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稚内市

稚内で余白を楽しみ、漁師を支える。宗谷漁協で働くということ20260917

稚内で余白を楽しみ、漁師を支える。宗谷漁協で働くということ

日本海とオホーツク海に面し、「日本本土最北端の地」として知られる稚内市。宗谷岬からは、海峡の向こうに遠くサハリンを望むことができます。暖かい日本海からの対馬海流と、冷たいオホーツク海の海流が出合う、栄養豊かな宗谷の海。日本有数の生産量を誇るホタテや、稚内名物の「たこしゃぶ」に使われる大きなミズダコなど、豊かな海の恵みが地域の漁業を支えています。

その宗谷岬に本所を構えるのが、宗谷漁業協同組合です。ホタテの水揚げ量は全国でもトップクラスで、2025年度は道内生産量の約1割を占めました。漁協を通じて販売した総額を示す「販売取扱高」は、2023年度に約100億円の大台に。宗谷の海の豊かさは、漁業者の収入だけでなく、職員の待遇や地域の経済にもつながっています。

今回は、東京農業大学オホーツクキャンパスへの進学を機に北海道へ移り住み、現在は漁協販売部で働く笠原康明さんと、総務で採用にも携わる黒川健さんのお二人に、漁協での仕事や宗谷での暮らしについて聞きました。

資金も、資材も、販売も。漁師を支える多様な仕事

1964年に設立された宗谷漁協は、漁業者が組合員となって組織される協同組合です。現在の組合員数は314名で、職員は36名です。

「漁師さんは海へ出て、それぞれの漁をし、獲ったものを港へ持ち帰ります。その前後や周りの部分を担っているのが、私たち漁協職員の仕事です」

そう説明するのは、黒川さんです。宗谷漁協では、船や設備の資金を扱う信用部、水揚げされた水産物を受け入れて売る販売部、漁業資材を扱うほか、店舗やネットショップも運営する購買部など、さまざまな職員が漁を支えています。ほかにも、保険を扱う共済、水産物の加工、海の資源を育てる増殖、漁場の管理など、漁協職員の仕事は実に多彩です。

soyagyokyo02.jpg宗谷漁業協同組合、参事兼総務部長の黒川健さん

部署が違えば、日々向き合う相手や仕事の内容も変わります。それでも、それぞれの持ち場から浜を支えることは共通しています。漁協と聞くと、漁業の専門知識がなければ働けないと感じるかもしれません。しかし、未経験で入る職員も多く、黒川さんは「最初は何も知らないところから始めていますよ」と話します。

「まずは担当になった仕事を覚えていきます。そのうちに、ほかの部署の仕事内容も分かるようになり、少しずつ知識が広がっていくんです」

黒川さん自身も、入職前から漁業に詳しかったわけではありません。地元の電気工事会社で学校向けのパソコン販売などを経験した後、情報処理に詳しい人を求めていた宗谷漁協へ電算係として転職しました。現在は総務係に所属し、採用にも関わっています。

「私も最初は『漁協って何をしているところ?』と何も知らなかったんですよね。でも現場で働くうちに、漁師を陸から支える仕事のと面白さとかやりがいがだんだんわかってきたんです」

荒波が育てる、肉厚のホタテと大きなミズダコ

soyagyokyo03.jpg漁協の建物から望む港とオホーツク海

水揚げされた水産物に最も近い場所で働くのが、笠原さんの所属する販売部です。具体的な仕事を紹介する前に、まずは販売部が扱う宗谷の「海の恵み」を見てみましょう。
宗谷といえば、まず挙げられるのがホタテとミズダコ。ほかにも、サケや毛ガニ、コンブなど、多彩な海の幸が水揚げされます。

なかでもホタテは、身が締まり、甘みが強いことで知られています。活ホタテのほか、冷凍貝柱や干し貝柱などにも加工され、国内外へ出荷されています。宗谷海峡は、日本海とオホーツク海を結ぶ狭い海峡。潮の流れは速く、複雑です。その海で育つホタテの特徴を尋ねると、黒川さんの声に力がこもりました。

「荒波で育った宗谷のホタテは、殻が厚くなるんですよね。それで、貝柱も筋肉質なんです。むいてすぐにペタッとなるホタテもありますが、うちのは立ったまま。獲れたてはプリプリというより、もうコリコリしていて、刺し身なんか絶品ですよ」

少し時間をおくと、今度は甘みが出てきておいしいのだそう。「食べられるなら、毎日でも食べたいくらいです」と話す黒川さんの笑顔。宗谷のホタテの質に対する自信が伝わってきます。

宗谷のホタテは、1年ほど育てた稚貝を4月から5月に海へまく「地まき式」で育てています。稚貝は海底で3年ほど成長し、4年貝になってから水揚げされます。漁場をいくつかの区画に分け、育った区画から順番に漁獲する「輪採」によって、毎年漁を続けられる仕組みとなっています。

もうひとつ、宗谷を代表するのがミズダコです。水揚げ量は日本一。大きなものだと重さが20キロほどにもなり、中くらいのサイズでも4キロから13キロあります。極太の足は弾力があり、かむほどに甘みが広がるのが特徴です。刺し身や煮物のほか、薄くスライスしてさっと湯にくぐらせる「たこしゃぶ」は、稚内の名物となっています。

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こうした海の恵みを港で受け止め、買い手へ渡し、漁師さんの収入につなげていく仕事を担っているのが「販売部」です。ここからは、笠原さんの一日を追ってみましょう。

水揚げされた水産物を、漁師の収入へつなぐ販売部

笠原さんの一日は、午前6時半の出勤から始まります。事務所で準備を済ませると、7時ごろに担当する港へ向かい、ホタテやタコを受け入れる準備を整えて、船が戻るのを待ちます。
水揚げの立ち会いを終えると、昼からは工場で活貝やホタテの箱詰めなどを行い、その後は再び事務所へ。港、工場、事務所を行き来しながら、現場とデスクワークの両方を担います。

soyagyokyo05.jpg宗谷漁協販売係の笠原康明さん

「船から揚がったものを規格ごとに計量して伝票を切り、データにまとめて漁師さんの口座にお金が入るようにするのが一連の流れ。イメージとしてはスーパーのレジに近いかもしれません」

多くの水産物を扱う販売部では、数字を間違えずに記録する正確さが求められます。一方、仕事の大まかな流れは、日によって大きくは変わらないそうです。

「ルーティンを淡々とこなすのが好きなので、今の仕事は自分に合っていると思います」という笠原さん。「自分のやり方で作業を簡略化できるところもいいですね」と、日々の業務でも工夫を重ねています。笠原さんの仕事への向き合い方には、最北の荒波に命をかける漁師たちが1円の狂いもなく安心して収入を得られるよう、陸から正確な数字で守り抜く静かなプライドを感じます。

港では、漁師さんとどのような話をするのでしょうか。

「『今日はどうだった』とか、明日の天気とかを話すことが多いですね。最初は、しゃべり方が怒っているように聞こえたんですが、実はそうでないことに気づいて。僕はあまりコミュニケーションが得意ではないのですが、そんなに問題はなかったです」

北海道で暮らしてみたい。その先にあった宗谷漁協

現在31歳、宗谷漁協に入って7、8年になる笠原さんは、東京で生まれ育ちました。北海道へ移り住み、この漁協で働くまでには、どのような経緯があったのでしょうか。

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東京出身の笠原さんが北海道へ来たのは、道東の網走市にある東京農業大学オホーツクキャンパスへの進学がきっかけでした。家族旅行で札幌や函館を訪れたことはあったそうですが、進学先として北海道を選んだ理由を尋ねると、こんな答えが返ってきました。

「満員電車が苦手ということもありましたし、北海道には、東京とは違った面白いこともあるんじゃないかなと思って。そこまで深く考えていたわけではないですけどね」

また、暑さが苦手だった笠原さんには、北海道の涼しさも魅力でした。網走での生活は初めてでしたが、北海道で一人暮らしをすることに大きな不安はなかったといいます。

大学卒業後は、キャンパスのある網走周辺で働くことを考え、漁協や農協を就職先の候補にしていました。そんな折、宗谷漁協からいち早く届いた求人が目に留まったそうです。応募して内定が決まり、網走からさらに北へ。こうして宗谷での暮らしが始まりました。

異動した販売部で、自分の得意を生かす

宗谷漁協に入って最初に配属されたのは、信用部でした。漁師さんの貯金や振り込みなどを扱う、銀行に近い仕事です。お金を扱うため神経も使ううえ、定期貯金を案内するような営業的な業務もありました。慣れない仕事に戸惑い、「自分には向いていないのかな」と悩んだこともあったそうです。

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信用部で2年近く働いた後、販売部へ異動。新しい部署では、自分の得意なことを生かせる仕事に出合います。ルーティンの仕事を確実にこなす一方、笠原さんは水揚げや鮮魚に関するデータを処理するExcelシートの入力手順を整理し、誰もが使いやすい形へ改良してきました。

「誰でも使える形にしたいと思っています。改良したシートを同僚に『これはやりやすいな』と言ってもらったり、『もうちょっとこうしたら』と意見をもらったりすることにも、やりがいを感じます」

日々使うシートだからこそ、小さな改善がミスの予防や、部署全体の作業のしやすさにつながります。自分がいない時でも、誰もが迷わずミスなく作業できるように。浜のチーム全員を思いやる優しさから生まれた仕組み作り。今後のシステム改修に合わせ、作業をさらに簡略化する方法も考えていきたいと、笠原さんは話します。

東京出身でも、アウェイ感は全然なかった

笠原さんは、職場から約8キロ離れた漁協の職員住宅で一人暮らしをしています。通勤は車で10分ほど。普段の買い物はセイコーマートで済ませ、週に1、2回は日用品をまとめて買うために車で30分ほどの稚内市街へ行きます。

職員の多くは地元や道内の出身者だそうですが、「アウェイ感は全然なかったですね」と笠原さん。東京出身だと話すと驚かれることはあっても、よそ者としての居心地の悪さは感じなかったそうです。同じ大学出身の後輩も、漁協が管理する清浜地区の増養殖施設で働いています。

「宗谷に移ってきたころに困ったのは、有料のごみ袋をどこで買えばいいのか分からなかったことくらい。職員住宅の電気やガスは漁協が手続きをしてくれましたし、分からないことは聞けば周りの人が教えてくれました」

休日は家でゲームをしたり、プラモデルをつくったりして過ごします。時には職員仲間と炭を起こし、ホタテを自分たちでむいて、刺し身やバター醤油焼きにすることも。以前は、バイクで周辺を走っていたそうです。

「道路は広いし、信号も少なくて走りやすいんです。山のほうへ行けば涼しいし、海が近いから風もあります。鹿はむちゃくちゃ出てきますけどね(笑)」

都会の満員電車が苦手だった笠原さんが、信号のない地平線のような広い道路をバイクで走る圧倒的な解放感。静寂に包まれた最北の夜にゲームやプラモデルに没頭する贅沢な時間。都会の喧騒から離れ、静けさの中で見つけたマイペースな居心地の良さ。笠原さんにとってはこの余白が、何よりの魅力なのかもしれません。

soyagyokyo10.jpg漁協からすぐ近くには日本最北端の地が

帰省する時には、車で20~30分ほどの稚内空港から羽田への直行便を利用しているそうで、「感覚としては、札幌や旭川へ車で行くほうが遠いくらい」と笠原さん。何でもすぐ手に入る都会とは違いますが、静かな環境で、好きなことを自分のペースで楽しみながら暮らしています。

休みやすく、長く働ける職場へ

宗谷漁協では、30代以下の若い職員が約8割を占めています。地元だけでなく、東京や札幌から来た人も所属しており、職員が長く働ける環境づくりも進めています。現在は日曜日を休日とし、祝日に出勤した場合は別の日に振替休日を取得できます。ゴールデンウイークやお盆、地元のお祭り、年末年始には、まとまった休みもあります。

採用を増やしている理由のひとつは、「業務を分担し、職員がさらに休みを取りやすくするため」だと黒川さんは話します。宗谷漁協の今の働き方を、地元の高校生や大学生だけでなく、道内外で仕事を探す人にも知ってもらい、宗谷で働く新しい仲間を迎えたいと考えています。

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「人員不足対策はもちろんなんですが、新しい風を浜に吹き込み、業務を分担することで、若い職員たちが仕事もプライベートも全力で楽しめるような、持続可能な漁協をつくりたいと思っています」

日曜日には、黒川さんも子どもたちと少し離れたまちへラーメンを食べに出掛けることがあるそうです。宗谷で暮らす楽しみを尋ねると、季節ごとの魚の名前が次々と挙がりました。

「釣りはすばらしいですよ。川ではイトウ、海では春先のマス、秋にはサケ、それにカレイやシマゾイ。私は釣るより魚をさばく側ですけど、やっぱり獲れたてがうまいんです」

海へ出る漁師さんを陸から支え、宗谷の豊かな水産物に関わる漁協職員。宗谷漁協は今、新しい仲間を迎え、職員が長く働ける環境を整えながら、最北の海に根づく漁業をこれからも支えていこうとしています。

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宗谷漁業協同組合
宗谷漁業協同組合
住所

北海道稚内市宗谷岬7番50号

電話

0162-76-2071

URL

https://souya.or.jp/

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稚内で余白を楽しみ、漁師を支える。宗谷漁協で働くということ

この記事は2026年7月31日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。