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このまちのあの企業、あの製品
富良野市

北海道のニンジンを守った機械メーカー オサダ農機(株)20190912

北海道のニンジンを守った機械メーカー オサダ農機(株)

みなさんは、ニンジンってどうやって収穫されているか知っていますか?

かつてはたくさんの人の手で掘り起こされていたニンジンですが、そのニンジンを機械で収穫できるように革命を起こした会社があります。大手メーカーではなく、北海道富良野市にその企業はありました。オサダ農機株式会社です。農業に関わらない人からすると、農業用機械を製造する会社、販売する会社、レンタル・リースをする会社の違いは、社名や会社の外観からはわからないかもしれません。でも、身近にある車と同じように、機械が存在しなければ販売もレンタルもできませんので、どれだけ重要なポジションにある企業なのかはわかるかと思います。どんな会社なのかに迫ってみます。

お話しを聞かせてくれたのは、代表取締役会長の長田 秀治さんと、代表取締役社長の鎌田 和晃さん。実は会長のお話が、創業の歴史だけではなく、北海道や世の中の歴史であったり、富良野や農業の歴史、そして「ものづくり」の未来についてのお話しをいただけましたので、詳しいお話しは、会長御自身のお話として1本の記事としています。※近日中に公開予定ですのでお待ち下さい。

ということで、企業としての考えや現在のことについてを鎌田社長から詳しくお話しを聞いてみることにします。

気がつけば17年

osada2-6.JPG代表取締役社長 鎌田 和晃さん

鎌田社長の経歴などをまずはうかがってみます。

「出身は札幌です。こちらに来る前までは、機械設計のエンジニアとして働いていました。当時は食べ物に関わるファクトリーオートメーションの機械設計を中心に仕事をしていました。たまたま結婚した奥さんの実家がオサダ農機(当時はまだ南富自動車サービスエリアの農業機械部門)だったわけです」

札幌でのご縁だったそうですが、ご夫婦で相談し、富良野へと移住(奥様としてはUターン)し、仕事をすることになりました。取材陣も札幌から来ていましたので、まずは札幌から富良野へ移ることについて鎌田社長に聞いてみます。

「最初はかなり迷いましたし、結構な田舎のイメージを当時は持ってました。そして、来てみて感じたのもやっぱり田舎(笑)。最初の頃は札幌に帰りたいって思うこともよくあったんですよ(笑)」

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それでも気がつけばそれから17年、富良野に住み続けることになった鎌田社長。

「なんだかんだもう人生の大半が富良野での生活となりましたよね。気がついたらそんな田舎暮らしも好きになってたんです。札幌にも2時間で行けるし、今はネットで何でも買える時代にもなったし、食品さえちゃんと買えれば全く不自由のない生活を送れますから。仕事をしていく面でも富良野という土地柄は有利だということもわかりました。遠いところだと斜里町や函館にも行きますが、ここから全道各地へ行くためにはちょうどいい場所です。だから営業所を各地につくって経営するっていう考え方にもならないっていうのもあります。転勤しなくていいのは働く人にとっても安心ですよね。まぁ、今となっては、ウチの製品もどんどん品質が良くなっていって壊れなくなってきたから、急に向かわなきゃ行けなくなった!ってこともめったにないんですけどね」

住めば都を体現してきた鎌田社長。17年という長い月日は相当いろんなことがあったのではないかと推測します。そして、農業機械系の会社だと道央方面に1カ所、釧路方面に1カ所...という具合に、少人数の営業所が置かれるパターンが多いものの、それをしない理由が、富良野という立地が解決してくれるというのも面白い発想ですし、少数精鋭でやっていくためのメリットでもあると納得ができます。

ニンジン農家の人手不足を救った機械

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オサダ農機という企業について、もう少し詳しくうかがってみます。

「会長の話でもある通り、元々は自動車整備の会社で南富良野町が起源です。そこから、富良野の農業を支える作物としてウエイトの大きかったニンジンですが、当時、人海戦術で収穫していたのが、農協職員さんから人手不足で、ニンジン農家さんのピンチ!というのを会長が頼まれて、開発を始めたのがオサダ農機の始まりです。そう、農家さんの困った!を助けるために始まったのが会社としての始まりであり、今もその考えは変わっておらず、『ものづくり』を通じて農業の発展を陰から支える企業です」

今や北海道でニンジンを生産する農家さんの90%以上はオサダ農機製の機械を使っているそうですが、それなのに「オサダ農機」の名前をこれほど知らないのは理由がありました。

「現在は、当社製品のほとんどが全国に販売ネットワークを持つ大手メーカー3社(クボタ・ヤンマー・イセキ)にOEM供給するカタチで出しているため、私たちの社名が知られることはあまりありません。北海道の会社で製造して、販売もしていくとなるとどこかで限界がきますから、各社とも協力させていただきながら展開しています。でも、下請けとして製造しているわけではなく、あくまでも農家さんの声を聞きながら開発し、製造するメーカーとして、揺るぎない信念と自信はありますから、それでいいと思っています。...とはいいながら、少しだけ寂しさはありますけどね(笑)」

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北海道のニンジンは、人手不足と共に、出荷数が減るというピンチを救ったオサダ農機という小さな企業。でもその役割は北海道にとって、農家さんにとってとても大きかったはず。それがあまり知られていないのは、確かに悲しい話。せめて地元の人々や子どもたちはこの話を知って自慢してもらいところですが...。

「富良野ももともと田舎町ということもありますが、やはり人手不足になってきていると思います。ニンジンの畑でおこっていたことが、我々の民間企業でも起こってきていることを実感します。社員を採用しようと思っても、なかなか上手くいかないことも多くなってきていますね」

自動車工場の片隅でやるのではなく、農業機械の専門工場として富良野市に移ってきてから、年間で130台もの機械を製作しているそうですが、従業員数は30名ほど。オサダ農機製の製品が大手メーカーにラインナップされてからは、南は九州からのご依頼もあり、業務は増え、広がっているなか、採用に困るというのは難しい課題です。

「地元には大学がありませんから、富良野市や南富良野町の高校の新卒の子の採用なども進めてはいますが、当社の正社員の定着率はいいので、年々平均年齢もあがってきていますね。この会社の魅力ややりがいをもっと伝えて、多くの人に働きたい!と思ってもらえるようにすることもこれからのオサダ農機では必要なことだと考えています」

会長から受け継いだ意思は、鎌田社長にも引き継がれ、そして、今の時代、さらにこれからの時代に向けた課題に向き合っていくこととなりそうです。

初めての機械製造。初めての子育て。

osada2-7.JPG木田 恭悟さん

と、ここで、実際に働いてる社員の方にもお話しを聞いてみます。
入社1年目の木田 恭悟さん。前職の公務員を4年間務めた後にオサダ農機に転職したそうです。転職された経緯などから聞いてみます。

「奥さんとは滝川市で知り合ったのですが、奥さんの実家が富良野だったというキッカケがありました。それで結婚を機に転職を富良野でって考えて、それで見つけたのがオサダ農機でした。何か特別な資格を持っていたわけでもなく、ましてや機械のことを勉強したこともないので、この会社に拾ってもらって本当に感謝しています」

とても穏やかで低姿勢な感じの木田さん。まだ入社して1年目なので、多くのことは語れない感じではありますが、入社する前と入ってからについてたずねてみます。

「オサダ農機のことは転職する前までは知らなかったのですが、知人に農家さんがいて『富良野って農業がさかんなんだよ。農業に関わる会社も多いんだよ』と聞き、会社のことを調べてみたら、農業用の機械をつくっている会社なんだとわかって興味を持ちました。やってみたい!って思ったんですよね。でも採用していただくことが決まってからも、知識も経験もなかったので不安はいっぱいでしたけど...」

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その不安を取り除くように、入社してからはたくさんのことを教わったそう。

「1番最初に教わったのは『かたづけること』でした(笑)。会長からは、何事も整理整頓が大事。きちっとした環境をつくることがいい仕事をする一歩というのを教えてもらいました。それからも、たくさんのことを丁寧に教えていただいてもらっているのですが、今、仕事としては、機械を構成する部品をつくる役割を担っています。金属のカットや曲げ・溶接もできるようになりましたけど、均一のパーツをつくる...というのはとても難しいですね。最初は図面を見てもチンプンカンプンだったんですけど、今はだいぶ見られるようになってきたので、少しづつ成長させてもらってるなぁという実感があります。僕らがつくった部品が組み上がって製品としてできあがるのは、この上なく嬉しいと思う瞬間ですね」

未経験入社で1年目からある程度の仕事を任されるのは、木田さんの頑張りと会社の教育体制の賜でしょうか。昔のように下積み時代みたいなのがないのは働く人にとってはヤリガイになるでしょう。一方で、木田さんも社長と同じく移住してきた人。富良野の生活はどうなんでしょうか?

「札幌のような都会に住んでましたが、富良野はすごく住みやすい環境だと思いました。ごちゃごちゃしていないっていうか、ちょうどいいというか、快適なんですよね」

osada2-10.JPG木田さんの師匠ともなる代表取締役会長の長田 秀治さんと

聞くと最近お子さんも産まれたばかりだそう。「そうなんです。めちゃくちゃかわいい男の子で...」と破顔する木田さん。富良野には地方都市で少なくなってきている産科もちゃんとあり、子育て環境も充実しているそうです。

まだ始まったばかりのキャリアですが、木田さんの目標も聞いてみます。

「会社の農地もあるので、オサダ農機製のキャベツの収穫機に実際に乗って、収穫するっている体験もさせてもらいました。実際に乗ってみて、これは本当に農家さんの役に立つ仕事なんだという実感がさらに沸きました。でもまだまだ農業世界では機械化ができることがあると思っていて、そのためには自分がなんでもできるような人間になりたい!って強く感じるようになりました。まだ目の前のことをひとずつつやっていくという状況ですけど、頑張って会社にも貢献できる人間になりたいなって。そして会長のように開発できるような人材にも成長できたらと考えています」

観光業から異業種転職。地域を代表する会社で。

osada2-8.JPG川原 遙さん

もうひとり、今度は別の視点で事務方の社員さんにもお話しを聞いてみます。
入社4年半ほどの川原 遙さん。札幌のご出身で、小学校1年生の時に富良野に引っ越してきたそうです。その後、富良野緑峰高校に進学したそうです。

「高校を卒業して、地元での就職を選びました。新卒で入社したのは先生のお薦めもあってホテルに就職。そこでは6年近くお世話になりました。巨大なシティホテルというわけではありませんでしたので、完全に分業されているわけでなく、レストランのホールや調理から、ベッドメイクまでなんでも経験することができました」

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富良野の一大産業である観光業を支えてきた川原さんでしたが、ふと違う分野の業界で働くことに興味を覚えます。これまで経験したことのない事務職に興味をいだき、そこで見つけたのがオサダ農機。見つけたのは偶然ではありましたが、新しいキャリアをスタートさせることとなります。でも富良野を離れるという選択肢はなかったのでしょうか?

「若くてお金もなかったから...というのもありましたけど、やっぱり実家のそばがいいなっていうことが大きな理由ですね。それにずっとこれまでここで生活してきて不便を感じたことはないですから。まぁ、高校生とかが遊ぶところは都会に比べたら少ないかも。でも昔はカラオケが1件しかなかったのが、今は2件になりましたしね(笑)。それから、親に『オサダ農機』って会社知ってる?って聞いたら、『よく知ってるよ!すごくいい会社だよ!』って教えてもらったことも転職する動機としては大きかったです」

地元に残り、新たな職種にチャレンジしてどうだったのでしょうか。しかもホテル業とは真逆といってもいいくらいの機械関係の会社。不安はなかったのでしょうか?

「そうですね。最初はまわりのみなさんが何を言っているのかがわからない感じでした(笑)。知らない単語が多すぎたんです。そもそも機械とかは全くわからないですし、実家が農家でもないので、こういった収穫に使う機械があることすら知らなかったですからね。製品を間近で見せてもらったときはスゴいなって思いました。そして実際に畑で機械にも乗せてもらって、体感させてもらえたことで、より身近に感じました。収穫作業は楽しかったですね〜」

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入社からしばらく経ち、先輩事務員のみなさんから優しく教えてもらっていくなかで、徐々に会話にもついていけるようになったそう。事務処理を黙々とする仕事...という向き合い方ではなく、いろいろな人の「期待」を先回りして動けるようになったことで、必要とされる人材に成長していきます。前職のホテルでさまざまな業務に対応してきたフレキシブルな経験が活きてきたようで、「川原さんがいないと会社がまわらない!」とまで言われるようになりました。

「年度替わりなどはとっても忙しい!みたいな時はありますけど、ちゃんとお休みもいただいていて、休みの日は友だちと旭川に買い物に行ったり、映画を見たりとかってアクティブに生活を楽しんでいます。会社に入社させていただいて、4年以上が過ぎたんですけど、まだまだわからないことばかり。もっともっとたくさんのことを覚えていきたい!って思っています。そして地元に根付いて、地元が大好きなオサダ農機は、地元愛に本当に溢れた会社なんだなって実感しています。地元の若い人たちにもそれがわかってもらえたら嬉しいし、就職先のひとつとして考えてもらえたらいいな〜って思ってるんです」

働く2人からもオサダ農機の良さが伝わってくるお話でした。

オサダ農機の未来

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最後に鎌田社長に、今後のオサダ農機について聞いてみます。

「機械をただつくるだけ...それなら量産するメーカーであればどこでもやれると思うんです。でもそういった経営スタイルだと、安さだけがウリになってしまいますし、発注元の大手が『もういらないよ』と言ってしまえば終わりの世界。そういう機械屋になったらダメだと思っているんです。そのためには、開発して提案していく企業であるべきなんです。今は会長がその開発のポジションを一手に引き受けてくれていますが、これからもその開発に掛ける想いは、会社の方針として残していきたいと思っています」

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オサダ農機は、平成30年12月、経済産業大臣より「地域未来牽引企業」とし表彰されました。

これは、「地域内外の取引実態や雇用・売上高を勘案し、地域経済への影響力が大きく、成長性が見込まれるとともに、地域経済のバリューチェーンの中心的な担い手、および担い手候補である企業」という設定のもと選ばれており、北海道では36社選ばれたなかのひとつ。もちろん富良野ではオサダ農機だけです。千歳や苫小牧のように、物流的に有利で、行政が牽引して製造業を支援しているエリアとは違い、製造業の少ない富良野でこの賞に選ばれたのは本当にすごいことだと思います。

今後も、北海道の農業を支える、人出不足や農家さんの困ったを解決する企業として、そして富良野の雇用を守っていく企業として活躍を願いたいと思います。

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オサダ農機株式会社
オサダ農機株式会社
住所

北海道富良野市字扇山877番地3

電話

0167-39-2500

URL

http://www.osada-nouki.co.jp/

関連会社)
◎(株)南富自動車サービスエリア
◎(有)ふらのレンタカー
◎(株)おさだ高原農場


北海道のニンジンを守った機械メーカー オサダ農機(株)

この記事は2019年4月17日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。