
自然豊かな環境で暮らしたい。北海道へ移住したい。そんなことを考える多くの方が移住候補地として名前をあげられるのが「富良野」。東京にお住まいの方とお話しをすると「えっ?そうなの?」という感じに驚かれることもあるのですが、北海道には「富良野市」の他に「中富良野町」「上富良野町」「南富良野町」があります。どのマチにも「フラノ」がつきます。通な人はそれぞれ「なかふ」「かみふ」「なんぷ」と略して使い分けますので、知らなかった方はぜひ活用してみてください。
今回は「富良野市」に移住されたご夫婦のお話し。人気はあるマチだけど、実際にどうなの?という方は必読。北海道を知らない方が、北海道に来てみて驚いたことなども満載。逆の視点を知るのもとても面白いので、道内の方もご覧下さい。
お話しを聞いたのは三宅 裕之さんと、奥様の美姫子さん。お二人とも富良野市の地元企業、株式会社 西川食品さんで働いています。富良野に移住する前と移住してからについて、とことん掘り下げてみます。
株式会社西川食品は、富良野でもうすぐ創業50年となる老舗企業。地域の「食」を守る企業として飲食店の経営や総合給食事業など、従業員約160人ほどの企業です(別の記事にてご紹介しています。リンクはコチラ → 「食」と「交流」で地域を活性化させる!(株)西川食品 )
注)2021年春より、株式会社西川食品さんは、「株式会社 北の恵」に社名変更されました。
こちらで調理師をしている裕之さんと奥様。まずはお二人が出会う前のお話しから聞いていきます。
裕之さんと美姫子さんのこれまで
三宅 裕之さん
裕之さんは、これまでのことをこう教えてくれます。
「出身は東京です。幼少の頃は千葉県にも移り、中学・高校は兵庫県。父親が会社員なのですが転勤族だったため、いろいろなマチで育ちました。なんとなく、出身地ではないのですが、生まれ故郷は関西...っていう意識があります。仕方ないことなんですけど、引っ越しや転校は子どもながらにとても辛かったですね。高校卒業後は調理の専門学校に進み、そのまま兵庫のホテルで働いていたんですが、都会が大好きなので、関東で働きたい~って思ってたんですよね。そうしたら横浜のホテルに異動になって希望が叶った!って当時は思っていました」
裕之さんが就職したのは誰もが知る超有名ホテル。そして横浜...となると華やかで煌びやかなイメージです。20代で、横浜の有名ホテル勤務となるとステイタスもあったことでしょう。
三宅 美姫子さん
一方で美姫子さんにもうかがいます。
「私は北海道出身なんです。旭川で生まれました。就職率も高いし、私服で行ける自由があるし!って、旭川工業高等専門学校に進学しました」
裕之さんは、現在と過去がつながりやすい背景ですが、奥様の美姫子さんには驚き。全く調理系ではない過去でした。それについて美姫子さんは「高専では化学を専攻していました。卒業後はIT企業に新卒入社。まぁ化学とは関係ないんですけどね(笑)。システムエンジニアを3年間務めました。その後、新しい可能性を見つけるために、東京に出て、1年間通学して調理師免許を取得しました。料理は元々好きだったからというのもありました」
調理の道を目指すにしても、北海道でも実現できるのに、なぜ東京に出たのでしょうか?それについて美姫子さん。
「実は、芸能界にチャレンジしたい!という夢も並行して追いかけていたんです。だから東京。事務所にも所属して、いろんなオーディションも受けながら、アルバイトもしながらって感じで生活していました。そんな生活も年齢的には厳しくなり、その夢は7年弱追い続けたのですが、あきらめて、知り合いの方からホテルを紹介いただき、勤務開始。それが横浜で主人に会うキッカケとなったんです」
生まれも育ちもバラバラだったお二人。ついに接点ができました。結局、横浜には裕之さんが4年半、美姫子さんは2年ほど暮らし、ご結婚するに至ります。
急展開のお二人の結婚後
ほとんどの方々がそうであるように、ご結婚を機に将来を見つめ直し、二人でどう生きていこうかを話し合うと思いますが、三宅さんご夫婦も同じでした。
そこで出した結論は「二人とも故郷を離れてしまっているので、これからのことも考えて、どちらかの実家に近いところで暮らそう」─そんな結論に至ります。そしてお二人が決めたのは「旭川」でした。旭川での職探し。いろいろとあったそうですが、前職の上司の方から、西川食品の専務である天野さんにたどりつくことになります。
その頃のことを裕之さんはこう語ります。
「どこで暮らすことになろうと料理人は続けるつもりでいました。ただ、決断はしたものの、これまでの人生で北海道で暮らすことになるなんて想像したこともなく、なんなら結婚のご挨拶をするために北海道に来たのが最初だったりしましたから(笑)」
前段で「都会が好き」と言っていた裕之さん。札幌や旭川ならまだしも、なぜ自然豊かな富良野だったのでしょうか?人口が200万人の札幌、30万人の旭川から、人口2万人ほどの富良野市。ましてや人口370万人の横浜市と比べるまでもありません。
「少しの間だけ旭川で働いていたんです。そんな折り、富良野で新しいレストランをオープンさせるから、そちらに参加してみないか?とお声がけいただいたのがまずは最初のキッカケ。そして大きな理由としては、専務であり、中華のスペシャリストである天野さんのそばで腕を磨いてみたい!と思ったのが富良野へ移住することになった最大の理由ですね。今も都会好きは変わってませんから、札幌とか旭川には遊びにでますけどね(笑)」
人とのご縁によって、お二人の富良野への道が開かれることになりました。
裕之さんが憧れた調理業界の師匠、(株)西川食品 専務取締役の天野さん
富良野を目指したというよりは、富良野に辿り着いたご夫婦。さらに面白いお話しを奥様が教えてくれました。
「今のお店のオープン準備の間、二人で日本1周してきたんです!働き出したら、すごい長期間の休暇を取るってなかなかできないじゃないですか。旭川のお店で働いた後、富良野でのオープンまで期間があいたので、思い切って3ヶ月間の旅に出発!旭川を出発して、日本海側から海沿いに沖縄以外を車でグルッとまわってきたんです。老後でもできるのかもしれないんですけど、若いウチにやってみて本当に良かった!って思ってます」
移住=転職。
となると、仕事と仕事の間に、人生のための、自分のための充電期間をつくるっていうのも面白い考え方ですね。
そして富良野へ
北海道初心者の裕之さんにまずは富良野の第一印象を聞いてみます。
「関西人感覚からすると、ぶっちゃけ最初は、北海道なんてギリギリ日本に入ってるくらい、めっちゃくちゃ遠いところって思ってました。...北海道のみなさんスミマセン。でも実際に富良野まで来てみたら、全然距離を感じない。そして人の温かさに心打たれましたね」
逆に困ったこともうかがってみます。
「まず、やっぱり雪国ならではの文化なんだなって思いました。『雪かき?』『雪はね?』なにそれ?みたいな(笑)。家の前の雪をよけることなんて、これまでの生活でありませんでしたから、そんなことしてるんだ!って驚きました」
そこで美姫子さんから間髪入れずにツッコミ。
「主人が雪かきしてるのを初めて見たとき、え?何してんの?遊んでんの?って思いました(笑)。なんかふわっふわ動いてて、腰の入り方があまいんですよね(笑)」
北海道に住む人には当たり前でも、こんな疑問もあったそう。
「車の道路の停止線が雪で見えないんですよ。え、どこで止まればいいの?って。こっちはわからないのに、まわりのみんなは普通にちゃんと止まってる。え?ってなってたら、奥さんから『停止するとこココだよ!って看板あるっしょ!』と(笑)。それから除雪車も見たことがなかったので驚きました。迫力ありますね~」
面白いやりとりでした。でも特に雪があまり降らない地域から北海道に移住したら、北海道の人にとっては普通でも、わからないことがあるんだなって再認識に至ります。
裕之さんから「あ、そうだ!JRの運賃表にもビックリしました!5,000円!みたいな路線があったりして。さすが北海道は広いなぁって思った瞬間でしたね」
たしかに!ローカル線を乗り継いで遠くまで行ける北海道だからこそかもしれません。北海道に住んでいると気がつかないことってたくさんありますね。
富良野での暮らし。仕事。会社
富良野にお住まいの環境について、美姫子さんがいろいろと教えてくださいます。
「富良野は比較的賃貸物件は高い方なのかなって思います。リゾート地として有名だから仕方ないのかな...。でもこれまでは横浜に住んでたし、狭い部屋にはあまり抵抗はないので、今も二人でワンルームに住んでいます。まぁ、広めのワンルームなんですけど。それだったら月3万円ちょっとなんで、出費も抑えられます。綺麗な物件で、出勤するのにも歩いて5~6分っていうのも気に入ってます」
逆に横浜時代について気になって、ご主人の裕之さんに住宅事情を聞いてみました。
「横浜の時は単身用の狭い部屋でも月7万円くらいっていう感じが相場でしたけど、私は4万円代の部屋を見つけて住んでいました。しかも通勤も近いところだったので、私たちは住宅関係には運があるのかもしれないですね!」
生活費のウエイトで大きく占める住居費を抑えるというのは、若い世代で暮らしを豊かにするためのポイントなのかもしれないと気がつかされます。
そしてお仕事と会社についてを美姫子さんから。
「西川食品では数多くの食に関わる分野で展開していますので、店舗によっていろんなジャンルを経験させてもらえるのでいいですね。いろんなことを勉強したい!という方には素晴らしい環境ですよ。富良野っていう土地柄もあって、外国からのお客様もたくさんお見えになります。そういう異文化の方々と触れあえるのも楽しいですよね。全然ペラペラではないですけど、自然と英語も使えるようになってきてます」
ご主人からも。「富良野では玉葱・じゃがいも・とうもろこし・メロンがよく採れます。野菜はホントに断然美味しいですね。白菜の甘みなんてすごいですよ。魚も北海道独特の文化があるって驚きました。開いていないホッケが売ってたりするなんて衝撃でした。こういった新しい食材に出会えたってことも、とてもいい経験になっています」
お二人からはさらに、「地元のお客様との接点も多く、人の温かさに触れられる」とか、今回取材をさせていただいた場所である「KITCHEN EVELSA(エベルサ)」。こちらは「コンシェルジュフラノ」という人と人の交流について考え抜かれた建物の1Fにあるため、「富良野市を動かしていくコアになっている方々との接点が多く、マチの動きをいろいろと知れる」ということも教えていただきました。
さらには西川食品さんでは、「HOSTEL TOMAR(トマール)」という宿泊施設も開業しましたので、お二人が口を揃えて言われたのは、「西川食品はコミュニケーションが集まる企業」と表現されました。そして働く人にとっては「自分自身の財産となるものが集まる場所」とも。
最後にお二人それぞれから
裕之さん「正直、北海道に、富良野に住む人生なんて全く考えてなかったんですけど、住んだら都ですね。不便は全然ありません。休みの日も北海道の真ん中にあるからどっちの方向に向かってもプチ旅行ができる。北海道でも場所によっていろんな特色があるのもわかってきて、それが面白いですね。スキー場もすぐですから、関西の時に長野に行くまで4時間もかけてたのが逆に驚くくらい。夏はラベンダーに山でのアクティビティ。ホントにあきないマチですから、興味を持って下さったら嬉しいですね。食材や流通の面からも調理人としても腕が磨けるので、調理に携わる人にも、もっと知ってもらえたらなって思います」
美姫子さん「富良野って普段の生活ができるように中心にぎゅってコンパクトに集まっているので、ものすごく便利です。逆に札幌とか旭川とかの方が、マチのなかでの距離感が遠いんじゃないかなって思うくらい。今はネットで足りないモノは買えるし、生活で困ることは一切ないですね。都会を感じたければ札幌でも旭川にでもすぐに行けるから、車の運転さえできればとても快適に暮らせます。私たち、二人とも都会と言われる横浜に住んでいて、たくさんいろんなものやトレンドが身近にありましたけど、実はこっちの富良野に来てからの方が人生の視野が広がった気がします」
人生の視野が広がる─とてもいい言葉ですね。
首都圏を知り、日本一周をして、偶然辿り着いた富良野という歩みをしてきたお二人。お話しを聞いていると、これまでの経験を経て、やっと人生を輝かせるスタートについたような印象を受けます。富良野がいいマチと言われる所以は、ブランド力や観光コンテンツ、景観やリゾートだけでなく、こういった方々がイキイキと働いていることを、みなさんが感じられるから...なのかもしれません。
- 富良野市 三宅 裕之さん・美姫子さん
- 住所
北海道富良野市本町2-27 コンシェルジュフラノ1F KITCHEN EVELSA
- 電話
0167-56-9083
- URL