昭和半ばに九州から道東の中標津(なかしべつ)町に入植、原野を開墾してわずか数頭の牛から規模を拡大させていった竹下牧場。24歳で先代の後を継ぎ、酪農の機械化やブラウンスイス牛の導入を進めた2代目社長は、20年後の2018年、まちに人を呼び込む仕掛けとしてチーズ工房、ゲストハウス、一棟貸しのファームヴィラをつくります。牛や酪農をよく知ってもらうために、そして中標津のファンになってもらうために。
竹下牧場を訪れたくらしごと取材班は、広大な牧草地に立つ、オフグリットシステムを採用した宿泊施設「FARM VILLA taku」に案内してもらいました。
牧草地に立つオフグリット採用の上質な宿
道東の中標津町は人口約23,000、根室地方でも比較的若い人の割合が高いまちです。主な産業は酪農で牛の数は約4万、数多くの牧場があり、今回取材する竹下牧場もそのひとつです。
初代の竹下日吉さんは宮崎大学を卒業後、1956年に学生時代の旅で訪れていた中標津町に入植しました。根釧(こんせん)原野と呼ばれていたこの一帯は、当時でもまだ開拓できる土地があったそうで、馬と人力でなんとか農地を切り開き、家を建てます。最初はわずか数頭の牛を飼う生活から、2代目に譲るころには300頭までに数を増やしました。
お会いした2代目社長の竹下耕介さんも、「開拓者精神」を感じさせる人でした。
案内してもらった「FARM VILLA taku」(以下「taku」)は、木をふんだんに使った、三角屋根が特徴的な建物。グループ向けの一棟貸しで、2つの客室を挟んで大きなダイニングキッチンとコミュニティルームが横に連なり、開放的な窓からは牧草地を見渡せます。
「この建物のコンセプトである『開拓を、みんなのものに。』を、takuという宿の名前に込めました」と竹下さん。この場所は、かつて開拓時代に使われていた道路でした。新しい舗装道路ができて廃止になった跡地を買い取って、この宿をつくったのだそうです。当時の名残ともいえる、古びた道路標識も見ることができます。
「持続可能な未来」へのワンステップとして、takuでは太陽光発電で電気を自給するオフグリットシステムを採用しています。受付棟には電気自動車のテスラもありました。牧場の見学ツアーやチーズ、ピザづくりといった体験も受け付けているそうです。
「泊まったお客さんにも、ちょっとしたチャレンジをしてほしいんですよね。うちのチーズや地元の食材を買って何か料理をつくってみたり、例えば普段の生活が忙しかったらゆっくりと読書をするとか。牧草地の真ん中にある宿という非日常な空間で、いままでできなかったこと、やってみたいことをを楽しめる場所になればと思います」
ちょっとしたチャレンジで「自分」を広げていく。それが、竹下さんの「拓(ひら)く」ということなのかもしれません。
24歳で2代目牧場主に。チャレンジ精神を発揮する日々
ワークショップなどのイベントも行われるというtakuのコミュニティルームで、詳しいお話を伺わせてもらいました。大きなガラス窓から見える景色は、まるで牧場のなかにいるような錯覚を起こさせます。冬に迫る寒さを感じる日でしたが、室内は心地よい暖かさに包まれていました。
まずは、竹下さんが牧場の後継者になったいきさつについて聞いてみたところ、「特に、うちの牧場を継ぐ気はなかったんですよね」と意外な答えが。えっ、そうなんですか?
「兄や姉がいましたし、高校卒業後に進んだ千葉県にある学校も、酪農や農業にはまったく関係のないところでした」
千葉にいたころは、勉強よりもパチンコなどの遊びに熱が入ってしまったという竹下さん。
「2年たって、さすがに遊んでいたのは申し訳ないと思って、牧場の手伝いをしようと中標津に戻ってきたんです」
そこで、酪農の面白さに目覚めたといいます。
「農業って、クリアできそうもない難題をなんとか解決に向けて取り組んでいく、その繰り返しなんですよね。私はどちらかと言えば飽きっぽい性格ですけれど、そもそも毎日が飽きている暇なんてない。それが魅力でした」
息子の適性を見抜いたのか、まもなく先代から竹下牧場の社長の座を譲られます。まだ若い2代目が牧場経営を行うことに、周囲からはかなり心配されたそうですが、竹下さんは苦労よりも、それを上回る楽しさとやりがいを感じていました。
知識も経験も少なかったころ、どのようにして経営を行っていったのでしょうか。竹下さんは次のように話します。
「ちょうどインターネットが普及しはじめたときで、アメリカやヨーロッパなど世界で行われている酪農をホームページなんかで詳しく知ることができたんですよね。牛の飼い方や牛の行動学、そして当時言われるようになった『カウ・コンフォート』、牛の快適性についても、これまでの経験値による感覚で判断するのではなく、研究で実証された大学レベルのデータを学んでいきました」
竹下さんは、このようにして得た知識を、さっそく自分の牧場で試していきます。「チャレンジするほどに成果があがっていくのが見えるんです。『こうしたら、ああしたらもっと良くなる』と考えながら実証していく。とても楽しい時代でした」
イベントの牧場ツアーで目覚めた、まちづくりの意識
竹下さんは、最初の目標としていた新しい牛舎を30歳で建設、その記念に一部ブラウンスイス牛を導入します。経営は順調でしたが、そのころ竹下さんのなかに芽生えてきた違和感がありました。
「消費者との距離が遠い、見えないことに気付いたんです」
竹下さんは、このように説明します。
「私たちは牛乳の生産者としての役割は果たしていますが、搾った牛乳は集乳業者さんに渡すだけ。その先にいる消費者の顔が身近に見えづらくなっていることは問題だと感じていました」
そんなときに、町役場に勤めている元同級生から声を掛けられます。まちおこしのイベント企画で、竹下牧場を見学させてほしいという依頼でした。そこで牧場散策ツアーなどを実施したところ、参加者の反応は上々。竹下さんも「消費者の顔」を見ることができたのです。
「みなさんに喜んでいただけて...」と頬を緩める竹下さん。このイベントを通じて、気づいたことが2つあったといいます。
ひとつは、このツアーが成立するには、牧場をガイドする竹下さんだけではなく、イベントを企画して参加を募集する人、当日に参加者をチェックして牧場まで連れてくる人など、たくさんの人が関わり協力し合っているということ。「自分ひとりではできないということを実感しましたし、逆にみんながいるからこそ、自分以上のことができるんだと実感しました」
もうひとつは、中標津町に関心を持ってもらい、リアルに足を運んでもらうことが、まちづくりの上でも非常に大切だということでした。
「人口アップのための移住・定住とはいわれますが、観光に来てくれるだけでも中標津町に貢献してくれているんですよ。そういった人たちを増やしたい。それに、酪農のまちである中標津は、牛のおかげで成り立っているとも言える。私たちにとっては、単なるミルクやお肉といった以上の、まちに貢献してくれている存在なんです。そういった恵みをもたらしてくれる牛のことや、この地域の酪農文化のことをもっと伝えていきたいし、みなさんに知ってほしい。そう強く思うようになりました」
牛と酪農をテーマに、中標津に人を呼び込む仕掛けをつくる
地元の人たちと関わることで、自分の牧場だけでなく、持続可能なまちの未来を考えるようになったという竹下さんは、中標津に人を呼び込む仕掛けをつくっていきます。空き家ビジネスを営む山川優貴さんと知り合って、中心部にゲストハウス「ushiyado(牛宿)」を共同経営しているのもそのひとつ。宿を拠点に、中標津のまちや牧場を見て、聞いて、感じてほしい。そんな願いが込められています。
ushiyadoについては再彩家・山川さんの記事取材でもご紹介しています。【中標津町】壊さず活かす「空き家ビジネス」。株式会社 再彩家(リサイエ)
このゲストハウスのテーマは、もちろん「牛」。takuと同じく牧場の散策ツアーや、バターづくりに加えてトーストやスープなど簡単な朝ごはんを料理して食べるという、魅力的なアクティビティも行っています。ちなみに、宿泊者はおいしいミルクが飲み放題!ダイニングを兼ねたラウンジは旅人と町民の交流の場としても使われ、牛や酪農関連のイベントやワークショップも行われているそうです。
また、生産者と消費者のお互いの顔が見えるための事業として、自家製チーズの製造を行っています。工房は、運ぶだけで状態が変わってしまうミルクに負担をかけないように、牛舎のすぐ近くに建設しました。
本場イタリアの製法を守りつくられた「はじめましてモッツァレラ」や、3カ月熟成させたセミハードタイプのチーズ「マリボー」など、竹下牧場でつくるチーズは生乳の良さを最大限に生かした逸品。モッツアレラは賞味期限が短く、基本的に町内での販売をメインにしています。
「チーズは最初から最後まで、自分たちで責任が取れる範囲内でやろうと決めています。『このチーズが食べたかったんだ』と言って中標津に人が来てくれるようになったら、それは楽しいなと思いますね」
ファームヴィラとゲストハウス、そしてチーズ工房。
牛の素晴らしさを伝えるために、そして中標津のファンを増やすために、牧場経営に加えて3つの事業を丁寧に行っていきたいという竹下さん。牛への愛情と感謝の思い、そして酪農文化を育んだこの地域へのリスペクトを、さまざまな形で多くの人に伝えたいと、情熱を燃やし続けています。
- 竹下牧場/FARM VILLA taku
- 住所
北海道標津郡中標津町字俣落
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