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ものづくりで小樽に貢献。お寺の地階に誕生したクラフトジンの蒸留所20260804

ものづくりで小樽に貢献。お寺の地階に誕生したクラフトジンの蒸留所

歴史を感じさせる街並みと、海と山に囲まれた豊かな風土を持つ小樽。この街で生まれ育ち、一度はパン職人として外へ出ますが、クラフトジンを造る蒸留職人としてUターンしたのが、今回の主人公、OHTORI SPIRITSの代表・峰尾真人さんです。実家のお寺の地階に蒸留所を作り、この夏からの本格始動に向けて準備中の峰尾さんに小樽とクラフトジンにかける想いを伺いました。

大学卒業後、パン職人に。ものづくりを通して小樽の課題を解決したい

小樽インターチェンジから車で数分、潮見台にある法華宗真門流の宣誠寺。このお寺の下の駐車場奥にあるのが、目的地である峰尾真人さんの蒸留所「OTARU DistiLibrary(オタルディスティライブラリー)」です。蒸留所の一角には試飲スペースが設けられており、そこのカウンターで峰尾さんのインタビューを行うことに。メモを取ろうとカウンターにノートを置くと、フワッと木の香りがします。

「これ、青森のヒバなんです。いい香りですよね。母方の親戚の材木問屋が商いを辞めることになり、すべて処分するというのでたくさんある中から譲り受けた木材なんです。代々続いてきた歴史ある材木商の記憶の一片を継承していけたらと思っています」

そう話す峰尾さん、こちらも代々続く宣誠寺の三男坊。まずは峰尾さんのこれまでの歩みを伺っていこうと思います。

「男4人兄弟の3番目。ここで生まれ育ち、すぐ近くの小樽潮陵高等学校を卒業したあと、小樽商科大学へ。もともと大学に行く気はなかったのですが、親から行っておいたほうがいいと言われ、ローコストな自宅から近い国公立大を選びました」

小樽商科大学といえば、卒業したあとは金融業界をはじめ会社に勤務するビジネスパーソンになるというイメージがありますが、峰尾さんはサラリーマンになるつもりはなかったと話します。

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「中学生の時に目にしたリーマンショック、高校生の時に経験した東日本大震災が、自分の中で大きな転機になりました。テレビの画面越しに見た光景や揺れ動く社会に対し、『諸行無常』を感じたんです。サラリーマンになってどんなに大きな会社に入っても、世界情勢や天変地異ひとつで簡単に職を失ってしまうかもしれない。どんな事態が起きても生き残れるよう、ゼロからものを作れる人間になりたいと思っていました」

また、「基本的に凝り性」という峰尾さん。「コレだと思ったらとことん突き詰め、最後は自分で工夫するのが好き」と話し、根っからの職人気質なのが伝わってきます。そんな峰尾さんが大学時代にたまたま出合ったのが、パン作りでした。

「どうやったらおいしくできるのかを自分で考え、試すのが面白かったんです。オタク気質なので、材料を調べていくうちに、北海道って小麦もバターも砂糖も全て極上のものが揃うと分かり、世界一パンに適した土地だと思ったんです」

そこで、大学卒業後はパン職人の道に進もうと考え、道外にある大手ベーカリーへの就職を目指します。道内にもたくさんベーカリーはありますが、なぜ道外だったのでしょう。

29.jpg存在感を放つ蒸留機。実は搬入されてきたときに説明書が同封されていなく、図面を見て一から組み立てたんだとか

「当時、大学のゼミで地域活性について研究していました。観光地として有名な小樽ですが、人口は減っているし、今もなお課題は山積みです。小樽の活性化のためにアイデアを口にする人はたくさんいるけれど、それを実行する人がほとんどいないことをずっと歯がゆく感じていました。小樽で生まれ育った自分としては、アイデアを言いっぱなしではなく、小樽のためにきちんと行動で示すべきだと考え、自分にできるものづくりを通じて課題を解決したいと思ったんです。ずっと小樽で暮らしてきたので、外から小樽を見ることも必要だと思い、一旦外に出てパン作りをマスターしてから、小樽に戻ろうと考えました」

そして大学卒業後は、横浜に本社がある大手ベーカリーに就職。中には、「せっかく商大を出たのに...」と言う人もいましたが、パン職人としてのキャリアを歩み始めました。

「今でもはっきり覚えているのですが、就職のために東京へ向かうとき、離陸する飛行機の窓から眼下を見つめ、絶対に帰ってくるぞと強く思いました」と、懐かしそうに話します。

心から「好き」と思えるものを極めたい。クラフトジンの世界へ

3年間は頑張って、技術をはじめ、学べることは吸収しようと腹をくくっていた峰尾さん。職人として基礎をきちんと習得することの大切さを学んだと言います。

mineo_pan.jpgパン職人時代の峰尾さん(note記事より)

「学ぶことはたくさんありました。ただ、もともとパンを始めたきっかけが、自分の心の奥底から湧き出る『好き』ではなかったこともあり、徐々に続けていくことに難しさを感じるように...。3年目になる頃、自分の心の底から湧き出る動機でなければ続けられないと気付きました」

そこで、とことん自分と向き合い、自分が好きなものは何か、やりたいものづくりは何かを突き詰めていき、お酒の世界へシフトしようと決意します。

「当初はクラフトビールも検討しましたが、すでに各地にブルワリーがあり、20代半ばの自分がゼロから技術を学んで経験を積み、独立するころには市場が完全に飽和状態だろうと分析しました。一方で、ジンはどうだろうと考えました。一部のマニアの間では盛り上がっていましたが、まだまだ一般には浸透していない状況を鑑みると、自分が経験を積んで独立するころにちょうど市場がいい状態に成長していると思ったんです」

66.jpgコンクリートの熟成タンク。小樽産のホタテの貝殻が練り込まれています。

さすが経営学を学んだ小樽商大出身ならではの視点と分析力です。峰尾さんがジンを飲むようになったのは、ベーカリーに就職してすぐの頃から。初めてジンを口にしたのは、先輩に連れていってもらったバーだったそう。

「バーになんて行ったこともなくて、何を注文すればいいか分からなくて、たまたま目の前にあったのが鹿児島のミカンを使ったジンだったんです。そのジャケットがカッコよくて、それを頼んだら、それがまたすごくおいしくて...。ミカンの皮の香りが口の中で広がって、なんだコレはってなりました(笑)。さらにそのあと、ドイツのジンを飲んだときに衝撃を受け、こういうのを自分も造ってみたい!と思ったんですよね」

マーケット的なこと、自分が心からやりたいと思ったこと、そして当時の小樽にはジンを造っているところがなかったことなど、あらゆる条件が合致。すぐに小樽に帰って始めることもできましたが、「職人としてきちんと経験を積みたい」と考え、横浜でクラフトビールを造っている会社が新たにクラフトジンを始めると知り、そこへ飛び込みます。

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「会社もジンを造るのは初めてだったので、まったくのゼロからのスタートでした。でも、日本のカクテル界で知る人ぞ知る北條智之さんがアドバイザーとして関わってくださっていたおかげで、たくさんのことを教えてもらいました」

北條智之さんは、横浜にある「Cocktail Bar Nemanja(ネマニャ)」を営むバーテンダーであり、一般社団法人全日本フレアバーテンダーズ協会の名誉相談役という人物。ノンアルコールのジンを初めて開発し、ボタニカルの香りを極限まで引き出す蒸留のプロです。その知見と技術を学べたのは幸運だったと振り返ります。

実は、ジンの現場担当は峰尾さんひとり。製造だけでなく、併設されたバーでのバーテンダー業務、飲食店への営業、SNS広報まで、全てをひとりでこなしました。

「当時は大変でしたが、ここでの5年間の経験が小樽に戻って蒸留所を造る際も随分と役立っています。また、横浜時代に出会った方たちが遠く離れても応援してくれているのがありがたいですね」

mineo_yokohama.jpg峰尾さんが横浜で約5年間勤務していたクラフトジンの蒸留所(note記事より)

妻に背中を押され、独立を決意。故郷・小樽へ家族と共にUターン

ベーカリー時代に知り合った奥さまと2021年に結婚し、横浜で着実に蒸留職人として実績を積み上げてきた峰尾さん。ちょうど第一子となる息子さんが生まれるタイミングで、「そろそろ自分のレシピで造ってみていいよ」と会社からGOサインが出ます。

「せっかくなので、子どもの誕生をテーマにしたジンを造りました。ただ、なにせ凝り性なので、もっとこうしたい、もっとこうやったらよかったんじゃないかという欲やモヤモヤが出てきて...。自分が納得いくものをとことん突き詰めたくなったんです」

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そんな峰尾さんを見て奥さまが言ったのは、「独立してやってみたら?」でした。そのひと言をきっかけに、峰尾さんは真剣かつ冷静に独立を考え始めます。結婚するときから「いつか小樽へ帰る」ことを奥さまに伝えていた峰尾さんは、引っ越すならば子どもが小さいうちがいいだろうと考えます。また、峰尾さんがクラフトジンの世界に入った5年前に比べると、クラフトジンの市場が一部のマニアから一般の消費者にも広がり、定着し始めていることに少し焦りもあったと話します。

「それからもう一つ、焦りがありました。小樽はブランド価値が非常に高い街。だからこそ、ビジネスチャンスを求めて小樽の外から来た企業や人に街の名前が都合よく使われてしまうこともあるんです。それを否定はしませんが、小樽で生まれ育った人間が小樽の名前を背負い、胸を張れる本物を造って発信したいと考え、自分はこれまでずっと準備をしてきました。今回、そのタイミングを逃してはならないという想いもありました」

2025年5月、故郷・小樽への熱い想いを胸に峰尾さんは家族とともに小樽へ。「子どもも生まれたばかりなのに、小樽に戻って独立することを快諾してくれた妻には感謝しかありません」と話します。

実家のお寺で蒸留所を立ち上げることに。屋号やロゴに込めた想いとは?

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小樽に戻ってから物件探しを始めますが、なかなか希望に合うものが見つかりませんでした。そんなとき、宣誠寺の住職であり、父親の泉栄さんから寺の地階にある駐車場の一部を使ったらどうだと提案があります。

「2台分の駐車スペースを使わせてもらって、蒸留所を設立することに。小樽で代々続くお寺でやることに、大きな意味があると感じました」

屋号は以前から決めていた「OHTORI SPIRITS」。OHTORIは、鳳凰の「鳳」のこと。世界中のお酒のラベルに動物を使っているものが多く、峰尾さんも動物を用いたいと考えていました。峰尾さんがジンを造りたいと思ったきっかけのドイツのジンもサルがモチーフだったそう。ただ、「小樽を背負う」のであれば、OTARUを使ってもいいのでは?と思いますが...。

55.jpgお寺に蒸留所があることで、これまでお寺と接点のなかったような方々がお寺に訪れるきっかけにもなれたら、と話す峰尾さん

「屋号にわざわざ小樽を入れたくなかったんですよね。でも、ローマ字で書いたOHTORIとOTARUってO・T・Rと同じ文字が入っていて、メタファーだと後から気付きました。ほかにもあとから気付いたことがたくさんあって、この屋号を付けたのは必然だったのかなと感じています。それは、お寺の地階でやることも同じです」

母校である小樽潮陵高校の校歌にも「鳳」が登場。それは、小樽湾の地形が鳳に似ているからなのだそう。また、峰尾さんが屋号を決めたあとにお寺の本堂の釣り灯籠に鳳凰が描かれており、驚いたとも話します。

また、GINではなく、SPIRITSを用いたのは、蒸留酒という意味のほかに「魂」や「精神」という意味があり、ものづくりに対して「尊さを感じられるから」と峰尾さん。蒸留酒自体は透明ですが、香りや味という豊かな情報を持っており、「蒸留というのは、目に見えない魂や本質を取り出す行為だと考えています」と続けます。くしくも、お寺で蒸留酒を製造することになり、そこにも不思議な繋がりを感じます。

ohtori.jpg峰尾さんのご実家である宣誠寺の天井に吊るされた灯籠の装飾品。翼を広げた「鳳凰」が描かれています。

「横浜でバーテンダーをやっていたとき、お酒を飲みながらだと誰にも言えない悩みや愚痴をこぼせるというお客さんをたくさん見てきました。お寺という場所で、おいしいお酒を飲みながらフッと心が軽くなる。そんな地域に開かれた場所にできたらとも考えています」

さらに、2番目のお兄さんが考えてくれたというロゴにもいろいろな意味が込められています。山を表す形の下に〇が描かれたシンプルなものですが、「山は頂点を極める、〇は平和の和や誠実さといった意味があり、ものづくりをする人間にとって大事なことが詰まっているんです」と話し、「それにこれもあとから気付いたんですけど、山は峰、そして〇をアルファベットのオーだと考えたら、『峰尾』なんですよ」と笑います。

あとからもいろいろな意味が見出せたという話を聞いていると、まるで導かれるかのようにコトが進んでいるようにも感じます。

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小樽の名物になりうる定番ジンを。本格始動に向け、クラファンにも挑戦中

多くのクラフト酒造が「限定商品」を次々と連発する中、峰尾さんが造りたいのは、世界で長く愛される「揺るぎない定番」となるクラフトジンです。

「小樽らしさを打ち出すなら、小樽産のボタニカルだけを使っていますとアピールするのが一般的。でも自分としては、交易の拠点だった小樽らしく、各地から本当に良いものを集めて最高の定番を造りたいんです」

そう語る峰尾さんの定番ジンのレシピには、上富良野のラベンダー、余市のラズベリー、函館の昆布といった北海道の恵みに加え、お寺らしく仏の手のカタチをした仏手柑(ブッシュカン)や煎茶などが絶妙なバランスで配合されています。

さらに、峰尾さんのことが紹介された新聞を見たという厚真町の農家さんからカシスを使ってみないかと連絡があり、試作の最終段階でそのカシスを合わせた瞬間、峰尾さんは「最後のピースがハマった」と確信したそうです。

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この定番ジンを入れる700mlの容器は、小樽の海や山のイメージを表現した青緑色の美しいオーダーメイドのガラス瓶。箱のデザインもほぼ決まっているそう。実はこっそり見せていただきましたが、とってもカッコいい色使いとデザインです。

現在、峰尾さんはクラウドファンディング(外部サイト)にチャレンジしています。設備費や人材採用費、ウェブサイト構築費などに使う予定だそう。目標金額の達成が近づいており、「ネクストゴールも視野に入れています」と峰尾さん。ネクストゴール達成の暁には小樽市内を走るバスのフルラッピング広告を検討しているそう。

定番のジンは、700mlの定番ボトルのほか、お土産にぴったりな100mlの小瓶も予定。「小樽を訪れた国内外の観光客の誰もが手に取るような名物に育てていきたい」と夢は広がります。また、蒸留所を目的地として小樽を訪れる人も増えてほしいと考えています。常に先を見据え、市場を読み、プランを立てていくのは小樽商大での学びの賜物。さらに横浜で経験を積み、技術を磨いた月日は、職人としての確固たる自信につながっています。熱い魂を持った鳳が羽を広げ、世界へ羽ばたく日はもうすぐです。

30.jpg「Uターンして故郷・小樽に蒸留所をつくる」その想いを胸に、着々と準備を進めてきた峰尾さん。新たな人の交流地点としてクラフトジンの蒸留所が小樽ではじまります。ぜひ、峰尾さんが造るこだわりやジンの魅力を感じてみてはいかがでしょうか?

OHTORI SPIRITS 峰尾真人さん
住所

北海道小樽市潮見台1丁目10-1 宣誠寺地階

電話

0134-61-6478

OTARU DistiLibraryのInstagram

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ものづくりで小樽に貢献。お寺の地階に誕生したクラフトジンの蒸留所

この記事は2026年7月22日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。