ものづくりや絵が好きな全国の中学生が、「北海道で一番小さな村」へ
「森と匠の村」を掲げ、総面積の86%が森林という道北の音威子府村に、全国から熱視線が注がれる村立高校があります。2020年で創立から70年、道内唯一の工芸科を置いて40年弱という伝統があり、「おと高」と親しまれる「北海道おといねっぷ美術工芸高校」。独自の実習や集団生活など、ここだけの魅力が詰まった同校を訪ねました。
案内してくださったのは教頭の佐々木雅治先生。まず目に入るのは、玄関から続くホールにずらりと並ぶ、卒業制作です。高校生の作とは思えない緻密な組木、スタイリッシュなテーブル、3年間の写真を根気よく貼ったモザイクアートなど、学びの集大成が表現されています。事前連絡があれば見学できますが、「教育の一環で作り、生徒に返すので、販売はできませんが...」と佐々木教頭が説明するように、しばしば購入の相談も寄せられるほどのクオリティです。校舎には随所に各学年の制作物が展示され、3年間の目まぐるしい成長が手に取るように分かります。
学びの集大成。ユニークかつ個性的、素敵な作品がずらりと並びます
1年では美術・工芸の両方の基礎を身につけます。工芸コース志望の生徒もデッサンを経験し、美術志望でも刃の入れ方を学びます。2年生から工芸か美術に分かれ、3年生では、一年をかけて設計図やデッサンを描いたりして卒業制作に臨みます。
充実した実習ときめ細かい指導は、コンパクトな陣容ならではです。
1学年1学級で、定員は道内外の40人。取材した2020年11月4日現在、道内の生徒が多いですが、各学年とも9人が道外出身です。本州は関東を筆頭に各地から門をたたく人がいて、遠くは鹿児島県から。出身地が多彩で、半数以上が女子という顔ぶれが特徴です。
入学試験は、一般的な道立高校と同じで、意外にも実技はありません。
佐々木教頭は、「入学の時点で美術の成績は特に問わないんです。やっぱり、ものづくりや絵を描くことが好きな生徒ばかりですね。それが一番です」と笑います。生徒自身がインターネットでおと高を見つけるケースが多く、家族や知人からの紹介、各地での説明会も入り口になっています。1学年40人のうち最大20人を道外から受け入れ、例年は本州の大都市で説明会を開いています。
こちらが教頭の佐々木雅治先生
平坦ではなかった、倍率が出るようになるまでの道のり
今でこそ、定員を上回るのが常ですが、一足飛びとはいきませんでした。開校から半世紀たった2002(平成14)年になって、校名を現在のひらがな表記にしたのもその表れです。佐々木教頭が、「生徒募集が苦しく、漢字は読みづらくて、雰囲気を変えたんです」と教えてくれました。ここ10年余でようやく、安定して倍率が一を超えるようになりました。
佐々木教頭へインタビューしていた会議室の奥には、仕切りがなにもない校長先生の机があります。そこに座っていた松田圭右校長も、仕事の手を止めて、おと高の歴史のハイライトを明かしてくれました。
「1984(昭和59)年に工芸科ができました。定員割れして入りやすく、寮で生活し、旭川家具の会社に勤めることができるということで、少しずつ工芸の学校として認識されました。NHKで特集されて全国に知られ、道外から生徒が来るように。そして競争が生まれ、周りの進学校でさえ定員割れする中でも簡単に入れない学校となりました。卒業生や在校生も実力をつけ、入賞が増え、良い方向に回ってきました」。かつては、地元での就職のため技術習得にくる男子が多い傾向でしたが、近年は美術に興味をもつ女子が多くなり、進路も多様化しているそうです。
手をとめてお話してくれた松田圭右校長先生
学校としての歴史が蓄積されていくのに加えて、卒業生や在校生が活躍してインターネットやメディア露出が増え、おと高の知名度も高まっていきました。最近では、2013年卒業の福田亨さんは立体木象嵌で昆虫などをつくる若手作家としてSNSで取り上げられ、個展も開催するほどに。2020年春に巣立った加藤瑛瑠さんは、寄木細工の技法を生かした作品で2019年「工芸甲子園」の日本一に輝き、作品は地元の鷹栖町のふるさと納税返礼品にも選ばれるなど、注目を集めています。
卒業後は作家として独立するだけでなく、選択肢はさまざまです。かつてのように専門学校ではなく、東京の名門美大に進むケースも増えてきました。佐々木教頭は「年々レベルが高くなり、もっと深く学びたいと考える生徒が増えました」と語ります。卒業生の半数ほどは大学へ。就職はここ数年1割ほどで、もともと目的があって主体的に選ぶケースがほとんどといいます。
「ものづくりを通した人づくり」に欠かせない寮生活
「もの(作品)づくりを通した人づくり」を大切にするおと高にとって、共同で生活する「チセネシリ寮」はもう一つの学び舎です。取材した11月4日時点で、109人が寮で暮らしています。
佐々木教頭が「うちの時間割は寮の時間に左右されます。補習であっても午後5時半以降はできないんですよ」と言うように、アイヌ語の「チセネシリ」が指す秀峰・音威富士のごとく、特別な存在であり続けるのがこの寮です。新型コロナウイルスの流行前は歓迎会やレクリエーション、寮祭など行事が多く、自治会も活発に動いています。
どんなに部活が楽しくても夕食の時間までにはきちんと間に合うように終了!
松田校長は「われわれが考える以上に厳しい寮則があるんですよ。高校生らしい服装で、とか、Wi-Fiも時間を決めないと遅くまでゲームをしてしまう、とか...」と舌を巻きます。
「生徒募集のために中学校を周っていても、寮があるから安心して保護者に紹介できます。親元から離すときに、教育委員会が建てて、学校が管理する寮が隣にあるのは大きいです」と言います。佐々木教頭も「先輩の頑張る姿を寮で間近で見ていて、『がんばればできる』と思う生徒が多いです」。教育上の効果も大きく、生徒の評判も上々です。
支給された作業服や道具は、手入れし大切に使います
入学する生徒や教職員は住民票を移して「村民」になります。それだけに、村も手厚くバックアップします。
入学時に、作業服と鑿(のみ)、カンナ等の工具代が5万円分補助されます。実習や部活動で使う材は、道産材が多く、すべて村が調達します。費用負担を心配せず材が使えるからこそ、のびのびと制作に打ち込めます。
村民運動会に学校として参加したり、村の行事の植樹祭に生徒が出たりと、村にかかわる機会も用意されています。村内の森林の多くを占める北大中川研究林では、森を探訪する恒例行事もあり、身近に森林資源に触れられます。
現場を支えるのは、教員12人、村職員の実習助手1人、養護教諭1人という陣容。教員の半分以上は採用間もない初任者で、平均年齢は30代前半。松田校長は「先生が若く、生徒もお兄さんお姉さんのようなつもりで接してくる。距離が近いですね」
軽音部顧問の杉浦先生 お若い!
木工機械の音が響き、木材に向き合う工芸部
松田校長や佐々木教頭に教わった魅力を、生徒たちはどう思っているんでしょうか。放課後、全員がどこかに所属するという部活動にお邪魔しました。
8つある部のうち、全校の半分弱が入るのが工芸部と美術部。工芸部の活動場所は、作業台が所狭しと並ぶ組立実習室。家具工場のような本格的な製材機械があり、独特の雰囲気です。
部長の髙橋さん
札幌市出身の高橋渓純部長は、幼少のころから手を動かすのが好きで、中学一年の時に、おと高を親に教えてもらいました。「日本の工芸を担っている学校です。材を思い切り使えて、周りの学校にはない機械を使えて、製材して、家具も作れる」と言います。「先生や他学年を含めた生徒と情報交換して、自分を高められます」と自身も成長を実感しています。
安平町(旧早来町)出身の2年生、髙谷和さんは小学5年の時に家族に連れられて見た卒業制作が輝いて映り、「ここにいく!」と一直線だったそうです。「寮でずっと一緒にいると、その人の本質が見えるし、『負けないぞ』と思えます。人との関わりで成長できるのは大きいです」と大人びたコメントをくれました。「自然に囲まれ、木と触れ合う時間が長いこの学校が好きで、6年くらいいたいです。転勤せずずっといれるので、実習助手になりたいです。教員免許を大学で取りたいです」と、思い入れ深さは半端ではありません。
片山葉月さん
4歳のときから大工に憧れがある3年生の片山葉月さんは、生まれ育った当別町から、「木造建築に強くなりたい」と音威子府へ。いわく、「コンクリートや鉄筋より癖が強くて、生き物なので一つ一つ見極めるのが難しい」。その難しさに魅入られて、大工として就職することを目指し、木工技術を磨いてきましたが、この度めでたく希望の就職先に合格!「いろんな所から生徒が集まってくるので、刺激を得られます」と充実した学校生活を振り返ってくれました。
1年生の成田胡太郎さんは、旭川市の家具職人の父におと高を勧められました。工芸や美術は未経験でしたが、関心と挑戦は尽きません。「制作中の箱を飾るアンティーク調の模様を考えて、描き貯めています。とっさに考えついたアイデアを常にメモして、それらを眺めては組み合わせたり、消してみたりして、何か出てこないかと考えています...」とものづくりの話になると饒舌に。「毎日、早く学校に行きたいって思うんです」という言葉が、羨ましくもありました。
真ん中が成田胡太郎さん、右が髙谷和さん
「黙々とキャンバスに向き合う美術部員」
美術部は、大きな作品も制作しやすい、天井の高い部屋で活動しています。部員たちは黙々と、集中した表情でキャンバスに向かっています。
札幌市出身の2年生、今野菜々美さんは小さいころから絵が好きで、取材時にも自画像を描く準備に励んでいました。卒業後は、憧れの京都の大学でより深く学び、粘土の立体作品で人を表現することに挑戦したいそうです。おと高の魅力は「寮生活が大きく、人とのかかわりあいが密で、人間関係でも成長できます」と教えてくれました。
今野さん(左)と宮田さん(右)。キャンバス張り作業中
同じく2年生の宮田琴羽さんが得意なのは、リアリティのある動物の絵。「描きたいものの生態系を知らないと、絵が薄くなると最近知りました」と言います。それだけに、「山登りや自然観察ができる環境は良いなと思います。面白い、個性が強めの生徒が多いのも、刺激になります」。卒業後は美術教師を目指していて、「子どもの『美術は苦手』を解消したいので、地元の旭川に戻って教育大に進みたいです」と語ってくれました。
制作準備中の1年生のみなさん
1年生の藤井咲羽(さわ)さんは士幌町出身で、二人いるお兄さんがおと高の卒業生。「ここでなら自分の好きなことができるよ」と言われて入学を決めました。あこがれているイラストレーター・ゆきしたまゆさんのように、「独創的な絵を自分も描けるようになりたいです」と強く語りました。時間を見つけては、絵の参考になるかもと、風景や人物の写真をよく撮るそうです。
藤井咲羽(さわ)さん
にぎやかで、それぞれの「好き」を組み合わせる軽音楽部
軽音楽部では部員がそれぞれの好きな楽器や歌声を思う存分、楽しんでいます。学校だけでなく寮や村の行事で演奏しています。
部長の2年生、中村萌聖(めい)さんはドラムを担当。埼玉県出身で、中学一年の時にテレビ番組でおと高を知りました。「山に囲まれているのが好きです。人混みが苦手なので、落ち着きます」と笑います。先生との距離が近く、生徒同士の仲間意識も強いのも肌に合っているそう。「寮ではほとんどのことを自分でやるので、生きる力が育まれます」と頼もしいコメントも。「自分の作ったものが多くの人の手に取られることに感動します」と話し、パッケージデザイナーが将来の夢だそうです。
中村萌聖(めい)さん
1年生でギターやベースをこなす稲津煌士さんは、下川町生まれの釧路市育ち。ものづくりや絵を描くことが好きで、小学校の中学年、両親や高校の教員からおと高を勧められました。「商業施設は恋しいですけど」と笑いながら、静かに打ち込める環境は気に入っています。「いまは個人練習の時間が多いので、もっと分け隔てなく先輩と後輩が関われるようにして、人間関係を磨く場として軽音部を育てていきたいです」と意欲を見せてくれました。
稲津煌士さん
ヴォーカルの菊地華加さんは名寄市出身で、おと高は比較的近く、絵が好きで入学前に見学にも来ました。1学年40人というメリットを「あの先輩はあの作品をどう作ったのかとか、一人一人にフォーカスを当てやすく、かかわりが持ちやすいです」と話します。寮生活も「一つ一つの行動が自立につながり、整理整頓や掃除、挨拶と学ぶことが多いですね」と充実した様子。「一からアイデア出すことや、人と関わるのが好きです。実家の養豚場で加工品をつくって、お店のコンセプトを考えて販売したいです」と将来を見据えています。
菊地華加さん
稚内市出身の1年生の渡辺鼓太郎さんは、お父さんとお姉さんもおと高の卒業生。2人から学校のことを聞いていたので「ものづくりをしたい」と迷わず選びました。すでに家具職人という将来の目標も定め、大好きなドラム練習も楽しみます。まさに、高校生活を謳歌しているという風情でした。
渡辺鼓太郎さん
おと高の生徒は全員、廊下ですれ違った時、はきはきと挨拶してくれたのが印象的でした。話を聞かせてくれた皆さんも、志望動機や目標、やりがいを、驚くほど自分の言葉ではっきり語ってくれました。自然や制作の環境に誇りをもち、教室や寮で個性と意欲に満ちた先輩や仲間に刺激をもらい、距離感が近い先生から指導を受け、自立しながら絆を深める―。そんな贅沢な時間を過ごす魅力が伝わってきました。
ほとんどが未経験から始めたという軽音部の生徒さんたち
道内で人口が最少の「北海道で一番小さな村」には700人ほどが暮らします。そのうち120人がおと高生です。「120人だから、しかも3年間、同じ繋がりで接するから、一人ひとりの輝きがよく見えます」という佐々木教頭の言葉をかみしめると、小さな村で大きな存在になっている理由が、分かった気がしました。
高校生活の思い出の写真を一枚一枚貼り付けてつくられた作品
一貫して同じモチーフに挑む生徒さんも
村の文化祭には、おと高からも多数の出品が
卒業制作に仏壇を選ぶ生徒さんも。実用的!
- 北海道おといねっぷ美術工芸高等学校
- 住所
北海道中川郡音威子府村字音威子府181番地1
- 電話
01656-5-3044
- URL