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浦幌町

社員が財産。小さな町の会社が見据える未来とは。竹田電気(株)20210426

この記事は2021年4月26日に公開した情報です。

社員が財産。小さな町の会社が見据える未来とは。竹田電気(株)

「良い会社」の条件とは何でしょうか。

累計70万部を突破する人気シリーズ「日本でいちばん大切にしたい会社」(あさ出版)という本のなかでは、「正しいことを、正しく行なっている企業」として、まず第一に「従業員とその家族を大切にする」ということが挙げられています。そんなことは本当は当たり前のはずなのに、世の中に「ブラック企業」という言葉は未だに残っており、SNSを中心に、会社で過酷な状況に置かれているというような情報発信がなくなることはありません。

今回、ご紹介するのは「コンプライアンス」「ES(従業員満足度)」なんて言葉が日常的にでてくる今の時代よりもずっとずっと前から、当たり前のことを当たり前に考えてきた小さな町の会社のお話。

転職や就職活動をしている人、都会から移住を考えている人は、「良い会社との出会い」を探していると思いますが、こんな考えを持った会社が小さな町にもあるんだということを知ってもらえたら嬉しいです。

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北海道の穀倉地帯である十勝平野の南東部に位置する人口4,600人ほどの町、浦幌町。十勝エリアの中心部である帯広市から車で1時間ほど。東京との直接アクセスのある帯広空港(とかち帯広空港)も同じく1時間程度ということもあり、北海道への移住を考える方々にも注目が高くなっている町です。

さまざまな機関・施設・店舗がコンパクトに集まった、生活のしやすそうな市街地を南北に貫く道道55号線沿いに本社を構えるのが竹田電気株式会社さん。創業は1937(昭和12)年。もともとは自転車販売店として、産声をあげました。その後、テレビやラジオなど家電製品の販売・修理業を経て1958年(昭和33年)頃から電気工事を請け負うようになり、現在はそのお仕事がメイン。内線工事(建物内の内線・電気配線・コンセント等を設置する工事)と外線工事(主に電柱を建て、架線をはり、電気を通す仕事)の2部門があります。

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竹田電気 三代目社長・竹田 悦郎(たけだ えつろう)さんが今回の記事の主人公。会社や社員のことはもちろん、地域のことを誰よりも強く考えている会社があると聞いて取材に伺いましたが、正しいことを正しく行い、従業員を何よりも大切にしている、人としての魅力に満ち満ちた方でいっらしゃるという話は、本当のことでした。

(すごい人がいるからお話を聞いてみなよ!と竹田電気さんの情報をくださった社長はコチラ)

竹田社長の生い立ち〜ウェルカムドリンクとともに

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3月中旬のある日のこと。1997(平成9)年に建て替えられたという竹田電気本社に私たちは向かいました。55号線道路に面したショーウインドウからは、オール電化のキッチンが見えます。今はもう使われていないそうですが、昔は講師を呼んで、ここで料理教室を開いていたとか。

「当時は、地元の主婦のみなさんとかがワイワイ集まってて楽しそうにしてたんですよ」と竹田社長。オール電化住宅を営業するための場所なのかと思いきや、どうもそれは二の次のように聞こえます。地域のみなさんが集まる「場作り」のほうがメインのご様子。

脇道に入り従業員入口から2階へ上がると、竹田社長はウェルカムドリンク(!?)を用意して待っていてくださいました。その名も「行者大蒜(ギョウジャニンニク)ドリンク」

竹田社長が経営しているもうひとつの会社、株式会社ユーエムから販売されています。行者にんにくとは、別名アイヌネギとも呼ばれる北海道の人にはお馴染みのネギ科の植物。内臓脂肪の燃焼を助け、疲労回復や滋養強壮によいとされています。

ドキドキしながら飲んでみると、独特の匂いは独自の技法で完全に消され、パパイヤエキスで味付けされているのでとても飲みやすいのです。このあと1箱分を山分けした取材チーム。でもなぜこんなドリンクを?電気工事屋さんですよね?とうかがうと「浦幌町の名前をいろんな人に知ってもらいたくてさ、浦幌産の行者にんにくを使ったらいいかなって思って」と社長。行者にんにくのキツイ香りはドリンクからしませんが、アイディアマンの匂いが社長からプンプンします(笑)。

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竹田社長は、現在本社が建つまさにこの場所で産声をあげた生粋の浦幌っ子。現在72歳。浦幌の小中高を出てからは、東京の日本体育大学へ進学されたそうです。

「会社を継ぐなんてことは毛頭考えていなくて、体育の先生になりたかったんですよ。体格がガッチリしているから、みなさんが尋ねたみたいに柔道?って思われることも多いんですけど、レスリングに明けても暮れても日々打ち込んでいました。レスリングって当時は珍しかったと思いますね」

体育教師を目指して上京した竹田社長ですが、大学卒業後は先代の社長であったお父様が体調を崩され、すぐに地元十勝へ戻りました。1年間、電気工事の資格を取得するために帯広の職業訓練所に通ったのち、家業の竹田電気でまずはイチ社員として働くことになりました。

まず最初に担当したのは、外線工事の仕事。この頃は、今のように便利な掘削や建柱の機械もなく、ほとんどが人力の時代です。木製の電柱を担いで山の中に入り、2メートルくらいの穴もスコップで掘ったといいます。かなりの重労働だったろうと容易に想像できますが、そこは日体大出身、若き力に満ち溢れていた竹田社長は、そこまで苦にはならなかったそうです。「これなら何とか家(竹田電気)で頑張れるかなと思った」と、当時を振り返ります。

同僚の問いかけから始まった「社員を大切にする会社づくり」

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外線工事の仕事を続けていた当時の竹田社長が、まず最初に思ったのは「社員の人たち」のことでした。ある日、電柱工事の休憩時間に食事をしていると、(先代)社長の息子であるがゆえでしょう。同僚の社員が、まだ一般社員である(現)竹田社長に悩みを語りかけます。

「こんなに一生懸命働いているのに、なぜ給料が上がらないんだろう...?」

この問いかけが、共に汗水流して現場で働く竹田社長の胸に響きました。当時は労働基準法を始めとする法的な整備や経営者の社員に対する考え方は、まだまだこれからつくられていく過渡期の時代。そんな世の中なので「働くってそういうものでしょ」で社員の問いかけを終わらせることもできたはずなのに、切に疑問に感じたと言います。

残業も当たり前で、毎日汗をかきながら頑張って働いている社員の給与が上がらないのは何が原因なのか...。当時の社長である父に理由を聞いてみると「会社が儲かっていない」という意外な答え。儲けがないから還元できないというその答えに、そんなはずはないと詳細を調べてみると、経理上のある問題が発生していたことが分かりました。以後、同僚の問いかけを機に「会社がまわるしくみ」を整えていった竹田社長。給与の保証、土日祝日の休暇、雇用の維持など「働いている人の待遇改善」に意欲的に取り組んでいきました。

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「会社の利益は、会社の資本もあるけれど働いている人たちの努力のもとにあります。もちろん株主もいるので、それぞれ3:3:3くらいで収益を分散できるように。利益が出たら社員に還元する。それを普通のことにしていきたいと思っているんですよね」

会社が良い状態のときは、賞与や夏冬のボーナスを支給して、年間の総支給を上げられるよう努めているそうです。逆に業績が悪くなってしまったら?

「民間企業は景気によって経営が左右されるところも大きく、山あり谷あり。でも、会社が厳しい時は自分の給料を下げてでも社員の最低限の給与は保障しようと思っています」という竹田社長の言葉は、ただひたすらに真っ直ぐ。スポーツ精神そのもののようで、取材チームは感動すら覚えたのでした。

さらに「社員を大切にする」竹田電気の福利厚生について語る際に、外してはならない重要トピックは、社員全員を連れたハワイ研修(という名の慰安旅行!?)です。社長の娘さんの1人がハワイ在住ということもあり、現在までに2回実施されているそうです。

「北海道を出て広い視野をもち、異文化のなかで思い切り楽しみ、リフレッシュしてほしい」と社長。会社が全額負担したのはもちろんのこと、なんと、旅行前に「特別手当」という名目で現地で使うであろう費用も支給したのでした。「社員のことを考えている」と言葉ではいくらでも並べられますが、実行しているという証拠のひとつでもありました。

人を想い、町を想う

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竹田社長との語らいのなかで感じたのは、「人柄の良さ」という言葉では到底足りない、社長の芯の部分から放たれる「人への想い」そして「町への愛着」でした。

実は、竹田電気株式会社と冒頭でご紹介した株式会社ユーエムに加えて、不動産会社(有限会社レアス)を経営している竹田社長。現在は、うらほろ森林公園の指定管理業や、市街地でお花屋さんを営業したりしています。この会社は、もともと社長と旧知の仲であった方が経営をしていましたが、13年程前に突然の病によってこの世を去ってしまいました。その際に、社長に宛てられた遺書に「会社を繋いでほしい」という言葉があったことが縁で、その遺志を受け継ぎました。

「儲からなくて大変だけど」と苦笑する竹田社長ですが、竹田社長にとって利益は二の次なのでしょう。その次に口から出てきた「それでも、そこで働いている人たちがいるから、その人たちがある程度の生活はできるようにしないと」「花屋さんがない町は寂しすぎる。だから赤字は仕方ない」という言葉。優しい笑顔の竹田社長に、なんだか胸がいっぱいになりました。

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また、竹田社長は浦幌町商工会の会長も務め、浦幌町のまちづくりや地域発展にも力を入れています。隣接する豊頃町や帯広市の建設会社と共同で、東十勝ロングトレイル協議会を設立。東十勝の森林や河川、海浜の豊かな自然環境と、北海道開拓時代の歴史的、文化的遺産や旧浦幌炭鉱を「トレイル」という手法を用いて巡る、体験活動型観光を提案しています。新型コロナウイルス等の影響もあり、次回の開催は未定ですが地域の魅力を十勝管外へ発信すべく奮闘しています。

「人口は年々少なくなってきているけれど、外に輝きを放てるような、町民にとっても外から来る人にとっても楽しくて良い町になってほしい」と願う竹田社長。「村的価値観」が強い閉鎖的な場所では、一度人間関係が崩れると元の暮らしを維持することすら難しくなると言われがちな世の中ですが、どんなことがあっても、誰に対しても親切で、フランクに付き合える町を理想としているのです。浦幌町がこれからも「生き残っていく」ために、竹田社長の挑戦は続きます。

頼もしい社員たちと共に

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現在、竹田電気の社員数は16名。そのうちのひとりである事務の小島 幸江(こじま ゆきえ)さんは、1997年(平成9年)に竹田電気に入社して、今年で25年目。札幌市のご出身で、ご主人が浦幌町の役場に勤めていたことから、こちらに移住してきました。

総務や経理などの事務的な役割を担っていますが、入札に関する業務や、電気工事についても熟知している「スーパー社員」と社長。「事務というよりも、会社のこと、業務のことを何でも知っている総務部の幹部的存在。電気工事に使う部品や器具もほとんど知ってますし、何でも答えられるんですよ。現場の社員も小島さんに相談したりするくらいだから、安心して任せられます。あんな事務員さん、そうそういるもんじゃないですね」と、竹田社長も全幅の信頼を置いています。社長曰く「シャイな先輩社員」に代わって、新入社員の心の拠りどころのような存在になってくれているといいます。

さらに特筆すべきは、定年を超えても仕事を続けている65歳以上の社員が3名もいること。年金受給額が減額されない最高限度の範囲内で、働いてもらっているそうです。そのうちのお二人は、なんと勤続50年以上!もちろん強制ではなく「その人が働きたい、まだ働けると思ううちは働いてもらっている」というのが竹田社長のポリシーです。途中で退職する人がほとんどいないのが、竹田電気さんの特徴のひとつでもあり、働き続けたい良い会社である証明でもありました。

加えて、浦幌町には他に3社の電気関連会社がありますが、その全てのお店は竹田電気の「血統」を継いでいます。先代の社長の時代に竹田電気から独立した社員とその息子さんたちがそれぞれのお店を運営しているのです。
性別や年齢による区別は、竹田電気さんでは全くありません。どこまでも社員に寄り添い、彼らの努力や成果に正当な対価を与えてくれるのがこの会社なのです。

次世代へバトンを渡すために

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竹田社長は平成の始まり(1989年1月)から社長職に就き、今年で32年目。今、新しい世代の採用を積極的に進めています。

少子高齢化が進行し、人口減少が進行する地域社会において、「町の電気屋さんがなくなる」というのは喫緊の課題でもあります。町に唯一の電気屋さんに後継者がおらず、店主も高齢で店を閉じたがっている......誰か良い人材はいないか?という相談も竹田社長のところに届くそうです。今後そういった問題を抱える町が増えていくことは、容易に想像がつきます。

現在は浦幌町だけではなく、近隣の豊頃町をはじめ、池田町や本別町でも主要工事を請け負っている竹田電気さん。頼りにしてくれるお客さんのためにも、若い世代を積極的に採用して会社を守り、次世代へ継承していきたいと考えているそうです。

「一生懸命で真面目な人」であればどなたでも!

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「私は体育会系だから単純なんですよ(笑)。難しいことを考えるのはあまり好きではないですよね」と冗談めかして笑う竹田社長ですが、いわゆる体育系と言われて抱く会社のイメージは、竹田電気さんからはあまり感じられません。今までは浦幌町やその近隣でとどまっていた人材採用の募集ですが、今後はUターンをしたいと考える高校生や大学生や北海道に移住を考えるみなさんにも「どんどん来てほしい」という竹田社長。

未経験でも電気に関する知識もなくていいから、アシスタント業務からはじめて、徐々に仕事を覚えながら資格取得を目指して欲しいと竹田社長は話されます。現在、現場に出る女性社員はいらっしゃらないそうですが、今後は「やっぱり女性もいるべき」とも考えているそうです。かっこいいですよね「電気工事女子」。「電女」と訳されるようになるのでしょうか(笑)。電女チームとかが浦幌町から誕生して町を支えていって欲しいなと思います。

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「我々は浦幌や豊頃にいるお客さんに仕事をもらって食べさせてもらっている。その気持ちだけは絶対に忘れてはいけないと思っています。お客さんの期待に応えられるように、良い社員を育て、技術的にも進歩して、安心して顧客に仕事を提供できるような会社にしたい。それが最終的な考え方であって、それ以外ないとも言えますね」と最後に締めくくった竹田社長。

社員を大切にし、お客さんを大切にし、町を大切にする竹田社長。それでいて若い人を先頭に立たせて「年配者が多くを語っても迷惑だから」と、あくまでも目立たないように陰からそっと支援する姿勢。日本中の多くの人にとっては、名も知れぬ小さな町の小さな会社と社長ですが、日本中の多くの人にとって理想とする会社像のひとつがそこにはありました。

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竹田電気株式会社
竹田電気株式会社
住所

北海道十勝郡浦幌町宝町17番地

電話

0155-76-2337


社員が財産。小さな町の会社が見据える未来とは。竹田電気(株)

この記事は2021年3月18日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。