日本有数の馬産地として知られる新ひだか町。町の中心部から10kmほど車を走らせたところに桜の名所「二十間道路」があります。道幅が二十間=36メートルもあることが名前の由来で、毎年5月になると道路の両脇に2,000本以上の桜が咲き乱れます。そんな北海道随一の観光スポットに隣接するのが北海道静内農業高等学校...通称、静農(しずのう)です。
昭和53年に開校した静農は、食品科学科と生産科学科の2つの学科を展開しています。食品科学科は農産食品コースと畜産食品コース、生産科学科は園芸コースと馬コースがあり、生徒は2年次にコースを選択します。
今回は、食品科学科2年生の3名の生徒にインタビューを実施しました。3人は、なぜ農業高校を選び、どのような学生生活を過ごし、卒業後の進路をどう考えているのでしょうか。
「農業高校」って、農業に就きたい人のための学校なんでしょう? と思われる方も世の中に多いのですが、全くそんなことはありません。もちろん一次産業に就職する生徒もたくさんいますが、高校としては「農業の授業や実習を通じて人を育む」という表現が適切でしょうか。学んでいる生徒のみなさんのお話しに耳を傾けてみてください。
トリマーになりたい! 〜阿部 沙稀さんの夢〜
阿部沙稀さん
まず、最初に話をうかがったのは東静内出身の阿部 沙稀(あべ さき)さんです。阿部さんは、食品科学科の農産食品コースに在籍しています。食品科学科を志望した理由は何だったのでしょうか。
「食品に対しては、前から興味がありました。祖母が畑をしていて、私も畑の隅っこを借りて野菜を育てていたことがあって、それがとても楽しかったんです」。おそらくほとんどの大人は億劫に感じるであろう作業なのですが、「特に雑草取りが面白い!」という阿部さん。今でもお休みの日は、畑に行ってお手伝いをしたり、飼っている犬の散歩をしたりしているそうです。
国語や数学などの普通科目に加え、原料生産から食品加工、品質管理、流通など食品について広く学ぶことができる食品科学科。特に農産食品コースではどんなことをしているのでしょう。
「農産食品コースでは、外で作物の栽培収穫の技術を学び、中では加工室で食品の製造を学んだりしています。それから、課題研究という時間もあって、そこではほうれん草のハネ品を活用した商品開発を行っています」
子葉や虫食い、根など、実際は食べられるものの商品にはできない部分を加工して、ジェノベーゼソースやふりかけを試作したそうです。農家さんにも試食してもらったところ、ふりかけは大絶賛!今のところ、商品化にいちばん近いのがこのふりかけだそうです。
現3年生は「さくらスプレッド」という紅麹色素、その前の年はピーマンと、毎年異なる食品を使って商品開発に取り組み、試作した商品は四季ごとのセールの際に販売もしています。
これまでの高校生活のなかで特に印象に残っている授業を聞くと、1年生のときに食品科学科全体を通して取り組んだスイートコーンの栽培を挙げてくれました。
「作物を栽培して収穫するところまでを全て、自分たちの手で行いました。収穫して、ゆがいて食べたときの美味しさは、もう忘れられません!販売したときにたくさん売れたこともとても嬉しかったです」
栽培中は動物に食べられたり、病害虫が入り茎が折れたりといった被害が発生したことも。特に去年はシカが多く、動物よけのネットを破って畑に侵入することもあったそうです。そのたびに担当の先生と相談して、対策を講じたという阿部さん。ネットが破られたら、その部分を補修するのではなく、新しいものを張り直すなどしてきめ細かく管理をしました。「ネットを新しくするという解決策は先生と一緒に考えましたが、実際に貼り直してくれたのは先生。その姿を間近で見て『こんなに大変なことをやってくれてたんだな』と涙が出そうになりました」と先生への感謝の気持ちも生まれたそうです。
食品科学科の2年生は、元気がいっぱいで(写真撮影も圧倒的なノリの良さで応じてくれました!)、それでいて授業や実習にも積極的に参加する生徒が多く「クラスメイトとは一緒にいると楽しい」という阿部さん。そんな阿部さんに将来の進路について聞いてみました。すると意外な答えが...!
「将来の夢は、トリマーになることです!もともと犬がすごく好きで、祖母の家で飼っていた犬のお世話もよくしていました。シャンプーをしたり、爪を切ってあげたりするととても気持ち良さそうで、その表情を見ていると私も嬉しくなります。犬にたくさん触れることができるし、かわいくしてあげることもできるのでトリマーが一番かなと思っています」
卒業後は、札幌の専門学校へ進学を考えている阿部さん。その後は苫小牧や札幌などの都市部で就職して技術を磨き、いつかは地元新ひだか町で独立したいと考えています。静農では、就職を選ぶ生徒も多いため、進学という選択をすることに迷いはないか?という質問もしてみました。
「私の周りでも『安定した収入や生活リズムが欲しいから事務職を考えている』という話を聞いたりします。そのたびに『お金も大事だよな...進学しないで就職もありなのかな』と揺れることもありますけど、収入や安定を優先しすぎて、興味がある仕事を諦めるということはしたくないなって。毎回新しい発見をしたいし、毎日楽しいと思える仕事がしたい」と何よりも自分の「好き」をいちばんの基準にしていることを教えてくれました。
もちろん日々学んでいる農業や食品関係の道も、選択肢のひとつとして今はまだ残しているそうです。全く違う業界を第一志望に考えつつも、「授業がすべて楽しい」からどんな教科も頑張れるという阿部さんは、充実した学生生活を過ごしているようでした。
北海道一の酪農家になる!! 〜原口 智広さんの夢〜
原口智広さん
続いてうかがったのは、畜産食品コースに所属している原口 智広(はらぐち ともひろ)さんと阿部さんと同じ農産食品コースの有澤 悠斗(ありさわ ゆうと)さんです。ふたりは小学生のときからの同級生。一緒にお話を伺いました。
原口さんのご実家は静内駅からもほど近い老舗の大衆食堂「大安食堂」です。偶然にも、くらしごと編集部が近隣で取材をする際によく利用しているお店だということが判明し、大盛り上がり! 原口さん的には、親子丼や野菜炒めがおすすめだそう。ちなみに、編集部スタッフからはカツ丼が超おすすめ(笑)。そんな素敵なお店なので、将来はお店を継ぐのが目標かな?と思ってお話しを進めました。
高校に進学する際、「将来お店を継ぐ」ことを考えたときに、飲食店を営む際には欠かせない「食品衛生責任者」の資格を取れることもあり静農の食品科学科に入学した原口さん。しかし、畜産食品コースを選択し、授業を通して乳牛に触れることで大きな心境の変化があったようです。
「もともとは食堂への想いもあって食品科学科に入りましたが、酪農の面白さや牛という動物にすごく惹かれて、今は酪農家になりたいと思っています!」
今では「僕にはこれしかない」と思うほど、酪農の魅力に惹きつけられている原口さん。偶然にも牛の出産に立ち会ったことがあり、「命が生まれる瞬間をこの目で見て言葉にならない感動がありました」とも。そのとき、酪農家を目指したいという思いがはっきりと芽生えたそうです。
また、今年度から牛舎担当の先生が変わり、その先生の発案で学校の牛舎環境の改善に着手したことにも言及。一般的な牛舎は「臭い」「汚い」といったイメージが先行してしまいますが、先生はそのイメージを一新させ、誰が来ても良いような雰囲気にしてくれました。牛にとって清潔で心地よい環境が整ったことで牛乳内の菌数も減り、今ではそのまま口に入れても大丈夫なほどに! 「おもしろくて話しやすい。そのうえ生徒のことを第一に考えてくれる先生」と話す原口さんの言葉から、その先生の影響も大きくあるように聞こえます。
原口さんが目指すのは、ずばり「北海道一の酪農家」。みなさんが買い物に行くあらゆる販売店で、一番の売れ筋になる牛乳を生産できる酪農家になりたいといいます。現在は、就職を目指し、色々な酪農家さんのところをまわり、見聞を深めています。
「今は、農産にせよ畜産にせよ農業を仕事にする人がとても減ってしまっています。このあたりでも、人手が足りないことで離農する農家さんが出てきてしまっているので、この流れをなんとか止めたいと思っています。『酪農家はいいよ!』ということを世の中に知らしめたいし、僕は町に残って、地域を盛り上げていきたいと思っています」
新ひだかの町から北海道を代表する酪農家が誕生するのは、そう遠い未来ではなさそうです!
パンで笑顔を作る!! 〜有澤 悠斗さんの夢〜
有澤悠斗さん
有澤さんの将来の夢は、パン屋を開くこと。
物心がついたときからパン屋になることを志していて、幼稚園のときの七夕にはすでに「パン屋さんになりたい」と短冊に記していたほどだそうです。
これまでも様々なお店の様々な種類のパンを食べた有澤さんですが、今まで食べたどんなパンよりも「親とつくったときのパンがいちばん美味しい」と思っています。「親が作ってくれたパンで誰よりも自分が笑顔になった。自分でお店を開くことができたら、今度は自分の焼いたパンが誰かを笑顔にさせることができるのではないか」と、パン屋への思いは年齢を重ねるごとに強くなっていったそうです。「パンで笑顔を作る」それが有澤さんの現在の目標です。
有澤さんも卒業後は就職を目指していますが、どんな場所で働くのがよいかは熟考している最中です。
「大手製造会社で、機械でライン作業をするだけという現場では、ただパンができるまでの工程を見守るだけで終わってしまい、作っているという実感をいだけなさそうなんです。大手の良さはあるのかもしれないんですけど、それよりも、手作りでこだわりのあるパンを焼いているお店に弟子入りして、技術を学び、いつかは独り立ちして自分の店をもちたいと、今は考えています」
有澤さんも、将来お店をもつときは地元新ひだか町で、と決めているそうです。都会への憧れといったものはあまりなく、むしろ新ひだか町くらいのほどよい田舎のほうが暮らしやすいのではと考えています。
「田舎は、都会に比べて地域のつながりが深いと思います。つながりの深いところで何かことを起こそうとすれば、一人が二人に、二人が四人にと、活動の輪がどんどん広がっていく気がするんです」
卒業後は、なるべく家から通える範囲で仕事をしたいと考えている有澤さん。一人暮らしでかかる費用を、むしろご両親への恩返しやこれから進学する妹のために充てたいと聞いたとき、取材陣はもうなんだか胸がいっぱいになりました。
静農の学生は、こんなにも自分の将来のことや家族のことを考えながら日々を過ごし、未来を決めているのだな、そんな生徒がいることこそが、学校案内パンフレットには載らないけれど、しっかりと伝えていくべきことなのだなと気がつかせてもらえました。高校卒業後の進路として、就職先や進学先のデータも大事ではありますが、どんな高校に行くのかの重要性も改めて多くの方々に問いたいと思います。
農業クラブというもうひとつのフィールド
突然やってきた取材陣の大人たちに物怖じせず、常に悠長な語り口で思いを語ってくれた原口さんと有澤さん。写真撮影時のキャッキャした雰囲気とは裏腹に、「これが面接だったら即合格!」と太鼓判を押すほどの受け答えでしたが、その大人にも負けない立派な姿勢は「農業クラブ」での経験が起因しているようでした。
農業クラブとは、全国の農業科や総合学科で学ぶ生徒によって各高校ごとに組織されているもので、いわば「農業高校ならではのもうひとつの生徒会」と原口さん。農業クラブには、主な活動として、①農業に関して自分の考えや主張を述べる「意見発表大会」、②農業に関する知識・技術を身に付け、その力を競う「技術競技大会」、③プロジェクト学習を通して調査・研究を行い、その成果を報告し合う「実績発表大会」があり、これらは三大行事と呼ばれているそうです。
実績発表会では、コースごとに分かれてプロジェクト成果を発表しますが、阿部さんと有澤さんの所属する農産食品コースでは前述の「ほうれん草のハネ品を使った加工品開発」、原口さんの所属する畜産食品コースでは「牛の乳房炎について」それぞれ発表。それぞれに全国大会があり、技術競技大会では4名もの生徒が静農から全国大会へ出場しました。
より深いところで「農業」を知る
原口さんは「改めて農業の面白さに気付けたのは農業クラブのおかげ」とこれまでを振り返ります。有澤さんは「農業高校の生徒としてだけではなく、農業クラブのクラブ員という新たな目線で学生生活を過ごしてきたことで農業高校の魅力がより分かった」そうです。
「農業高校に入っている生徒全員が『クラブ員』になりますが、クラブ員になった当初は、農業高校や農業クラブのことは何も知らない無知の状態です。それが、活動を通じてたくさんのことがわかってくる面白さがあるんです。学校外の人と関わる機会が多いことも自然と知識が深まります。また、執行部という中心的な役割も担わせてもらっているので、さらに深く行事の本来の意味や目的を考えることができるようになったと思っています」と有澤さん。
有澤さんは農業クラブ執行部員だそうですが、原口さんは高校の生徒会執行部員ということで、農業クラブ員としての成長だけでなく、執行部という全体を見ていく動きに関わり、リーダーシップを発揮する役割もよい経験につながっている様子もうかがえました。
三大行事や収穫感謝祭などの行事が行われる本来の目的、農業クラブが存在する理由、農業高校で学ぶことの意味、生徒みんなを動かしていく役割など、決して表面的ではない、より深いところにある何かを、ふたりは日々の活動からしっかりと感じ取っているようです。
「静農では、大人と比べても決して引けを取らない技術や知識を得ることができます。さらには、農業を学ぶだけではなくこういった場(農業クラブ)で大会の運営や、プレゼンテーションの経験も積むことができる。静農にきて本当によかったと思います」という有澤さんに「本当に恵まれた学校だよね」と共感する原口さんなのでした。
「静農」という恵まれた環境に、単に技術や知識があるだけではなく、人間性という意味で豊かな感性をもつ生徒がたくさんいる......短い時間のインタビューでしたが、「新ひだか町の未来はきっと明るい!」そう感じるには十分すぎる時間になりました。
今回の取材をセッティングしてくれた、進路指導部長 加藤 真先生
取材の段取りを組んでいただいた加藤先生は、終始穏やかな笑顔で、生徒たちの話を横で聞いておられました。数学の先生で、卓球部の顧問。静農の生徒たちのことはもちろん、これまで在籍していた高校の生徒たちのことも覚えていて語られるような本当に素敵な先生でした。生徒みなさんのお話しのように、「先生たちの魅力」も静農の人間力を育む基礎になっていると感じた取材でした。
最後に、今回のインタビューだけでなく、多くの生徒のみなさんにもご協力いただきました。静農の元気な様子をフォトギャラリーでお届けします。いつまでもその笑顔と夢を大切に、進め!羽ばたけ!静内農業高校のみんな!
- 北海道静内農業高等学校
- 住所
北海道日高郡新ひだか町静内田原797番地
- 電話
0146-46-2537
- URL
Twitter @shizuno_high