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経営再建を果たした伊達信金が拓く、信金の価値と次世代への想い20260901

経営再建を果たした伊達信金が拓く、信金の価値と次世代への想い

北海道南西部、内浦湾(噴火湾)を望む西胆振のまち・伊達市。背後には有珠山、目の前には穏やかな海。雪が少なく冬でも比較的あたたかいことから「北の湘南」とも呼ばれる、海産物と農産物の両方が豊富な地域です。

もともとは明治のはじめ、仙台藩・亘理伊達家の家臣団が海を渡って入植し、ゼロから切り拓いたまち。「伊達」という名も、そこから来ています。移住と再出発の物語を土台に持つこのまちに、実はもうひとつ「倒れかけて、もう一度立ち上がった」物語がありました。それこそが今回訪れた伊達信用金庫です。

どこまで知ってる?銀行と信用金庫の違い

今回お話を伺ったのは、伊達信金の舵取り役である理事長の舘崎雄二さんと、千葉県から単身でこのまちにやってきて6年目を迎える鳥貝 功さんのお二人。

「そもそも信用金庫がどういう存在なのか、知らない人も多いんです」

舘崎理事長は、開口一番こう切り出してくれました。

dateshin03.jpgこちらが伊達信用金庫理事長の舘崎雄二さん

伊達市近隣にお住まいであれば、「DATE」と書かれた緑色の看板にピンとくるのでは。でも、信金と銀行って何が違うんだっけ?と聞かれると、はて、わからぬ、という方も多いことでしょう。
もちろんくらしごとチームはその辺ばっちりわかっています。なぜなら取材前に予習したからです。ふふふ。

本題に入る前に、金融業界の基本情報をおさらいしておきましょう。
信金が属する金融機関の世界には、実はいくつかのグループがあり、最も巨大な組織がメガバンク、続いて地方銀行、第二地方銀行、そして信用金庫、信用組合という顔ぶれです。ただ、舘崎理事長がすかさず釘を刺すのは「大事なのは、これらは序列ではなく、根本的な成り立ちの違い」ということです。

日々の暮らしで利用することの多い「銀行」は株式会社です。なので株主のために利益を追求しなければなりません。一方、「信用金庫」は「共同組織金融機関」。地域の会員さんから一口500円の出資を受け、そのお金と集めた預金を地域の中小零細企業や個人に融通していく、いわばみんなで積み立てて、困っている人に回す大きな「無尽」のような存在です。

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...と、ここで「無尽って何?」となった方も多いはず。無尽とは、銀行がまだ身近でなかった時代に日本各地で行われていた、庶民の助け合いの仕組みです。仲間同士でお金を出し合って共同の積立をつくり、くじや話し合いで順番を決めて、まとまったお金が必要になった人から順に受け取っていく制度。困っている人にみんなの積立をぐるぐる回していくことで、一人では手の届かない資金を融通し合っていたのです。今でも一部の町内会などではこの「無尽」の考え方が生きています。地元の人間で資金を出し合い、地元で回すという発想こそ、信用金庫の原型そのもの。町内会の助け合いに金融機関の看板を掲げたようなもの、と言えばイメージしやすいでしょうか。

舘崎さんは「戦後復興に必要だったのは、やはりお金なんですよ。中小零細企業が商売を始めるために、お金を融通し合いましょうっていうのが信用金庫の始まり。だから地元同士の助け合いなんです」と教えてくれました。なるほど。

銀行と信金のスタンスの違いは、日々の仕事にもくっきり表れます。

「株式会社はどうしても職員に相当なノルマをかけて実績を上げさせる必要がある。でも信金が優先するのはお客さんのために寄り添うこと。困ってるお客さんや悩んでるお客さんに、僕らは地元の信金として寄り添っていく。銀行が貸さない先でも、僕らは貸す場合もあるんです」と舘崎理事長。

信金は銀行の縮小版ではありません。銀行とは、存在する目的そのものが違うのです。

営業ノルマ、ありません。数字に追われない信金の働き方

「金融機関っていうと、ノルマに追われて人間関係がギクシャクしてるようなイメージがありました」

そう振り返るのは、今年で6年目の鳥貝さん。「倍返し」でおなじみの某有名金融系ドラマで描かれるあのシビアな金融業界を想像して、正直かなり身構えて飛び込んだのだそうです。

dateshin05.jpg千葉から伊達に移り住んだ入庫6年目の鳥貝功さん

ところが、フタを開けてみると様子がまるで違いました。「みんな本当にやさしく教えてくれるんです。わからないところを聞いたら、ちゃんと理論立てて教えてくれる上司がとても多いんです」と目を輝かせます。

自分のミスでお客さんに迷惑をかけてしまったときも、上司が「よし、一緒に謝りに行こう」と動いてくれる。職人気質な「背中を見て学べ」だけではなく、隣に並んで教えてくれる。そんな職場だといいます。

さてノルマがない、と聞いて「じゃあサボり放題じゃんウヒヒヒ」と思った方、正直に手を挙げてください。そうなってもおかしくはないはずなのですが、実際は逆でした。その背景にあるのは、10年前にノルマそのものを廃止したという伊達信金ならではの決断です。

「一人一人のお客さんの話をしっかり聞けるようにしたかったんです。このお客さんは何を求めてるんだろう、って。一社一社、お一人お一人の状況を把握した上で、お困り事や悩み、課題を一緒になって解決する信用金庫を目指したい」

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舘崎理事長はこう振り返ります。数字に追われないからこそ、目の前の一人にまっすぐ向き合える。シンプルですが、これを本気でやり切るのは簡単ではないはずです。

もうひとつユニークなのが、営業店の職員が本部の仕事を数日間体験できる「職場内インターン制度」。本部と営業店の間に壁ができてしまいがちなこともあり、「同じ仲間同士で溝を作らない、軋轢を生まない金庫にしたい」という理事長の思いが、そのまま制度になった格好です。現在は営業店勤務ですが、本部勤務経験のある鳥貝さんも、本部を経験したことで仕事が格段にしやすくなったと実感しています。

「本部の中で人間関係が広がるんですよね。営業店に戻った後でも、困ったことがあったら、誰に聞いたらいいかがわかる」

電話越しではなく顔の見える関係が、そのまま働きやすさに直結しているようです。

こうした取り組みの土台にあるのは、舘崎理事長の言う「利他の心」。10年前から全職場の壁に貼られている「職場力」というポスターに並ぶのは、「挨拶、ねぎらい、声がけ、相手の立場に立って考えよう」という、小学校のスローガンのようにシンプルでストレートな言葉たち。

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「自分のためにやろうとするから物事がおかしくなる。他の誰かのためにやることで色々とうまくいくんですよ。周り周ってね」

産休・育休制度も充実させ、男性職員の育休取得も増えてきています。

「気を遣わないで休めるようにしたい。『またあいつ休むの?』じゃなくて、『みんなでやっておくから安心して休みな』って言える職場にしたい。職員を大事にできないのに、お客さんを大事にできるはずがないでしょう?」

その一貫した信念が、ノルマなしという仕組みの奥に静かに流れています。

一度は倒れかけた伊達信金。それでも逃げなかった人達がいた

ここまでの話だけ聞くと少年マンガの主人公のような優等生ですが、伊達信金が最初から「人を大切にする金融機関」だったわけではありません。その裏には一歩間違えばこの取材自体が実現していなかったかもしれないほどの危機がありました。

平成20年、伊達信金は経営危機に陥ります。不良債権と有価証券運用の失敗が重なり、約30億円の赤字を3期連続で計上。
「ずさんな融資審査やリスク管理を考えない余資運用が原因でした。明らかに人災です」と、ピリッと表情を引き締めた舘崎理事長は言い切ります。

当時、支店長だった舘崎さんのもとに、ある日突然、理事就任の打診が舞い込みます。

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「そんなものは絶対来ないと思っていたんです。だって当時から私は上司のやり方に反発ばかりしていましたから(笑)。そんな人間が役員なんてありえないでしょう」

若い頃から理不尽なことには噛みつくタイプだったそうで、学生時代もビーバップな毎日だったという舘崎さん。出世コースとは無縁を自認していた自分になぜ?と聞いても、返ってくるのは歯切れの悪い答えばかり。さんざん問い詰めた結果「実は経営が苦しい」と明かされたとき、ただ事ではない空気を肌で感じ取ったといいます。

家族の暮らしを守るため、信金を辞め他の仕事を探そうとしていた舘崎さんを押し留めたのは、外ならぬ奥様のひと言でした。

「あなたにも少ないけど慕ってくれる後輩とか仲間、お客さんがいるでしょ? 辞めたら絶対後悔する。生活の安定よりも、あなたの性格なら見捨てていけないんじゃないの?」

この言葉で舘崎さんは役員就任を受け入れ、信金を立て直していく決意を固めたのです。
さて、ここで気になるのは、危機の原因を作った側の面々はどうしたのか、という点です。

「旧経営陣はみんな辞めていきました。自分がやると抱えた以上、もうやるしかないわけですよ」

なんと火中の栗を拾う羽目になったのが、彼らの理不尽に噛みついていた舘崎さんだったとは、むむむ、何という人間ドラマでしょう。

その後、信金業界の上部組織でもある信金中央金庫から47億円の資本注入を受け、舘崎さんは平成22年、45歳で理事長に就任。文字通り身を切るような改革を余儀なくされます。24あった支店は12に半減し、賞与も1ヶ月分まで削減。職員も多く辞めていくうえ、新規採用の応募も来ない。当時を支えてくれたのは残った職員と懇意にしてきた会員さんの存在でした。待遇改善のカードを一枚も切れない中で舘崎理事長が選んだのは、せめて職場の空気だけは良くしようという行動でした。

「賞与を上げたり待遇改善できないから、せめて職場を、助け合う環境、認め合う環境、チームワークの良い職場にしたかった。それが当時の僕が唯一できる施策でした」

ノルマ廃止も職場力も、実はこの一番苦しい時期の選択の延長線上にあったのです。

あれから17年。地道に返済を続けた結果、残る借入は今や20億円まで減りました。しかも驚くことに、その返済原資はすでに積み立て済みだといいます。

「職員たちの給料も賞与も回復してきた。ベースアップもやったし、来年もっとやろうと思っています」

そう語る舘崎理事長の顔には、穏やかな笑顔が戻っていました。

千葉から伊達へ。6年目の職員が見つけた「ここで働く理由」

「札幌のような大都市だったら、別に東京でよくない?って思ったんです」

就活当時をそう振り返る鳥貝さんは、千葉県市原市の出身。北海道には縁もゆかりもありませんでした。それでも伊達を選んだ理由は、「自然が近くて、落ち着いた街で暮らしたい」という、とてもまっすぐな思いでした。聞けばお母さまの出身が山口で、自然豊かな場所だったのだとか。

コロナ禍でのオンライン面接で「なんか面白い信金のような気がする」と直感したという鳥貝さん。決め手のひとつは、役員全員が一次面接から顔を揃えるという、他ではまずお目にかからない対応でした。いきなり役員勢揃いとは圧の強さに身構えそうなものですが、鳥貝さんはむしろ「あ、この信金、本気なんだな」と受け取ったといいます。しかも「北海道でもここだけしか受けてないんですよ」という一点勝負。入社後は上司や先輩にも恵まれ、特に東町支店時代の成田次長との出会いは大きかったと語ります。

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「お客さんとも仲が良くて、商品知識もある。よくお話を聞くと、若い時にいろいろ経験してる人でした。その経験があるからこそ今、笑顔でお客さんと接することができるんだなと感じました」

そんな鳥貝さんに、これまでに経験した思い出深いお仕事を教えてもらいました。真っ先に挙げてくれたのが、社会人4年目に担当した住宅ローンの案件です。がんを患い、団体信用生命保険(団信)が通らないお客様に対し、金庫のルールに則って融資を実行できたケース。

「既往歴があることを悩んだ末に頼ってくれたお客様だったんです。これはなんとか助けたいなと思って」

団信の壁に阻まれ、頼みの綱として信用金庫にたどり着いたお客様。まさに、信金の存在意義がぎゅっと詰まったような一件です。

ただ鳥貝さんは「よかったよかった」だけで終わりません。このお仕事を通じて「業務の経験や知識がないと人って救えない」という気づきを掴みます。

「本気でこの人を助けたいって思っても、知識や経験を積まないと、信金の担当者としていざという時に誰かを救うことはできないんだと思いました」

理想だけでは前に進めない。けれど、理想を持ち続けることで知識・経験はやがて力になる。若い世代がこうして日々確かな手応えを積み重ねています。

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これからについて聞くと、鳥貝さんは笑顔でこう答えてくれました。

「周りの職員、周りの人たちを良い方向に巻き込めたらいいですね。それぞれの仕事や困りごとを共有して、一緒に解決していける、そんな職員になりたいです」

都会から来た新人が、いつのまにか地域の担い手を巻き込む側に回っている。これもまた、伊達信金らしい成長の形なのかもしれません。

そして驚くべきことに、そう感じているのは自分だけではないと鳥貝さんは言います。理由を尋ねると、答えはいたってシンプルでした。上司も先輩も、舘崎理事長と同じ方向を向いているから。

「同じように感じている若手は多いと思います。私にとっての成田次長のように、他のみんなにもそういう目指すべき背中みたいなものがあるんじゃないですかね」

誰か一人が旗を振っているだけでは、組織はなかなか変わりません。トップの理念が現場に浸透しているからこそ、都会から来た一人の新人にも、その空気がまっすぐ届いた、というわけです。

これを聞いて誰より嬉しかったのは舘崎さんだったのではないでしょうか。自分が目指す未来に向けて、仲間が後押ししてくれている。そしてそれを糧に若い世代がどんどん成長してくれているのです。舘崎理事長も、鳥貝さんのような若手世代への期待を隠しません。

「めちゃくちゃいい子たちです、素直だし。自分が本当にやりたいと思ったことに対してまっすぐ行く気持ちが強いですし、仕事の変な差別意識もない分、今の20代30代はすごくポテンシャルが高いと思います。今の気持ちを大事にしながら、小さな成功体験を積んでいってもらいたいです」

またこんなことも、

「一日の大半は職場で過ごすんだから、どうせなら楽しくした方がいい。仕事がつまんなくて遊びだけ楽しいっていうのは、なかなか難しいんと思います」

業種を問わず、多くの働く人がうなずいてしまうのではないでしょうか。そして、取材の最後に鳥貝さんがぽろりとこぼした「やっぱり正解でした」という、小さいけれど強いひと言に、いつかの理想が現実になりつつあることが示されています。

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職員を大事にできない金庫が、お客さんを大事にできるはずがない...。移住者たちが切り拓いたまち・伊達で、一度は倒れかけた信用金庫は今、「人を大事にする」という当たり前で難しい目標を貫くことで、静かに、でも確かに立て直しを続けています。

伊達信用金庫
伊達信用金庫
住所

北海道伊達市梅本町39-30

電話

0142-23-3636

URL

https://www.shinkin.co.jp/dateshin/

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経営再建を果たした伊達信金が拓く、信金の価値と次世代への想い

この記事は2026年7月22日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。