函館に本社を置く総合建設業の「紀の國建設株式会社」。施設や店舗を設計・建設する建築部を中心に、砂防工事や公園改築工事などを行う土木部、セルコホームのフランチャイズの建築住宅部の3つの部で事業を展開しています。今回は、来年創業70年を迎える同社におじゃまし、会社のことをはじめ、これまでの取り組みやこれからのことなどを代表取締役社長の紀國隆介さんに伺いました。社内の大胆な改革にも挑戦してきた理由は、未来の地域のため、これからの業界のためという熱い思いがあったから。会社の歩み、そしてこれからの未来について語っていただきました。
どんな仕事も断らず、まちの人の「建てたい」に応えてきた建設会社
JR五稜郭駅から車で5分ほど行ったところにある紀の國建設株式会社の社屋。2020年に建てた2階建てのリゾートホテルのような洗練された建物は、従来の建設業のイメージとは大きく異なります。
同社は1957年に創業。紀國社長の祖父である正二さんが、当時勤めていた会社から独立する形で立ち上げました。
「祖父は自分が小さい頃に亡くなったので、ほとんど記憶にないんです。ただ、函館で初めて1級建築士を取った人だと聞いています。登記は1957年ですが、実際はそれよりも前から事業を行っていたようです。函館の人々の役に立つのであればと、頼まれた仕事はすべて断らないという精神で仕事をしていたとも聞いています」
こちらが代表取締役社長の紀國隆介さん
当時はほとんどが国や北海道から発注される官の仕事でしたが、1988年、2代目となる紀國さんの父親で現会長の隆二さんが社長に就任すると、民間の店舗や住宅などの仕事も数多く手掛けるようになります。
「北海道で最初にできたローソンって、どこか知っています? 諸説あるようなんですけど、自分たちは函館と聞いています。その1号店とされる建物を建てたのがうちなんです」
それ以降、40年以上にわたってローソンの建物を任されているそう。そのことからも信頼と実績のある企業であることがよく分かります。
「うちはゼネコンのような高いビルを建てる大企業ではありません。しかし、木造、鉄骨、鉄筋コンクリートという、建築における主要3構造のすべてに高いレベルで対応できる職人集団で、技術力の高さは強みです。でも、あんまり何でもできます!って言うと、従業員のみんなに怒られるんだけどね(笑)」
官公庁の工事から小規模な一般住宅まで、地域のあらゆる「建てたい」の声に応え、代々「頼まれた仕事は断らない」という精神を繋ぎ、地域に貢献してきました。

函館を離れたかった10代。大学卒業後は、仙台のハウスメーカーに入社
紀國社長は2023年に代表に就任。代表になる前から、少しずつ社内の改革に取り組み、2020年には新社屋を建て、その際にロゴマークも刷新し、会社のブランディングにも取り組んできました。と、簡単にまとめてしまうと順風満帆に会社が成長してきたかのように見えますが、ここまでたどり着くには紀國社長の並々ならぬ覚悟と情熱がありました。ここからは紀國社長の歩みについて伺っていこうと思います。
生まれも育ちも函館という紀國社長は、小学校からずっと野球に打ち込んでいたそう。「一人っ子なんで、周りからはいつもお父さんの跡を継ぐんでしょ?と言われていましたが、実は親が何の仕事をしているのか具体的には知らずにいました。いつも忙しそうにしていたので、仕事の話などをする機会もなくて」と振り返ります。
高校を卒業後は札幌の北海道工業大学(現・北海道科学大学)の建築科へ進みます。てっきり跡を継ぐための進路選択かと思いきや、「いいえ、まったく違うんです」と紀國社長。
こちらがその新社屋
「当時の自分はとにかく函館を出たくて仕方なかったんです。推薦で札幌の大学に行けることになり、正直、学部や学科は何でもよくて、たまたま建築科だったというだけなんです。建築科だったら親も札幌へ行くのを許してくれるだろうくらいの感じで...」
卒業後も札幌に残ろうと考えていましたが、当時は就職氷河期と呼ばれる時代。100社近く就職試験を受けても決まらないような状況で、周りの同級生の多くが苦戦していました。
「自分は特になりたいものもなくて、就職活動も特にしていなかったんです。なんとかなるかなくらいで...。とりあえず2社ほど受けたんですけどもちろん不採用でした。そうこうしているうちに12月になってしまい、そこで初めて父親に就職が決まらないという話をしました」

すると、父の隆二さんは自分の会社に入れとは言わず、いずれ跡を継ぐにしても外を見たほうがいいと、当時からフランチャイズとして関わりを持っていたセルコホームに面接に行くように告げます。
年末にも関わらず、セルコホームの担当者が会ってくれることになり、本社のある仙台へ。そのまま採用が決まり、大学卒業後は仙台に移り住みます。
「当時の自分はちょっと甘いところもあったんですよね。小さい頃から周りにいつか跡を継ぐんでしょと言われ続けていて、函館を離れたかったのはそれに対する反発心もあったからなんですけど、その一方で、就職先が決まらなくても最悪実家に入れてもらえるという担保が自分にはあると高をくくっていたところもあり...」

外での経験を経て、故郷へ。未来を見据え、古い体質からの脱却に奔走
このセルコホームでの営業としての経験は大きな転機となります。
「最初の1年間は、住宅や営業の知識もなく、先輩に接客もさせてもらえない環境で、全く家が売れませんでした。やる気が起きない日々が続きましたが、2年目に新店舗の立ち上げで石巻市へ異動になったんです。上司と自分の2人しかいない24時間営業のような過酷な環境に放り込まれたことで、営業スイッチが入った感じでしたね」
その後はトップ営業マンとして活躍します。充実した会社員生活を送っていましたが、親族の不幸など環境の変化もあり、ちょうど4年目に父から「一生そこにいるのか、帰ってくるのか」と選択を迫られ、26歳で函館へ戻ることを決意します。
函館に戻り、紀の國建設に入社した紀國社長を待っていたのは、想像していたものとの大きなギャップでした。前職で経験した大きな組織の仕組みが当たり前だと思っていた社長の目に、当時の紀の國建設は「長くは続かない典型的な古い企業」と映ったのです。

「事務所も古く、企業理念もない。若い人が『ここで働きたい』と思えるような環境づくりが進んでおらず、このままでは10年先が見通せないと感じました」
危機感を持った紀國社長は、「うちに建物を建ててほしいと行列ができるような会社作りをしなければならないし、社内の組織の在り方やシステムも変えなければならない」と考えます。当然ながら古参の社員たちからの激しい反発もあり、「しばらくは社内で完全に孤独な状態が続きました。めちゃめちゃ嫌われていましたね。父でさえも敵に回るような状態でした」と振り返ります。
「そもそもこの業界自体が閉鎖的で、古い体質が強く残っているので、そこから変えていかなければならないと感じていました。若い人がこの業界に憧れ、うちで働きたいと思ってもらえるようにしなければならない。そのためには、思い切った変革が必要でした。まずはうちが率先して持続可能な環境を作っていかなければと考え、地場の同業他社に先駆けてペーパーレスやグループウェアの導入に着手しました。同じくらいの規模の建設会社としてはかなり早かったと思います。それに伴い待遇の見直しなども行いました」
こちら社内にある会議室。落ち着いた空間で頭を柔らかくして話が弾みそうです
これによって去る人もいましたが、業務の効率化や透明化の積み重ねが組織の土台を強固なものにしました。また、採用強化を進め、共に前向きに仕事に取り組んでくれる従業員を増やしていきます。このように社内の改革を進めながら、建設業協会に所属する同業の若手との交流も深めます。
「建設業は人々の暮らしを支えるインフラに関わるものだから、絶対になくしてはいけない仕事。守っていくためには、時代の流れに応じて自分たちが変わらなければならない部分もあるんです。ちょうど時代も変わってきて、業界内にも自分と同じようにこのままではいけないよねと考える人たちが出てきて、どうすれば時代にマッチした魅力ある建設業にしていくことができるかを話したりしています」
また、同じ業界内だけだと視野が狭くなると、紀國社長は地域の異業種の経営者らと交流できる団体などにも参加。「新しい視点やアイデア、刺激などをもらっています」と話します。

自身が大事にしてきたことを明文化した企業理念「挑戦はわたしたちを成長させる」
紀國社長は、代表に就任した年にこれまでなかった企業理念も設けます。
「会社がひとつにまとまり、前に進むには、何かあったときに指針となる理念が必要だとずっと言い続けてきて、自分が代表になるタイミングでやっと企業理念を掲げることができました」
企業理念は「挑戦はわたしたちを成長させる」。この言葉は、紀國社長が子どものころから自分の中で大事にしてきたことでした。
「常にこの精神で目の前にあることにチャレンジしてきました。できない理由を並べるのは簡単だけど、それでは何の成長もないし、何も発展しない。どうやればできるかを考え、挑戦し、できることからやっていくのが何より大事だと思うんです。従業員には、失敗してもいいから恐れずに挑戦しなさいといつも言っています」
社員の皆さんと気さくにお話をしている姿も印象的でした
逆風にもめげず、何年もかけて挑戦を続けてきた紀國社長のもとには、近年「ぜひここで仕事がしたい」という人材も集まっているそう。新卒の社員も増え、現在は30人近くの従業員を抱えています。
こうした取り組みに魅力を感じ、半年前に東京からUターンして入社したのが、業務推進担当の朝利和弘さんです。現在は、社内のIT活用や業務改善をはじめ、広報や採用など幅広い業務を担当しています。
朝利さんは「北海道で新しい挑戦ができる環境を探していました。紀の國建設は会社として変化を続けていて、自分もその中でさまざまなことに挑戦できそうだと感じました。この会社なら自分の人生ももっと面白くなりそうだと思い、入社を決めました」と話します。
紀國社長が進めてきた魅力ある会社づくりの取り組みは、新たな仲間づくりにもつながっています。
こちらが総務部の朝利和弘さん
移住イベントもネーミングライツも、すべては業界のため、地域のため
紀の國建設には、朝利さんのようなUターンやIターンの従業員が3割ほど。北海道で暮らしたいとやって来る道外からのⅠターンも多く、「実は従業員だけでなく、お客さまの中にも函館に移住を考えているという方からの問い合わせが増えているんです」と紀國社長。
もともと移住を検討しているという人からの問い合わせは多かったそうですが、コロナ禍からWEB面談ができるようになるとさらに道外や地方からの相談が増えます。
「地方のお客さまを獲得し、移住者を増やすことができれば、地域貢献にもつながりますし、ひとつのビジネスチャンスではないかと思い、セルコホーム本社に『東京で移住イベントを開催しませんか』と企画を持ちかけました」
全国のセルコホーム加盟店の中には、地域での顧客獲得に苦戦している会社もあります。移住イベントには、移住希望者と地域をつなぐだけでなく、加盟店が抱える課題の解決にもつなげたいという思いが込められていました。

紀國社長が提案したハウスメーカー主催という珍しい移住フェアの企画は採用され、2年前から東京の国際ホールで大々的に開催。今年(2026年)も3月に行いました。
「今後も継続してこのような移住フェアをやっていければと考えていますし、行政も一緒にいい形で移住促進などができればと思います」
同じ悩みを抱える同業者の力にもなりたい、函館の街にも貢献したい、そんな熱い思いが移住フェアには込められています。
「うちの会社だけ良ければいいとは思わないんです。業界全体を良くしなければ意味がないし、地域の活性化も必要。図書館のネーミングライツパートナーもそんな思いから手を挙げました」
ネーミングライツの他にも「SDGs宣言」など、新しいことに多数取り組まれています
今年から函館市中央図書館のほか、市内の4つの図書室のネーミングライツパートナーになりました。これには、紀の國建設の認知度を上げるだけでなく、建設業界全体を元気にしたいという思いと業界のイメージアップ、そして函館への貢献の気持ちも含まれています。
「やりたいことがありすぎて追いつかない。社外の皆さんにはまだ秘密にしている構想もあります」と笑う紀國社長。たくさんあるやりたいことのひとつが、函館の会社として全道に支店を持つこと。「まず札幌支店を出したので、次はまた違うところにと考えています。ゆくゆくは全道で展開できるような会社に育てていきたいですね」と最後に語ってくれました。

- 紀の國建設株式会社
- 住所
北海道函館市昭和1丁目3番8号
- 電話
0138-42-3825
- URL















