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持続可能な酪農の在り方を模索。山岳放牧を始めた夫婦の物語20260703

持続可能な酪農の在り方を模索。山岳放牧を始めた夫婦の物語

北海道大樹(たいき)町は十勝地方の南部に位置する自然豊かな町。東は太平洋に面し、西には日高山脈が連なり、広大な十勝平野の一部をなしています。基幹産業は農業、漁業と一次産業ですが、中でも特に広大な土地をいかした酪農が盛んです。今回取材させていただいた河口牧場の主・河口健人さんと晶子さん夫妻は、この大樹町で2008年に新規就農した酪農家。新たな酪農のスタイルに挑戦を始めたばかりという夫妻は、「2度目の新規就農のような気分」と話します。持続可能な酪農のあり方を模索する夫妻のこれまでの歩みとこれからの暮らしを伺いました。

自分で牧場を持ちたい。それぞれが酪農家に憧れ、帯広畜産大学へ

河口牧場には現在80頭の乳牛(うち搾乳牛45頭)がいます。季節によって頭数の増減はあるそうですが、家族で経営するにはちょうどいいくらいの数なのだそう。作業にあたるのは健人さんと晶子さんですが、「子どもたちも少しは手伝ってくれるね」と2人は笑います。

kawaguchi052717.jpg笑顔が素敵なこちらのお二人が、河口牧場を営む河口健人さん・晶子さんご夫妻です

実は数年前に農業系のテレビ番組で取り上げられたこともある河口牧場。番組でも注目されたのは8人の子どもたちでした。放送された頃がちょうどコロナ禍だったこともあり、「当時は子どもたちも家にいることが多くて、かなり手伝ってくれたね」と健人さん。現在は、上の4人が大学や高校進学で大樹町を離れており、牧場内にある家には、中学生、小学生、保育園児の4人の子どもたちと夫婦の6人で暮らしています。健人さんと晶子さんは、2人とも東京出身。それぞれ酪農家になりたいという強い気持ちを持って、帯広畜産大学に進学します。

健人さんは、「都会暮らしの中で、北海道の広大な牧場に対する憧れのようなものがずっとあったんです」と振り返ります。きっかけは、学生時代に家族旅行で訪れた山梨県の牧場の景色でした。「よくよく思い返してみると、そこには牛がいなかったような気がするんですけど(笑)、牧場とその奥にそびえる山のコントラストがものすごくキレイで。その原風景がずっと忘れられなくて、自分もいつかこういう場所で牧場をやりたい、それなら北海道だ、と畜大へ進むことを決めました」と話します。

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一方、晶子さんは、幼い頃から動物、それも身近なペットではなく大きな「家畜」に強い関心を寄せていました。「昔、テレビでやっていた『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』が大好きで。大きな動物と関わりたい、北海道へ行きたいという一心で畜大に入学しました」と話します。大学時代は馬術部に所属して馬に夢中でしたが、卒業後に牧場で牛に触れる機会があり、「牛の魅力にすっかり取り込まれてしまって...。独身の頃から『いつか自分の手で酪農を始めたい』と本気で夢見ていました」と続けます。

大学時代は面識がなかったという2人。大学を卒業後、健人さんは牛の蹄(ひづめ)を切って形を整える削蹄(さくてい)の仕事をしながら、十勝管内のさまざまな牧場を巡り、就農に向けた地域の情報や物件の在り方を探っていました。晶子さんもまた、更別などの牧場で従業員として働き、実地で経験を積んでいました。

「いつか自分の牧場を持ちたい」という同じ志を抱いていた2人を引き合わせたのは、共通の大学の先輩だったそう。

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「お互いに『酪農をやりたい』と言い続けていたものの、当時はパートナーがいなくて...。今は違うかもしれませんが、その頃の新規就農の資金調達の書類には『配偶者または婚約者』という項目があったんです。資金を潤沢に持っていれば一人でも始められたのかもしれませんが、一から融資を受けてスタートを切りたい私たちにとって、人生を共にするパートナーの存在は必須でした。お互いの夢が完全に合致して、一緒にやろうと、そこから一気に話が動き出しました」と晶子さんは振り返ります。

十勝中を探し、巡り合えた大樹の牧場。周りのサポートのもと、念願の就農を果たす

2人が結婚したのは2004年。最初は晶子さんのいる更別村に住み、就農できる場所を探し始めます。「十勝全域で本当にあちこち話を聞きに行きました」と晶子さん。そんな折、知人から「大樹町で営農していた方が引退を考えているらしい」という情報を聞かされます。

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「前のオーナーさんがまだ実際に牛を飼っていたので、牛がいる状態のときに見学へ行かせてもらいました。それまでいくつも牧場の物件を見て回っていたのですが、ここの牛舎に入った瞬間、2人で『ここがいいね』となりました。その前の方がものすごくキレイに施設を使われていたのが一目で分かりました」と健人さん。

さらに、晶子さんには絶対に譲れない条件がありました。それは、住宅が牛舎と同じ敷地内にあること。

「物件によっては、住宅はなく牛舎などの施設だけという牧場もありました。でも、これからここで暮らし、子育てをしながら仕事を両立させていくことを考えると、暮らしと仕事が密接に繋がっている敷地内住居のスタイルが理想でした。前のオーナーさんが『家を出てそのまま譲る』という条件を出してくださっていたので、私たちの希望にぴったりとはまったんです」

健人さんにとっては当初思い描いていた「山が見える牧場」とは少し異なる風景ではありましたが、ベストな選択だったと話します。

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「本当は山並みがもっと見える場所が良かったんですけど(笑)。ただ、山並みが見える十勝の北側や畑作地帯は土地の値段がものすごく高いんです。酪農のための牧草を育てるのに、畑作ができるような高価な土地を借りたり買ったりするのは、新規就農の初期投資としてはリスクが高すぎました。それに比べて、このエリアは土地の価格が比較的安価で僕たちには入りやすかったんです。実際に新規で飛び込むには、これ以上ない選択だったと思います」

そして2008年、2人は念願の新規就農を果たします。

健人さんは、「大樹町や農協をはじめ、北海道の担い手サポートの人たち、近隣の酪農家さんにはとにかくお世話になりました。金銭的な補助はもちろんですが、大樹に来ることを歓迎してくれて、右も左もわからない私たちの相談にも親身に乗ってくれました」と話します。

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たとえば、こちらからは少し言いづらい住宅の明け渡しの交渉なども、農協や役場の職員が間に入って代弁してくれたことも。さらに、就農してすぐの忙しい時期には、近所の農家さんが重機を持ってきて、牧場周りの整備や草刈りをしてくれたこともありました。また、牛の調達に関しても農協に相談すれば、地域の家畜市場に職員さんが一緒に付いてきて、目利きから牛の運搬の手配まで整えてくれたそう。「専門知識を持った職員さんが揃っていて、本当に恵まれた地域でスタートできたなと今でも感謝しています」と健人さん。

融通が利く家族経営。周囲の助けも借りながら、8人の子育てと酪農を両立

実は、就農のちょうど1カ月前に、第3子が生まれたばかり。「就農のタイミングと出産がほぼ重なっていたんです」と健人さん。「妻は大きなお腹のままギリギリまで就農準備をして、産んでから1カ月で牧場がスタートしました。その後も、数年おきに妊娠と出産を繰り返しながらの営農だったので本当に大変だったと思います」と続けます。

kawaguchi052786.jpgお二人のそばにいる仔牛は生まれてから1週間もたっていないそう!可愛らしいですね。

しかし、晶子さん自身はその日々を「自営ならではの強みで乗り切れた」とニッコリ。「お勤めの人だと、産休の手続きや周囲への気遣い、決まった時間に出社しなければならないといった縛りがありますよね。でも私の仕事の相方は主人です。生まれる直前まで体調を見ながら牛舎にいられましたし、出産後、退院してからも、自分の体調や子どもの様子に合わせて『出られる時間は作業をして、しんどくなったら家に戻る』という、完全なマイペースで復帰できました。子育てと仕事の融通がこれほど利く環境は家族経営だからこそ。主人とお互いに協力し合いながら、子どもたちの成長のすぐ側で働けるのは、酪農の大きな魅力だと思います」と話します。

もちろん2人の力だけではどうしても手が回らない局面もありました。そんな時は、東京にいる互いの両親や、地域のヘルパーさんたちに支えてもらいました。

「出産の時は、必ず東京から私の両親と主人の両親が交代で大樹まで駆けつけてくれて、入院中の上の子どもたちの面倒やご飯作りを一手に引き受けてくれました。牛舎の仕事に関しては、南十勝のヘルパー組合にお願いをしました。出産の前後3週間は、ヘルパーさんが入ってサポートをしてくれる体制が整っていたので、毎回本当に助けられましたね」と晶子さん。

kawaguchi0527104.jpg晶子さんは「とかち酪農女性プチサミット」という、十勝で酪農を営む女性に向けた、情報交換や交流、モチベーション向上のためのイベントの実行委員を務めています。昨年の参加者は200名以上!家事や仕事でなかなか気軽に外に出られない方も多い酪農女性の集いの場として開かれています

これまでで最も大変だったトラブルを尋ねると、晶子さんは「四男を妊娠している時、切迫早産で1カ月間入院してしまったこと。それから別の時期に、作業中に機械から落ちて腕を骨折し、2カ月間牛舎仕事ができなくなったこと」と話します。「その入院の時は、さすがに主人一人で仕事と子どもたちの世話の両立は無理があったので、東京の両親に上の子たちを長期間引き取ってもらいました。骨折の時もヘルパーさんに助けてもらって...。基本的には夫婦2人で大抵のことは乗り切れるという自信はありますが、いざという時に実家に頼ったり、地域のヘルパー制度をフル活用できたからこそ、酪農を続けてこられたのだと思います」と続けます。

これまでの飼養スタイルから持続可能な山岳放牧へ転換。気分は2度目の新規就農

家族経営で安定した日々を送っていた河口牧場ですが、ここ数年で、それまでの飼養スタイルから山岳放牧へシフトチェンジを行います。

「これまでは、海外から輸入した穀物飼料をたくさん買い、牛舎の中にいる牛に与えて牛乳を搾るという一般的な近代酪農のスタイルを取っていました。しかし、ここ数年で輸入飼料の価格が高騰し、資源そのものがいつまでも安定して手に入るわけではないと危機感を覚えました」と健人さんはその理由を話します。

さらに、「僕が子どもの頃、教科書で世界の人口は55億人と習いました。それが今の子どもの教科書を見ると75億人に増え、最近では80億人を超えたとも言われています。このまま人口が増え続ければ、いずれ地球上の土の面積は足りなくなります。その時、人間が直接食べるはずのトウモロコシなどの穀物を、わざわざ海外から大量に買い付けて牛に与え続ける酪農が、本当に持続可能なのだろうかと思うんです。これまでのやり方がこの先もずっと続くと思い込んで莫大な借金を背負うのは、あまりにも危険。だからこそ、今のうちから我が家にある自然の資源だけで、持続していける循環の形を完成させたいんです」と語ります。

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そこで目をつけたのが、牧場の敷地内にありながら、機械が入らないという理由で長年放置していた山や湿地でした。「機械で草を刈れないなら、牛に直接そこへ行ってもらい、自分たちでそこに生えている草を食べてもらえばいいんじゃないかと思って、山の木を伐って、牛が歩ける道を拓くことから始めました」と健人さん。

しかし、周囲にいる酪農家のほとんどが平坦で広大な牧草地に牛を放しているケースばかり。河口牧場のように山に牛を登らせるというやり方を誰かに相談してアドバイスをもらえるような状況ではありませんでした。

「まさに手探りでのスタートで、最初の年は本当に大変でした。そもそも山に道がないので、最初は木の間を縫うようにして牛を誘導しようとしたのですが、牛たちが急斜面や木々が生い茂っているのを嫌がって、全く上に上がってくれませんでした」と晶子さんは思い出して笑います。

kawaguchimap.jpeg河口さんが切り拓いた牧場のお手製マップ。山の木を一つ一つチェーンソーで伐って道をつくっていった労力は計り知れません...

牛たちが歩きやすいように木を伐採し、道を造ってきた健人さんは、「シーズンを重ねた今では人が後ろから追わなくても、牛たちが自分たちでゾロゾロと列をなして山を登っていくようになりました。その姿を下から見上げた時は本当に嬉しかったですね。平坦な牧草地にいる牛もキレイですが、山をバックに力強く斜面を歩く牛たちのいる眺めは、まるでヨーロッパの山岳地帯のようで格別に美しいなと感じます」と話します。

一番遠いところまでは片道1キロほど。牛たちは毎日かなりの距離を歩いて運動しています。「カロリーを消費してしまうと、牛乳を作るためのエネルギーが削られて搾乳量が減ってしまうという説もありますが、特に変化は見られません。むしろ斜面を歩くことで牛たちの足腰は丈夫になるし、体も引き締まる。結果として、牛の健康寿命が伸びて長く元気にミルクを出してくれるなら、そっちの方がいい。人間も健康のためにウォーキングをするのと同じかと。とはいえ、僕たちもまだまだ放牧初心者。今は2度目の新規就農のような感覚です」と健人さん。

自分の手で、自分の未来を決める。目指すは「きちんと稼げる放牧」

大樹町で暮らす魅力について伺うと、晶子さんは「子育ての充実度」を挙げます。

「大樹は町ぐるみで教育に対してすごく熱心。教員の数も手厚いですし、学校教育だけでなく、教育委員会が主催する週末の野外活動などのプログラムも充実しています。少年団の活動も盛んで、子どもたちが放課後に孤立することなく、仲間たちと過ごせる環境があります。スクールバスが牧場の前まで来てくれるのも、私たちのような遠方に住む農家にとっては本当にありがたいですね」

8人の子どもたちをこの町で育てている晶子さんがそう話すと説得力があります。

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さらに、酪農を営む面でも大樹町は魅力があると健人さん。「大樹を含む南十勝は酪農王国です。周囲がみんな同じ仕事をしているからこそ、日々の悩みを気軽に相談できますし、お互いのやり方を参考に高め合うこともできるのは大きなメリットだと思います」と話します。健人さんは南十勝の放牧酪農家の集まりに参加し、情報交換をしたり、視察に赴いたりしているそう。

さらに、「酪農にはいろんな形があります。メガファームと呼ばれる巨大な牧場もあれば、最新のロボットを導入して自動化を進める牧場もあります。その中で、僕たちのような家族経営の小さな牧場が、自分たちの価値観を大事にしながら、独自の放牧というスタイルを自分で選び、挑戦できる。自分で考え、自分で決めていけるのがこの仕事の大きなやりがいです」と健人さんは語ります。

インタビューの最後、これからの夢や目標を伺うと、晶子さんはチャーミングな笑顔で「いま、趣味でマラソンをやっているんです。年に数回、大きな大会に出場しているのですが、目標は70歳になってもマラソンを元気に走れる体でいること!」と答えてくれました。晶子さんのパワフルなエネルギーが、牧場を明るくしているのが分かります。そして、「もちろん趣味も楽しみつつ、この放牧酪農をただのこだわりで終わらせるのではなく、ビジネスとしてもちゃんと稼げる放牧酪農として形にしていきたいです」と力強く話してくれました。

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河口牧場 河口健人さん・晶子さん
住所

北海道広尾郡大樹町字生花369番地4

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持続可能な酪農の在り方を模索。山岳放牧を始めた夫婦の物語

この記事は2026年5月27日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。