
富良野市。人口2万人ちょっとと決して巨大な都市ではありませんが、北海道の真ん中にあるこの地名を知らない人と出会うことはあまりありません。
古くは「北の国から」というテレビドラマからその地名を全国に広げ、夏はラベンダー畑、そしてウインターリゾートを楽しめるとして世界的な観光地であると知られています。でも、富良野の「西川食品さん」を知ってる方は日本にどのくらいいらっしゃるでしょうか。地元の方々は「あ~、西川さんね!」となるかもしれませんが、多くの方はご存じないのではないでしょうか。
日本全国に西川食品という名前はたくさんありそうですし、社名でなんとなく勝手に会社の事業を想像してしまいがちですが、きっとみなさんの予想を裏切ります。
「食」が本業の会社は世の中にたくさんありますが、事業展開の歴史や派生するさまざまな分野を見ていただくと、普通の会社じゃないことに気がつくはず。そして、スタッフの成長支援についてもこだわりがあり、成功している要因を垣間見ることができました。
お話しを教えてくださったのは、株式会社西川食品 専務取締役の天野 正義さん。富良野で地域を守り、観光客のみなさんを受け入れる側のお話しをお届けします。
注)2021年春より、株式会社西川食品さんは、「株式会社 北の恵」に社名変更されました。
天野さんの半生と西川食品との出会い
株式会社西川食品 専務取締役 天野 正義さん
高い襟の白いシャツが似合う天野さん。第一印象はイタリアンやフレンチのシェフなのかな?というイメージを抱きますが、実は「中華」のスペシャリスト。まずは、天野さんのこれまでの人生について尋ねてみます。
「西川食品は昭和47年に創業していますので、間もなく50年という歴史を誇る老舗ですが、私はその歴史のほんの一部に関わっているにすぎません。でもそれでも10年ほどになるのかな」
そう笑顔で語る天野さん。調理人=職人=普通の人が近寄りがたい雰囲気......という図式は既に過去のものであることを感じさせてくれる優しさです。
「こちらにくるまでは、富良野の某有名ホテルの中華部門を任されていたんですが、早期退職の制度に便乗するカタチで身を引きました。その際にたまたま私の先輩が西川食品に関わりがあり、会社が運営する『四季の恵』というレストランの店長をさせてもらうことが、入社するキッカケとなりました。ただ、元は札幌出身と言うこともあり、ワンシーズンをお手伝いしたら札幌に戻って開業するつもり...だったんです。...とか言いながら10年ですけどね(笑)」
今から10年前...となると、ちょうどリーマンショックがあり、世界的な大不況の時期でした。
早期退職、リストラ、就職難。そんな時代に直面し、世の中の多くの人々が新しい一歩を踏み出した時期に、天野さんも誰もが知っている超有名ホテルの肩書きを、後進に道を譲るが如く御自身でおろし、新しいチャレンジを始めたのです。職もチャンスも多いと言われ、不景気傾向が強いと都会に人が集まるもの。超一流の腕があるにも関わらず、結局、なぜ札幌に戻らなかったのでしょうか。
「ウチの嫁さんが中富良野出身ということで、地元だったという一因もありますけど、この富良野で暮らし子育てもし、いつの間にか自分の故郷になってたんですかね。子育てには本当にいいマチでした。子どもたちも立派に成長して社会人になりました。自然もたくさんあって、不便もない。他のリゾート地と違って、スキー場やゴルフ場が周りを囲むようなカタチで都市機能が中心に集中していてものすごく生活もしやすいんです。意外とこのマチで産まれて育った子どもたちにはそれが当たり前すぎてマチの良さに気がついていなかったりもするんですけどね...。繁忙シーズンの波の上下幅が広いのが札幌とは違うかもしれないけど、だからこそメリハリも作れるとも言えるかな。そしてそのままずっと富良野に居続けることになったのは、ウチの社長がいつも言っている『私たち企業が、子どもたちが富良野に帰ってきて、働いて、暮らせる場所を守っていかないと!』という信念に共感しているっていうのもあります」
田舎特有の課題と西川食品という企業
富良野市は北海道の他の田舎町と同じ課題を抱えていました。高校を卒業した先の進路の選択肢といえる大学や専門学校が地元には少ないのです。大学や専門学校進学をキッカケに、札幌や東京に行ったきり故郷に戻ってこないという現象が、ここ富良野でもおこっていました。
子どもたちからすると「戻りたいと思っても働き先がない」という声も聞かれます。その問題に西川食品さんは正面からぶつかっていたのでした。誰かがやることでしょう...ではなく、自分たちがやらなければ!と。西川社長が「やりがいのある富良野にしよう!」というスローガンも掲げているのは、会社経営だけでなく地域の将来を見ているからというのが伝わってきます。
西川食品についてさらに詳しく天野さんに伺ってみます。
「西川食品のスタートは、もともと『マチのお総菜屋さん』でした。地元スーパーや商店なんかに卸したり、テナント販売していました。でもみなさんがご存じのように、スーパーチェーンもグローバル化が進んで、セントラルキッチン(食材の一次加工を行う専門拠点)ができたり、自社店舗で惣菜もつくるようになっていきました。ギリギリまでウチは粘っていましたが、これからのことを考えて、惣菜については最近、手を引くことになりました。でも長い歴史のなかで変わらないことは、『食』を通じて貢献していくという姿勢。総菜の事業が変わっていくなかでも、病院や介護施設・学校などの給食受託事業を伸ばしていき、お弁当、仕出しやオードブルといった中食事業や、140席も備える『レストラン 四季の恵』、新富良野プリンスホテル内にある『炭焼処 きたぐに』、その他にもラーメン店のFC店やゴルフ場に併設されるレストランの運営など、基本は『食』であるものの、ジャンルは多方面に展開していきました」
似ているようで、かなり違うジャンルばかりの事業形態。なぜそのような派生になっていったのでしょうかという問いにも天野さんはこう答えます。
「大都会であれば競合する会社が数多くあるのでしょうが、小さなマチだと『誰かがやらないといけない仕事』というのが確実に存在するんです。儲からないからやめた、働く人がいないから撤退する...ではマチがまわらなくなるんです。そんな感じなので、これまでの長い歴史のなか、いろんな方面から『もしかしたら西川さんならやってくれるんじゃ...』と頼まれてきたんだそうです。そして『採算がとれないかもしれないけどマチのためになるし、じゃあやってみましょうか』って。優しすぎですよね(笑)」
さらにお話しを進めると調理人さんとしては葛藤もあったそうです。
「調理人は、和洋中といったジャンルで腕を磨くのが一般的ですので、いくら『食』であるといってもなんでもマルチにできるわけじゃないんです。でもそんなこと言える環境じゃないですよね。マチのためなんですから。だから今も部門や店舗を超えて、ジャンルを超えた調理をみんなで助け合いながら担当しています。何か1本の道のみを極める!という働き方も当然アリだとは思いますが、こんな感じにいろんなことにチャレンジできるという楽しさもありますね。そしてそれがチームワークを産んで、その雰囲気の良さがお客様にも伝わるっていうのもいいことなんだなと感じています」
新しい店舗「KITCHEN EVELSA」
そして取材でお伺いしたこのお店。『KITCHEN EVELSA(エベルサ)』─取材にはこちらにて行いましたが、とにかく素敵な空間。ウッディな温もりと、力強いコンクリートや金属のマテリアルが融合したスペースに、日差しがしっかりと入る明るく開放的なお店です。こちらのお店のことも伺います。
「エベルサは2018年6月1日にオープンしました。まだ1年ほどの新しい店舗です。席数は60席ほどになります。実はこの場所は元々地元のデパートだったのですが、残念ながら閉店。その跡地を富良野のまちづくり会社が地域の活性化のために活かしていこう!ということになり、そこに私たちも参加したというのが始まりです。この建物は『コンシェルジュフラノ』という名称なのですが、名前の通り、この建物のつくり自体も人と人の交流が産まれるような設計で、私たちもその想いに共感しているというのもありました」
なにげにメニュー表も見せてもらうと、オシャレで美味しそうなものばかり。でも驚くのが価格です。
大抵は観光地価格みたいな設定があって、こちらもそれが富良野なら当然という感じで見るものですが、お食事で700円、800円のメニューも豊富。そしてカレーやラーメンといった定番メニューもあって、店内の雰囲気とは裏腹に敷居の低さがありました。
「ちょっと安すぎませんか?」という取材陣からの問いにも天野さんの答えは明確でした。
「観光地ですから、観光の方はもちろんたくさんお越しいただいてます。外国からのお客様も多いですよ。どのくらい滞在されるかにもよりますけど、富良野で食す限られた食事のひとつとして私たちのお店が選ばれたのなら、責任重大です。ですから気を抜くことはできません。でも、私たちは『地域のためのお店』でもあるんです。ですから、地元の方々にも普段使いしてもらいたい...観光プレミアムみたいな価格設定では使えないですよね。そしてもうひとつ。そういうスタイルであることは、外からの観光のお客様と地元の人々との交流も産まれる場所となります。地元のおばあちゃんが、片言で外国の方に話しかけているのを見たりすると、なんだか嬉しい気持ちになっちゃいますね」
理想や口先だけで綺麗なことは言えますが、価格はウソをつけません。これが西川食品の地域への愛が証明されている事実だと感じずにはいられません。ただ、そうなると何か裏があるのでは?と勘ぐってしまうのも人間の心理。そこも天野さんから。
「富良野で獲れる食材というだけで全国的なブランド力があるんです。だから、富良野を出た途端に価格が一気に上昇するんです。それは農家さんにとってもマチにとってもいいこと。ものすごく農家さんもこだわって作物を育てていますしね。でもその価格では地元の人や食関連業者にとっては困ることでもあります。だからウチの場合は地元農家さんと契約をしていただいていたり、カタチが悪かったり、食材としては高品質なのに出荷できる厳格な水準に満たしていないものなんかを分けていただいているんです。東京や札幌みたいな都会では流通の問題もあってなかなか難しいと思いますけど、ここ富良野だからできることでもあるんです」
なるほど。流通コストの圧縮や直接契約による企業努力と、地元の農家さんを大切にしたいという想いも見えました。
西川食品で働く人とこれからのビジョン
地域への想いや食に対する考え方が見えてきました。そうなってくるとあとは働くスタッフのみなさんのことも気になり聞いてみます。
「現在は正社員が40名ほど。アルバイト・パートさんも含めると160人くらいの会社規模です。同業種で考えると正社員比率は高めかもしれません。アルバイト・パートさんも手伝ってくれる人という感覚ではなくて、正社員と同じ立場の人であると思って接しています。移住して弊社に入社される方も多いですね。面接も私が担当することが多いのですが、どの分野でも経験はほとんど問いません。先ほどもお伝えしたように、いろんな部署でいろんな人が協力し合って働いてますので、そういったチームワークを楽しんでくれる方であればどなたでも!という感じです」
未経験でも構わない受け入れ体制は、これまでも未経験の方々の成長支援をし続けてきたからできることでもあります。さらに...。
「働き方改革をしていく考え方として、さらにシニア層の方にももっと働いてもらえる環境にしていきたいという風にも思っています。これまでの時代をつくってこられたみなさまなんですから、きっといろんなことに活躍していただけると信じています。また、短い時間だったり、子育て中の主婦の方々にも気兼ねなく働いてもらいたいと思います。今も、主婦のみなさんは結構楽しんで働いてくれていると思ってます。保育園に預けながら、お子さんの具合が悪くなっても『すぐに行って上げて!』という周りのスタッフばかり。仲間意識もすごく強いですし、何かあるのはお互い様という雰囲気なんですよね。これからもどんな環境の人であっても分け隔てなく働ける職場を維持していけたらなと考えています」
取材中も、何か疲れているという感じの表情をしたスタッフの方はひとりもいませんでした。西川食品さんには、会社が上で、働く人が下という感覚は全くなく、一緒に楽しく地域を元気にしていこうという雰囲気...働くというよりも「想いや仲間に共感して参加している」というスタッフさんが多いのかもしれません。
また、さらに西川食品さんがスゴイのは、こちらのエベルサの上の階に、HOSTEL TOMAR(ホステル トマール)という宿泊施設もつくってしまったところです。ますます地域のために!の色が濃くでる動きです。こちらもとても面白いのですが、こちらのお話しはまた別の記事にてご紹介したいと思います。
HOSTEL TOMARの受付の様子
西川食品さんのように「地元を出た子どもたちが故郷に帰ってこられるように、働いて、暮らせる場所を企業が守っていく」という考え方は、これから地方都市で求められる企業姿勢の在り方として学ぶべきコトが多いのではないかと思います。そしてイマドキの子どもたちが故郷に帰ってきたいと思う働き方や環境を創出していく柔軟性...つまり、企業側の変化も大切だと気づかされました。
富良野ではウインタースポーツやアウトドアアクティビティと併せたショートステイ・セミロングステイなどの暮らし方も受け入れられやすいマチ。働きながら楽しむ、富良野を感じるといった暮らし方も受け入れてくれる土壌があります。もちろん移住するために正社員として働きたい...や、子育てのためにワークライフバランスを一緒に考えてもらう働き方など、富良野で何か...と検討している方々は、西川食品さんに相談してみてはいかがでしょうか。もちろん、富良野が故郷で、都会に出たかつての富良野っ子にも思い出してもらえたら嬉しい限り。富良野で育ち、マチの外に出たからこそ富良野の良さを改めてわかった子どもたちがまた戻ってきますように。