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砂川市

馬具の真髄を胸に。ソメスサドルが空知から世界へ挑む理由20260708

馬具の真髄を胸に。ソメスサドルが空知から世界へ挑む理由

北海道という地にとって、馬は開拓の頼もしい相棒でした。その馬具づくりを原点に、世界へ誇るものづくりを続ける会社が空知エリアの砂川市にあります。 脈々と受け継がれてきた職人の技から、数々の美しい革製品を生み出している「ソメスサドル株式会社」です。
今回は、緑豊かな空知の地に拠点を構える同社を訪ねました。お話を伺ったのは、代表取締役会長の染谷昇さんと、神奈川県から移住して念願の職人への道を歩み始めた川畑孝太さんです。若き日にフランスで一流の革製品に触れ、志を固めた染谷さん。そして、馬とものづくりへの熱意を胸に、アポなしでこの地に飛び込んできた川畑さん。世代もキャリアも異なる2人が響き合う根底には、自らの「やってみたいこと」を信じて突き進む、真っ直ぐな行動力がありました。人の命を預かる馬具づくりの真髄を守りながら、空知エリアの可能性を切り拓く挑戦と、この地で働くことの豊かさに迫ります。

炭鉱閉山から始まった馬具づくり

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サドル(鞍)を社名に冠する通り、同社の原点は「馬具」にあります。その歩みは北海道の開拓史、そして激動の地域経済と深く結びついています。同社が産声を上げたのは1964年。前身のオリエントレザー株式会社が、砂川市に隣接する歌志内(うたしない)市で創業しました。当時は海外向け輸出馬具の製造からのスタートでした。当時の歌志内は炭鉱業で湧き上がるような活気に満ちていましたが、時代は「石炭から石油へ」とシフト。炭鉱はことごとく閉山へ追い込まれました。

「炭鉱離職者の雇用を守り、新しい仕事を創ること。それが地域の大きな課題でした。同時に、行き場をなくしつつあった全道各地の馬具職人たちの優れた技術を守り、受け継ぐため、職人たちがこの地に集まってきたのです」

somesu61.jpgこちらが、ソメスサドル株式会社代表取締役会長の染谷昇さん

ソメスサドルの革製品にある独特の美しい曲線は、馬具づくりのDNAそのものです。また、商品の美しさのみならず、物持ちの良さも魅力の一つ。そのわけについて染谷さんが教えてくれました。

「ジョッキーの命を預かる鞍は、一切の妥協が許されません。革の繊維密度にまで配慮し、要所に強固な手縫いを施す。その堅牢な技術を鞄や小物に活かしているからこそ、何十年も長持ちする商品が生まれるのです」

同社では、自社製品のリペア(修理)を大切にしています。ショールームには、何年、何十年と使い込まれ、味わい深い飴色に変化したバッグが持ち込まれることも。「お客様が思い入れのあるお品を、2度、3度と修理しながら大切に使い続けてくださる。私たちの誇りでもあります」と染谷さんは話します。

故郷の仕事、誰に頼まれたわけでもなく「やりたいから」

創業60年以上という歴史から、歌志内市出身の染谷会長が家業を継ぐ姿を想像しますが、実はそうではありません。

「私の父はもともと事業者ではありませんでした。しかしオイルショックで経営が悪化した時期、地元の雇用を守るためにと、事業の引き受けを決意したのです。私が中央大学の4年生で、東京にいたときのことでした」

染谷さんは地元の温かい人間関係の中で18歳まで育ちました。地域のために奮闘する父の姿を見て、染谷さんの中に「地域のためになる仕事がやりたい」という決意が芽生えます。大学卒業後の1年間は、いつか父を支えるための社会人経験を積むべく、理解のある会社へ就職。昼は働き、夜は簿記学校に通いつめ、ビジネスの基礎を叩き込みました。そして誰に頼まれたわけでもなく、「自分がやりたいから」と、東京で馬具の営業活動をスタートさせたのです。

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「とにかくがむしゃらでした。馬術クラブ、大学の馬術部、競馬場と馬がいる場所ならどこへでも飛び込みで訪問しました。少しずつ事業を大きくして、念願だった浅草橋に事務所を借りたときは嬉しかったですね。若造でしたから、家賃が高くて(笑)。大家さんに熱心に想いを伝えて、少しだけ家賃を下げてもらったりしながら、必死に食らいつきました。そこから少しずつ、一緒に働く仲間が増えていったのです」

パリで青年が「一生の道」を決めた日

しかし、営業を続けながらも「本当にこのままでいいのだろうか」と、馬具産業の未来や目指すべき地平に迷いがありました。そんな染谷さんに、26歳のとき転換点が訪れます。北海道庁の推薦で、2週間ヨーロッパへ渡ることになったのです。渡航費の支援もある貴重な機会。ドイツでの展示会に参加し、イタリア、フランス、イギリスをめぐる研修で、団体行動が原則でしたが、染谷さんは「どうしても行きたい場所がある」とフランスでの別行動を懇願しました。向かったのはパリの凱旋門近く。カフェで定価以上の高額な代金を要求される洗礼も受けながら、どうしても確かめたい地へと足を運びました。

高級メゾンが並ぶ通りを歩き、一歩を踏み入れたのは「エルメス」の専門店。見知らぬ東洋の若者に、歓迎一色ではない雰囲気を感じたといいます。しかし、染谷さんは周囲の視線を気にしませんでした。「世界の一流を今日この目で確かめる」という強い意志があったからです。圧倒的な気品を放つ製品たち、そしてその根底に自分たちと同じ「馬具づくり」の精神が流れている事実を感じた瞬間、心が決まりました。

フランクフルトでの展示会.jpgドイツ・フランクフルトでの展示会に参加した当時の染谷さん

「これだ。自分はこれを北海道でやるんだ」

霧は完全に晴れました。世界の一流に触れたことで、「馬具の技術をベースにした世界に通用する革製品ブランドを作る」という一生の意志が固まったのです。20代の染谷さんに贅沢をする余裕はなく、仕事で依頼されていた「拍車(はくしゃ)」を買い求めるのが精一杯でした。それでも貯めていたお金をはたいて、父と、のちに妻となる人へのお土産だけを購入。自分が一生をかけて追いかけると決めた地で選んだお土産を胸に、日本へ帰国しました。そこから東京を拠点に40年間、事業の最前線でブランドを拡大させていったのです。

無謀といわれた田んぼの真ん中から、最高のものづくり

1995年、ソメスサドルは工場・ショールーム・事務所を一体化させた「砂川ファクトリー&ショールーム」を開設します。

「候補地は他にもありましたが、従業員の家族が多く住んでいたこと、そして砂川市が公園面積日本一の緑あふれる美しい街だったことが決め手になりました」

しかし選んだ場所は、人通りのない田んぼの真ん中。周囲からは「そんな場所にショールームを作ったって誰も来るわけがない」と猛反対の声もありました。それでも、染谷さんの眼に映る景色は違っていました。

「ここからは雄大なピンネシリの山々や緑が本当に美しく見える。札幌と旭川の中間でアクセスも悪くない。ただ製品を売るだけでなく、お客様にわざわざ馬を見にきてもらい、豊かな自然の中で買い物を楽しんでもらえる場所にしたい。ここしかない、と思ったんです」

田んぼを拓いてレンガ造りのファクトリーを建て、従業員と一本一本、約800本の苗木を植えました。30年経った今、それらは美しい木々へと成長し、ショールームを深い緑で包んでいます。「夕暮れ時、山々に沈んでいく夕焼けは本当に絶景ですよ。あの日、この場所を選んで本当によかった」と話す染谷さん。地元のためにと願い続けた染谷さんの強い想いは、砂川の豊かな自然の中で結実していったのです。

somesu15.jpg敷地内でのんびりとくつろぐアッシュゴールドとエイシンイーグル

神奈川からアポなしで砂川へ。「馬×ものづくり」の熱意

ソメスサドルの精神は、若い世代へ確実に受け継がれています。馬具部門3年目の川畑孝太さん(神奈川県出身)もその一人です。幼少期に人気漫画『みどりのマキバオー』やゲーム『ダービースタリオン』と出合い、大の馬好きになった川畑さん。大学時代には日高地方の新冠町へ職業体験に行くほどでしたが、そこで生き物の死に向き合う辛さを知ります。「馬を好きなままでいたい」と一度は牧場の道を断念し、新卒で一般企業に5年勤めました。

転機は趣味で通い始めた「靴作り教室」でした。川畑さんは自分に合う靴を自作できる面白さに惹かれ、のちに靴職人として独立。アルバイトを掛け持ちしながらものづくりを続ける中、37歳の時、心の奥にあった「馬」と「ものづくり」がピタリと重なる、日本唯一の馬具製造企業・ソメスサドルの存在に行き着きます。

somesu92.jpgこちらが、神奈川県出身で現在ソメスサドルにて勤務する川畑孝太さん

「ここで働きたい」と直感したものの、当時求人はありませんでした。「年齢だけで書類郵送では落とされるかもしれない。直接行って熱意をぶつけるしかない」と決意し、履歴書と自作の靴をカバンに詰め、3月の雪深い砂川市へアポなしで向かいました。

「新千歳空港から電車で砂川駅に降りたら、バスが1時間待ち。『それなら歩こう』と雪道を進みましたが、実は徒歩1時間の距離で。途中でさっきのバスに軽々と追い抜かれました(笑)」

ファクトリーに到着し、必死に訪問理由を説明すると、総務担当者が自作の靴と熱意にじっくり耳を傾けてくれました。その後東京での面接が決定し、見事採用。北海道への移住を果たしたのです。

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暮らしは最高。「動けば必ず、何かが変わる」

念願の砂川暮らしについて、川畑さんは「一言でいって最高です。なんでもっと早く来なかったんだろう」と満面の笑みを浮かべます。

「現在は会社の許可を得て、自宅で副業の縫製仕事もしています。大きな音が出るプロ用ミシンを気兼ねなく使うため一軒家を丸ごと借りているのですが、都会では考えられない贅沢な広さです。道路も混まないし、温泉も近くにたくさんありますね」

春から秋はバイクで5分の快適通勤。渋滞のストレスとも無縁です。もともとアウトドアが好きだった川畑さんにとって、このエリアは釣りや昆虫採集など没頭できる趣味の宝庫でした。休日は同僚と川へニジマスやヤマメを狙いに行ったり、増毛の港まで足を伸ばして海でソイやアイナメを獲り、釣った魚を自ら調理して楽しんでいます。

もちろん本業の馬具づくりにも妥協はありません。

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「前職の技術が活きる部分もありますが、人の命を預かる馬具は革の厚みも縫製強度も別世界。毎日が勉強です。大好きな馬に関わり、ジョッキーの安全を支える仕事ができる今の環境に感謝しながら、より良い品を届けたい一心で革と向き合っています」

移住や転職に一歩踏み出すことを考えている人へ、「どうしてもこれが好き、という気持ちがあるなら、年齢や周囲の目を恐れずにトライしてみていいと思います。動けば必ず、何かが変わります」と川畑さんは力強いエールを送ります。

可能性に満ちた空知の未来へ。次世代を後押ししたい

若い世代のエネルギーを、染谷さんは心から応援しています。はつらつとした口調でインタビューに答える染谷さんは、現在74歳。「今年の運転免許の更新は、いよいよ高齢者講習を受けなきゃいけなくなりました」と、お茶目に笑う姿には、年齢をまったく感じさせないバイタリティが満ちあふれています。染谷さんは今、自社の発展だけでなく、自分を育ててくれた「空知」という地域全体の未来を見据えています。

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「北海道という土地は、実は製造業の割合が全国平均の半分以下しかありません。ですが、この空知、特に中空知エリアを見渡すと、素晴らしいワイナリーが次々と盛んになっていたり、冬の雪原を活かした新しい観光ビジネスが小さな芽から育ち始めていたりと、非常にクリエイティブで魅力的な土地へと進化しています。私は、空知にはまだまだ大きな可能性があると確信しているんです」

染谷さんが今後、自らの役割として考えているのは、地域の中に散らばる点と点を結ぶ「架け橋」になることです。官民がしっかりと連携し、民間企業同士が線となって結びつくことで、地域に新しい大きなうねりを生み出せるはずだと語ります。

「そのためには、人の熱量が不可欠なんです。どんなに人口が減少、衰退しているように見える地域であっても、若いエネルギーの中心になるリーダーが1人でも現れれば、地域の空気はガラッとひっくり返る。私は、そういう次世代の背中を全力で後押ししたい。自分が大きな火付け役になれるかは分かりませんが、可能性を広げるお手伝いができるならば、お役に立ちたいです」

かつて26歳だった染谷さんが、道庁の後押しを受けて海を渡り、パリで「一生の夢」を掴み取ったように。今度は染谷さん自身が、次の世代の情熱の背中を押す追い風となり、世界へと挑む力強い走りを加速させようとしています。

私たちが抱くその地その地へのイメージは、地域の様子や景観、そしてその地に生きる「人」の姿と振る舞いによって、形成されてゆきます。ソメスサドルのファクトリーでは取り囲む木々が凛々しく、手入れが行き届いた洗練された芝が広がっています。そして、ものづくりで一流を志す人たちの姿がありました。この空知の地から、世界をあっと驚かせる新たな熱量がこれからも芽吹いていくことに大きな期待が膨らみます。

ソメスサドル株式会社
ソメスサドル株式会社
住所

北海道砂川市北光237-6

電話

0125-53-5111

URL

https://www.somes.co.jp/

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馬具の真髄を胸に。ソメスサドルが空知から世界へ挑む理由

この記事は2026年5月20日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。