北海道の東側にある別海町。生乳生産量が全国1位と酪農の印象が強いかもしれませんが、オホーツク海に面し豊かな漁場を有する漁業も盛んなまちです。特に野付半島で獲れるホタテをはじめ、鮭やホッカイシマエビなど、国内はもちろん、海外からも注目されているおいしい魚介類がたくさんあります。
今回は、別海町でこれらの海産物を扱う水産加工の会社「丸イ佐藤海産」へおじゃまし、代表取締役の伊勢健さんに会社のこと、ご自身の歩みやこれからの夢などを伺いました。また、2年前に札幌から移住してきた社員の林謙一郎さんにも職場や地域の魅力を教えてもらいました。
野付産ホタテを中心に、サケやブリなどを国内だけでなく世界各国に届ける
まずは代表取締役の伊勢健さんに話を伺っていきます。丸イ佐藤海産が創業したのは1999年(設立は2000年)。伊勢さんの父である先代が、それまでの水産業のキャリアを一新し、新たに立ち上げました。
「創業当時は、地元の漁協から仕入れたサケとホタテが半々くらいの割合で取り扱っていました。それを全国の市場や商社さんに向けて、三枚おろしにして冷凍したり、ホタテなら貝柱に加工したりと、お客さまが使いやすい形にちょっとした加工をして出荷するスタイルからスタートしました」
時代とともに、気候変動や海水温上昇の影響でサケの来遊量が減少傾向を見せ始めたこともあり、現在は地元・野付産のホタテの割合が増えているそう。
「野付のホタテは日本一大きいと言われ、甘くて締まった身が特徴。ホテルや高級料亭でも高く評価をいただいています。ギフトとしても人気です。さらに最近は、夏の終わりから秋にかけて脂が乗ってくる天然のブリなども扱うようになりました。現在は地元のホタテを中心に、全道各地のおいしい魚介類を幅広く取り扱っています」
「株式会社 丸イ佐藤海産」代表取締役の伊勢健さん。
同社の強みは、徹底した品質管理、衛生管理、処理スピードにあります。道内の水産加工会社でもトップクラスの160名近い従業員が仕事に従事しており、鮮度を保ちながら大量生産が可能なシステムを構築。常に顧客のニーズに応え、高鮮度な商品を届けられる体制を整えています。工場の衛生管理も徹底しており、世界基準のHACCP(ハサップ)工場として、厳しい国際認証も取得しています。
「HACCPの運用には、ハード面とソフト面の両方の整備が欠かせません」と伊勢さん。ハード面では、手洗い場や殺菌設備の設置のほか、ホタテをさばく作業台なども衛生的なステンレスを使用。ソフト面においては、従業員一人ひとりが毎朝チェックシートを用い、毛髪混入対策、爪の長さ、服装、体調などを厳しく確認します。
さらに作業中も、ホタテの中心温度や殺菌用の塩素濃度などを細かく記録し続けるなど、安心安全なおいしい北海道の海産物を食卓へ届けるため、徹底しています。
そんな同社の商品はどれも高品質と高い評価を得ており、海外にもたくさん輸出されています。2026年2月、東京と大阪に本社を構える大手商社「阪和興業」の傘下に入ったことで、よりスピーディーに世界中へ商品を届けられるようになりました。
「阪和興業グループは世界各地に拠点を持つ商社。その一員となったのを機に、現地ニーズをダイレクトに吸い上げ、北海道の最高品質の魚介類を世界中へ届けられる環境が整いました」
別海に戻ってあらためて気付いた、世界に誇れる豊かな水産資源
2代目として多忙な日々を送る伊勢さん。別海町で生まれ育ち、地元の中学を卒業したあとは札幌の高校へ。卒業後は、京都にある立命館大学へ進学します。意外にも「若い頃は地元に戻る気がまったくなかったし、跡を継ぐ気もなかった」と明かします。
大学を卒業したあとは、大阪の建材メーカー「YKK AP」に入社し、大手ハウスメーカーを担当する営業マンとして仕事に没頭していたそう。
「営業の仕事が本当に楽しくて、このままずっと関西に残って骨を埋めるつもりでした(笑)。でも、父が体調を崩したと連絡があり、急遽会社を辞めて実家へ戻ることになったのですが、帰ってみたら安心したのか親父は元気になっちゃって(苦笑)」
その後、本格的に家業を継ぐ準備として、旧築地市場にある大卸の会社に勤務します。魚のこと、業界のことを実地で学ぶ修業期間となりました。
市場にもよく顔を出すという伊勢代表。
「朝2時に出社して、7時までに来た生鮮物をすべて売り切る。そのスピード感の中で頭の回転が鍛えられましたね。築地には全国からあらゆる魚が集まるので、良い魚の見極め方、時期ごとのおいしさはもちろん、お客さまに喜ばれる加工やニーズ、逆に嫌がられる加工のされ方などを吸収することができたのは大きな財産です」
もともと人と話すのが好きで、新卒で営業職に就いた伊勢さんです。たくさんの取引先とやりとりを行う大卸の仕事もやればやるほど面白いと感じるようになっていったと言います。
「楽しくて、ずっといてしまいそうで(笑)。長くいると、さらに知り合いの数も増えていき、離れられなくなりそうだったので、2年で別海町へ戻ることにしました」
26歳で別海町へ戻り、丸イ佐藤海産に正式に入社。伊勢さんは現場を知るところから始めようと、最初の2年は加工場にみっちり入り、自ら手を動かしながら課題を見つけ、改善に取り組んでいきます。
その後、仕入れや販売も担当し、得意の営業スキルを活かして、自ら新規開拓も行うように。「電話帳を片手に全国の商社や市場へ泥臭く営業をかけましたね」と当時を振り返ります。
毎朝の毛髪・服装・体調の厳格なチェックシート管理を徹底。人の手による細やかな選別作業が、圧倒的な信頼を支えています。
「戻ってあらためて分かりましたが、別海には世界に認められるレベルの水産資源がとにかく豊富にある。これはすごく誇り高いことなんです。だからこれをもっとブラッシュアップして、自分の得意な営業力も活かし、日本中、世界中に広げていけたらと思っていました。今もその気持ちは変わりません」
2020年に先代から代表を引き継ぎますが、今でも時間ができれば加工場に入り、従業員ととともに作業にあたっているそう。
「加工場の仕事も結構楽しいんですよ。それに、普段なかなか話せない従業員とも加工場に入っているときは話もできるから」とその理由を話します。
世界を相手にするような大きな仕事をこなしながらも、一緒に仕事をする従業員への気遣いも忘れない伊勢さん。それは次で紹介する企業理念にも表れています。

関わる人たちすべてを幸せに。そして、みんなの夢を叶えられる会社に
伊勢さんが代表に就いてから掲げた企業理念は、「地球の恵みに感謝し、共存する」「すべての人に幸せを」「丸イ佐藤海産で必ず、夢は叶う」の3つ。
「うちは海の資源である魚とそれを獲ってくれる漁師さんがいないと仕事が成り立ちません。さらに、うちで加工した商品を運んでくれる運送会社さん、運送に必要な資材を調達してくれる資材屋さんらたくさんの関係企業、そして、うちで働いてくれる従業員がいてくれるから、事業を続けられています。うちに関わるすべての人が幸せになってほしいという気持ちで経営にあたっています」
特に従業員の働く環境については日ごろから気にかけ、できることはすぐに行動に移すようにしています。時間を見つけて伊勢さんが自ら加工場で作業にあたるのも、普段から積極的に従業員へ声をかけるようにしているのも、風通しの良い環境づくりのためでもあると話します。

「パートさんも含め、従業員はベテランから若手まで幅広く在籍。ベトナム人の技能実習生も60人ほどいます。技能実習生の子たちはみんな明るいし、日本語が上手な子たちもいるので、日本人スタッフとも楽しそうにやっています」
ベトナム人実習生の中には難関試験(特定技能2号)を突破した優秀な人も3人いて、正社員に登用。国籍を問わず頑張る人を正当に評価し、ステップアップできる環境も整えています。
また、「せっかく水産の仕事に携わっているのだから、最高の魚を食べて、魚を好きになってほしい」と、福利厚生の一環として年に3回、会社から全従業員に魚介類のプレゼントが用意されています。
「夏は土用の丑の日にウナギを、秋には旬のサンマやサケ、醤油イクラなど。そして年末には、ズワイガニや毛ガニのほか、ホタテなど自社製品を詰め合わせたセットを贈っています。特に自社製品のおいしさを実感できれば、自分たちの仕事にも誇りが持てると思うし」
この魚介類プレゼントはすっかり定着していて、中でも年末の豪華なセットは従業員の家族からも毎年好評と話します。
また、年3回のボーナス支給、取得しやすい有給休暇など、働くモチベーションや働きやすさにつながる部分も整えています。
伊勢さんは、「今いる従業員にも、これからうちで働くかもしれない未来の従業員にも、『夢』を持ってもらいたいんですよね」と語ります。
「やりたいことって、みんなあると思うんです。たとえば、海外旅行へ行きたい、おいしいものを食べたい、いい車に乗りたいとか。どんな小さなことでもいいから、目的意識や目標、夢を持ってほしいし、夢を持った人に来てほしいと思っています。そして、夢を叶えるには、やりがいのある仕事と、相応の対価、つまりお金が必要ですが、その源泉はこの海に無限に広がっていて、うちなら必ず夢が叶えられるはずと考えています」
キャリアを活かし、札幌から転職。ストレスのないシンプルな暮らしに満足
意欲のある人であれば、町外、道外からの転職者も歓迎すると伊勢さん。引っ越し費用の補助など、移住のサポートも対応してくれます。ここからは、2年前に札幌から同社への転職を機に移住してきた管理部の林さんにお話を伺おうと思います。
林さんは千葉県の柏市出身。首都圏で長く働いていましたが、前職の会社の転勤で2022年に札幌へ。もともとスノーボードが好きで、北海道にも頻繁に訪れていたそうです。
「人材系の業務請負会社に勤務していたのですが、50歳を前に自分のキャリアを見つめなおし、道内の新しい場所で挑戦してみようと転職を決意しました」
転職サイトを通じて同社を知り、伊勢さんと話をして、直感的に「ここならいいかも」と思ったそう。
2年前に札幌から同社への転職を機に移住してきた管理部の林謙一郎さん。
「これまで割と大きな組織のシステマチックなところで仕事をしてきましたが、何をやるにしても決済に時間がかかり、いつももどかしさを感じていました。でも、伊勢社長と話をした際、何でもスピーディーに取り組めそうだと感じたんです。柔軟にいろいろ対応できる雰囲気や、ビジョンも明確でいいなと思い、誰ひとり知り合いのいないまちでしたが、別海へ来ることにしました」
これまでの経験を活かし、現在は労務や人事を担当している林さん。アットホームで明るい雰囲気の会社に居心地の良さを感じています。
「田舎のまちの職場と聞くと、不安を感じる人もいるかもしれませんが、自分から輪に飛び込む勇気さえあればまったく心配はいりませんでした。飛び込んでしまえば、みんな温かく受け入れてくれましたから。うちは給与面や待遇も思っていた以上にきちんとしていますし、有休消化率もほぼ100%。仕事がしやすい環境です」
現在、林さんは隣町の中標津町に住み、車で20~30分かけて通勤。暮らしについて尋ねると、「誤解を恐れずに言うなら、『何もない』のがこのエリアの一番の魅力ですね。都市部にいると不要な情報やモノが溢れていますが、ここでは本当に必要なものだけが残る。余計なものがそぎ落とされて、シンプルな感じが逆にラクでいい」と話します。
札幌時代は毎朝大変だった雪かきも、道東エリアは雪が少ないため年に数回程度で済んで「ラクですね」と実感を込めて言います。
休日になると、冬場は近隣のゲレンデで思い切りスノーボードを楽しみ、夏場は静かに読書や映画鑑賞をして過ごすそう。趣味のスノーボードを通じて地元の友人知人も増え、「結構、楽しく暮らしています」と笑顔を見せます。
自分で料理もする林さんは「道東エリアは素材がどれもおいしい。ホタテをはじめ、魚介は格別ですね」と話します。
「今はネット環境さえ整えば、田舎にいても別に不自由はないし、自分もこちらへ来てみて、思っていた以上に田舎の暮らしっていいなと実感しています。仕事でも暮らしでもストレスを感じないから、毎日快適ですよ」と、最後に笑顔で語ってくれました。

いい会社だと思うからこそ、このまちで長く会社を存続させたい
さて、再び伊勢さんに登場してもらいましょう。10代半ばから20代半ばまで、別海町から離れて都市部で暮らしていたわけですが、一度外に出てからまちに戻ってきたとき、まちの景色はどのように映ったのでしょう。
「自然が豊かでゆっくり穏やかな地域だなとは思いましたね。海にしても酪農にしても、豊かな資源に恵まれているので、まち自体は一次産業で潤っているし、暗い感じはないんですよ。ふるさと納税でもすごく人気が高いまちですし。ただ、まちの人は割とのんびりというか、穏やかな人が多いかもしれません」
高校、大学時代はラグビーに明け暮れていたという伊勢さんですが、「今は毎朝、辺りをウォーキングする程度しか体を動かしていない」と笑います。
大阪の建材メーカー営業や築地市場の大卸での修業を経て実家に戻り、二代目を引き継いだ伊勢社長。培った泥臭い営業力を武器に、別海の海の恵みを世界へ売り込みます。
それでもフィットネス用のGPSウォッチを付けて、しっかり歩いているそう。「また、一眼レフで写真を撮るのも好きで、いろいろ撮り歩いています」と話します。
別海町で生まれ育ち、今は町内でもたくさんの従業員を抱える企業の代表を務める伊勢さん。地域のスポーツ振興や地域貢献もまちの企業として大事な役割だと考え、別海町出身のスピードスケートの新濱立也選手のオフィシャルスポンサーを務めるほか、地元に誕生した野球チーム「別海パイロットスピリッツ」のスポンサーにもなっています(ちなみにバスケットのレバンガのスポンサーでもあります)。
最後にこれからのことを尋ねると、「この会社をこのまちでずっと存続させたい。自分で言うのもなんですが、非常にいい会社だと思うんで(笑)。そのためにも、夢と意欲のある優秀な人が入って、一緒に北海道の水産物を世界に発信していってくれたらと考えています」と語ってくれました。

















