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知床の海を「稼ぐ」に変えた令和型漁師集団・北洋丸20260909

知床の海を「稼ぐ」に変えた令和型漁師集団・北洋丸

日本が世界に誇る世界自然遺産・知床を擁する斜里町。秋になればたくさんの鮭が遡上する「鮭日本一の町」を標榜するまちです。流氷が接岸する冬や、青く澄み渡る夏。自然の厳しさと豊かさと共に生きるこの海で、「漁師」という概念を軽やかに、そして大胆に飛び越えていく人たちがいると聞いたくらしごとおさかなチーム。さっそく有限会社北洋共同漁業部(北洋丸)の代表、伊藤正吉さんを訪ねました。

陽気なSNSや広報専任担当 若手が活躍する漁師集団

TikTokでバズり、広報担当がいて、若手がひしめき、一人ひとりの裁量も大きい。それだけ聞くと、なんだかIT企業かなにかの紹介みたいですが、れっきとした漁業者。ところが伊藤さん、昔からこうだったわけではまったくありません。むしろ真逆。船の上で若い衆に手をあげることすらあったといいます。何が伊藤さんと会社をここまで変えたのか?。早速聞いていきましょう!

hokuyomaru10.jpgこちらが、北洋共同漁業部代表、伊藤正吉さん。以前は怖かった(!?)なんて信じられない穏やかな笑顔

とにかく若い乗組員が多い北洋丸。しかも、その働きぶりときたら、
「今いる若い人たちは、もう信じられないくらいの金額で働いてますよ」。
と伊藤さんも自負するほどの高収入。年収は、こっそり聞いたところ、思わずこちらの背筋も伸びるほどの金額でした。

そして、その求心力の源はお金だけではありません。SNSでの発信です。
北洋丸のTikTokやInstagramは、漁の現場をリアルに、そしてなんとも楽しそうに映し出します。
「ただ魚を獲ってるだけじゃなく、みんなでゲームしてるみたいな。まあ、ふざけすぎなところもあったりするんですけど(笑)」。
ふざけすぎ、と伊藤さん本人は言いますが、これが若い世代に刺さるのです。SNS発信を強化して以降、TikTokのフォロワーは一気に3万人台へ。まだ漁業界隈ではこうした発信が少なく、先行者利益を掴めたことも味方したのかもしれません。

さらに驚くのは、社員募集をかけているわけでもないのに、SNSを見た若者が全国から「働きたい」とやってくること。

hokuyomaru_sns1.jpg今や総フォロワー数11万人を超える北洋丸のSNS。現場の発信を担うのは、オレンジ先輩こと加藤さんと、後輩の伊藤さん。照れや不安をはねのけ「北洋丸のために!」発信を続けます

「何百万円という広告費を投入するようなイベントにも出たこともあるんですが、うちの場合は自分たちの、ありのままの姿を見せる方が人が集まってくるんです」。
豪華に飾ったパンフレットより、等身大でリアルな動画。時代の風を、伊藤さんは正確に読んでいます。

そしてこの発信を裏で支えるのが、漁業界では極めて珍しい「広報担当」の存在です。北洋丸の広報を担っているのは、伊藤さんのご息女の友人で、かつて夫婦で斜里に移住してきた藤田さん。
デザインのスキルを持っていたことから、最初は魚に付けるブランドの札の作成を依頼。その後北洋丸初のホームページも彼女の手によって製作されました。
「漁師は往々にして言葉にするのが苦手。でも彼女が、その思いを丁寧に言葉にしてくれたんです」。
女性の存在も、広報という部署も、漁業の世界ではまだ多くありません。北洋丸は、その両方をすでにだいぶ前からやってのけていました。

hokuyomaru73.jpg斜里のお魚や海を知ってもらいたい!その想いが、どんどんアイディを生みます。ガチャガチャや漁師みくじは観光客にも人気

「手をあげる」漁師を変えた、死の淵の2年間

ここまで読むと、伊藤さんは生まれながらのアイデアマンで、北洋丸は昔から漁師のトップランナーだったように見えるかもしれません。ところが、おお、現実は小説より奇なり。話はそう単純ではないのです。

そもそも伊藤さん、最初から漁師を目指していたわけではありませんでした。釧路で生まれ、斜里で育ち、中学時代は「バレーの街」斜里の代表として全国大会へ。その実力を買われ、札幌の東海大学第四高校(現・東海大学付属札幌高校)へ推薦入学します。ポジションは、コートの司令塔・セッター。「大学を出て教員になって、バレーを教えたい」。そんな夢を描いていた青年でした。ところが学費の工面に悩んでいた折、父から「漁師をやらないか」の一声。「ほんとは渋々帰ってきたんですよ」と笑いますが、これが知床の海との長い付き合いの始まりでした。

20代の終わりに、現在の会社の元となる親類の漁業部を継いだ伊藤さんを待っていたのは、当時としては途方もない額の借金でした。それでも海はまだ豊かで、「今年ダメでも来年は良くなる」という楽観があったそう。バレーで鍛えた肉体を武器に、がむしゃらに突き進む日々なのです。

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当時の自分を、伊藤さんはこう振り返ります。
「自分一人で何でもできるし漁も回せると思っていました。今思うとほんとに大変な野郎でしたね。船の上では若い衆を怒鳴ったり、時にはぶん殴るし、蹴っ飛ばしたこともあります」。

ぶん...っ!
今の穏やかな伊藤さんからは、まるで想像がつきません。
くらしごとチーム、意外過ぎて思わず固まる始末。

そんな「大変な野郎」の人生を覆す出来事が起きたのは、いまから12年前、43歳の7月7日。仕事の途中で突然、体が動かなくなります。しばらく休んで目を開けると、黄疸が出ていたのだとか。病院で血液を調べると、通常40ほどの肝臓の数値が、なんと2000。
医師の診断は「自己免疫性肝炎」という重篤な疾患でした。最寄りの網走の病院では手に負えず、自衛隊機とヘリで札幌の病院へ緊急搬送される事態となりました。

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「多分死ぬんだろうな、と。家族もみんなそう思ったはずです。病院では『肝臓移植になるかもしれないので、誰が提供するか家族で決めておいてください』とまで告げられました」。

体重はみるみる落ち、10メートルも歩けない。かつて従業員を怒鳴りつけていた伊藤さんは、ベッドの上で泣くしかなかったといいます。「俺がいなくなったら、この会社はどうなるのか」「今まで、俺は何をやっていたのか」。療養は、実に1年半あまりに及びました。

あえて持ち場をシャッフル 自分がいなくても回る組織づくり

死の淵をさまよったこの時間が、伊藤さんに決定的な気づきをもたらします。

「漁を一人で回してた自分が倒れたら、ワンマンチームでは何もできなくなるんだな、と。組織って、それじゃ続いていかないですよね」。

復帰した伊藤さんは、組織の形をがらりと変えました。それまで「この仕事はこの人にしかできない」と属人化していた持ち場を、あえてシャッフルしたのです。

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「誰がいなくても回る状況をつくる。わざと半分くらい休ませて、残ったメンバーでやらせてみようと思ったんです」。

残った側は休んだ人の仕事内容をカバーしながらなんとかするしかない。そうやって、一人ひとりができることの範囲をじわじわと広げていく。みんなができないことを、少しずつ減らしていく作戦です。

目指したのは、一人ひとりが自律的に動き、互いの足りない部分を補い合える組織。会社が一つの生命体のように、本体を生かすために必要な行動をすべての細胞が行える集団です。かつての独裁的な船長は、次世代を育て、仕組みそのものをつくる「プロデューサー」へと役割を変えたのです。

面白いのは、こうして生まれた伊藤さん不在の「余白」が、そのまま会社の推進力になっていること。ブランドづくりに、SNS発信に、昆布養殖への挑戦にと、次々に新しい手を打てるようになりました。

hokuyomaru_sns2.jpg伊藤さんの不在をきっかけに、社員によるドローン技術の習得も始まりました。網や魚の状態を視覚でとらえることができるようになりました

病に倒れ、自分一人では仕事を回せなくなったことで、手放さざるを得なかった「自分がやる」というこだわり。しかし、社員を信じて任せた結果、彼らが頼もしく育ち、めぐりめぐって「会社の成長」に化けたのです。人生、何が転機になるか分からないものです。

「今はもう、誰がいなくても回りますよ。特に私なんて、いなくても全然回りますから」。
そう言って、伊藤さんは笑います。ふつう、経営者が「自分は要らない」と言えるまでには相当な勇気がいるはずですが、むしろ誇らしげ。倒れた経験があるからこそ、たどり着いた境地なのでしょう。

ちなみに、かつての猛烈だった指導にも、実は裏がありました。

「若い子には厳しかったですが、海の仕事のことはしっかり教えていました」。

当時環境が良いとは言えなかった浜を立て直すため、バレーの教え子なども招き入れてきたのだそう。
厳しさの奥には、いつも「この浜をなんとかしたい」という思いがあったのです。

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科学と技術で価値3倍 ブランド鮭「知床桜鱗」の逆襲

組織が整うと、伊藤さんは次なる挑戦へ向かいます。「魚の価値を、正しく高める」ことです。

知床は鮭の宝庫ですが、春に獲れるサクラマスは、日本海側に比べて時期が遅く魚体も小さいため、市場での評価はいまひとつでした。
本当はおいしいはずなのに、なぜか評価が上がらない。その悔しさをバネに、伊藤さんは科学的なアプローチに乗り出します。北海道各地の浜からサクラマスを買いあさり、一匹ずつ脂の乗りや品質を測定。そうして生まれたのが、以下の6つの厳しい基準を満たしたブランド「知床桜鱗(おうりん)」でした。

~知床桜鱗 6つの要件~
一、斜里町で漁獲された天然の桜鱒
二、船上で活締め(血抜き・神経抜き)を行う
三、徹底した温度管理を行う
四、胃洗浄を施し、鮮度を維持する
五、傷のない美しい魚体を漁師が見極める
六、脂肪率が 8%以上のもの(魚体は2kg以上)

hokuyomaru_teikyo2.JPG丸々と太り、見るからに美味しそうな魚体です!

こだわりのひとつが「胃洗浄」という技術です。専用の器具で魚の胃の内容物を取り除くことで、内臓を残したままでも輸送中の腐敗を抑え、獲れたての鮮度を保ちます。
さらに、魚の体脂肪率を測る「フィッシュアナライザー」を導入。普通の鮭が3%ほどのところ、脂の乗り8%以上の個体だけを選び抜き、傷のない美しい魚体を一匹ずつ漁師自らの目で見極めて出荷します。

「客観的な数字は強いですよ。見せ方をちゃんと考えれば、漁業はもっと付加価値を付けられるんです」。

職人の勘と、科学の裏付け。おいしさを事実として消費者に伝える努力。
とはいえ、知床桜鱗の船出は決して順風満帆ではありませんでした。強気の高値をつけて漁協に出した初回の15匹は、なんと一匹も売れなかったのです。

hokuyomaru_sns3.jpeg一匹一匹、丁寧に手を施します

「やばい、どうしようって(笑)。偉そうなこと言ってみたけど、内心は冷や汗ものでしたよ。それでも魚の良さには自信があったので、安売りはしたくなかったんです」。

そこで打った次の手も、なんとも伊藤さんらしいやり方でした。

「ちょっと妥協して割引価格でいいですよ、なんて持っていき方も嫌だった。それならいっそタダでやってみようと」。

地元の飲食店に魚を無償で配って歩いたのです。チラシを添えて、まずは一度使ってもらい、品質を知ってもらうというわけです。同時に「知床桜鱗祭り」という、完全自前のイベントも開催しました。
すると、地元の人が「これはうまい」と認めてくれ、評判は口コミで広がっていきます。2年目には、すでに魚が足りなくなるほどの人気に。閉塞感の漂う漁業界に、一石どころか大きな岩を投じた瞬間でした。

hokuyomaru_sns4.jpeg主催も運営も自分たち。完全自前のイベントも、子どもたちも楽しめる様々な工夫や、自慢のお魚をつかったおいしいメニューに、大盛況でした

バズるオオカミウオ、そして100年後の海へ

もうひとつ、北洋丸に欠かせない「隠れた主役」がいます。見た目のインパクトで知られる、北の荒くれ「オオカミウオ」です。一般的な流通では利用価値が低いとされるこの魚を、伊藤さんは「珍しいし面白い」と刺身にして自販機で販売。これが「一度食べてみたい」という観光客に刺さりました。TikTokに投稿したオオカミウオが空き缶を噛み潰す動画もバズり、網にかかった個体は「みんなに見てほしい」と旭山動物園やサンピアザ水族館へ寄贈。いまや「オオカミウオを売っている漁師」としてもその筋では有名に。

hokuyomaru80.jpg何と、道の駅の自販機でオオカミウオの刺身が買えます。醤油と箸がついてきてその場で食べられるのも、伊藤さんならではの、かゆいところに手が届く気遣い。ちなみに見た目にそぐわず何とも上品で美味しい白身でした!

伊藤さんの視線は、すでにはるか先の海を見ています。近年、カラフトマスの不漁など環境の変化は深刻です。そこで今年から本格的に始めたのが、昆布の養殖でした。

「海の環境を守るには、藻場を再生させなきゃいけない」。

1年目は流氷の影響や、ヨコエビの食害もあって収入はほぼゼロという厳しい結果でしたが、迷いはありません。編んだロープを海に沈め、種が付くのを祈り、地下海水を汲み上げる陸上施設を構想し、遠く四国まで青のり養殖を参考にしようと学びに足を運ぶ。アイデアは、次から次へと湧いてきます。
もちろん、伊藤さんが自分だけで「まわす」のではありません。若手の社員が積極的に関わります。

HKXRu9tW8AAP1Hg.jpg流氷の来る海で、昆布を養殖するのは未知の挑戦です。9割がだめになった初年度ですが、逆に言えば、生き残った昆布は、次への確かな手応え。伊藤さんは前だけを見ています

さらに、海を「熟成庫」として使う試みも動き出しています。日本酒やワインを海に沈め、海水の微細な揺らぎで熟成させるという、なんとも大胆なプロジェクト。魚を売るだけにとどまらず、知床の海そのものの価値を上げていく。伊藤さんの発想の根底にはいつも、「地域まるごと面白くしてやろう」という企みが潜んでいます。

これほどの行動力は、いったいどこから来るのか。最後に尋ねると、伊藤さんはさらりとこう答えました。

「死んだらゆっくりできるよなって思って。だから、死ぬまではゆっくりしないことにしたんです」。

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一度死の淵をのぞいた男の言葉には、静かでどっしりとした重みがあります。独裁からチームへ、勘から科学へ、そして獲る漁業から「守り、伝え、稼ぐ」漁業へ。伊藤正吉さんと北洋丸が知床の海に刻む航跡は、まだ道半ばです。100年後の子どもたちに豊かな海を残すための、終わりのない挑戦の様子を、あの楽しそうな動画で確かめてみてください。

有限会社 北洋共同漁業部 代表 伊藤正吉さん
有限会社 北洋共同漁業部 代表 伊藤正吉さん
住所

北海道斜里郡斜里町前浜町4-22

電話

0152-26-8150

URL

https://www.hokuyomaru.com/

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知床の海を「稼ぐ」に変えた令和型漁師集団・北洋丸

この記事は2026年7月29日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。