北海道の中西部に位置する秩父別町。読めますか?「ちっぷべつちょう」です。
高速道路を使って車で札幌市から約1時間半、旭川市からは約1時間とアクセスも便利で、過去には「日本の米百選」に選ばれるなど、北海道屈指の良質な米の産地でもあります。そんな秩父別のまちへ車で向かうと国道233号線沿い、秩父別町役場からも徒歩5分ほどの所に、落ち着いた木の温かみを感じる外壁の建物があります。入り口には、あのお米の独特な凹みをモチーフにしたイラストと「おこめ食堂」という文字が木の看板に書かれています。
ここは長年の夢を形へと、秩父別に住む主婦が2017年9月にオープンしたお店。店内に入ると木のテーブルや、学校でよく見かける技術室の木の椅子、奥には子どもが遊べるおもちゃや昔ながらの黒板があり、なんだか懐かしさも感じられるとても心落ち着く雰囲気。「いらっしゃい!」と元気よく声を掛けてくださった女性、そうこちらが今回のお話の中心人物、お店の店主 塩谷一美さんです。
都会に憧れた18歳
「生まれも育ちも秩父別。もうこんな田舎イヤだ〜!って思ってて、高校卒業と同時に都会に...札幌にでようって思っていたんです」。都会に憧れる田舎町の子どもたちのひとり...そんな感じの塩谷さんだったそうですが、ご家庭の事情もあってそれは叶いません。塩谷さんの実家は代々続く農家。今も秩父別町でお米農家を続けておられます。
「どうしても地元に残ってくれって親から言われて、でも町に働く所なんてなかなかないですし、とりあえずじゃあ、公務員試験を受けて、もし受かって役場に入れたら...ってことにしたんです。最初は絶対受からないって思ってたんですけど、まさかの合格。えええーって。受かってガッカリする人なんておかしいんですけど(笑)。でも文句を言っててもしょうがない。いつかは都会に出られるチャンスもあるでしょ...そう思って地元に残ることなったんです」。
実は、塩谷さんには高校生時代に考えていた夢がありました。いつか自分のお店を持つことでした。「高校生の時に、もう自分のお店の図面を書いてました(笑)。人が集まれるお店にするには~って考えて。小上がりがあって、靴を脱いでくつろげるように...そして店内のBGMは絶対JAZZ!」そんな想いを抱えたまま、役人としての社会人生活がスタートしたのでした。
写真屋の奥さんとして新しい生活
秩父別町役場で仕事をし始めて2年半ほど過ぎた頃、人生の一大転機がおとずれます。ご結婚です。
旦那さんのお仕事は地元で自営の写真屋さんの跡取りでした。「これはもう都会に出ることなんてありえなくなったな(笑)」と、塩谷さんは当時を振り返って笑います。約3年勤めた役場を退職、お子さんも授かり、「写真館 シオヤスタジオ」の奥さんという人生を歩み出しました。
機材持ちなど撮影のアシスタントや、成人式の撮影などでのお着物をセットしたり、出張撮影のお供など、写真館の仕事も楽しいと言います。夏場はご自身の実家の農作業の手伝いもしていらっしゃって、気がつけば、「写真館」「農家」「奥さん・お母さん」という3足のわらじを履きこなす生活をしていました。「いや、3足じゃなくて、写真館や農作業の仕事がないときにはパートの仕事にでたりもしてましたよ!」と塩谷さん...4足でした。
20歳になってすぐにご結婚やご出産、田舎まちでの家業のお手伝いに子育て。ここ最近では同じような境遇の方が減ってきている現代。おもしろおかしくお話して下さる塩谷さんですが、遊びたい年頃に自分のための時間なんてほとんどなかったに違いありません。
パターン化した暮らしからの脱却
都会に出てみたい!子どものころに抱いた目標はあきらめた代わりに、忙しくて大変だったものの幸せだった秩父別の生活。年を重ね、二人のお子さんも成長していくなかでの心境変化が塩谷さんにありました。
「どうせこのまちで暮らしていくのなら、楽しく暮らしたい。いつしかそう考えるようになったんですよね。何もないまちだから、いつも同じようなリズムの暮らしなんじゃなくて、何か面白いことがあったらいいなって」。
そう考え、いろいろと活動を始めます。「ぴりかちっぷ」という秩父別産の「おいしいもの」を使ってお土産品の製造・販売やアートワーク、イベント出店などの活動をする団体も地元のみなさんと立ち上げました。
「このまちの人たちって、いつも同じサイクルの1年を繰り返していたんです。年間行事って何年経っても変わらない、文化的なことのイベントがない、そして気がついたらそんなサイクルに知らずに乗っている自分がいることにも気がついて、このままじゃダメだって思いました。それで、音楽のイベントをやってみよう!って動いてみたんです。でも動くには予算も必要だし、いろいろ調べてみたら、宝くじの社会貢献に関わる事業でコミュニティ助成事業っていうのがあるのがわかったので、それを活用させていただいたり、町の補助金をお願いしたりして企画しました。でも私が始めるんだから、私が好きな音楽でいいよね!って(笑)、大好きなお気に入りのバンドを呼んで、音楽イベントを実施したんです」
塩谷さんお気に入りのバンドは、「BLACK BOTTOM BRASS BAND / ブラック・ボトム・ブラス・バンド」という、日本唯一のニューオリンズスタイルブラスバンドとして、活動をスタートしたメジャーミュージシャン。塩谷さんの熱い想いに応えて、秩父別町にまで来てくれたそうです。音楽も素晴らしいのですが、こんな北海道の小さな町にまで足を運んでくれること自体が、地域への想いを持ったアーティストのみなさんだと感銘も受けます。今ではリーダーの方は塩谷さんのご実家のお米を食べてくれているとか。(BLACK BOTTOM BRASS BANDについてはこちら)
町民の年令や職業に関わらず大勢が集まり、大変な盛り上がりを見せたというその音楽イベント。多くの参加者の方々から「楽しかったよ」「またやらないの?」というお声がけがたくさんあったそうです。それが塩谷さんが高校生の時に抱いた夢を思い出させるキッカケとなったのです。
28年かかった夢までの道のり
「イベントをやってみて思ったんです。やってみたらいいんだって。なんか町のみんなが新しい何かに触れて、それをキッカケに交流してくれるのってすごく楽しかった。あんなに外に出たくてたまらなかったこの町だったけど、何かここでできるんじゃないかって。今の秩父別には、14時から17時くらいの間でやってるご飯やさんとか、カフェって言われるような素敵なお店もない。『そうだ、あの夢を叶える時だ!』って(笑)」。
二人の息子も成人され、体力のあるうちに何かがしたいという想いもあったそうで、ついに28年越しの夢へ向けて一歩踏み出すことにしたのです。
でも、素敵な前向きな話だけではありません。塩谷さんが夢として考えた28年前は、4,000人ほどいた町の人口も、今や2,500人を切っています。人口だけでなく、その内訳も他のまちと同じように、高齢化が進んでいます。本業の写真館のお仕事もバラ色の未来が待っているとはとても言えない状況。
「飲食店なんて儲からないよ!なんて意見もやっぱり言われました。資金もどうするの?とかダメな理由はいくらでもあったと思います。でも支援してくれる人が現れたんです」。
それは塩谷さんのお母さんでした。実はお母さんにも、「お店をやってみたい」という夢があったそうで、お店を始めることは、塩谷さんだけでなく、お二人の目標になったのです。そして、「儲かること」が目標の全てではない塩谷さん。このまちが楽しい町になるお手伝いをするんだという想いが、開店の実現に向けて動き出すのです。
あっという間の開店と協力者の登場
一級建築士事務所tocoto 山本郁江さん
塩谷さんはご自身でご自身のことを「こうと決めたら早い人」とおっしゃいますが、そんな塩谷さんでも店舗を開店するために、2〜3年は先かなって周りにはお話されていたそうです。早速、物件を見てまわりますが、そんな折り、写真館のお隣に住まわれていた方がお引っ越しするという情報をキャッチ。「これはもう、ここしかないでしょうって思いましたね」と塩谷さん。築古の一軒家ではありましたが、あっという間に店舗の場所が決まりました。次の問題はお店として使うための改築でした。
ここで、この取材にずっと横でお話を一緒に聞いて下さっていた強力な協力者、山本郁江さんの登場です。
塩谷さん「山本さんとの出会いは、『塩』でした(笑)。調味料の『塩』です。私のFacebookで塩ネタをアップしたところ、その情報を見た山本さんが買いたい!って、行っていいですか??って(笑)。初めてお会いしてお話を聞いてみたら、お隣の沼田町なの?え?一級建築士なの?女性で?って感じでいろいろとビックリでした」。
そんなキッカケだったのに、さすが行動派の塩谷さん、逆に「カフェをやろうって思ってるから、一緒に物件見てまわるのを付き合って!私、建物については素人だし!」と切り替えします。田舎町同士の強力なタッグが誕生した瞬間でした。その時のことをお二人は「二人して何も考えてなかったよね〜」と顔を見合わせて笑います。
その山本さんが、物件探しから一軒家を改築するサポートを担っていたのでした。
※ここで登場する山本郁江さんは、当サイトでも登場しています。山本さんの記事はこちら
いろんな支援者のおかげでできたお店
改築前のお店の外観
いろいろな人の手を借りながら改装中の様子
塩谷さんは仲良くなった山本さんに相談します。「お店の名前なんだけどさ〜、『デイジー』にしようって思ってるんだよね」。たまたまデイジーの花が咲いているのを塩谷さんが見たからでした。
それに対して山本さん「ぜったい、ぜーったいにダメ!!」。
反対された塩谷さん「さらに山本さんは『デイジー』って名前がダメな理由をパソコンで打った企画書みたいなのを持ってきたんですよ(笑)。本当に止めたかったんですね(笑)」。
お米をメインで出そうって考えていた塩谷さんのことを知っていたからこそ、山本さんからダメ出しだったのです。もうひとつの案として考えていたのが、外国で日本食堂を営む心温まるお話の「かもめ食堂」という映画のストーリーや世界観が好きだった塩谷さんがイメージした「お米食堂」という名前。それを山本さんに相談し、「絶対そっち!」ってなって、お米は平仮名でねっていうアドバイスもあり、「おこめ食堂」に店名が決まりました。そのイメージ、世界観を体現するロゴも山本さんの制作です。
お店の改築も始まっています。
でも資金はあまりありませんので、塩谷さんが率先して作業をします。お友だちや地域おこし協力隊として秩父別にやってきて定住を決めた氣田(けた)さんも大活躍。
「ホームセンターに行って、ペンキやお手頃価格の材料を見つけては買ってきてお店をつくってました。氣田ちゃんなんて、外壁を私が塗るのを手伝ってくれたんですけど、疲れた私が『もう今日はやめようよ〜』って言っても『いえ、今日中にやっちゃいましょう!』って暗くなるまで手伝ってくれました(笑)。今は、リフォームのお仕事がなくなって、氣田ちゃんに会うキッカケがなくなって『氣田ロス』に悩まされてます。『呼ぶか!』って呼んじゃうんですけど(笑)」
お店づくりにも多くの方々が関わって、なんとか準備が整いました。
※ここで登場する氣田みゆきさんは、当サイトでも登場しています。氣田さんの記事はこちら
ついにお店がオープン
2017年8月のプレオープンを経て、ついに9月「おこめ食堂」が多くの支援者や町のみなさんに見守られつつグランドオープンです。
塩谷さんにお店のことを伺いました。「もちろん『お米』が主役のお店として運営しています。でも、できるものは限られるので、今日のメニューという感じで提供しています。ですので、好き嫌いのあまりない方で、そのお店の出すものでいいや!っていう方にはとっても合っているお店です(笑)。おにぎりもやっているのですが、お米の研究も日々続けています。秩父別では『ゆめぴりか』と『ななつぼし』の生産が多くとても美味しいので使っていますが、『ゆめぴりか』は粘りが強くて時間が経つと団子状態になりがち。逆に『ななつぼし』は時間が経つとパラパラになる特性があるので、そのお米をブレンドしています。『今日はおにぎり握れますか〜?』なんて寄ってくれるお客様も今はいるんですよ」。
実際に取材陣も握っていただき食べさせていただきましたが、月並みな言葉ですが本当に美味しい。おにぎりとして握られているはずなのに、お米の一粒一粒がちゃんと立っていて、歯ごたえもあるのにベタつかない。誰もが「こんなご飯を家で炊くことができたら...」って思うに違いありません。
コーヒーにも力を入れていらっしゃって、かなり研究をしているそう。お隣の町、深川市音江町にあるコーヒー専門店「岡本珈琲」さんにも相談しながら、最高のコーヒーを煎れているそうです。
「本当にいろんな方がお見えになってるんですよ。多いのは、秩父別にあるどなたでも無料で利用できる『屋内遊技場 キッズスクエアちっくる』に遊びにきたお子さん連れのみなさんが寄ってくれますね。子どもたちもいっぱい来て欲しかったので、嬉しいですね。地元のおじいちゃん、おばあちゃん世代と、他の地域からきた子どもたちが集まる接点にもなってて、ほのぼのした感じを見てて私も嬉しくなっちゃうんです。他にもいろんな方々がいらっしゃいました。例えばアジアやアラスカといった外国の方が来たときには『おむすび教室』っていうのもやったり、お話してみたら手巻き寿司も食べたことないっていうんで、そのまま手巻き寿司パーティやったり(笑)。留学生の子も結構寄ってくださいますね。他にも道外から『ふるさとワーキングホリデー』という制度を利用して北海道の仕事を体験しにやってきた子が寄ってくれたから、北海道名物のジンギスカンパーティやったりとか。そうこうしているうちに開店して半年で来店数が1,000人を超えました」。
塩谷さんがおっしゃってた「何もない町」に、新たに「おこめ食堂」の名前がしっかりと地図に刻まれたのでした。
飲食店というスタイルを飛び越えて
お店にあったチラシを何気に拝見させていただくとたくさんの「休み」の文字と共に、さまざまな不思議な文字がカレンダーに書かれています。
「らくする会」「レジン教室」「CoCoRoマッサージ」...謎です。
これについても塩谷さん「お店はオープンしましたけど、今ももちろん農作業のお手伝い、写真館の仕事も続けていますので、申し訳ないのですが、お店を開けられない日もまだたくさんあるんです。アルバイトの主婦のみなさんにもお手伝いしてもらっているのですが、みんな小さなお子さんがいる方々で、お子さんやご家庭の都合が合う日だけ出勤してもらってますので、そういった事情もあるんです。特に5月は種まきと田植えでものすごく忙しいので、全然お店を開けられないかも(笑)」。
お店と言えば、年中無休、24時間営業といった方針、なるべく営業時間を増やす方向で考えるのが商売ですが、塩谷さんのように、人口が減ってきているまちでの商売のスタイルは、「産業の支え合い」というのがキーワードになるのかもしれません。
そしてたくさん並んだ不思議な文字について伺うと、「ああ、これは、たくさん人が集まれるようにっていろんなイベントを企画しているんです。『らくする会』は、Facebookでつながったお友だちとコメントをやりとりしているウチにできた会で、お店のなかにお店を開いてカラダに良い物を売るっている企画です。『レジン教室』とか他にもモノ作りに関わるワークショップを開いたり、マッサージはまさにマッサージを受けられるっていう企画です。他にも地元の方によるボサノバライブとか、ハンドメイドマーケットとして『もくもく市』ていうイベントなんかもやっています。「もくもくとつくる」からきてる名前なんですけどね(笑)。その流れもあって、お店の中にはいろんな作家さんの作品も見て買えるようなつくりにもなっちゃいました」。
もはや飲食店というカテゴリーから変わってきているような状態ですが、そもそもの塩谷さんの原点に立ち返ると、ちゃんとその目的をトレースしていました。「人々が集い、交流できる場所」として。
写真館店主の旦那さんや子どもたちも...
奥様が頑張っている一方で、同じ経営者としての立場の旦那さんも写真館という枠組みを超えた活動を展開していました。なんと、ペットフードをつくってしまいました。というのも、ご友人にハンターの方がいらっしゃったのがキッカケ。
北海道では地域柄、農業や林業被害の低減の目的もあってエゾシカの狩猟がさかんで、道内多くの土地でハンターの方が活躍しています。ところが、まだ、狩猟したシカ肉の利用については発展途上であるのが事実。特に人が食べる食用としては、その処理施設や流通経路の問題があり、簡単にはできません。
そこで、そのシカ肉をペットフードとして加工するのはどうだろう?という考えのもと、「Chipわんにゃんジビエ工房」として、ご自宅の車庫を活用した加工施設にしてしまったのです。ジャーキーやふりかけといったペットフードの販売で活路を見出そうとしていました。ちゃんと秩父別の「Chip」が入っているのはなんとも地域愛を感じる商品。ついには旦那さんご自身も狩猟免許を取得したそうです。
そして嬉しいことに、移住施策の効果がでてきているのか、最近では子どもが町に増えてきていて、撮影のお仕事も増えてきているとか。町に1件しかない写真館を守り続けて欲しいですね。さらにペットを飼われるご家庭も増えたらいいなとも思います。
また、奥様側のご実家、農家の後継者問題です。その問題も塩谷さんご夫婦のお子さんが解決してくれることになったそう。次男が「じいちゃんの農家を継ぎたい」と申し出てくれたそうです。「小学校のころから、農家のじいちゃんが格好いい!」って言ってたのを、大人になってから本当に行動にでてくれたようです。一世代飛んだ跡継ぎに、みなさん期待しています。
パッケージデザインもかわいい蝦夷鹿肉ジャーキーと蝦夷鹿肉ふりかけ
長年暮らしてきた秩父別町について
秩父別町の暮らしについても教えていただきました。
「旭川市も留萌市も近いし、とっても便利な場所だと思います。ほどよく田舎暮らしをしたい人にはピッタリな町ですよ。海も山も近い割に、海の災害も台風被害もありません。長年住んできて、安心して住める場所だって自信を持って言えますね。町民のみなさんも外からやってくる人を警戒せずに受け入れてくれる風土。子育てをここでした経験から言えるのですが、子どもを育てていく環境としてもとってもいいですね。高校まで医療費無料とか家賃助成なんかもあるし、子どもがいる家庭への助成も整っています。最近は民間の賃貸住宅もたくさんできてきているし、こども園もあるし、秩父別町の町長が若い世代に向けた施策に力を入れているので、そこもポイントなんじゃないでしょうか。ひとつだけここで暮らしていく上で必要なことを伝えるとするなら、『車』はないと生活で不便かもしれないですね。そのくらいかな」。
おこめ食堂のこれから
最後に塩谷さんにこれからのことを聞いてみました。
「こんな田舎まちで新しいお店をオープンさせるなんて、よくやったね!なんてよく言われますが、まだ始まったばかり。やっとスタートにたったところ。結果が見えてくるのはこれからなんだと思ってます。でもひとつだけ言えるのは『やってみてよかった』ということ。やれない理由はたくさんいくらでも言えるけど、やりたいって思ったときにしかできないことってあると思うんですよ。あんまり難しく考えないで、気がついたらこんな風になってたって感じがいいのかな。今、一番自分が幸せな状態って自信を持って言えるんです。夢中になって、楽しみながらやっていたから、ちゃんとオープンするまで辿り着いてたのかもしれないですね。これからも美味しい秩父別町名産のお米を提供しながら、地元のひとたちの憩いの場っていうお店になったら嬉しいなって今は思ってます」。
都会に憧れながらも、地元に残る選択をしたひとりの女性。北海道、あるいは全国各地に同じような境遇の方もたくさんいるでしょう。
塩谷さんのように、「やってみたいと思ったときがやるとき」「のんびり楽しく」「周りの人も巻き込んで」そんな感じで新たなスタートを地域のために始めてみる人生もいいのではないでしょうか。そして、これから日本全国でさらに顕著になっていく過疎化問題。そんな世の中で、飲食店や商店のあり方の答えのひとつが、塩谷さんの「おこめ食堂」というお手本として語られていくのかもしれません。
- おこめ食堂
- 住所
北海道雨竜郡秩父別町2条1丁目
- URL
※取材当時の情報です。
※現在、お店は閉店しておりますのでご了承下さい。