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海と生きる、まちを守る。寿都の漁師が若者に託す想い20260702

海と生きる、まちを守る。寿都の漁師が若者に託す想い

北海道南西部、日本海に面した寿都(すっつ)町。風の強さで知られるこの小さな港町は、かつてニシン漁で栄えた歴史を持ち、今も底建て網漁をはじめとした漁業が地域の根幹を支えています。人口はおよそ2,700人。磯の香りを運ぶ海風、網を乗せた漁船、そして何世代にもわたってこの海と向き合ってきた漁師たちの日常。それが寿都というまちの、変わらぬ風景です。

今回お話を伺ったのは、株式会社海 一戸漁業の一戸勝社長と、今年4月に高校を卒業したばかりで千葉県から移住してきた新入社員・林琉碧(るい)さん。年齢差30歳のふたりが同じ船に乗り、同じ海を見ています。片や27年のキャリアを持つ漁師、片や入社2ヶ月ほどのハイティーン青年。親子のような年の差ですが、話を聞けば聞くほど、どこか似た匂いがします。

測量士の夢から漁師へ。21歳で決断した「家業」という道

初夏のシーサイドドライブを颯爽とキメ込んだくらしごとお魚チーム。そんな我々をドリンク付きで迎えてくれたのが、今回の主役の一人である笑顔も笑い声も豪快な一戸勝社長。一戸さんは生まれも育ちもここ寿都町。小中高と地元の学校に通い、卒業後は札幌の専門学校へ進学。めざしたのは、土木・測量の道でした。

あれ!お魚じゃない!

ichinohe04.jpg一戸漁業代表の一戸勝さん。豪快な笑顔が印象的

「幼いころから道路で測量の機械を使って仕事してる人をよく見てて、かっこいいなって思ってたんですよね。それで測量士になりたくて進んだんですけど...」

幼い頃から父親の船に乗り、飽きるほど見てきた海の景色。専門学校を卒業後は地元寿都の土建会社に就職しましたが、1年が経つ頃には「なんか違うな」という感覚が拭えなくなったそうです。

「実家が漁師をやっていたから継がなきゃいけない、ということではなかったのですが、まあ流れですよね。漁師をやることに決めたんです」

決断は21歳。漁業の世界に飛び込み、漁師としての基礎を体得し、なんと26歳の若さで会社を登記しました。当時を振り返ると借金だらけ。なんでも網だけで700〜800万円!船は5,000万円超!!

30歳を迎える前から何千万円もの借金を抱えることになりましたが、当時の一戸さんにはその怖さはなかったそうです。

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「若かったし、今と違って勢いありましたから(笑)。とにかく何でも必死にやっていたので、そんな借金なんか全然気になりませんでした」

聞けば当時のホッケの水揚げは8,000万円規模に達することもあったといいます。若さと勢いと、豊かな海の恵み。寿都にはそのすべてが揃っていました。

自分で設計し、自分で縫った網が魚を呼んだ

現在、株式会社海 一戸漁業が手がけるのは「底建て網漁」です。底建て網漁とは、海底に大きな網を設置し、岸から沖へと張り出した構造の中に魚を誘い込む漁法で、定置網と違い年間を通して網を入れたままにできるのが特徴です。ホッケ、カレイ、ヒラメ、ソイ、そして近年ではブリやフグまで、季節に応じてさまざまな魚を漁獲しています。

なかでも一戸さんがこだわり続けているのが、網の自社設計と自作です。原反(網の素材)を仕入れ、強度計算から設計図まで自分たちで手がけます。市販の網を買ってただ入れるだけ、というわけではないのです。

「自分で使う網だから一個ずつガッチリ締めるんですよ。普通はそんなに締めない、だってすごく手痛いですからね、パッパとやる。でも自分の網だってなったら、もう一個ずつガッチリとね、緩まないように締めたほうが網自体が立つんですよ」

一戸さんにはこの原点となる出来事がありました。

漁師になりたてのころ、父親が200万円分の網の原反を購入してくれたそう。この原反を使い、ゼロからひとりで網を縫い始めました。3年がかりで仕上げた最初の自作網を海に入れた漁で、魚がガバッと乗った(獲れた)のだそう。

「ほんとに涙出て。それまで漁師をやってきて一番の感動でした。網屋さんが作ってくる網は、理論もしっかりしているので言わば乗って当たり前。でも自分が作った網になんて、魚が乗る保証なんてまるでないわけですから、とても嬉しかったですね。あの感動は本当に半端じゃないですよ」

3年の手仕事が、海に認められた瞬間でした。

そうそう、現在使われている網には、防弾チョッキにも採用される高強度繊維「ベクトラン」や「イザナス」も使われています。かなり高価な糸で、網一角でベクトランを使えば1,000万円を超えるといいます。新素材の導入や使い方の探究、自分の手で設計するこだわりは、今も衰える気配がありません。

ところで一戸さんの網にかかるのは、目当てのお魚だけではないそうです。あるときはミンククジラが、またある時は元気なトドが入り込んで大騒ぎになったこともありました。大量のエチゼンクラゲが船いっぱいに水揚げされた年もありました。

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「クジラが乗った時は、自分たちの設計が間違いないなって。なんか感動しましたね。長年やっていると、この設計だと魚の乗りが悪いよなとか、そういう経験がものをいうというのはありますね。だてに苦労してないっていうか(笑)」

果たして次は何が乗るのか、となりで聞いている林さんも心待ちにしていそうな表情です。海は何が起きるかわかりませんね。

魚を取るだけじゃダメ。資源減少と向き合う漁師の現在地

「ここ10年ぐらいで寿都の魚は激減しました。ゆるやかにではなく、ガクッとですね」

それまで絶好調だった漁獲量が、突然落ちました。寿都の主力であるホッケは最盛期の4分の1以下にまで減少。水温の変化、漁場環境の変化、そして道具の高性能化による漁獲過多など要因は複合的で、どれかひとつに絞れるものではありません。

豊かな海を相手に勢いよく突き進むことができた時代は、いつのまにか静かに終わりを迎えていました。そんな変化の中で一戸さんが模索し始めたのが、たくさん「取る」だけでなく、付加価値を付けて「売る」ことへの意識の転換です。

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「今はもう昔と違って取るだけじゃなくて、自分たちで販売ルートを開拓していくことが大事だと実感しています。減ってしまった資源はそう簡単に元に戻るとは思えませんから、取引先との人と人とのつながりで、漁半分・販路づくり半分っていうような考え方になることが、この先の漁師には求められるのかもなと思っています」

漁半分・販路づくり半分。27年かけて、網作りからモーレツ全盛期を経て借金を返し、コロナ禍と資源の激減を経験してたどり着いた、ひとつの答えです。

寿都の漁業の将来についても、一戸さんはさらに語ります。

「やっぱり漁業を語らずに寿都は語れないと思うんですね。我々の代の漁師が頑張って、若い世代が働ける雇用機能の一つとして漁業と寿都の海を守っていく。我々の技術を伝えていかなかったら、寿都の漁業が無くなってしまうんじゃないかという危機感をもっています」

漁師として生きてきた日々のなかで気づいた、静かな使命感。それが今、一戸さんを突き動かしています。だからこそ、この4月に入社したルーキーとの出合いには、特別な思いがありそうです。

千葉から寿都へ。18歳が選んだ漁師という生き方

水族館が好きで、魚が好きで、YouTubeで漁師の動画を見るうちに「自分もやってみようかな」と思ったのがきっかけ。そう話すのは漁師になるため18歳という若さで北海道移住をキメた林琉碧さん。

2025年7月、東京で開催された漁業就業支援フェア。千葉県出身の林さんが、出展していた一戸さんのブースを訪れたのは本当に偶然。北海道のブースは会場の端に2つだけ。そのうちの一番端っこが株式会社海 一戸漁業でした。

ichinohe09.jpg18歳で漁業の世界に飛び込んだ林琉碧さん

「一番端っこから行こうと思って行ったら、たまたま勝さんがいて、話したらめちゃくちゃ印象が良かったんですよね」

おわかりいただけただろうか。

「勝さん」

取材当時は6月。なんと入社2ヶ月で社長と下の名前で呼び合える環境。一戸漁業は、とってもアットホームなのです。もちろん一戸さんも林さんのことは「琉碧」と呼んでいます。

「最初は遠洋漁業をやろうと思ってて、マグロ漁船とかですね。でも知り合いの美容室の人が北海道の漁業を勧めてくれて、それで東京でやっていた漁業フェアに行ってみたんです」

他にやりたい仕事もなかった、と正直な林さん。遠洋漁業に惹かれていた理由も「移動時間がないから」だとか。友達に遊びに誘われた時も「できれば迎えに来て欲しい」という徹底ぶりなのです。

その率直さで取材会場の大人たちを沸かせますが、決してすべてが面倒くさいという意味ではなく、出来るだけ人生に無駄な時間を作りたくないという前向きさに裏打ちされています。

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フェア会場の端から端まで多数の漁業者が出展している中で、最初のブース、最初の出会い。その縁を引き寄せたのが、林さんの類まれな嗅覚だったのかもしれません。この縁に従い、今年4月、林さんは18歳で寿都に移住しました。

寿都町の新人漁師はどんな生活で暮らしているのでしょう。ちょっと聞いてみました。

「今のところ、早い時は6時半から7時半頃に出社して海に出ます。陸に上がってからは早ければ16時、時間かかる時は19時頃まで作業してますね。生活リズムがかなり整いました」

朝の海へ出て、陸に戻ってから夕方まで作業。シンプルですが、確かな毎日です。

入って最初に教わったのはロープワーク。目の作り方ひとつにもきちんと意味があり、通す方向を間違えると意味をなしません。そして入社して3〜4日目には早くも船に乗り始めたそうです。

「怖くはなかったですね。酔うのが心配でしたけど」

林さんはほとんど船酔いをしていないそうです。一戸さんは笑って言います。

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「自分もそうでした。私の場合、最初は怒られながらもがむしゃらにやってたら、酔うだとか考える暇がなくなりますよ」

がむしゃらでいる間は、乗り物酔いする暇もないということでしょうか。なるほど。

元々魚好きの林さん。海の仕事は生き生きとこなしているそう。

「やっぱり網揚げが楽しいんですよ。今日はタコ何匹いたとか、今日は何が多かったとか。あ、今の時期はこれ取れてるみたいな。新しい寿都の魚に出合える感じが好きですね」

魚の選別も、入って2ヶ月でかなり身についてきました。「マガレイとソウハチは時々間違えるけど」と照れながら言う林さんに、一戸さんは「覚えが早いと思う」と目を細めます。日々がむしゃらに仕事と向き合っている間に、気づけば成長していた。そういう成長の仕方が、どこか一戸さんの若い頃と重なります。

千葉在住時代は釣りが趣味だったという林さん。寿都ではまだデビューしていないそう。「道具を千葉に置いてきてしまったので、そのうち寿都でもやりたいです」と語ります。釣りはこの先にとっておくため、休みの日はもっぱらインドアを楽しんでいるそうで、オンラインゲームをしたり、お気に入りのVtuberを推したりと充実した日々を送っているそうです。

「食べるならサケ、見るならサメが好き」という林さん。取材日は陸揚げした網の修繕作業を、師匠である船頭の辻勝士さんに師事しながら進めていました。アバリと呼ばれる器具に糸を括り、必要な箇所をひとつひとつ直していくのですが、驚くべきはそのサイズ。

一戸漁業で使う底建て網は全長約100m。さらに陸まで伸ばす垣網は約200mに及びます。いかがでしょうか、気が遠くなりませんか。この陸での準備が漁の成果を分けるのです。

一戸さんが17年来苦楽をともにし、全幅の信頼を寄せる辻さんがやっていたのは、長いロープに均等に重りを付けていく作業。その数なんと1,000個以上。手慣れた手つきで黙々とこなしていく姿はもはや神々しさすら感じる職人の世界です。

「漁具は締め方が大事です。一通り覚えるのには10年程度かかると思いますが、彼はまだ体も大きくなるし、手先も器用。何よりわからないことを素直に聞けるので、期待してるんです」と林さんにエールをくれました。

「自分でやってやろう」という気持ちを持つ若者に出合いたい

一戸さんが思い描く将来像は、林さんのような若い人材に「漁場を一つ持たせる」ことです。

「最終的に仕事が増えたら、いつまでもうちに囲ってないで、若い衆だけで漁場一つ持ってやっていかせたいと思ってるんです。若い世代3〜4人だけで漁を動かせるようになったら、私が若い頃に体験したあの感動をみんなに経験させてあげたいですね」

自作の網に魚が乗ったあの日。自分が感じた高揚を、次の世代にも渡したい。それが一戸さんの、もうひとつの夢です。

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ここ寿都は、新規の漁業参入者にとって比較的門戸が広い土地だといいます。120日(約4ヶ月)の組合員研修を経れば組合員になれるだけでなく、1年後には自分で漁業権を申請できます。

「ほかの地域だと後継者以外はNGというところもありますから、寿都はその辺がおおらかなんですよ、昔から(笑)」

一方で、生半可な気持ちでは続かないことも隠しません。おおらかとはいえ元来厳しい漁師の世界。「出る杭は打たれる」場面もあるといいます。資源は減少傾向で、先行投資も大きな額。ロマンを夢見るだけでは乗り越えられない現実もあります。それでも一戸さんは、こう語ります。

「何をやるにも、自分でやってやろうっていう気持ちが大事なんじゃないですかね。やる気があれば、大抵のことは実現できるんです。最後まで続けるか潰れるか、そこを決めるのは、人間のやる気じゃないですかね」

そして、林さんが話してくれた言葉も印象的でした。漁業の高齢化で空いていく漁場について聞かれた時のことです。

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「寿都は結構お年寄りが多いまちです。漁師さんの数も今後ますます減っていく。これは避けられませんよね。そうしたら、その漁場を他の誰かが活用できる可能性がある。ぼくが30歳になった時に、もしそういう状況だとしたら、自分が漁師として独立して身を立てる未来もあり得ると思うんです」

一戸さんは思わず顔をほころばせます。

「この図太さがいいでしょ?でも彼の話聞いて思うのは、見てる世界が大きいというか視野が広いというか。こういう気持ちが大事なんじゃないかなと思います」

資源の減少が日々報道を賑わせる昨今、漁師として生きることはかつてほど「安定している」とは言いにくい選択です。気まぐれな海を相手にするまさに「水もの」。それでも一戸さんが27年間培ってきた知恵と技術がここにあり、それを継承する林さんという若い世代が虎視眈々と力をつけています。

海は厳しい。でも、そこに生きる人は優しい。

一戸さんや辻さんが林さんに伝える技術と思いが、寿都の海が紡ぐ海の男たちの物語に新たな1ページを刻み始めています。

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株式会社海 一戸漁業
株式会社海 一戸漁業
住所

北海道寿都郡寿都町矢追町134番地2

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海と生きる、まちを守る。寿都の漁師が若者に託す想い

この記事は2026年6月3日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。