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森と湖がある塘路で、余白のある暮らしを手に入れたデザイナー20260806

森と湖がある塘路で、余白のある暮らしを手に入れたデザイナー

北海道の東側に広がる釧路湿原。その湿原のさらに東側に位置するのが標茶町の塘路エリアです。そこにはどこまでも続く深い森、その傍らには静かに水をたたえる塘路湖があります。そんな塘路で、念願だった「森と湖がそばにある暮らし」を手に入れた女性がいます。フリーランスのデザイナーとして活躍している青坂さつきさんです。古い教員住宅をリフォームし、お気に入りのインテリアをそろえ、愛猫と共に暮らす青坂さんが、塘路にたどり着くまでの歩みをはじめ、今の暮らしやこれから挑戦したいことをじっくり伺いました。

絵を描くことが好きで、中学時代からの将来の夢は雑誌のデザインを手掛けること

部屋のどこを切り取っても絵になるような素敵な家に暮らす青坂さん。移住に際して手に入れたこの住まいは、もともと教員住宅だったそう。「父が教員だったので、子どものころに暮らした家と間取りや雰囲気が似ていて、親近感もあったんですよね」と話します。水回りなどは業者さんに入ってもらいましたが、それ以外の漆喰の壁塗りなどは自身で行い、自分好みの心地のよい空間を作り上げました。

yoeidesign_3.jpgフリーランスデザイナーの青坂さつきさんです。

出身地は標茶町の隣町の別海町(べつかいちょう)ですが、父親の転勤で根室管内の中標津、羅臼などを転々としたそう。北海道の東側、いわゆる道東エリアで転勤族として暮らす中で、青坂さんが夢中になっていたのが「絵を描くこと」でした。幼稚園の卒園アルバムに書いた将来の夢は「まんが家」で、小学校に上がるとその夢は「イラストレーター」へと変化します。

「高学年になって、その頃からファッション誌などを買うようになり、ただ読むだけではなくて『こういう誌面を自分でも作ってみたい!』と思うように。中学生になってからは、将来雑誌のデザインの仕事がしたいと考えるようになっていました」

さらに、当時としてはかなり早い段階でパソコンを使える環境が整っており、青坂さんは小学生の頃から父親に手ほどきを受け、Photoshopやペイントソフトを使いこなし、レイアウトの真似事などをしていたことも夢の後押しとなりました。

中学校を卒業した青坂さんは、根室管内から離れた登別の学校へ進学。自主性を重んじる校風の中で、美術部に入部し部長も任されます。美大を目指すならと先生に勧められ、高校1年からは札幌にある美術の予備校に通い、デッサンの基礎を習得。無事、美術のコースがある北海道教育大学岩見沢校に合格し、大学では情報デザイン研究室に所属し、グラフィックデザインをはじめ、デザインの基礎を学びました。

大学卒業後は、北海道の暮らしを紹介する人気雑誌の会社へ

大学を卒業したあとは、帯広にあるソーゴー印刷株式会社(現・株式会社クナウパブリッシング)に入社します。

yoeidesign_73.jpgご自宅の中で一番お気に入りの場所はキッチンだそう。

「就活では、大手印刷会社や媒体社など、紙面のデザインに関われる企業を幅広く受けていました。実は、別の会社の面接の予定が入っていたのですが、突然、顔や全身にじんましんが広がって、病院に行っても原因が分からず、面接に行けるような状態じゃなくなって、泣く泣く自分から辞退。もう私の就活は終わったと途方に暮れていたら、実家の母親がたまたま読んでいた雑誌の小さな情報欄を見せてくれたんです」

それは北海道のライフスタイル雑誌「スロウ」でした。巻末の情報欄に、発行元であるソーゴー印刷の求人募集が載っているのを見つけ、「連絡してみたら?」と教えてくれたのでした。「もし母があのページを開いていなければ、私は今の場所にたどり着いていませんでしたね」と振り返ります。

憧れだった雑誌のデザインに携わることになった青坂さん。入社1年目は、デザインの技術だけでなく、雑誌作りの現場を知るため、編集者に同行して北海道各地へ取材に飛び回り、自ら記事を書くこともあったと言います。2年目からはデザイナーとして、スロウの本誌のほか、次々創刊されていた別冊や新しい出版物のデザインなど、あらゆる案件を任されるようになります。

yoeidesign_53.jpg玄関を入ってすぐに仕事部屋があります。

雑誌の誌面で取り上げるのは、十勝を中心とした道内の美しい風景やこだわりの食、手仕事の数々。これらを洗練されたビジュアルで世に送り出す仕事にやりがいは感じていましたが、とにかく多忙な日々を送っていました。そんな中、自分の時間を大切にしながら、本当の意味で豊かな自然に寄り添った暮らしがしたいと考えるようになります。

「スロウの誌面で、丁寧な暮らしを楽しんでいる素敵な人たちがたくさん登場しているのを見ているうちに、私自身の価値観も変わっていき、大量消費される安いものではなく、作家さんの手から生まれた温かい器や家具を大切に使いたいという気持ちが生まれ、暮らし方そのものを見つめ直したいと思い始めていました」

独立を決意し、31歳で退職。余白を美しく見せるデザインから屋号は「余映」

帯広での生活が数年を過ぎ、デザイナーとしての実力も蓄えた青坂さんは、次第に「独立」を意識するようになります。

「個人のSNSで発信を頑張っていたら、それを見て、デザインを頼みたいというダイレクトの依頼がポツポツと届くようになっていました。会社を通して請けていたのですが、次第に個人として十分に食べていけるだけの仕事を作れるかもしれないという手応えに変わっていきました」

yoeidesign_68.jpgこちらは青坂さんがデザインを担当した冊子です。

当初は、人生の節目として30歳を迎えるタイミングで独立しようと心に決め、その意向を上司に伝えようとした直前、会社から直営ショップをオープンするのでプロデュースなどを担当しないかという打診があります。

「個人では絶対に経験できないような大きなプロジェクト、こんなチャンスはもうないかもしれないと思ったので引き受けました。そのあと、会社の社名変更に伴うロゴのデザインも担当し、ようやく『今だ』と思えるタイミングがきたので退職を願い出ました」

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半年かけて引き継ぎを終え、2023年、31歳になる年に会社を退職。独立した青坂さんは「余映(よえい)デザイン」という屋号を掲げます。余映とは、「日が沈んだり、灯火が消えたあとに残った輝き。事が終わったあとまで残ること」を表す言葉なのだそう。

「余白を映すと書くこの言葉は、余白を美しく見せるデザインにこだわっている私の考え方に通じるものがあったんです。目には見えない本質を捉え、デザインするという思いも込めています」

道東の美しい景色に心打たれ、森と湖のある場所で家探しを行い、塘路へ

青坂さんは独立と同時に、憧れていた暮らしができる場所探しも始めます。

「いきなり一人で見知らぬ土地でフリーランスとして開業し、一人暮らしを始めることには不安があったので、一旦、中標津にある実家に戻ってデザインの仕事を始めました。合間を見ては、Googleマップの衛星写真で、道東の湖の周りを拡大して、空き家らしき家を見つけてピンを立て、そこでの暮らしを妄想するのを楽しみにしていました(笑)」

青坂さんが移住先に求めた条件は、「森と湖がすぐ近くにある静かな家」でした。場所は道東がいいと考えていました。

078__N9A4255.jpg青坂さんのご自宅から車を5分ほど走らせると、塘路湖の湖畔にたどり着きます。最近は外国人の観光客が訪れることも多いそうです。

「豪雪地帯の岩見沢から就職で十勝にきたとき、冬の概念が180度ひっくり返りました。雪が少なくて、驚くほど毎日スカッと晴れるんです。いわゆる十勝晴れですね。その代わり、ものすごく冷え込むんですけど、朝起きると、空気中の水分が木々に付着して真っ白に凍って、キラキラ輝く霧氷が見えるんです。それを見た時に、道東の冬の美しさに感動して、それから道東の自然に対して愛着が湧くようになりました」

湖にこだわったのは、青坂さんの趣味であるカメラと関係があります。大学の授業で段ボールを使ったピンホールカメラを自作し、学内の現像室で自らフィルムを現像する体験をして以来、デジタル全盛の時代にあって、光を物質として定着させるフィルムカメラの魅力にのめり込みます。父親から古いフィルムカメラを譲り受け、フィルムをメインに美しい景色や大好きな人たちのポートレートを撮り続けてきました。

yoeidesign_99.jpg青坂さんがフィルムカメラで撮影した1枚。

「瀬戸内海の穏やかな海辺に住む友達がSNSに載せていた静かな風景写真や、大好きなピアニストの方の水辺で撮ったミュージックビデオの影響もあって、いつしか穏やかな湖のほとりに住んで、そこで好きな写真をたくさん撮りたいと思うようになりました」

青坂さんが塘路に引き寄せられたのは、標茶に住む写真仲間がきっかけでした。当時、地域おこし協力隊として活動していた中道智大さんと、同じく写真仲間の坂本明子さんに誘われ、中道さんの愛犬も一緒に、夏の早朝に初めてカヌーで塘路湖へ繰り出します。しかし、その日は曇り空で通常時に比べて波も高かったそうです。

決定的となったのは、何度かカヌーに乗る機会を重ねて迎えた、12月初旬の早朝。まだ夜が明けきらない、深い霧が辺りを包み込む塘路湖。寒さでカメラの電子シャッターの動きが怪しくなるほどの冷気の中、カヌーを漕ぎ出し、水面へ滑り出た途端、青坂さんは言葉を失ったと言います。

「霧の向こうからゆっくりと太陽が昇ってきて、だんだんと明るくなっていく中、湖面は鏡のようになって、辺りの植生は霧氷で真っ白に染まっていました。カヌーを静かに漕ぎ進め、川に入ると、すぐそばの岸辺に野生のシカが静かに佇んでいるのが見えて...。寒さなんてどうでもよくなるくらい、その美しさに圧倒されてしまったんです」

yoeidesign_101.jpg青坂さんが撮影した塘路湖の夕暮れ。

このカヌー体験を機に、「塘路に住みたい」という思いが明確になります。そのタイミングで、父親が標茶町の移住補助金と空き家バンクの活用に関する大きな新聞記事を見つけます。町が管理している、古い教員住宅の空き家が物件として登録されたという内容でした。青坂さんはすぐに坂本さんに連絡を入れます。坂本さんは塘路のコミュニティのキーパーソンであり、青坂さんが以前「塘路で家を探している」と言った際も、自分の両親が持っている土地を紹介してくれるなど親身になって動いてくれていた人でした。

「明子さんにLINEで『この教員住宅に住みたいです!』と送ったら、『そんな古い住宅でもいいの? それならもっと早く教えればよかった!』とすごく驚かれて(笑)。さらに、中道さんが役場の移住担当者の方にすぐ連絡を取ってくれて内見の手配をしてくれたんです」

年明けの雪深い時期、青坂さんは担当者の案内で教員住宅を訪れます。「古い建物でしたが、中に入った瞬間、懐かしく落ち着く気持ちになりました。一人で暮らすにはちょうどいいサイズ感で、ここで間違いないと自分の中で確信が持てました」と話します。

その後、物件を購入し、リノベーションを済ませた青坂さんは、2024年10月1日に新しい暮らしをスタートさせます。

単身移住の不安を打ち消す、温かい塘路の人たちに囲まれた暮らし

憧れだった暮らしを手に入れた青坂さんに現在の満足度を尋ねると、「もう、めちゃくちゃ最高です!」と、とびっきりの笑顔。

「本当に静かで、穏やかな場所。お隣さんやご近所の住宅はあるのですが、都会や大きな街のようにせかせかした空気は一切なく、車の通りもほとんどない。連れてきた2匹の猫たちも、窓辺で一日中ひなたぼっこをしながら、本当にのびのびと暮らしています」

「でも、ただ...」と苦笑する青坂さん。理想だった暮らしは、まだ完全には叶えられていないと言います。その理由は、嬉しい悲鳴でもある「仕事の忙しさ」。

「ありがたいことに、独立してから本当にたくさんのお仕事をいただけて、去年は毎日パソコンに向かっていました。本当はもっと、天気のいい日に湖へ行ってカヌーに乗ったり、近くの森を散歩したり、山に登って写真を撮ったりしたいのに、なかなか叶わず...。その代わり、仕事の合間に家の庭いじりをしています」

庭の一面を覆っていた砂利を取り除き、土を耕し、小道を作って、宿根草やハーブの苗をたくさん植えましたが、「野生のエゾシカに見事に食べられて...」と笑います。「ご近所さんたちもあまり花を植えたりしてなくて、本格的な家庭菜園をやっている人もみんな頑丈なネットや高い柵を張っている理由がその時に初めて分かりました」と自然豊かな場所で暮らしていることを実感します。

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「今は庭の雑草を抜いたり、何年も放置されて笹だらけになっていた前の空き地の笹を地道に刈り続けたりする時間が、在宅ワークの最高の息抜きであり、自然と触れ合う大切な時間になっています」

1人で見知らぬ土地に移住し、孤独や不便さを感じることは?と質問すると、「全くないですね」と即答。車があれば釧路や標茶の市街地まで30分ほどで買い物や病院に行けるため、何一つ不自由はないそう。そして、塘路の人々の温かさに感謝していると言います。

yoeidesign_79.jpg写真撮影や庭作業が難しい時は、お菓子作りなど家の中でできるちょっとした趣味を楽しんでいるそう。忙しい中でも自分の時間を大切にしている様子が伝わってきました。

「移住前は、閉鎖的なコミュニティだったらどうしよう、若い独り身の移住者が受け入れられなかったらどうしようという不安が少しだけありました。でも、塘路の人たちは、本当に信じられないくらい温かいんです」

ご近所さんも「若い人が来てくれたと、それだけで歓迎してくれた」と笑う青坂さん。移住から1年以上経っても、今も役場の移住担当者がずっと気にかけてくれるほか、地域のイベントにもみんなが輪の中に引っ張ってくれるそう。

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「実は、昨日の夜も近所の家にお邪魔して、夜遅くまでみんなで楽しく飲んでいました(笑)。週末になると、近所の皆さんからバーベキューやるからおいで、飲み会やるからおいでって電話がかかってくるんですよ。地域のみんなでテーブルを囲んでご飯を食べるのが日常になっています。在宅ワークで誰とも話さない日があっても、月に数回は地域のみんなと顔を合わせて笑い合える環境があるのもありがたいです」

また、移住時から青坂さんを支えてくれている写真仲間の坂本さん、中道さんと地域の魅力を独自の視点で編集した自主制作の冊子「日風(にちか)」を発行する活動も行っています。もともとは坂本さんたちが作っていた1号目に感銘を受け、「デザイナーとして力になれます!」と仲間に入れてもらったそう。現在は3号目まで発行しています。

yoeidesign_103.jpg左が中道智大さん、右が坂本明子さんです。

アイヌの保存食「ペカンペ」を用いた新しい食べ方を模索中

これからのことについて尋ねると、「塘路には、古くからこの地域に住むアイヌの人たちが、大切な伝統の保存食として守り抜いてきた『ペカンペ』というものがあるんです」と青坂さん。これを使った新しいフードを作れないか考えているそう。

ぺカンペとは、日本語で「ヒシの実」と呼ばれるもので、塘路湖などの水面に生える水草の泥の中にある実のこと。「アイヌ語で『水の上にあるもの』という意味を持つそうで、かつては秋になると塘路のみんなで湖に出て、盛んに収穫していたそうなんです」と話します。

茹でて皮を剥くと、中は栗や豆のようにホクホクとした独特の食感があり、ほんのりと優しい甘みがあるというペカンペ。かつてはお祝いの席でおしるこに入れて食べられていたり、地域の暮らしに深く根付いていたそう。

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「今、塘路湖でペカンペを採るための正当な漁業権を持っているのは、地域の数名だけ。このままでは採る人も、食べ方を知る人も、歴史ごと地域から消えてしまうかもしれないという話を聞いて、自分に何かできることはないだろうかと考えるようになったんです」

昨年、青坂さんは自ら湖に出てペカンペの収穫に挑戦。水中から収穫した1キロ弱のぺカンペを持ち帰って茹でてみて、「どうやったら、今の時代の人たちに、このペカンペをおいしく食べてもらえるだろう」と考え、キッチンでいろいろ試作をしたと話します。

「明子さんが昨年、塘路でカフェをオープンしたんです。レギュラーメニューの焼き菓子をはじめ、不定期で登場するペカンペを入れた温かいおしるこも提供していて、塘路でペカンペが食べられる貴重な場所になっています。だから私は、明子さんとはまた違うアプローチ、これまでにない新しい形でペカンペの魅力を若い人や観光客の方に広めたいなと思っています。例えば、ジェラートとかどうかなと考えています」

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雑誌のデザイナーとして、地域やそこに暮らす人をより魅力的に紹介するため、紙の上でデザインしてきた青坂さん。今は、この塘路で、自らの暮らしをデザインし、さらには地域の伝統を新しい形にデザインしようとしています。しばらく忙しい日々は続きそうですが、塘路に移住し、「余映」という屋号のように、本質を捉え、暮らしをデザインし、気持ちや生活に「余白」を持っているのが伝わってきました。

yoei.design デザイナー 青坂さつきさん
住所

北海道川上郡標茶町塘路

URL

https://www.instagram.com/yoei.design/


森と湖がある塘路で、余白のある暮らしを手に入れたデザイナー

この記事は2026年6月1日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。