北広島市といえば、北海道日本ハムファイターズの本拠地誕生を機に、駅周辺の開発が進み、国内外からも注目を集めているまち。同市は、2025年に株式会社エスコン、事業構想大学院大学と地方創生を目的とした産官学連携協定を締結し、構想人財育成と地域経済活性化を目指す「北海道事業構想イノベーションラボ」を発足しました。2025年6月から今年の3月まで、同ラボの第1期研究員が北広島の地域経済活性化のための教育プログラムに参加。今回、取材させていただいたのは、その第1期研究員であり、北広島で起業した株式会社 Birchbit(バーチビット)代表取締役 CEOの田中大幸さんです。広島県出身の田中さんが北広島へ移住するまでの話、スタートしたばかりの事業の話などを伺いました。
広島で生まれ育ち、海外で学ぶことに強い興味を持った高校時代

広島県広島市に生まれた田中大幸さん。3人兄弟の末っ子で、自由気ままに育ったそう。田中さんが3歳のとき、父親が自動車整備や販売を行う会社を創業。田中さんは保育園の帰りにいつも会社に立ち寄り、お客さんが来ると自ら車の説明をするなど、接客の真似事をしていたとか。このころから高いコミュニケーション力が発揮されていたようです。
高校は、広島市立舟入高等学校の国際コミュニケーションコースへ。英語力やグローバルな視野を養うカリキュラムが特徴で、第二外国語の授業もあるコースでした。田中さんがそこを選んだのは、9歳上のお兄さんの影響もあったそう。
「兄はそのコースの1期生。ちょうど自分が小学生のとき、広島カープの野球の試合を見に行った帰り、目の前を通った外国人選手のサインが欲しいって兄にねだったんです。そしたら、兄がササっと英語で話しかけてサインをもらってくれたんです。それがすごく嬉しくて、カッコよくて、兄と同じ高校に行こうと思いました」
田中さんがより海外を強く意識するようになったのは、フランスへの修学旅行や高校2年のときに参加したスイスでの6週間のサマープログラムでした。それは全国の国際系のコースがある高校の中から選ばれた生徒だけが無料で参加できるものだったそう。
てっきり教育熱心なご両親のもとで育ったのかと思いきや、「親から勉強しなさいと言われたことはないんです。塾に行ったこともないですし。ただ、やりたいことがあるならやりなさいというスタンスだったので、興味を持ったことをとことんやらせてもらったという感じはあります」と振り返ります。
高校2年まで本格的にテニスに打ち込んでいたという田中さん。プロを輩出するようなスクールで選手育成コースに所属していましたが、「高1のときに、今は世界で活躍するプロ選手(当時小学6年生)の女子選手にまったく勝てなくて、テニス関係の道に進むことはもうないなと自分で悟りました。高校でテニスをやりきったので、卒業後は違う形でスポーツに関われたらと思ったんです。それで高校卒業後はスポーツサイエンスについて海外で学ぼうと、スイスのサマープログラムを機に猛勉強をはじめました」と話します。
強い覚悟で渡英。カンタベリーの大学で出会った「言語学」に魅了される
高校を卒業後、1年間、東京でアルバイト生活を送りながら留学の準備をします。あえて東京に出たのは、いわゆる語学留学で海外へ行くわけではなく、スポーツサイエンスを学ぶための留学であるという強い覚悟の表れでもありました。日本の大学に進学した周りの友人たちが大学生活を謳歌している中、自分は必ず向こうでしっかり学ぶんだと奮い立たせ、アルバイトの傍ら論文の書き方など準備に励みます。
田中さんが過ごしたイギリス・カンタベリーの街。美しい風景です
その後田中さんはイギリスに渡り、南東にあるカンタベリーというまちでファウンデーションコースを1年間履修します。イギリスの大学は、日本の高卒資格を大学入学資格として認定していないため、イギリスの大学に進学するためにはこのファウンデーションコースで学ぶ必要があるそう。
ファウンデーションコースを終えた田中さんは、大学を選ぶにあたり、たまたまカンタベリーのケント大学のオープンキャンパスで、デイビッド・ホーンズビイ教授による言語学の講義に参加します。
「言語学というのは言葉を学ぶのではなく、言葉のサイエンスなんですけど、とにかくその教授の講義がすごく面白くて...。TEDトークみたいにステージを行き来し、そこでモノマネをしたり、いろんなアクセントを披露したり、それがコメディみたいな感じで面白くて、なんだこの世界は!と衝撃を受け、この人のところで勉強したいという気持ちになったんです」
スポーツサイエンスを学ぶつもりで渡英した田中さんでしたが、「気付いたら、全部の出願用紙に言語学の Linguistics と記入していました」と笑います。言語学で有名な大学はエディンバラやロンドンもありましたが、田中さんは住み慣れた町にあるケント大を選びます。
言語学に進路を転換した田中さんは、社会音声学を専攻。話し手のピッチ(声の高さ)が聴き手の信頼感にどう影響するかなど、音と言葉の科学を研究しました。
大学1年のときには、英語教授の資格「CELTA(セルタ)」を取得。CELTAとは英語を母国語としない人に英語を教えるための資格で、これを取ったことで、長期休みの間はイギリスの語学学校でヨーロッパの生徒に英語を教えていたそう。「学生ビザでも週20時間は労働ができたんです。学校が長期休暇の間はフルタイムでも働くことができたので、生活費の足しになって助かりました」と笑います。
大学院に進んだ田中さんは修士号を取得。次の博士課程への誘いもありましたが、自分は研究よりも早く社会に出て仕事をしたいと考え、それを断り、ビジネスの世界へ進むことにします。
帰国後、教育やAI業界で活躍。フルリモートワークを機に移住を検討
「ちょうど大学院を卒業した2016年にイギリスがEU離脱を決定。まだイギリスにいたいという気持ちもあったのですが、ビザがおりづらくなっていて...。それで起業ビザが取りやすいオランダで、学んだことを生かした教育ビジネスを始めることにしました。でも、若かったんですよね、見通しが甘かったというか...。このままだと1年もたないと途中で気付いて、ヨーロッパに残ることを諦め、帰国することにしました」
日本に戻った田中さんは、教育系のスタートアップ企業・タクトピアに入社。アントレプレナーシップ研修をはじめ、いろいろな研修の企画や運営などを経験します。その後、インド人の社長が経営するヘッドハンティングの会社を経て、AI業界へ。

「ケント大学にいた頃、ちょうどSiri とか Alexaなどの研究開発が行われた時期で、これからの時代、言語学者は AIとすごく接点が強くなると教授たちが常に話していました。それもあり、AI関連に携われたらと考えていたので、AI開発に関わるアメリカのスタートアップの日本法人に転職し、その後、楽天グループやTikTokのAI関連部門に勤務しました」
TikTokでは30人近くのメンバーをまとめる立場になるなど、着実にキャリアを築きます。2023年6月に、AIを活用した特定技能外国人労働者の研修ツールを提供しているビースポークに入社。プロダクトマネージャーとして製品開発に関わります。
2024年1月に元同僚の奥さまと結婚。田中さんも奥さまもフルリモートで仕事ができる環境だったこともあり、東京で高い家賃を払って暮らす必要があるだろうかと次第に考えるようになります。
「東京に友達もいるし、週末になれば出かけるところ、遊びに行くところはたくさんあるし、暮らしには満足していたんですけど、フルリモートで働けるようになってから、移住について考えるようになりました」
魅力を感じた北広島のまち。お試し暮らしを経て、移住を決意
奥さまは仙台出身で、オーストラリアに7年ほど暮らしていた経験もある方。2人で「移住をするなら、自然が近くにありながら都市機能も備えている場所で、外国のような雰囲気があるところがいいね」と話していたそう。
田中さんの地元・広島にある離島をはじめ、いくつか候補地があり、その一つとして北海道も検討していました。
「ちょうどファイターズの拠点が北広島に移って、エスコンフィールドがオープンした2023年にひとりで試合を見に来たんです。日帰りで(笑)。そのとき、エスコンの素晴らしさはもちろん、北広島は空港からも近くて、広島や東京へのアクセスもいいし、これからますますまちが発展していきそうな予感がして、2024年の試合に妻も連れてきたんです」
奥さまの実家が函館に移っていたこともあり、北海道への移住が濃厚になりつつある中、ひとまず、隣の千歳市にあるアパートメントホテルに2人で1週間滞在。普通の暮らしをしてみることにします。
「観光や遊びで来るときとの違いを確認したかったんです。普通にスーパーに行って買い物をしたり、車を運転して北広島にも遊びに来たりして、日常を体験しようと滞在しました。ちょうど2025年の1月だったんですけど、実際に暮らしてみて、移住するなら今のタイミングじゃない?という話になって、3月には北広島に移住を決め、4月に引っ越してきました」
移住に際し、ゆくゆくは地元企業で後継者がいないところの事業承継なども視野に入れていたという田中さん。
「チャンスがあればそういうのもありかなと考えていたのですが、そんなときたまたまインスタで北海道事業構想イノベーションラボの研究員募集という広告を見つけたんです。そのとき、これはいい機会だと思い、すぐに応募しました」
イノベーションラボを通じて見えてきた北広島の課題と自分が挑戦したいこと

定員20名の中に無事選ばれた田中さん、北広島を活性化させたいという思いを持った全国の仲間たちとプログラムを受講します。
「受講期間中は、地元の事業者さんや農家の方など北広島に暮らすいろいろな方と交流させてもらいました。いまも毎週早朝には、農作業の手伝いをさせていただいているんですよ。畑でトラクターに乗って耕うん作業や、マルチ張り、腐葉土づくりなどをしています」
学びながらリサーチをする中で、北広島の抱える課題が浮き彫りになり、教育という部分でいろいろできることがあると感じたそう。
「北広島で暮らすようになり、ハード面に依存している部分が強いと感じました。エスコンがあって、マンションやホテルができて、街は盛り上がっているけれど、中長期で考えたときにそれだけでは続かないと思ったんです。ソフト面を鍛えていかなければならないと先行きが厳しくなると。たとえば、東京から移住してきた家族が、東京と同じ水準の教育を子どもに与えたいと考えたら、やはり今は難しいのが現状。だったら、ここだからこそできる体験や学びを用意し、教育の土壌を作っていく必要があるのではないかと思いました。そして、それを自分がやりたいとあらためて感じました」
イギリスから日本に帰国した際、起業家教育を行うスタートアップ企業に勤務していた田中さん。研修などの企画から関わる仕事は楽しくて好きでしたが、当時はまだ自分の中に、製品開発やマーケティング、組織開発の引き出しが少なく、グループワークでファシリテートする際に自分自身に物足りなさを感じていたそう。
「でも、いろいろな企業でAIを絡めた課題解決を行うなど、たくさんの経験を積んできた今の自分だからこそできることがあると思うんです。これまでの経験を生かしながら、教育コンテンツの提供を行う事業に挑戦したいと思いました」
キーワードはアンラーニング。さまざまな教育・研修プログラムを提供したい
北海道事業構想イノベーションラボの教授や周りからの後押しもあり、田中さんはプロジェクトの最終発表の前に株式会社Birchbitを立ち上げます。
会社のコンセプトは、「新時代のアンラーニングは北海道から始まる」。アンラーニングとは、日本語で「学びほぐし」と訳されます。「学び直し」のリスキリングと異なり、自身の中にある既存の知識やスキルを意識的に検証し、棄却して、新しい情報を取り入れてアップデートしていくことを指します。
「年々AIは進化していて、特に2026年の進化はものすごいと感じています。これだけすごいスピードで環境が変わっている中、教育の在り方自体ももっと変わっていく必要があると思うし、昔の知識ややり方がマッチしない部分もたくさん出てきていると思うんです。いかにデジタルの部分を活用しながら、人でなければできないことを見つけていくか、体験していくかがこれからは重要だと思うんです」
田中さんは、北広島にある施設や環境を活用したスポーツ、教育、一次・二次産業体験などを統合した中高生向きのアンラーニングプログラム「KEE」を中心に、企業向けの研修も含めた教育プログラムの企画や運営を行っていきたいと考えているそう。「KEE」とは、Kitahiroshima Edu-sport Explorersの略。「北広島教育スポーツ探検家」を意味します。
「農作業において、AI導入や自動化が進んでいるけれど、人にしかできないことがたくさんあると感じています。農業体験も含め、スポーツを通じてフィジカルな体験を実社会に紐づけていければと考えています。また、国内外の中高生を巻き込めるよう、プログラムの大半は英語で行いたいとも考えています」
話を伺っていると、田中さんがこれまで経験し、築いてきたものの集大成が会社の事業に詰まっているように感じます。
「4月から本格始動したばかり。まだまだこれからですが、一つひとつできることをやっていきたい」と笑顔で話す田中さん。スポーツと教育を紐づける活動の一環、およびソフトコンテンツの創出を目的として、まずは6月に誰でも参加しやすいスポーツ「ピックルボール」のイベントを行う予定です。
北広島に移住して約1年。こちらへ来てから遠くを眺める機会が増えたそう。「山並みや日の出、夕日と、日々の景色が美しい。広々と視界が開けているので気持ちがいいです」と話します。また、月に2回ある東京出張から戻ってくると「ホッとします。電車に乗っても人とぶつからないし」と笑います。休みの日には、奥さまと道内をドライブしたり、温泉へ行ったりするという田中さん、2人とも料理が好きということで、地元の食材を使ってゆっくり料理をすることも。「妻は東京にいたときよりもストレスが低いと言っています」と話し、夫婦そろって充実した日々を過ごしているのが分かります。
海外にいたからこそ、道外から来たからこそ分かることや見えるものもたくさんあるはず。これから田中さんが提供するアンラーニングプログラムがどのように北広島の地で展開されていくのか楽しみです。
田中さんが撮影した北広島市の冬の朝。季節によって移り変わる美しい風景を眺められるのは、移住の醍醐味ですね
- 株式会社Birchbit
- 住所
北海道北広島市栄町1丁目52番地
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