうで、一緒に演奏もしたとのこと。「すごくステキな家で、気に入っていました」と話します。

ところが、好きな場所に暮らし、趣味の音楽活動も続け、順風満帆に見えた半田さんにアクシデントが襲い掛かりました。電車の中で倒れて救急搬送されたのです。「ちょうど2社目の会社に勤務していたときでした。いろいろな制度を組み立てるなど、バリバリ能力全開って感じで仕事をしていたんです。仕事は楽しかったんですけど、家にも仕事を持ち帰るなど、体は疲れ果てていたんですよね」と当時のことを語ります。病院では過労という診断がくだされますが、その後、電車の中で倒れてしまったことが原因で、電車に乗るたびに不安を感じるように。「動悸が早くなったり、手が冷たくなったり、ひどいときは目が見えなくなったりもしました」。心療内科へ通院するようになり、「2人の子どもを抱え、このままの働き方、暮らし方でいいのだろうか」と夫婦で話し合うようになります。

妻と語り合ってきた夢を叶えたい。移住先を検討中に知った下川町に魅せられる

結婚当初から、毎週金曜の夜には夫婦で夢を語り合い、ブレストを行っていたという半田さん。奥さんは、それぞれに抱える問題によって、外に出られずに困っている人も、心地よく過ごせる場所をつくりたいという夢をもっていたそう。

「僕も妻も子どものころからハンディキャップがある人に対しての社会の在り方に違和感を抱いていたタイプ。それもあって、自然豊かな広い場所で、ハンディキャップのあるなしに関係なく、それぞれがものづくりや音楽、アートなどを楽しめる、ほんわかするような空間を作りたいねと話し合っていました」

半田夫妻のすごいところは、ただ夢を語り合うだけでなく、その場所作りのためのスケジュールを立て、企画書まで書き上げたという点。その場所には「万房(まんぼう)」という名前も付け、「これを実行に移すなら、場所は三浦半島か北海道だねと話していました」と半田さん。

夫婦の夢、半田さんの体調のこと、子どもたちを自然の豊かな場所でのびのびと育てたいという思いなども相まって、移住フェアなどに参加するようになります。

「ちょうどコロナ禍に入り、今の社会の在り方とかお金のシステムとか、おかしいよねという思いもあって、そういうものから抜け出した暮らしをアート中心にやっていけたらと考えるようになったんです」

そんな半田さんが下川町と出合ったのは、Webで移住コーディネーターの立花祐美子さんを見たのがきっかけ。

「そこで初めて下川町を知ったんです。すぐに立花さんに万房の企画書を送って読んでもらったら、とても丁寧なお返事をいただいて...。移住先候補として道内に10カ所くらい候補があって、旭川より上に行くつもりはなかったんですけど(笑)、下川町が候補として急上昇しました」

立花さんたちが掲げている、下川町の「ヒュッゲ」(デンマークの言葉で、家族や友人とくつろぎ心地よい時間を持つこと)な暮らし方にも共感できる部分があったそう。半田さんは下川町のことをいろいろ調べはじめ、実際に下川町にも訪れました。立花さんや町の人たちとリアルで会って、対話を重ね、「本当に町のことを考えている人がたくさんいると分かりました。子どもたちのことを考えている人もたくさんいて、そこもいいなと感じました」と話します。

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「それから、下川の自然の魅力に大きく惹かれました。今まで見てきたものをすべて凌駕するような美しさに圧倒されました。雪原が光り輝く様子や辺り一面の夕焼けなど、今でも感動します。圧倒されて感動疲れして、具合が悪くなるくらい(笑)。でも、自然の中に身を委ねているとインスピレーションがすごく湧いてくるし、作曲するのにもとてもいいんです」

キーワードは発酵と循環。程よい距離感でそれぞれがやりたいことをやれる

そして、2021年に下川町へ移住することを決め、2022年に家族で移住。半田さんは、下川町に来てからある「研究」をしていると話します。

「すぐそばに森や山があって、ダイナミックな空が広がっている。その空から雨が降って、パッと晴れて、虹が出て、それを見た子どもたちはわぁーって感動する。下川町に住んでいるとこれが当たり前になりがちだけれど、このわぁーっていう感動を音楽や絵や物語などに表現できないかと考えています。自然からインプットしたものを、それぞれが持っている感性を研ぎ澄まして、アウトプットしていく。これってひとつの循環なのでは?という仮説を立てています」

感動をその場で表現していくことは、半田さんが音楽で行ってきた「即興」もそのひとつ。「感動をインプットして音でアウトプットしていく。音楽も循環だと感じていて、そのとき大切なのが感性だと思っています」と話します。

「情報過多の時代、子どもたちがどうやって自分の感性で自分を表現していけるか。表現し続けることで自分自身に軸ができれば、たくさんある情報の中から自分に必要なものを選び取れるようになれると考えています。そして、僕はそれを『表育』と呼んでいます」

半田さんが、町内にある施設「ガーデニング・フォレスト・フレペ」で月に1回開いている音楽の場「とんちんかん楽団」もそんな表現の場所のひとつ。音楽の経験あるなしに関係なく、誰でも好きな楽器を持ち寄って自由に演奏をします。

Shimokawa_handa_tonchinkan.jpg「楽器持ち寄り」のとんちんかん楽団、それぞれの得意なことを活かしながら楽しめます

「下川町で暮らしていて、僕がいいなと思うのは、いろいろな人がいて、それぞれが好きなことを選び、好きなことをやってもいいという町の空気感。実際、みんながイベントを開いたり、やりたいことをやっています。新しいものに対して大らかというか、受け入れる土壌がもともとあるのかなとも思いますが、程よく放っておいてくれて、程よくつながっている感じがとても心地いいんです。かと言ってみんな自分勝手というわけでもなく、暮らしている人たちがきちんと町に参加しているのがまたいい。町自体が、強制的にブランディングをしようとしていないところもいいのかなと思います。僕自身は派閥とかグループとかがちょっと苦手なんですけど、下川は好きなときに好きな人が集まって好きに楽しめる。無理はしなくてよくて、人が自然に集まって、まるで発酵しているような感じですね」

半田さんも毎月の「とんちんかん楽団」のほか、アーティストとしてイベントに参加したり、学校やこども園に出向いたりしています。2024年秋には、自身が主催となり、「フレペアートフェス」を開催。下川町や近郊で活動している音楽、アート、食にまつわる人たちが集まり、賑やかな時間を過ごしたそうです。

「移住してきてから、日々、すごく恩恵を受けて暮らしているなと感じています。食べ物はもちろんですが、いろいろなもののお裾分けをいただいています。町の子どもたちと夕焼けを見ようって集まったことがあって、それに参加してくれた子が夕焼けに感動したからと、花を摘んで花束にしてうちに置いていってくれたことがあったんです。そういうのもお裾分けだし、感動や思いの循環だなと思うんです。もらったものを返すだけでなく、恩を回すというか、もらったものを循環させていけるっていいですよね。僕の場合は、それを音楽で循環させられたらと考えています」

町が発酵しているイメージと下川町での暮らしについて話してくれた半田さん。人々の感性や思い、優しさ、自然への憧憬や畏怖などさまざまな要素が、いい塩梅で集まっているからこそ、よい具合に「発酵」していると感じるのでしょう。「とんちんかん楽団」でみんなが演奏しているときも、その場が温かく発酵しているのだろうなと思い、微笑ましくなりました。

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半田智さん
住所

北海道上川郡下川町

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豊かな自然からインプットしたものを音楽で表現し、循環させたい

この記事は2025年1月31日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。