今年(2026年)6月、安平町の早来エリアに、道産小麦100%使用の無添加生地の焼きたてパンが並ぶベーカリーがオープンしました。お店の名前は「パン工房 たむポポ」。2年前に関東から移住してきた辰巳知行さんとセルビア人の妻・アンゲリーナさんが切り盛りするかわいいお店です。ドアを開けると、パンの焼き上がる幸せな香りに包まれます。

実は辰巳さん、もともとパン職人だったわけではありません。国連やJICA(独立行政法人国際協力機構)に所属して世界中を飛び回り、国際協力に携わってきたという人物。そんな経歴を持つ辰巳さんがなぜ家族と共に安平町へ移住し、ベーカリーを始めたのかをこれまでの歩みを踏まえて教えてもらいました。また、今の暮らしについても伺いました。
「選挙管理の専門家」として、世界を飛び回る
辰巳さんは大阪出身。高校まで大阪で過ごし、長く野球に打ち込んでいました。高校を出たあとは早稲田大学へ進み、1年間スコットランド留学も経験します。卒業後は大阪の民間企業に就職。人事部で採用や新人教育に5年間携わります。時は1990年代、昼夜問わずのハードワークが当たり前でした。
「バリバリ働いていましたね。もちろん学ぶこともたくさんあったし、いろいろな経験もさせてもらいました。ただ、次第に大学時代から興味のあった国際協力にまつわることがしたいと思うようになり、思い切って退職しました。器用なタイプではないので、辞めないと次に進めないと思って、何をやるか具体的に決めていませんでしたが、とりあえず辞めました」
大学時代も国際協力のボランティア活動に携わったことがあった辰巳さん。自身でいろいろ調べ、「国連ボランティア」にたどり着きます。当時は日本人の国連ボランティアの数はまだ少なく、広くは知られていなかった時代でした。
「採用され、いきなりコソボへ行ってくださいって言われたんです。ちょうど、コソボでの紛争がNATOの空爆を経て終結に向かっていた時で、その復興支援に入ってほしいということでした。コソボに行って、最初の3カ月は壊れた家の修理や資材の調達、建築手配などに携わりました」
その後も「仕事はいっぱいあるから残ってほしい」ということで、国連による暫定統治下の役所で、住民登録を行う任務につきます。戦争で消失した住民データを再び集めるというハードな仕事でした。
「やり方も任せると言われ、20人くらいの現地スタッフと一緒に、最初は近くの住民一人ひとりにヒヤリングしながらデータを集めていきました。誰がどこに住んでいて、誰と誰が家族で...という感じで地道にやっていました。学校の名簿が見つかったとか、病院のカルテが出てきたと聞いたらそれを取りにも行きました。データがある程度集まると、次はパズルのような作業が続きましたね」
約1年半かけて辰巳さんらが住民データベースの再構築を果たすと、パスポートの発行や住民サービスの準備などが行われ、有権者名簿ができた段階で選挙も行われることになります。次に辰巳さんは選挙管理を任されます。
「投票所の管理って簡単そうで意外と難しいんですよ。久しぶりの選挙だから、みんなも分からないことだらけだし、投票日当日は長蛇の列で大混乱。いろいろなことがありました。でも、選挙管理の仕事って面白いなと思ったんです。しばらく選挙のなかった国の人たちが、改めて平和な状況で 1票を投じ、自分たちの代表者を決め、新しい国づくりを始めていこうというのが非常によくわかるプロセスなんですよね。皆さん、大喜びで投票所に来られるんですよ。ついに平和が来たって並んでいるんです。選挙は平和の象徴なんだなと思いました」

コソボでのミッションをこなしている間、セルビアのソフトボール大会に出たことがきっかけで、セルビアに来て野球チームのコーチをしてほしいと請われます。長く野球をやっていた経験を買われてのことでした。そこで、コソボでの活動のあとは一度セルビアに移り、セルビアの野球草創期に関わります。このころ、奥さまと知り合って結婚。結局、コーチを3年務め、日本に帰国してからもセルビアの高校生チームの日本遠征を実施するなど、野球を通じた交流の架け橋も行ってきました。
その後、辰巳さんは再び国連やJICAの「選挙管理の専門家」として、リベリア、シエラレオネ、イラク、カンボジアなどの戦後復興や発展途上国の選挙管理の支援に従事します。
北海道・安平町への移住を決意。一番のきっかけは「花粉症」
世界中を飛び回っていた辰巳さんが、北海道の安平町を知るきっかけは、意外にも「花粉症」でした。
カンボジアから東京のJICA本部へ戻るタイミングで、花粉症対策を再検討した辰巳さん。「若いころは花粉症ではなかったし、海外にいる間も花粉症の症状は出ないんです。でも、東京や大阪に住むと出る。薬漬けの毎日で、あの辛さは悲惨でした」と話します。夜もしっかり眠ることができず、日中もひどい目のかゆみや鼻づまりで仕事に集中できない日が続きました。
そんな矢先、世界中がコロナに見舞われ、リモートワークが普及します。辰巳さんが所属していたJICAのガバナンス・平和構築部も週2日の出勤でOKとなり、同僚の中に長野や新潟、名古屋などに引っ越す人が増え始めます。
「週2日だけ東京にいればいいから、地方との二拠点生活を始める人が増えてきたんです。それを見て、自分も思い切ってスギ・ヒノキ花粉のない北海道か沖縄に住むぞって思ったんです。ちょうど2023年くらいかな。カンボジアから東京へ帰任するタイミングでした。総合的に考えて北海道がいいかなと思いました」
北海道には何度か訪れたこともあり、「いいところ」だという印象を持っていたそう。そして、新千歳空港からだと1時間30分程度で東京へ行けることもあり、それであれば週2日の出勤も問題ないと判断します。
「まずは新千歳空港の近くの自治体を調べようとネットで検索していて、安平町を知りました。安平のホームページはポップな感じで非常に洗練されていて、第一印象が良かったんですよね。調べていくうちに、自由で先進的な町立の小中一貫校『早来学園』のことも知り、都会のごちゃごちゃした環境ではなく、豊かな自然の中で子どもたちにのびのびと育ってほしいなと思ったんです」
辰巳さんはカンボジアから安平町の移住相談窓口に連絡。担当してくれた役場の移住コーディネーター河合香織さんと何度かやり取りを重ね、なんと一度も現地を見ることなく、Google マップの情報と丁寧に対応してくれた河合さんの言葉を信じて移住を決意します。世界中のサバイバルな環境で活動をしてきた辰巳さんならではの直感と行動力には驚きます。
住まい探しが難航しそうでしたが、ちょうどタイミングよく特定公共賃貸住宅(特公賃)の空きが出たことも後押しし、2024年6月、家族4人での北海道生活がスタートしました。
これまでと違う人生を選択。50代半ばでベーカリーに挑戦
「こっちに来て大正解でした。花粉症はぜんぜん出ません」と笑う辰巳さん。週に2日、東京へ通う生活がスタートしますが、海外出張も多く、結局安平町にいるのは1年のうち半年くらいでした。
「昔はこういう生活でいいと思っていたんですよ。国際協力の仕事のため、あちこち出張するのは当たり前で、その間、家族とは一緒にいられないけれど、それぞれがそれぞれの人生をそうやって生きるんだと思っていたんです。でも、50も半ばになり、子どもたちが成長していくのを見ていると、もっと毎日一緒にいたいという気持ちが大きくなってきたんですよね」
仕事を続けながら、家族との時間をもっと捻出できないかと模索しますが、国際協力の仕事を続けるには現実的に厳しく、「違う人生もありかな」と考え始めます。
「家族ができて、年齢を重ねるうちに、自分の中の価値観が変わり始めていたんですよね。水も電気もないようなところに行って、国づくりのお手伝いをするのはとてもやりがいのある仕事でしたし、大きな意義もあるけれど、徐々に大事なものがシフトし始めたんですよね。これまで自分の仕事の都合で、家族にはたくさん我慢をさせてきましたし、これからはもっと家族と一緒に過ごす時間を大切にしたいと思いました」
国際協力の第一線を退くことを決めた辰巳さんの頭に浮かんだのが、「まちにないベーカリーを自分で始める」というアイデアでした。「移住してきたときに、早来エリアにはスーパーや飲食店はあるけれど、ベーカリーがないねと妻といつも話していたんです」。一度思い立つと、頭の中はパンのことでいっぱいでした。
とはいえ、パン作りに関しては全くの素人の辰巳さん。フランチャイズの話もありましたが、資金を考えると難しく、自身で探しあてたのが、岡山の会社が行っている小規模ベーカリーの開業支援のプログラムでした。
「フランチャイズではなく、伴走支援という感じのプログラムだったんです。全国で数百店舗以上が開業しているということで、これならできそうだと思い、岡山へ研修に行って準備を始めました」
DIYで店舗を作り上げ、今は毎日20種類以上のパンを焼き上げる
店舗の建物に関してはベーカリーとして使える空き店舗がなく、河合さんの協力もあってやっと見つかったのは長年放置されている元居酒屋でした。近くにあるチャレンジショップでのスタートも考えましたが、利用には期限があり2年後には出なければならないため、元居酒屋の物件をベーカリーへ改装することにしたのだそう。
「物件はまるでお化け屋敷のような状態で最初はどうしようかと思いましたが、資金節約のために自分でDIYできるところは自分でやることにしました」
約3カ月間、壁を塗り、床を直し、看板やテーブルなどを作る作業を店の中や外で続けていると、近所のおばあちゃんたちから「何ができるの?」と声をかけられるようになります。
「パン屋さんができるんだよって話すと、楽しみだねとか、オープンしたら来るねとか、皆さんが言ってくださって、そういう毎日のさりげない会話がいい宣伝になったのか、オープンのときにチラシはまかなかったんですけど、おかげさまでオープンから連日たくさんの方が来てくださって...。ありがたいですね」

小学3年生の長女・あすかちゃんが書いたというメニュー表にはたくさんのパンの名前がズラリ。あんパンやメロンパンといった甘いものからチーズの入ったもの、定番のクロワッサン、食パンなど多彩です。小さな子どもでも食べやすいミニサイズのものもあります。

「常時20種類以上のパンを出すようにしています。オープンと同時にすべてのパンを並べるのではなく、時間差で焼きながら、どの時間に来ていただいても焼きたてが必ずあるようなイメージでいます。ただ、今は15時頃に売り切れてしまうこともあって、夕方に来ていただくお客さまには申し訳ないなと思うときもあるのですが...」
ちょうど取材の日は、焼く時間をずらしてくださったこともあり、17時近くになっても少しパンが残っていました。すると、「開いてます?」「あ、今日はまだやってる!」と仕事帰りの人たちが切れ目なく訪れ、パンを購入。皆さん、うれしそうな顔でパンの入った袋を抱えて店を後にしていきます。
手に入れた家族との時間。これまでと違った喜びを感じる日々
店名の「たむポポ」は、妻のアンゲリーナさんの苗字「ポポビッチ」の「ポポ」と、親しみやすい「たんぽぽ」の響き、それから文字の並びのかわいらしさから名付けられました。「たむ」にしたのは、ローマ字表記の際に「たんぽぽ」の「ん」が「M」になると考え、あえて「む」にしたそう。また、お店の入り口にあるマットには「PEKARA TAMPOPO」とありますが、このPEKARAとはセルビア語でベーカリーの意味。店内には東欧の刺繍などもさりげなく飾られ、アンゲリーナさんと二人三脚で店をやっていこうという辰巳さんの気持ちが伝わってきます。
「妻はベーカリーをやりたいと話をしたとき、大賛成してくれました。僕があちこち転々としていたこともあり、彼女自身も仕事をしたくてもなかなか続けられなかったので、こうやってひとつの場所に落ち着いて、一緒に仕事できることを喜んでくれています」
アンゲリーナさんだけでなく、ベーカリーを始めたことを喜んでいるのは2人の子どもたち、中学1年の長男・アレクセイくん、妹のあすかちゃんも同じはず。辰巳さんは「子どもたちがどう思っているか分からないけどね」と笑いますが、辰巳さん自身は常に家族をそばで感じられるのは幸せだと話します。
また、国際協力の仕事とは異なるやりがいも感じているという辰巳さん。
「これまでは地球の裏側のような遠い国へ行き、誰かの役に立てることにやりがいを感じていました。でも今は自分が作ったパンを、目の前のお客さんが笑顔で受け取ってくれて、『この間買ったパン、おいしかったよ』なんて言ってもらえるとまた違った喜びがありますね」
辰巳さんは地元の野球チームに参加したり、役場の「未来創生委員会」のメンバーに就任したりと、すっかり安平町の一員として溶け込んでいます。
「発展途上国の国づくりも、地域のまちづくりも本質は同じ。大切なのは、そこに暮らす人たちの声を聴き、信頼関係を築いていくこと。自分のこれまでの経験が役に立つなら、協力できることはしていきたいです」
子ども向けのパン作り教室なども開き、地域の人たちとの交流も深めたいと考えているそうです。また、「セルビアで野球をやっている高校生たちの第三回日本遠征は、安平町でできれば嬉しいですね。地域の高校生チームと試合をしたり、エスコンでプロ野球を観戦したり」と話します。
「構想はいろいろあるけれど、今はとにかく地域のみなさんに喜んでいただけるパンを作り続けることを第一に考え、『早来のパン屋さん』と呼んでもらえるようになることが目標かな」
ベーカリーとして地域に根差すという新しい人生をスタートさせた辰巳さん家族。4人が笑顔で会話している様子を見ていると、辰巳さんが店を開いて得た一番の宝物は、「家族との時間」なのかなと感じました。
















